第2話 前哨戦

 進軍してきたレムリア軍に対し、アドルリア共和国は即座に籠城戦を選択した。

 その兵力はおよそ五〇〇〇。


 一方でそれを包囲するダリオス率いるレムリア軍は、ニアの遊撃隊も含めて二〇四〇〇。


 兵力差はおよそ四倍であり、完全に包囲下に置くには十分な差がある。

 が、しかしこれを強引に攻め落とすとなると……少々、心許ない。


「威力偵察を終えました、将軍」

「手応えはどうだった?」


 ダリオスは帰還したニアに尋ねた。

 ニアは小手調べのために、軽く敵を攻撃してきたのだ。


 ニアの遊撃隊は騎兵としても歩兵としても活躍できるように訓練されている。

 守りの薄い部分まで騎兵で一気に接近し、下馬して攻撃を仕掛ける……ということもできるのだ。


「率直に申し上げますと、強引に攻め落とすのは難しいかと。守りの薄い箇所を選び、奇襲を仕掛けたつもりではありますが、激しい反撃を受けました。傭兵が主体ではありますが、決して士気も低くはありません」


 傭兵と言っても、アドルリア共和国とは長期的な雇用契約を結んでいる、半ば常備軍のような兵士だ。

 練度も士気も高いのは当然だろう。


「市民兵の存在も確認できました。練度は……決して低くはありません」

「くくく……だろうな。アドルリア共和国は小国ながら、大国の侵攻を幾度も跳ね除けてきた国だ。市民も肝が据わっている」


 元々、ダリオスは西方出身の傭兵隊長。

 故にアドルリア共和国を始めとする、西方の軍事事情には詳しい。


「では、機会があれば攻めるが……原則的には陛下の方針通り、兵糧攻めとしよう。ニア将軍率いる遊撃隊は、こちらが唯一持つ騎兵戦力。その活躍を期待している」


 攻城戦では騎兵は役に立たない。

 が、しかしその包囲を突破して、外の情報や兵糧を手に入れようとする敵に対しては、相性が良く、大いにその活躍が期待できる。


「はい。蟻の子一匹、逃すつもりはありません」

「よろしい。……まあ、陛下がパスタ平原で敵を打ち破ったという情報に関しては、敢えて素通りさせても良いがね」


 エルキュールは数日前にこのアドルリア共和国を通り過ぎ、エデルナ王国の国境を超えてパスタ平原へと侵入している。

 そしてガルフィスが丁度、エデルナ王国南部に上陸したという情報も届いている。


 レムリア帝国の戦略は南北からエデルナ王国を挟み撃ちにすること……

 ではない。


「フラーリング王国は、ルートヴィッヒ一世は本当に山脈を超えてくるでしょうか?」

「さあ? しかし陛下は来ると言った。ならば来るのだろう」


 アドルリア共和国も、エデルナ王国も共にフラーリング王国の重要な同盟国であり、また従属国である。

 特にアドルリア共和国の港であるアドルリア港とエデルナ王国のエデルナ港はフラーリング王国にとって重要な玄関口であり、そしてレムリア市の重要性に至っては言うまでもない。


 この三つを失陥するとなれば、ルートヴィッヒ一世の権威失墜は免れない。


「ルートヴィッヒ一世は慎重な男。故に約一五〇〇〇〇の大軍を有する我々にはそう簡単に勝負を挑んでこない。それが陛下にとって、最大の懸念でしたね」


 しかしそれはエデルナ王国やアドルリア共和国を助けに来ないということを意味しているわけではない。

 戦い方はいくらでもある。

 むしろ、戦争では決定的な決戦が起こることの方が珍しいのだ。


 ルートヴィッヒ一世は徹底的に正面からの戦いを避け、消極的な戦いを強いてくる。

 騎士道云々を掲げているフラーリング王国の騎士たちだが、その実態はむしろ盗賊に近いということはすでに西方世界に知れ渡っている。


 彼らは勝てぬと見れば平気で逃げ出すのだ。


 故にフラーリング王国を降したければ、ルートヴィッヒ一世を叩き潰したければ直接攻め込まなければならない。

 だがルートヴィッヒ一世が本拠地とするガルリア地方は、レムリア帝国軍が活動できる限界を超えた先にある。

 つまりエルキュールはフラーリング王国へと攻め込むことができない。


 エデルナ王国で、ルートヴィッヒ一世に決戦を挑ませる必要があるのだ。


「故に敢えて兵力を三つに分けることで、ルートヴィッヒ一世が勝負に乗ってくる状況を作る。危険な戦略ですね……」


 ポツリとニアは言った。

 軍事的な能力によってフラーリング王国の自立性の高い騎士たちを従えているルートヴィッヒ一世は、立場上、それが罠であると分かっていても、飛びつかないわけにはいかない。


 故に必ずルートヴィッヒ一世は戦いを挑んでくる。

 勿論、エルキュールが率いる軍勢と同数に近い兵力を従えて。


「確かにパスタ平原にいる陛下が敗北すれば、我々は戦略的に分断されるからな。非常に不味いことになる」


 ルートヴィッヒ一世にはエデルナ王国を南から攻めているガルフィス、そしてアデルリア共和国を包囲しているダリオスの二人を各個撃破するチャンスが転がり込んでくるのだから。

 それでなくとも、常勝無敗という看板を下げているエルキュールが敗北すれば兵士たちの士気は落ちるだろう。


「が、しかし陛下ならば負けることはあるまい」

「それもそうですね」


 二人は己の主君を信じることにした。

 


 

 

 一方、エルキュール率いる本隊――と言ってもその主力は殆どが同盟国軍なのだが――は順調にパスタ平原を進軍中であった。

 歩兵戦力は帝国軍の歩兵一個軍団と弓兵三個大隊、そしてチェルダ王国軍一個軍団。合わせて二七六〇〇。

 騎兵戦力はブルガロン騎兵一個軍団と赤狼隊三個大隊。合わせて一五六〇〇。

 総勢、四三二〇〇の大兵力である。


 約一五〇〇〇〇ほどのレムリア帝国軍全体からすればその戦力は三分の一程度ではあるが、しかし兵站を考慮に入れればその兵力は限界に近い。


 兵力を長期的に一か所に集める限界は五万程度である。


 さて、そんなエルキュール率いる本隊だが……

 エルキュールの頭を悩ませる、ある問題が発生していた。


「精々、足を引っ張らないことですね。この雌犬」

「犬はそっちだろう。この半獣モドキ!」

「出来損ないの耳長猿!」

「聞きましたか、陛下! こいつ、長耳族のことを耳長猿と言いました!」

「猿は野蛮なブルガロン人が限定です」

「犬っころに言われたくない!」

「犬はそっちでしょう? そもそも私は狼です!」

「私のどこが犬に見える? 貴様の目玉はガラス玉でできているのか?」


 道中、ずっと口論を続けているアリシアとソニアにエルキュールは思わずため息をついた。

 この二人を自軍に組み込んだのは、自分しかこの二人を制御できないと考えたからである。


 もともと、二人は極めてプライドが高い。

 そしてアリシアはエルキュールには服従する気はあるもののレムリア帝国に服従した気などもとよりないだろうし、ソニアもエルキュールが特別なだけで獣人族至上主義を捨てていないし、その反レムリア感情は健在である。


 加えてアリシアとソニアが率いているのは、双方の主君かその夫であるエルキュールの命令以外は聞く気のない――命令すれば聞かないことはないだろうが、それはきっと彼らにとっては不服だろう――同盟国軍である。


 ダリオスやガルフィスの指揮下ではその力は十全に発揮されないどころか、独断専行や命令違反を引き起こしかねない。

 何しろ、双方ともに自分の軍事的な才覚を信じて疑っていないのだから、意に反する命令は平気で踏み倒すだろう。


 だからこの二人に関してはエルキュールの目の届く範囲に置く必要があったわけだが、二人の相性は極めて悪かった。 

 日夜、飽きずに口論を続けるほどに。


 幸運なことは、二人が口論にレムリア語を用いていることだろう。


 故に二人の不仲っぷりは、兵士には伝わっていない。

 将校レベルになると、レムリア語が分かるので話は変わるが。


「アリシア、ソニア」

「「はい!!」」


 揃って返事をする二人。

 こんなに息が合っているのにどうして仲が悪いのか……同族嫌悪のようなものかと、エルキュールは一人で納得した。


「平時で喧嘩をするのは良い。だが戦場では助け合え。俺の命令には絶対服従、私情を挟まず遂行しろ」


「「はい!」」


 そして揃って返事をする二人。

 本当に理解しているのか不安になったエルキュールは、これからの作戦について二人に尋ねてみることにした。


「軍議で決まったことは、覚えているな? 我々が今、目指しているのはどこだ? ソニア」

「エデルナ王国の首都であり港町、エデルナ市です」

「理由を言え、アリシア」

「一つは兵站の確保のため。もう一つはフラーリング王を誘うためです」


 これから何をしなければならないかについては一応、理解しているようなのでエルキュールは少しだけ安心した。

 念のためにさらに尋ねる。


「敵の兵力は? 覚えているな?」

「歩兵が四万、騎兵が一万です」


 ソニアが答えた。

 すでに五万ほどの軍勢が首都であるエデルナに集まっていることは確認できている。


「敵はどのようにこちらに挑んでくるか、分かるか?」

「野戦での決戦を挑んでくると考えられます」


 アリシアは答えた。

 純軍事的に考えればエデルナ王国はルートヴィッヒ一世の援軍が来るまで、籠城するべきだ。

 だが政治的、外交的に考えるとエデルナ王国にとってその選択肢は容易いことではない。


 フラーリング王国は日に日にエデルナ王国への内政干渉を強めている。

 援軍など要請すれば、完全に従属化させられる羽目になるのは目に見えている。


 故にエデルナ王国はフラーリング王国の助けを待たない。

 それどころか、救援要請すらもしていないだろう。

 そして援軍を当てにしないということは、籠城戦は選べない。……故に野戦を選択せざるを得なくなる。


 幸いにもレムリア帝国軍の本隊はエデルナ王国軍よりも数は少なく、しかも過半数が外国軍という寄せ集めだ。

 だから勝つ見込みは十分にある。と、エデルナ王国は考えるはずである。


 というのがエルキュールの予測だ。


 なお、エルキュールは「ルートヴィッヒ一世ならば援軍要請など待たずに山脈を超えてくるだろう」とも考えている。

 

「分かっているならば、それで良し。……フラーリング王国とやり合う前に、エデルナ王国に負けるわけにはいかん。必ず勝利する……してもらうぞ」


「「はい、陛下」」




 一週間後、エデルナ市より百キロ離れた地点でレムリア帝国とエデルナ王国との間で大規模な野戦が発生した。

 レムリア帝国軍はその過半数が外国からの同盟軍という寄せ集めであり、その連携は悪いという前評判だったが……



 たった一日でエデルナ王国軍は壊滅。

 エデルナ王国は手痛い勉強料を支払うこととなった。


 そして丁度そのころ、ブラダマンテが大山脈を越えた。

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