第3話 角

「何? フラーリング王国軍が山脈を越えた? ……意外に早かったな」


 エデルナ市の包囲を終えたエルキュールはその報告を聞いたとき、一瞬だけ驚きで目を見開いた。

 エルキュールの予想では、フラーリング王国が兵力を集めるのはもっと時間が掛るはずだったのだ。

 

「兵数は?」

「はい、陛下。クロスボウと槍を主力とした歩兵部隊が一〇〇〇〇、騎兵が五〇〇〇。歩騎合わせて一五〇〇〇。敵の指揮官は『節制』のブラダマンテです」

「……なるほど。つまり先遣隊か」


 エルキュールは内心で胸を撫でおろした。

 ルートヴィッヒ一世がエルキュールの予想よりもずっと早く、諸侯をまとめ上げて、大軍勢を率いてきたわけではなかった。


「おそらくはルートヴィッヒ一世子飼いの兵力だろう」


 フラーリング王国は封建制の国家。

 軍事国家であるためその総兵力や質は中々のものではあるが、兵士を集めるにはどうしても時間が掛る。

 これだけ早くに軍事行動に移ることができたということは、つまりルートヴィッヒ一世がすぐに動かせる虎の子の、一種の常備軍のような兵力であると推測できる。


(しかし貴重な精鋭を、一人の家臣に預けるとは……それにこの速さ。おそらく、俺が軍勢を動かした段階、もしくはそれ以前の準備段階でこちらの動きを予測していたと考えるべきだな)


 面倒な相手だと思いつつ、エルキュールは思案する。


 幸いなことにエデルナ市はあっさりと陥落した。

 結果、エデルナ王国の“国王”と宮廷貴族たちはすでにレムリア帝国に降伏の意志を示している。


 が、エデルナ王国は中央集権化が進んでいない国。

 故に頭を切り落としても、胴体や手足は勝手に動く。


 各地の諸侯たちは抵抗の意志を示している。


 現在は外交的手段で恭順させようとしてはいるが……

 しかしこれほどまでに早く、フラーリング王国軍が来るとなれば話は別だ。


 レムリア帝国とフラーリング王国を天秤に掛けて、右往左往する諸侯たちが大勢現れるだろう。


(敵か味方か、分からん奴らがもっとも厄介だな。全く……)


 おそらくはルートヴィッヒ一世が狙った通りになっている。

 戦術レベルではエルキュールが今のところ大きくリードしているが、戦略レベルでは互角の盤面。


 エルキュールはエデルナ市という角を、そしてルートヴィッヒ一世は先遣隊という角をそれぞれ取っている状況だ。


 戦況はエルキュール有利とは言い難い。

 もっとも……オセロとは異なり、双方の角は奪うこともできる。

 

(ブラダマンテとやらを撃破できれば、風はこっちに傾くな)


 エルキュールはほくそ笑んだ。

 と、そこでエルキュールのもとへ将軍たちが集まってきた。


 ソニア、アリシア、そしてジェベの三名である。


「よく来た。フラーリング王国軍の先遣隊が大山脈を越えてきたのは知っているな?」

「「「はい、陛下」」」


 すでに情報を共有し終えている三人は揃って返事をした。

 エルキュールは頷く。


「これより撃退に赴く……と言いたいところだが、俺は調略と、そして周辺地域の平定のためにしばらくの間、ここを動けん。故に別動隊を出して、敵を迎え撃つ」


 問題は誰を別動隊として出すかだが……

 ソニアとアリシアを一緒に送り出すことはできない。

 仲間割れを始めるのは目に見えているからだ。


 故にジェベと、この二人のどちらかというのが無難なところだ。

 そしてそれぞれの得意とする兵科を考えると……


「ソニア、チェルダ王国軍歩兵一個軍団と赤狼隊を率いて迎撃に向え。ジェベ、お前はその補佐として独立大隊を率いて、指揮下に入れ」

「はい!」

「……はい」

「……」


 嬉しそうに尻尾を振るソニア。 

 面倒ごとを託されたとでも言いたげなジェベ。

 そして酷く不満そうなアリシア。


(大丈夫かなぁ……)


 エルキュールは不安に駆られた。





「良いですか、私の指揮下に入った以上、命令は絶対ですからね!」

「勿論。陛下の命令を違える気はない」


 偉そうに言い含めるソニアに対し。ジェベは生真面目に返した。

 ジェベがしっかりと自分の言うことを聞くことを確認したソニアは、偉そうに頷いた。


 ソニア率いる別働隊、歩騎合わせて一九二〇〇は順調にブラダマンテ率いるフラーリング王国の先遣隊との距離を詰めていた。


 二日後にはフラーリング王国軍が駐留する街に到着する見込みとなっている。


 フラーリング王国軍はソニア率いる別動隊との戦いに備えてか、周辺から傭兵を搔き集め、戦力の強化に徹している様子だ。


「取り敢えず、あなたの意見を聞いてあげましょう」

「ほう、俺の意見を聞く気があったか」


 我儘お姫様に振り回される羽目になるだろうと覚悟していたジェベは、少し驚いた様子で眉を上げた。

 一方、ソニアは不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「人を何だと思っているのですか? そもそも、敬語を使いなさい! 私はチェルダ王国の女王にして、皇帝陛下の妻、妃ですよ!」


「これは失礼。レムリア語はまだ苦手でしてね」


「ふん……まあ、良いでしょう。あなたの態度は気に入りませんが、実力は認めています」


「ほう……それは喜ばしいことだ」


「ええ、何しろ……随分と我が国を荒らしまわってくれましたからね」


 チェルダ王国を略奪して回ったことを指摘され、ジェベは肩を竦めた。 

 なお、あの戦術はエデルナ王国では使えない。

 川や山脈などの地形的な障害が多いからだ。


「残念ながら、戦の主導権はあちらにある。我々はフラーリング王国軍を排除したいが、連中はそうでもない。互角に戦うことができれば、ある程度、エデルナ王国の諸侯の支持を得られるからだ。危険な橋を渡ってくることはないだろう」


「……ということは、敵は街から出ないと?」


 実際、ブラダマンテは都市から出る様子が見られない。

 このままでは攻城戦……は兵力差的に厳しいことを考えると、双方睨み合いという形になるだろう。


「いや、エデルナ王国の諸侯の支持を得続けるにはある程度、積極的な姿勢は見せねばならん。故にこちらが近づけば、もしくは挑発すれば、敵は野戦をせざるを得なくなる」


「なるほど、そこを叩くと。野戦ならば、数の多い私たちが有利ですね」


 ニヤリとソニアが笑みを浮かべると、ジェベは頷いた。

 斯くして作戦は決まった。






 レムリア軍の別動隊が真っ直ぐこちらへ向かってきているという報告を聞いたブラダマンテは、思わず笑みを浮かべた。


「再び兵を分けた……良い判断ですね」


 ルートヴィッヒ一世がブラダマンテをエデルナ王国へ早急に派遣したのは、エデルナ王国をフラーリング王国側へと繋ぎ止め続けるためだ。

 グズグズしていれば、エデルナ王国の諸侯はあっという間にレムリア帝国の影響下に収まってしまうと考えたのだ。


 一方、エルキュールが兵力をさらに細分化してまでブラダマンテを排除する軍を向かわせたのは、ブラダマンテさえ引かせればエデルナ王国を完全にレムリア帝国の影響下に収める自信があったからだろう。


 現在、ブラダマンテの軍はその兵站の殆どをエデルナ王国の諸侯や諸都市に依存している。

 今はフラーリング王国に協力的な彼らも、戦況次第ではレムリア帝国に靡き、非協力的になる可能性がある。


 そうなれば来るべき決戦の時、フラーリング王国は兵站に苦しむことになる。

 いや、そもそもまともな戦を行うことすらできないかもしれない。


 大山脈を越えて軍勢を展開することよりも、大山脈の向こう側で兵站を維持し続ける方が実は難しいのだ。


「できれば籠城戦で挑みたいのですが……我々が戦争に非積極的だと思われるのは問題ですね」


 兵站を諸侯や諸都市に依存している以上、彼らを守るために積極的に戦うような姿勢をブラダマンテは見せなければならない。


 そもそも、そのためにわざわざ大山脈を越えてきたのだから。


「よろしい……相手をして差し上げましょう。騎士として、正々堂々と、ね」


 ブラダマンテは悪戯な笑みを浮かべると、立ち上がった。


「しかし……まずは兵力差を埋めるところから。傭兵の雇用を急ぎますか」


 幸いにも傭兵を雇う資金は潤沢にある。

 勿論、これは諸侯や諸都市の財布であるため、ブラダマンテは無論のことフラーリング王国としても懐は痛まない。

 

 そしてブラダマンテが大軍を率いてこの地を守っている占領している以上、彼らはブラダマンテの命令には逆らえないのだ。




 そのようなやり方が果たして騎士らしいのか?

 その疑問を口にすれば、ブラダマンテは笑顔で答えただろう。


 これが騎士道でなければ、何が騎士道というのか? と。



 ……フラーリング王国における騎士道とは、このような意味なのである。


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