第20話 正統派と西方派


「ここに来るのは教会が建ってからでも良かったんじゃないか?」


 港に降り立ったセシリアに対し、エルキュールは言った。

 チェルダ王国への布教活動の指揮を執るため、セシリアはヘラクレアへとやってきたのだ。


 ヘラクレアでは、現在正統派メシア教の教会の建設工事中だ。

 チェルダ王国は西方派メシア教を国教とする国であるが、正統派メシア教に対して激しい弾圧を加えていたということはなかったため、一応正統派メシア教の教会も存在していた。


 しかしそれは西方派の教会と比べると、どうしても見劣りしてしまうようなものだ。


 それでは面子が立たないということで、現在はより大きく、荘厳な教会を建設中だ。 


「教会は建物ではありません。人の集まり、組織ですから。建物など、なくても問題はありません。それに善は急げ、ですからね」


 そう言ってセシリアは微笑んだ。

 早くエルキュールに会いたかったという理由もあるが、それは秘密だ。


「なるほど、さすがは我らが姫巫女メディウム聖下だ。私の考えが愚かだった」

「……生真面目だと、揶揄っておいでですか?」


 セシリアが眉を顰めると、エルキュールは肩をすくめた。


「私がそんな人間に見えますかな? 聖下」

「ええ、エルキュール様はそういう方ですからね」

「それは酷い」


 


 


 さて、それから二人は王城のとある一室に移動した。

 セシリアに用意された客室だ。

 教会は建設途中であるため、セシリアはしばらくは王城の客室で寝泊まりすることになっている。


 エルキュールはソファーに腰を下ろす。

 するとセシリアはその隣へと、自然な動作で座った。


 葡萄酒を開けて、乾杯をしてから本題に入る。


「エルキュール様のおかげで、南大陸での正統派メシア教の布教は大きく進展しました。ありがとうございます」

「いやいや、私からしても獣人族ワービーストとバルバル族の馴化は重要な課題の一つ。むしろお礼を言いたいのはこちらの方だ」


 正統派メシア教の布教という一点に於いては、エルキュールとセシリアの利害は全くもって一致している。


「まあ、チェルダ王国は非獣人族ワービーストへの攻撃には熱心だったが、“異端”への攻撃はそれほど熱心でもなかったようだから、今までの異教徒・異端者への布教と比べると楽なのではないかな?」


 チェルダ王国の獣人族ワービーストの支配階層の中には正統派も少なくない数が存在した。

 獣人族ワービースト至上主義を掲げるチェルダ王国は、獣人族ワービーストを一枚岩に固めるために、“異端”に関してはある程度寛容にならざるを得なかったのだ。


 そのため少数派ながらも正統派は存在し、そしてまた正統派に対する西方派からの敵対心も強くはない。

 

「そうですね。正統派と西方派の教義解釈は、メシアは、神を父として始めから神の子として生まれたか、それとも人の子として生まれたメシアを神が養子としたか、にありますが……嘆かわしいことに多くの一般信徒はその違いについて、理解していませんから」


 正統派も西方派も、メシアが神の子であることは認めているのだ。

 ならば、その辺りの違いについてまともに理解できていない信徒たちを、あの手この手で適当に丸め込んでしまえば良いだけだ。


 尚、余談だが正統派と西方派、どちらが歴史的に見て正しいのかと言えば、おそらくは西方派の解釈の方が正しい。


 というのも、人と神が交わって半神が生まれるという発想は、多神教由来のものだからである。

 一方、人を神が養子にするというのはメシア教の母体となった一神教、六星教の発想だ。


 正統派の教義はメシア教が多神教的な発想や儀式を取り込むうちに生まれたものであり、本来はこちらの方が“異端”と言える。


「ところで、姫巫女メディウム聖下には是非ともお願いしたいことがありまして」

「妙に改まった言い方ですね。どうしましたか?」

「砂漠の向こう側への布教をして頂きたいのだよ」


 砂漠、と言ってもいろいろあるが……

 ここがチェルダ王国であることを考えれば、砂漠というのはチェルダ王国の南に広がる、フェザーン地方を含んだ大砂漠のことだ。


「バルバル族への布教活動は始めていますが……」


「以前頼んだのは、バルバル族のシュイエン氏族だろう? だが、バルバル族にはほかにも大中小様々な氏族が存在する。そっちへの大規模な布教活動……というよりは動向調査をしてほしくてね」


「つまり間諜を送って欲しい、ということですね?」


「まあ、そう言えなくもない」


 神のものは神に、皇帝のものは皇帝に。

 それがメシア教の大原則だ。


 故にセシリア個人としてはできる限り政治には関わりたくない……が、多少の清濁は併せ飲まなければならないことは彼女も分かっている。


「しかしそれは大砂漠への、布教ですよね? 向こう側というのは?」


「あくまで俺は書物と噂でしか知らないが、砂漠の向こうには金を産出する黒人の王国が存在するらしい」


 王国が存在するかどうかはともかく、大砂漠の向こう側では金鉱山が存在するのは事実だ。

 大砂漠交易によって、少なくない金をチェルダ王国は得ており、これはチェルダ王国の財政を支えていたのだから。


 金の確保はレムリア帝国にとっては建国以来から永遠に続く課題だ。

 東方との貿易収支は常に赤字気味で、金の流出は顕著だ。


「布教のためにも、調査のためにも、宣教師を送って欲しい。勿論、最大限の支援はしよう」

「……まあ、主の教えを広げることは教会の使命であることは事実です。ですが」


 セシリアは一度言葉を切ってから、はっきりとエルキュールに伝える。


「無理矢理、宣教師を派遣するような真似はできません。行きたいという宣教師がいなければ、諦めてください。私も無理強いはできませんから」


姫巫女メディウムだろ? ちょっと命令するだけじゃないか」


姫巫女メディウムだからこそ、宣教師を無理矢理死地へと送るような真似はできません」


 大砂漠の向こう側はレムリア帝国にとって、そしてメシア教会にとっても完全な未知の世界だ。

 いくら布教に熱心な宣教師であっても、どうしても尻込みしてしまう。

 命がいくらあっても足りないだろう。


 故に無理に命令することはできない。

 と、断るセシリアの肩へと、エルキュールは手を回した。


「まあまあ、そう堅いことは言わないでくれ。俺と君の仲だろう?」

「ちょ、ちょっと……だ、ダメ、ダメですから……」


 逃れようとするセシリアを、エルキュールは強引に捕まえ、押し倒した。 

 両手を捕まえ、その桜色の唇に自分の唇を合わせる。


「んっ……っく、っちゅ……はぁ……」


 二人の間に唾液の橋が架かる。


「だ、ダメなものは、ダメですから!」

「なら、良いと言わせるだけだ」





 

 数時間後。


「ま、全く……あなたという人は!」


 セシリアは憤慨した様子で、そさくさと下着を履き直しながら言った。

 一方、上半身裸で葡萄酒を飲みながら、エルキュールは言う。


「そんな下着を履いて来ている時点で、君も期待して来ていたのだろう?」


「ち、違います! こ、これは……たまたま、ですから」


「普段からそんな、黒くて透けている下着を身に着けているというのは、姫巫女メディウムとして如何なものかと思うが……」


「あ、あなたに道徳を説かれたくはありません!」


 セシリアは顔を真っ赤にしながら言った。

 情事の後のためか、肩や足を始めとする全身の肌が、ほんのりと赤らんでいる。


「ところで……先程、君は協力してくれると言ったわけだが、約束は違えないでくれよ?」


「む、無理矢理、言わせたのではありませんか! あ、あんなことをされたら、誰だって……」


「あんなこと、とは具体的に……」


「わ、分かりましたから!」


 セシリアはエルキュールの声を遮るようにして言った。

 

「努力致します……ええ、最大限の努力をします。でも、ダメだったら……あ、諦めてくださいよ?」


 エルキュールは上半身に上着を纏いながら、飄々と返した。


「その時は、約束を違えたということで、君にはお仕置きをしなければならないな」

「お、お仕置きって……」


 再びセシリアの頬が朱に染まる。

 そんなセシリアに対し、エルキュールは揶揄うように言った。


「お仕置きを受けたいからと言って、わざと失敗するような真似はやめてくれよ?」

「う、受けたいって……ひ、人をまるで変態みたいに、言わないでください!」


 するとエルキュールは肩をすくめた。


「まだお仕置きの具体的な内容には触れていないのだが……ふむ、変態とは、随分と想像力豊かだな」


「もう!!」


 セシリアは強く、エルキュールの胸板を叩いた。

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