第12話 和平交渉 Ⅰ

 レゼェレの戦いの三日後。


「諸君、喜べ! 我らの勝利だ!!」


 エルキュールは将軍たちに向かって、景気良さそうに言った。

 が、しかし将軍たちは微妙な表情を浮かべている。


「……陛下」

「何だ、カロリナ」

「引き分けではないですか?」

「……」


 エルキュールは一瞬、押し黙った。

 が、すぐに得意そうに言った。


「撤退したのは敵だ。ならば、勝ったのは我々だ」

「……損害は僅かに我が軍の方が多いようですが」

「大事なのは数ではない。目的を達成したかだ」

「……達成できていないのでは?」


 レムリア軍の戦略目標は、ルートヴィッヒ一世を戦場で徹底的に打ち破ること。

 それに失敗し、こちら側も少なくない損害を負った。


 負けた、とまでは言わない。

 が、しかし決して勝ったとは言えないだろう。


「……ニア将軍が、心配ですね」


 ぽつりとソニアが呟いた。

 初対面では大喧嘩をしたソニアとニアの二人だが、チェルダ戦争後はそれほど険悪にはならず、関係はある程度改善していた。

 そして今回のニアの活躍に関しては、ソニアもそれなりに認めている様子で……


 その分、ソニアのニアへの印象は良くなり、それ故に敵に捕らえられているニアのことをそれなりに心配していた。


「その点は問題あるまい。生きていることは、分かっているんだ。ならば捕虜として、丁重に扱われるだろう」


 ニアがエルキュールの情婦であることは、それなりに知られている。

 それでなくとも、エルキュールに重用されている将軍、家臣なのだ。

 そんな人物を粗雑に扱うはず、ましては乱暴を振るうわけはない。


 もしそんなことをすれば、ルートヴィッヒ一世はエルキュールの逆鱗に触れることになる。

 そしてエルキュールも面子のために引けなくなる。


 双方が決定的に敗北するまで、永遠に戦争が続くことになる。


 そのような愚かな選択をルートヴィッヒ一世がするはずない。


「そしてこちらも同じこと。くれぐれも……彼女を、敵将ブラダマンテに関しては、丁重に扱い、もてなすように」


 ブラダマンテはフラーリング王国に於いて、『節制』の称号を持つ、七勇士と並び讃えられるほどの英雄である。

 そしてまたルートヴィッヒ一世の重臣だ。


 これに失礼を働くことがあれば、ルートヴィッヒ一世はやはりエルキュールを許せないだろう。

 感情的にも、面子的にも。


 エルキュールもルートヴィッヒ一世と永遠に戦争をしたいわけではない。

 

 故に見張りこそつけているものの、一人の貴族の客として、もてなしていた。

 またブラダマンテの方も、直に解放されていることを理解しているのか、特に逃げ出す素振りを見せていない。


「とにかく……勝ったのは、我々だ。少なくとも、将兵たちにはそういうことにしておけ。我々の同盟者たちにもだ。我々は、勝った。例え負けていても、勝ったと百回言えば勝ったことになるのが政治の世界だ。分かったか!」


「「はは!!」」


 忠臣たちは「勝った」ということにしておくことにした。




 

 さて、その夜のこと。


「ブラダマンテ殿。何か、不自由はないかな?」


 エルキュールは葡萄酒をブラダマンテの杯の中へ、注ぎながら言った。

 

 二人は豪華な絨毯の上に腰を下ろしていて、間には美しい装飾の施されたテーブルが置かれている。

 そしてテーブルの上には美味しそうな料理が並べられていた。


「いえ、全く。快適に過ごさせて頂いていますわ」


 ブラダマンテはそう言いながらエルキュールの杯へ、葡萄酒を注いだ。

 二人は杯を手に取り、軽くぶつけあう。


「「我らの友好に、乾杯」」


 二人は葡萄酒を口につける。

 そしてエルキュールはブラダマンテに尋ねた。


「首都から届けさせた、ハヤスタン産の三十年物だ。お口に合うと良いが」

「素晴らしいコクと香りですわ。流石はレムリア帝国と、言うべきでしょうか? 戦場にこれほどの物を用意できるとは」


 ブラダマンテはテーブルに並べられた料理を眺めながら言った。

 それは戦場で用意されたものとは思えないほど、豪華なものであった。

 

 勿論、もしこれがエルキュールとブラダマンテのためだけに用意され、兵士たちが食事に不自由しているようであれば……

 ブラダマンテはエルキュールを軽蔑しただろう。


 しかしブラダマンテは、しばらくの間レムリア軍の兵士たちの食事を観察していたが故に知っている。


 さすがにここに並べられている料理ほどではないが、しかしレムリア軍の兵士たちの食事も美味なものばかりなのだ。


(これはさすがに、国力の差を実感せざるを得ませんわね)


 フラーリング軍の食事は一般兵士は無論、騎士や諸侯、そして国王であるルートヴィッヒ一世ですらも、硬い石のようなパンが主だ。

 少なくともレムリア軍の食事ほど、美味しくはない。


「あなたのような美女に褒めて頂けるとは、感激です」

「美女だなんて、そんな……」


 ブラダマンテの頬が僅かに紅く染まる。

 エルキュールのような美青年に容姿を褒められ、悪い気はしない。

 

 フラーリングの男たちは粗野で下品な者が多い。

 だからエルキュールのように(表面上は)紳士な態度で口説かれるのは……少し新鮮な気分だ。


「いやいや、あなたほど美しい女性はレムリアにもそう多くはない。フラーリング人は粗野な者ばかりと思っていたが、あなたのような麗しい方もいるのだな」


 それからエルキュールはウィンクをする。


「これならば、フラーリングとの和解の道も探れそうだ」

「そうですわね。陛下がエデルナから兵を退けば……」

「退くのは、そちらだがね」


 先ほどの気配はどこへやら、エルキュールははっきりと、強い口調で言った。

 ブラダマンテの視界で、エルキュールとルートヴィッヒ一世の姿が重なる。


「あなたには是非とも、和解の使者を任せたい」

「まあ、我が主君に陛下のお言葉をお伝えする分は構いませんが……私はレムリアに利するようなことは、するつもりはありませんわ」


 ブラダマンテもまた、きっぱりとそう言った。

 正直、エルキュールのことは嫌いではない。

 

 それどころか、悪魔の呪いのせいか、彼の顔を見るとドキドキしてしまうのもまた事実。


 が、しかしそれとこれとは話が違う。

 どこぞの誰かのように、恋愛のために国を売るつもりは毛頭ない。


 勝つためならば、どのような卑怯な手段も取る。

 しかし双務契約によって立てた主従の契りは、主君の側が対価を提示し続ける限り、家臣として守り続ける。


 それがフラーリング騎士だ。


「さあ、それはどうかな。レムリアの利と、フラーリングの利は決して、違えていないと私は考えているがね」

「……どういうことですの?」

「すでに自覚なされているのでは? 今頃きっと、フラーリング軍はパンすらも難儀しているのではないかな?」

「……っく」


 エルキュールの指摘に、ブラダマンテは表情を歪めた。

 

 エデルナ港を中心とする兵站を持つレムリア軍にとって、十万の食い扶持を確保し続けることは……決して簡単なことではないが、できないことではない。


 一方、フラーリング軍には不可能だ。

 例え食糧を供給できたとしても……諸侯や騎士たちは自らの領地に帰りたがるだろう。


 このまま戦が長引けば、不利になるのはフラーリング軍である。


「まあ、よく考えてくれたまえ。幸いにも時間は私の味方だ。……不愉快な話をしてしまったな。楽しい話でもしようか」

「そうですわね。気を取り直して」


 二人は再び乾杯をし、それぞれの国の文化について会話に花を咲かせた。






 一方、そのころフラーリング軍の本陣では。


「さあ、どうかな? ニア殿。我が軍の食事は」

「……大変、美味しいです」

「ワハハハ!! その顔を見れば分かる。不味かったのだろう?」


 鹿肉を口に入れて表情を歪めるニアに対し、ルートヴィッヒ一世は愉快そうに笑った。

 お世辞を看破されたニアはもうすでに取り繕う必要はないと判断したのか、葡萄酒で口の中の鹿肉をやや強引に流し込む。


「葡萄酒は中々、美味しいです」

「ふむ、そうか。それは良かった……ところで我が国の料理は、どのあたりが不味かったかな?」

「……私の口には辛すぎるように感じました」


 香辛料が山のように掛けられている肉を見下ろし、ニアはややため息混じりに言った。

 フラーリング王国では香辛料は富の証。

 それ故に料理に対しては、山のように振りかけ、それを誇示するのだ。


 レムリア帝国でも香辛料は貴重品だが……庶民でも背伸びをすれば手が届く。

 故にフラーリング王国のように、大量に使用することはない。

 安価で大量にあるが故に、富を誇示する道具としては、身分の差異化の道具としては使えないのだ。


「そうか? 余にとっては、これもまた、美味しく感じるのだがな」


 尚、人間の味覚は教化・・される。

 辛い物ばかりを食べていると、辛い物が美味しく感じるようになるのだ。

 

 フラーリング王国の貴族たちは身分の差異化のために不味いものを頑張って食べているわけではなく、彼らはそれを美味しいと思って食べているのである。


「まあ、しかしレムリア料理で舌が肥えているニア将軍をもてなすには、不適切だったかな? お詫びしよう」

「いえ、お気持ちは十分に伝わりました。嬉しく感じています」


 ブラダマンテがエルキュールにもてなされているように、ニアもまたルートヴィッヒ一世にもてなされていた。

 捕虜にした相手が自国へ、または自分へ好意を抱き、敵国へ戻った後も自国に有利な行動をしてくれないかなぁ……

 と考えるのは、どちらも同じだ。


「しかしニア将軍の武力とその判断は素晴らしい! ……我が軍に入らないかね? 領地も、爵位も、用意するぞ? そうすれば、我が国の七勇士は、八勇士となる!」


「気持ちだけは受け取っておきます」


「ワハハハ! 振られてしまった!!」


 ひとしきり愉快そうに笑ったルートヴィッヒ一世は、やや真剣な声音でニアに提案する。


「さて、あなたにはレムリア帝国への和平の使者になって貰いたい」

「……我が主君に陛下のお言葉をお伝えする分は構いませんが、しかし、私はフラーリングに利するような真似をするつもりはありません」


 奇しくも、ニアはブラダマンテと同じ言葉を口にする。

 そして……ルートヴィッヒ一世もまた、エルキュールと同じ言葉を口にした。


「それはどうかな? 余はフラーリングとレムリアの利は違えないと考えているが」

「……戦が長引けば、有利なのは我が国です。はっきりと言いますが、フラーリング軍の兵站は脆弱です」


 ニアははっきりとその目で、フラーリング軍の兵士たちの食事事情を確認している。


 当初は嫌がらせで不味い食事を出されているのではと思っていたニアではあるが……

 フラーリング軍ではその不味い食事が普通であること、そして今や質だけでなく、量まで悪化しつつあることを知っていた。


 ニアにはっきりと指摘されたルートヴィッヒ一世は不快な様子を見せることなく、むしろ愉快そうに笑った。


「ふふ、痛いところを突かれてしまった。だがな? 戦とは、政治の延長線上にあるのだよ」

「……何が言いたいのですか?」

「我が国とは違い、レムリアは背後に大敵を抱えているのではと、思ってな」


 ルートヴィッヒ一世の言葉にニアの目が見開く。


「まさか! ファールスは今や、我が国の同盟国で……」

「おや? 余はファールスなどとは、一言も言ってはいないが」


 ルートヴィッヒ一世はニヤリと笑みを浮かべる。


「国同士の友好に、永遠はないのだよ。そして……有能な外交官がいるのは、貴国だけではない。我が国にも優秀な者がいるのだ」


 呆然とするニア。

 大笑いするルートヴィッヒ一世。


 そしてルートヴィッヒ一世は葡萄酒のボトルを手に取った。


「不愉快な話をしてしまったな。ふふ……時間が限られているが、しかし今日明日までに答えを出さなければならないというほど、気の早い話ではない。レムリアにも、我が国も、それなりに猶予が残されている。さあ、今宵は楽しもうじゃないか」


 ルートヴィッヒ一世は血のように真っ赤な葡萄酒をグラスに注いだ。

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