第5話 漁夫の利
ソニアから辛勝(引き分け)の報告を聞いたエルキュールは唸った。
「傭兵共を利用し、偽装退却からの包囲か。噂には聞いていたが……よくもまあ、騎士を名乗れるものだな」
騎士というよりは山賊や盗賊。
卑怯な手を使うことに一切の躊躇がない。
相手が異教徒や異端者であれば、何をしても良い……それがフラーリング騎士の道徳観である。
フラーリング王国は西方世界では珍しい正統派の国。
故に四方を異教徒や異端者に囲まれている。
卑怯な手を使う相手には事欠かなかったに違いない。
レムリア帝国もまた正統派ではあるが、今の正統派は教皇派と姫巫女派で分裂している。
つまりフラーリング王国からすればレムリア帝国は異端者の国。
やはり遠慮の要らない相手として扱われているのだろう。
もっとも……レムリア帝国は教皇派であったとしても、彼らが遠慮してくれたかどうかは分からないのだが。
「あの小娘……罠に嵌まって兵を失いかけるとは。やはり、罰が必要ではありませんか? 陛下」
「まあ……功を焦り過ぎたところは確かにあるが。しかし、致し方がないところもあるだろう」
ソニアも決して馬鹿ではないので、フラーリング軍の退却が演技であればさすがに気付いただろう。
彼女が敵の“演技”に気付くことができなかったのは、“演技”が演技ではなかったためである。
つまり敵左翼の傭兵とエデルナ騎士たちが敗走したのは紛れもない事実だったのだ。
敵将のブラダマンテは敢えて傭兵とエデルナ騎士を敗走させ、これを餌にしてソニアを釣り上げたのだろう。
もっとも……幸いだったのは、ソニアがもしもの時のためにジェベを後方に待機させていたことだ。
そのため退却に成功した。
大敗を事実上の引き分けに持ち込めたのは、ソニアの功績と言っても差し支えない。
(まあ、慎重に追撃しなければ良いと言われればそうだが……しかし追撃をしなければ戦果の拡大はできないからな)
戦場で最も人が死ぬのは撤退・追撃時である。
敵が総崩れの時に攻撃を加えなければ、立て直す機会を与えてしまいかねない。
故にソニアの判断は間違いではないのだ。
万が一に備えてジェベを後方に待機させていたことも含め、評価するべきだろう。
(だがチェルダ兵を失ったのは大きいな。それなりに当てにしていたのだが)
全滅したわけではないが、精強な歩兵戦力を一部失うことになった。
(それに敵はこれを勝利と宣伝するだろう。まあ、俺たちからしてみれば相手は最終的に都市へと戻ったのだから、勝ったのはこちら側なのだが)
これで大山脈よりこちら側周辺の都市や諸侯を味方に引き入れることが難しくなった。
ルートヴィッヒ一世は余裕をもって、大山脈を超えてくるだろう。
戦は結果が全て。
ソニアの引き分けという微妙な結果は、レムリア帝国に対して不利に働いたのだから、多少の罰は与えるべきなのかもしれない。
「無事に兵力の大多数を帰還させた功績と合わせて、まあ尻叩きくらいで許してやるか」
「……随分と甘いのではありませんか?」
「じゃあ、お前が今回のソニアと同等のミスをしたら、キツイ罰を与えてやろうか?」
「い、いえ……」
エルキュールが言うとアリシアは目を逸らした。
アリシアもソニアの判断は間違っていないと本音では考えているらしい。
罰の重さに文句があるのは、単なる私怨である。
「幸いにも、この戦いはあちらの勝利であるのと同時にこちらの勝利。エデルナ市周辺の諸侯や諸都市は、何とかまとめ上げることができた」
エデルナ王国の領土は削減するが、存続させる。
諸侯や諸都市の従来の権益は認め、一切手は出さない。
レムリア帝国とエデルナ王国との両属関係を認める。
等々……戦前と戦後でそれほど彼らの生活が変わらないということを説明した。
実のところエルキュールはエデルナ王国そのものへの領土欲求は殆どない。
制海権維持のために南部さえ維持することができれば問題ないと考えていた。
故にこのような寛大な条件を提示することができる。
……そもそも「元レムリア帝国の本土」という価値しかない、荒廃した国の土地など占領したところで負担にしかならないのだ。
「皇帝陛下。ガルフィス将軍からご報告がございます」
と、そこでガルフィスの使者がエルキュールのもとを訪れた、
「発言を許可する」
「は! 二日ほど前、ガルフィス将軍率いる軍がレムリア市を占拠! レムリア大主教座をその手中に収めました! 自称教皇グレゴリウスも、捕縛済みです」
「ご苦労」
ニヤリとエルキュールは笑った。
機嫌良さそうなエルキュールに対し、アリシアも笑みを浮かべる。
「これで角は二つ、こちらのモノですね」
「ああ。盤面はこちらが優位だ」
既にエデルナ王国南部の諸侯・諸都市とは条約を締結済み。
最低でも好意的な中立維持を約束させている。
兵站のルートも確保した。
そして……ルートヴィッヒ一世を釣り上げるための最上の餌はエルキュールの手にある。
「ガルフィスには急ぎ、エデルナ市に来るように伝えろ」
「はい、陛下」
使者にそう命じると、エルキュールは目を瞑り、呟いた。
「後は……大山脈を超えてきたルートヴィッヒ一世との戦いで、全てが決まる」
一方、レムリア市陥落とグレゴリウス捕縛の情報はルートヴィッヒ一世のもとにも届いていた。
「足しか引っ張りませんな。あの男は」
「全くだ。もう少しは頑張ってくれても良いと思ったのだがな」
『信仰』のチュルパンの言葉にルートヴィッヒ一世は頷いた。
そしてあっさりと、残忍なことを口にする。
「戦争の勝敗次第では、アレは切り捨てても良いかもしれんな」
「そうですな。既に“レムリア”からの独立という目的は果たしましたし、用済みです」
そもそも教皇派と姫巫女派では、教義内容にそれほど大きな差はない。
これは教義の問題ではなく、政治の問題である。
そしてルートヴィッヒ一世は国内の諸教会を、レムリア大主教座の指揮下から切り離し、国家教会へ再編成することに成功していた。
またレムリア帝国の影響下にある諸侯たちも、完全にフラーリング王国側へ引き込むか、もしくは取り潰すかをして、自国一色に染め上げた。
レムリア大主教座及びレムリア帝国という、二つの“レムリア”からの内政干渉を弾き飛ばすだけの政治体制は完成している。
つまり、頭が姫巫女になろうとも、教皇になろうとも、フラーリング王国の政治的な独立は揺るぎない。
「とはいえ……担ぐ神輿は軽くてパーが良いと言う。グレゴリウスである必要はないが……レムリア大主教座は、可能な限り、この手中に収めておきたい」
譲歩するつもりは毛頭なかった。
レムリア大主教座、エデルナ王国、アドルリア共和国、そして皇帝の称号。
完全勝利により、四つをレムリア帝国から勝ち得る。
決意を新たに、ルートヴィッヒ一世は眼下に揃う自らの軍勢を眺める。
歩兵六万。
騎兵二万。
ガルリア、ドゥイチュ、アルビオン、スカーディナウィア。
フラーリング王国の封建体制下にある地域からルートヴィッヒ一世が搔き集めた精鋭たちだ。
留守を任されたナモとガヌロン、そして先に大山脈を超えたブラダマンテを除く四人の七勇士――アストルフォ、ローラン、チュルパン、マラジジ――も揃っている。
これで勝てぬ敵など、今までいなかった。
そして……これからもいるはずがないと、ルートヴィッヒ一世は信じていた。
「さあ、諸君! 我らが同胞たちを救いに行くぞ! 神は我らと共にあり!」
「「神は我らと共にあり!」」
ルートヴィッヒ一世の山越えが始まった。
一方、レムリア大主教座陥落の情報は海を越え、セシリアのもとにも届いていた。
「聖下。皇帝陛下がレムリア大主教座を落とされたようです」
「そうですか。まあ、エルキュール様ならば当然でしょうね」
「……様?」
「ふふふ」
エルキュールの名を親し気に呼ぶセシリアに対し、クロノスは怪訝そうな表情を浮かべる。
一方、セシリアは意味深に笑みを浮かべた。
そして立ち上がる。
「では、私たちも動きましょうか」
「……どういうことですか?」
「あら? お忘れですか? 私たちは別にエルキュール様の家臣ではありません。ここに座って、エルキュール様がレムリア大主教座をプレゼントしてくれるのを待つというのも素敵ですけれど、あの人はただで渡してくれるような方ではありませんからね。結婚を条件にされるやもしれません」
そういうセシリアの頬は紅潮していた。
瞳はとろんと、蕩けている。
そんな主君の心情を推し量ってか、クロノスは尋ねた。
「それは……望むところではないのですか? 聖下としては」
「吝かではありませんが、しかし簡単にエルキュール様の家父長下に収まるのは、教会を統合する者としては失格でしょう」
セシリアはやや残念そうにそう言った。
それから妖艶な笑みを浮かべ、そして人差し指を唇に当てた。
「どう転んでも、レムリア大主教座が私の手に戻るように手筈を整えるべきです」
「それは……」
「漁夫の利を狙うということですよ。クロノス」
パチンと、セシリアはウィンクをした。
エルキュール、ルートヴィッヒ、セシリア。
三者の思惑が入り混じり、歴史は流動していく……
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