第22話 汚れた旗


「カッサンドラよ、何か君は……大きな勘違いをしてはいないだろうか?」


 大袈裟な態度でエルキュールは言った。

 誰もが息を飲み、エルキュールの次の言葉を待つ。


「まるで君の言い方では、私は君と君の子供たちを殺そうとしているようだ」

「……」


 エルキュールが何を言っているのか、カッサンドラには理解ができなかった。

 カッサンドラだけでなく、ソニア含め、この場にいるすべての者たちにも理解が及ばなかった。


「君が犯した罪は……私の出頭命令を無視したこと、それだけだ。なるほど、王命に逆らうことは重罪だ。死刑も妥当だろう。だが、子供にまでその罪が及ぶはずがあるまい」


 確かに、法的に考えればカッサンドラの罪は王命に逆らったこと以外にはない。

 「先代国王と子をもうけた」ことが罪に当たるはずがないのだ。

 

「そして王命に逆らったことも、情状酌量の余地がないと言えないこともない。君は妊娠中で、修道院で療養していた。田舎の修道院だ……王命が届かないということも、あるだろう」


 実際、カッサンドラはその発見に数か月が必要なほどの、ド田舎の修道院に潜んでいた。

 もっとも、だからといってカッサンドラが「知らなかった」はずがないのだが、さも知らなかったという体で話し始めるエルキュール。


「で、あれば……死罪はあまりにも重いだろう。レムリア法的にも、メシア法的にも、古獣人族ワービーストにも……どの法規に照らし合わせても、死刑とはならないはずだ」


 ここまで話せば……

 エルキュールが言いたいことは、よほどの間抜けでもない限りは分かる。


 エルキュールはカッサンドラとその子供の命を助けようとしている。

 ホッと、カッサンドラは胸を撫で下ろした。


 だが、同時に思う。

 そんな寛大な処分を、この残虐で有名なレムリア皇帝が下してくれるだろうか。


 そんなカッサンドラの内心に答えるように……

 エルキュールはさらに言葉を続けた。


「おっと……一つ、君の重罪を忘れていた」


 空気が再び凍りつく。

 カッサンドラの表情が強張る。


「噂に聞くと……君は随分と、淫らな生活をしていたそうだな」

「淫らな、生活?」


 カッサンドラの脳裏に疑問符が浮かぶ。

 確かにヒルデリック二世の愛人という立場はメシア教的にも良いとは言えないが、それをどうしてエルキュールはわざわざ指摘するのか。


「ああ、そうだ。様々な、不特定多数・・・・・の男性と性交渉をしたと聞いている。生まれた子供も、誰が父親か・・・・・分からないほどだと」


 カッサンドラは頭に血が上るのを感じた。

 今、目の前の男は……自分と自分の子を、そして亡き恋人を貶めたのだ。


「それは!!」


 思わずカッサンドラは叫んだ。

 そして……すぐに冷静になる。

 血の気が引き、顔が真っ青になる。


「それは、どうした? ……何か、事実に誤りがあるか?」

「……」


 カッサンドラは力なく、首を左右に振った。


「い、いえ……誤りは、ありません。確かに私は……様々な男性と、性交渉を、行ない、乱れた生活を送りました。子供も……誰が父親か、私は知りません」


「結構、結構」


 エルキュールは満足そうに頷いた。

 

 カッサンドラは自ら、自分の子がヒルデリック二世の子ではないことを認めた。

 であれば、その子はヒルデリック二世の子ではない。

 よってエルキュールが殺す必要もない。


 後は適当に話を捏造し、カッサンドラがいかに悪女だったか、淫乱で不道徳な女だったかを広めてしまえば良い。


 散々に汚された旗を、使おうと思うものはいないだろう。


(ついでにヒルデリック二世の悪政もすべてこの女に押し付けてしまおうか)


 などと考えながら、エルキュールは裁きを下す。


「お前のような不道徳な女に、まともな子育てなどできまい? その子はこちらで預かろう」

「それは……」

「何か、問題があるか?」


 エルキュールが睨むと、カッサンドラは慌てた様子で首を左右に振る。


「い、いえ……ありません。はい、その方が……子供にとっては、良いと思います」

「よろしい。……お前には、どこか適切な修道院を用意する。そこでしっかりと、反省していなさい」

「はい……」


 名誉を辱められることの悔しさか。

 子を取られる悲しみか。

 それとも……我が子の命が助かったことへの喜びか。


 カッサンドラは瞳に涙を浮かべて、頷いた。








「その……皇帝陛下!」


 カッサンドラに関する様々な処理が終わり、エルキュールと二人気になると……

 ソニアは不満を隠せないという様子でエルキュールに詰め寄った。


「不満気だな。カッサンドラへの処罰が甘すぎると、そう言いたいのか?」

「……はい」


 エルキュールがそう指摘するとソニアはやや躊躇しながらも、しかしその目には強い意志を宿しながら頷いた。


「あの女の子供は危険です! あの女も同様です。殺すべきです!」

「ヒルデリック二世の血を引いているからか?」

「はい! 将来の不穏分子となります!!」


 それについてはエルキュールも否定はしない。 

 ……もっとも、だからと言って殺すほどかどうかは、別の話だ。


「ヒルデリック二世の血を引いているからと言っても、生まれた子は私生児だ。結婚の秘跡を受けていない以上、正式にはヒルデリック二世の子ではない」


 メシア教世界に於いて、私生児というのはあまり良い意味ではない。

 勿論、私生児だからと言って露骨な差別をされるということもない。

 それは先代レムリア皇帝と人族の妾との間に生まれた子、エドモント・エルドモートがレムリア帝国で要職を任されていることからも明白だ。


 だが正当な相続権が与えられるかどうかと言われると、それはまた別の話だ。


「それは……そうですが、しかし……」


「そもそも、それを言ってしまえば不穏分子は彼女の子供だけではない。ゲイセリア家以外にも、リュープス氏族宗家であるガイセリック家に近い血統が存在する。片っ端から、殺す必要が生じるぞ?」


 それはそれでチェルダ王国支配を動揺させるだろう。

 次に粛正されるのは自分ではないか、と思う者も少なくない。


「殺すことで発生する利益と不利益は、俺の中の天秤は後者に傾いた。分かったか?」


 エルキュールは淡々と言うが、ソニアは尚も食い下がる。

 考え方を意地でも曲げないという気の強さは健在のようだ。


「し、しかし……あの女の父親の、ホアメルも危険です。あの男が……」

「あの男の支持基盤であるテリポルタニア地方は、既にレムリア帝国の支配下だ」


 既に支持基盤から切り離されてしまっているホアメルには、もはや何の権力もない。

 

「それにあの男は獣人族ワービーストから嫌われているだろう? ……危険性で言えば、ホアメルよりもお前の父親であるカーマインの方が危険だ」


 カーマインはソニアの父親だ。

 ソニアによって、支持基盤である領地をごっそりと奪われたカーマインにも、ホアメルと同様に権力は残っていない。

 が、ホアメルと比べれば獣人族ワービーストから嫌われてはいない。


 何より、ソニアと同様にリュープス氏族ゲイセリア家の人間で……チェルダ王国建国者の血統を継いでいる。


「カーマインを殺した方が良いか?」

「い、いや……そ、それは……その……」


 動揺し始めるソニア。

 ソニアは父親を見限ってはいるが、決して情がなくなったわけではない。

 事実として、クーデターの後も父親を生かし続けている。


(頭は悪くはないが、良くも悪くも感情的な子だな)


 エルキュールは内心でソニアをそう評した。

 聡明な頭脳を持ってはいるが、その思考には感情や偏見のノイズが多分に混じっている。


 そういう性格だからこそ、クーデターを起こしたのだろうが。


 エルキュールはゆっくりと、ソニアへと歩み寄る。

 その圧に押されてか、やや強張った表情でソニアは後退りする。


 壁際に追い込まれるソニア。


「へ、へいか?」


 不安そうな、怯えを含んだ表情でソニアはエルキュールを見上げた。

 エルキュールはやや険しい表情で、ソニアの顔のすぐ横の壁を強く叩いた。


 大きな音に、ソニアはビクリと体を震わせる。


 エルキュールはもう片方の手でソニアの顎をやや強引に掴んだ。


「ソニア、あの女を殺せというのは……お前の私怨だろう? どうして俺が、お前の私怨を晴らしてやらねばならない? くだらない感情を持ち込むな」


「で、でも……」


「ソニア!」


 エルキュールは大声を上げた。

 ソニアはギュッと、思わず目を瞑った。

 体はふるふると震え、目には僅かに涙が浮かんでいる。


「上下関係をしっかりしようか? 我々はチェルダ王国の共同統治者……だが、レムリア皇帝位を兼ねる俺の方が上座だ。何より……俺はお前の夫となる」


 エルキュールはそう言って、強引にソニアの顎を持ち上げ、顔を覗き込んだ。

 互いの唇が触れそうなほどの位置で、エルキュールは低い声で言う。


「妻は夫の家父長権に従属するものだ。反対意見を言うなとは言わないが、反抗は許さん。分かったか?」


 ソニアはすっかり怯えた様子で、震える声で答えた。


「は、はい……」

「よし、良い子だ」


 ソニアが肯定すると、エルキュールは満面の笑みを浮かべた。

 そして強引にその桜色の唇を奪う。


 強引に舌を割り挿れ、中を掻きまわす。

 くちゅくちゅと、唾液と唾液、舌と舌が絡み合い、混ざり合う音が部屋に響く。


「んっ、っちゅ……っく、ふぅ、ふぅぁ……ンぁ……」


 唇を離すと、唾液の橋が架かった。

 ソニアは瞳を蕩けさせ、肌を紅潮させ、息を荒くしながらエルキュールに凭れ掛かった。

 今までの浅い接吻とは異なる、深い接吻にすっかり力が抜けてしまったようだ。


「ソニア、もう一度確認しようか? 俺はお前の、何だ?」

「こ、婚約者で……夫になる人で……」


 そしてソニアはうっとりとした表情で言った。


ご主人様ドミヌスです……」

「俺の命令には?」

「絶対、服従します……反抗は、しません……」


 熱い吐息を漏らし、艶っぽい声を上げながらソニアは答えた。

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