第21話 禍根
「この中から好きなものを選びなさい、ソニア」
セシリアとの密談を終わらせた後、エルキュールはノヴァ・レムリアから送られてきた一冊の本をソニアへと、手渡した。
「これは何でしょうか?」
「表題に書いてあるだろう? ウェディングドレスのカタログだ。我が偉大なる兄が作成したものだ」
エルキュールの兄、ティトゥスは芸術的な才覚を持っており、建築から絵画、服飾まで様々な分野に手を出している。
特にウェディングドレスに関してはカロリナやルナリエ、シェヘラザードの結婚式のおかげで、第一人者としての立ち位置を確立した。
すでに十年先まで予約で埋まっている。
元々ティトゥスは気紛れで、面倒くさがり屋なところがある。
一応、仕事をこなそうという気持ちはあるが……しかしいちいち、打ち合わせをしたり自分の口で説明するのも面倒くさい。
そして頼む側も、仮にも皇帝の兄から直接、あれこれ説明して頂くのは少し畏れ多い。
そういうわけでティトゥスは分かりやすく、カタログ本を作った。
まずはそれを読んで、好きなデザインの候補をいくつか選んでくれ、話はそれからだ。
というのがティトゥスの意志だ。
「まあ、後でティトゥスとは打ち合わせをすることにはなるが……それに目を通した後の方が、話も進みやすいだろう」
十年先まで予約で埋まっている……が、エルキュールの場合、話は別だ。
皇帝の権力ならば、この順番待ちに割り込むことは容易だ。
「へ、陛下……」
顔を俯かせ、ぷるぷると震え始めるソニア。
少しだけエルキュールの心拍数が上がる。
(あ、あれ? 怒らせるようなことを言ったか?)
心の中で身構えるエルキュール。
何しろ、相手は結婚式で婚約者を殺傷した女である。
しかしエルキュールの心配とは裏腹に、ソニアは感涙しながら抱き着いてきた。
「私が、素敵な結婚式を挙げたいと言ったことを、覚えてくださっていたのですね!」
「あ、ああ……そんなにも感動することか?」
若干、ソニアに対して引き気味のエルキュールだが……
決してエルキュールはソニアのことを嫌っているわけではない。
とても可愛らしい美少女でもあるし、能力も高い。
何よりチェルダ王国の統治には欠かせない存在だ。
エルキュールにとっては成り行きではあったが、婚約は結んだのだ。
その婚約者とできるだけ仲良くしたいと思うのは、当然のことで……
その望みもできるだけ叶えてあげるのは、男としての、皇帝としての甲斐性というもの。
「私のことをちゃんと考えてくださるなんて……それだけで、感激です!」
しかしエルキュールにとって当たり前でも、ソニアにとって当たり前とは限らない。
ソニアは美少女でありお姫様だが、意外なことにあまり男性からチヤホヤされたり、大切に扱われた経験がない。
要因としては……やはり普段から軍服に身を包み、戦場を駆けていたからだろう。
戦場では男も女も存在しない。
加えて彼女の事実上の私兵である赤狼隊の悪評もある。
多大な戦功をあげているので強ち悪評とも言えないのだが……白い鎧を真っ赤に染め上げるような人間は、性別関係なく恐れられる。
また、ソニアにはヒルデリック二世という婚約者がいた。
このヒルデリック二世はソニアに対しては冷淡で、寵姫のカッサンドラ――ホアメルの娘――に夢中だった。
ヒルデリック二世とソニアは元々反りが合わなかったこともあり、二人の関係は冷めきっていた。
さりとて、婚約者の国王を差し置いてソニアにアプローチを仕掛けるような男もおらず、仮にいたとしても生真面目なソニアはそういう男を手酷くあしらってきた。
結果、十七年と数か月のソニアの人生には男っ気というものが存在しなかったのだ。
「陛下、私、頑張りますね! 陛下のためなら、何だってします!! だ、だから……その……」
恥ずかしそうにモジモジとするソニア。
エルキュールは自分よりもやや背の低い彼女のために身を屈め、その栗色の瞳を見つめながら、唇へと接吻する。
茹蛸のようにソニアの顔が赤くなる。
「そんなに気負わずとも良い。君は俺の婚約者で、そしてすぐに夫婦になるんだ。愛するのも、大切にするのも、君が笑顔でいられるようにするのも、すべては俺の義務だ」
「ぁぁ……へいかぁ……」
とろんとした目でエルキュールを見つめるソニア。
エルキュールは内心で苦笑いを浮かべる。
(これがルナだったら、愛はいらないから
ルナリエがエルキュールにとって、非常に金が掛かる女ならば、ソニアは非常に安上がりな女だ。
何しろ、適当に熱い言葉をかけてやれば良いのだから。
(し、しかし恋は盲目というからな……醒めるようなことがないように、気を張らなくては)
ビジネスライクな関係にあるルナリエは、ある意味楽だ。
エルキュールとルナリエの関係において重要なのは国益であり、感情ではない。
国益と感情ならば、前者の方が調整しやすい。
しかしソニアとエルキュールの関係は……一方的なソニアの恋愛感情によって成立している。
これほど不安定なものはないだろう。
ソニアのご機嫌にだけは最も用心しなければ。
と、エルキュールは心に強く決めた。
そんな時であった。
「――でございます、国王陛下、女王陛下。至急、お耳に入れておきたいことがございます。よろしいでしょうか?」
部屋の外から、そんな声が聞こえてきた。
彼はチェルダ王国の家臣のうち、ソニア派の一人である。
現在のチェルダ王国は、その上層部に関してはカーマイン派、ホアメル派の双方が一掃され、ソニアに組した底流・中層階級の
「今は取り込み中です! 後に……」
「まあまあ、ソニア。要件を聞くくらいならば、良いだろう? そのあとに判断すればよい」
エルキュールはそう言ってソニアを宥める。
チェルダ王国の統治は表面上は安定しているが、内部では不満が渦巻いている。
いつ何時、反乱が起きてもおかしくない。
だからこういうことを疎かにするわけにはいかない。
「そ、そうですか? では、陛下がそうおっしゃられるなら……」
ソニアにとってはチェルダ王国なんぞよりはエルキュールとの逢瀬の方が大切だ。
だがその愛するエルキュールがそう言うのであれば、当然ソニアもそれに従う。
「まずは要件を言え。手短にな」
「は、はい! ……逃亡中のカッサンドラが発見されました! 現在は捕縛済みです」
「……ほう」
「なるほど」
エルキュールとソニアの目の色が変わった。
エルキュールはゆっくりとソニアを自分の体から引き離す。
「王都にまで、連れてこい。今すぐ、な」
エルキュールは冷たい声でそう命じた。
チェルダ王国、謁見の間。
少し前まではヒルデリック二世が、その前はラウス一世の玉座が置かれていたその場所には、並ぶように二つの玉座が置かれていた。
右にはエルキュールが、左にはソニアがそれぞれ座っている。
ずらりと、並び立つ家臣たちもすっかり顔ぶれが変わってしまっていた。
もはや自分の知っているチェルダ王国はもう無いと自覚しながらも、女――ホアメルの娘、亡きヒルデリック二世の寵姫、カッサンドラ――は膝を折り、額を床に擦り付けた。
沈黙が辺りを支配する。
まず、その沈黙を破ったのは……エルキュールだった。
「何か、申し開きはあるか? カッサンドラ」
「……お、恐れながら」
カッサンドラは声を震わせながら、顔を上げた。
そこには冷徹な、凍りついた湖面のような瞳の男がいた。
その隣ではまるで虫でも見下すかのような視線をカッサンドラへと向ける女。
一方、冷徹な瞳の男――エルキュール――はまじまじとカッサンドラを観察する。
(ふーん、ヒルデリック二世はこういう女が好みだったわけか)
年は三十の半ばほどだろうか。
確かにその美貌は年齢のせいで陰ってはいるが、確かに美人だった。
(女の趣味は悪くないじゃないか)
などと内心でエルキュールは評した。
もっとも、すでに加齢で陰ってきている女への興味はエルキュールにはなかったが。
そんなカッサンドラは、目に涙を浮かべながら言った。
「どうか……どうか! 私はどうなっても、構いません! 幼い我が子だけは、我が子だけは、どうかお命を……」
「陛下と私の出頭命令を拒んでおきながら、図々しい女ですね」
ソニアはゾッとするほど、冷たい声で言った。
ソニアの瞳には、カッサンドラへの明確な憎しみの色があった。
ソニアはヒルデリック二世の婚約者だ。
一方、カッサンドラはヒルデリック二世の愛人である。
確かにソニアはヒルデリック二世のことなど好いていなかったが……しかし婚約者が自分以外の女性に夢中というのは、それを加味しても腹立たしいことだった。
そしてその女に夢中で、自分を疎かにされれば……当然憎しみも抱く。
プライドが高いソニアにとっては、外聞的にも、カッサンドラの存在は我慢ならないものだった。
「陛下、このような女、今すぐにでも……」
「待ちなさい」
エルキュールは冷たい声でソニアの言葉を遮った。
そして顎に手を当て、しばらく考える素振りを見せてから尋ねる。
「確か、二歳の女児が一人と、生まれたばかりの男児が一人、だったか?」
「は、はい……」
当然、どちらもヒルデリック二世の子だ。
ソニアにとってはカッサンドラは殺したいほど憎い相手かもしれないが、エルキュールにとっては割とどうでも良いことだ。
それよりもエルキュールが問題視しているのは、彼女の子供である。
彼女の子はチェルダ王国の王室、リュープス氏族宗家、ガイセリック家の血を継いでいる。
ソニアがリュープス氏族宗家の分家、ゲイセリア家の出身であることを考えると……
父方の血統だけを考えれば、カッサンドラの子の方が正統な王だ。
そういうわけで、エルキュールにとって本当に用件があるのはその子供だ。
カッサンドラそのものは、割とどうでも良い。
だから「自分はどうなっても良いから子供だけは助けてくれ」という彼女の願いは残念ながら、聞くことはできない。
(さてさて、どうしたものか……)
エルキュールは思案を巡らせる。
確かに彼女の子供は危険分子ではあるが、しかし殺すほど危険なのかと言われると少し疑問が浮かぶ。
わざわざ人族との混血を掲げて反乱を起こすだろうか? と。
しかもカッサンドラは正室でも側室でもなく、ただの妾……つまりその子供は私生児だ。
(赤子を殺すというのは、悪評がな……)
必要な悪評はともかくとして、不必要な悪評は避けるのに越したことはない。
特にチェルダ王国を今後統治する上では。
(というか、殺したとしても、実はあれは影武者で本物が……などとやられたら面倒だし、セシリアにも怒られそうだし、うーん、どうにか殺さず、その上で旗としての価値を無くす方法は……)
と、しばらく考えているとエルキュールの脳裏に妙案が浮かんだ。
「カッサンドラよ、何か君は……大きな勘違いをしてはいないだろうか?」
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