第19話 骨抜き

 正統派メシア教に改宗すること。

 子供にはレムリア帝国皇帝位の相続権は発生しないこと。

 統治権のすべてをエルキュールに譲ること。


 この三点を受け入れれば、結婚し、チェルダ王国と正式に同君連合を結ぶ。

 と、エルキュールはソニアに伝えた。


 するとソニアは……


「分かりました!! 改宗します! 相続権もいりません! 統治権は無論、私の持てるものすべてを陛下に差し上げます!!」


 と、ソニアは両手を上げて喜んだ。

 結果、法律上チェルダ王国はあっさりとレムリア帝国と同君連合を組むことになり、このことは世界を驚かせた。


 もっとも、これは法律上の話だ。


 そもそもソニアがクーデターを成功させることができたのは不意打ちで、チェルダ王国の首脳部を一日で手中に収めたからだ。


 チェルダ王国全体としては、反レムリア感情を持つ者が多い。


 結果、チェルダ王国では反同君連合の反乱が発生した。

 しかしその旗頭になれるような存在はなく、反乱を起こした者たちは自分たちを“反乱軍”として組織化することもできなかった。


 レムリア帝国軍、及びチェルダ王国軍によって反乱を起こした者たちは瞬く間に鎮圧され、屈服した。


 約二か月でチェルダ王国は平穏を取り戻した。






 チェルダ王国、首都ヘラクレア。

 チェルダという名前から、レムリア皇帝の名に由来するヘラクレアに改名されたこの街には、現在大量の穀物がレムリア帝国本土から輸入されていた。


「これでチェルダ王国の食糧問題も解決するだろう」


 王宮のバルコニーから港を眺めながらエルキュールは言った。

 何隻もの船が港に停泊し、そこから小麦の詰まった袋が陸揚げされている。


 これからこの穀物はチェルダ王国の陸上交通網によって、全土に運ばれる。

 これによりチェルダ王国で発生していた深刻な食糧不足は大きく改善される見込みだ。


「我が国の民を救ってくださり、ありがとうございます。陛下」


 ソニアはそう言って頭を下げた。

 彼女は以前と同じように軍服を着ていた。


 ドレスなどのお洒落をするのは嫌いではなく、またエルキュールの前では美しい姿をしたいという気持ちもあるが……

 何だかんだで、一番落ち着くのは軍服らしい。


 もっとも、反乱鎮圧中にエルキュールが何気なく言った「その軍服、似合っているな」という言葉も大きく影響しているのだが。


「今は俺の民でもある。当然のことをしたまでだ」

「さすがです、陛下!」


 ソニアはそう言ってエルキュールの胸に飛び込んだ。

 そして犬のように頬擦りする。

 エルキュールが彼女の頭を撫でてやると、尻尾をぐるぐると回して喜びの感情を露わにした。


(にしても、気持ちの悪いくらいの懐きようだな。……何がどうなって、こうなったんだ?)


 エルキュールはソニアに対し、やはり少し薄気味悪いようなものを感じていた。

 なぜここまでソニアに妙な違和感を持つのか……を考えてみると、それは彼女がエルキュール自身を全面肯定してくることであると気づく。


 考えてみればニアですらも多少はエルキュールに皮肉の一つ二つを言うことがあるのだ。

 ソニアにはそれがない。

 

 だが、そんなことは些細な事であるとエルキュールは思い直した。

 そして再び思考をチェルダ王国への統治に向ける。


(……民を救うも何も、この地の肥沃さを考えれば、この程度の支出はあとでお釣りが来るほどだからな)


 勿論、エルキュールはチェルダ王国の民のことなどさほど考えてもいない。

 レムリア帝国の民にさえまともな愛着を持っていないこの男が、数か月前に王になったばかりの国の民に対して思いやりを発揮するはずがないのだ。


 こうして施しを与えているのは反乱の抑制と、チェルダ王国での人気取り、戦災の早期復興による税収増加を期待していたからだ。

 

(それに穀物も余り気味だったからな、丁度良い)


 チェルダ王国が穀物の供給不足に陥ったのとは対照的に、レムリア帝国では過剰供給が発生していた。

 当然と言えば、当然の話だ。

 新たにテリポルタニア地方という穀倉地帯がレムリア帝国に組み込まれたのだから。


 本来はチェルダ王国の民の腹を満たしていた穀物がレムリア帝国に流れ込んだのだ。

 穀物の過剰供給は穀物価格の低下をもたらし、それはレムリア帝国や、ハヤスタン王国の農民の生活を圧迫する。


 特にレムリア帝国への穀物輸出に経済を依存しているハヤスタン王国ではかなり深刻な問題となっており、ルナリエからは早期解決を求められていた。


 故にチェルダ王国の民への穀物の配給は渡りに船だった。


「ソニア、君の活躍のおかげでこれほどまでに早く戦争を終わらせることができた。ありがとう」

「そ、そんな……ありがとう、愛している、世界の誰よりも、なんて……は、恥ずかしいです……」

「いや、そこまでは言ってないが……」


 どうやらソニアにはエルキュールには聞こえていない声まで聞こえるらしい。

 何か悪魔にでも憑りつかれているのか、それとも変な薬でもやってはいないだろうか。

 エルキュールは本気で心配になった。


 試しにエルキュールは軽くソニアの顎に触れ、持ち上げた。

 そして身を屈め、その美しいピンク色の唇に自分の唇を重ね合わせる。


「ふぅぁ……」


 別に舌を入れているというわけでもない、軽い接吻にも関わらずソニアはそれだけで力が抜けてしまったらしい。

 膝から崩れ落ち、エルキュールに受け止められた。

 熱に浮かれた瞳に、赤い顔で、ボーっとエルキュールを見つめる。


 エルキュールはそんな彼女をソファーに座らせる。


「さて、チェルダ王国の今後の統治について相談したいのだが、良いかな? 何か、問題があったら教えてくれ」


 ソニアの頭が蕩けているうちにエルキュールは重要な話を進めてしまおうと画策する。

 今のこの状態のソニアならば、エルキュールが何を言ったとしても決してノーとは言わないだろう。


「まずチェルダ王国の国政については基本的には変えないつもりだ」


 ハヤスタン王国に対しては大規模な国政改革をやらせたエルキュールだが……

 チェルダ王国はハヤスタン王国よりも国力が大きい。

 そして反レムリア感情もまた、燻り続けている。

 もしエルキュールがチェルダ王国の制度をレムリア風に変えようとすれば大規模な反発が予想される。


 民を安心させるためにも、外見上は変えてはならない。

 ……外見上は。


「ただし、チェルダ王国の封建制度に関しては……事実上我が国の屯田兵制と同様のものに変えてしまうつもりだ」


 屯田兵制はエルキュールが帝国の軍事力強化と財政健全化の一環として行った制度だ。

 国境沿いに兵士を植民させ、平時には土地を耕させ、有事には兵士として戦って貰う。


 中央の常備軍がレムリア帝国の矛であるとすれば、屯田兵は国境を守る盾だ。


 この制度は封建制度に極めて似ている。

 というよりは、レムリア帝国風の封建制度と言った方が良いだろう。


 チェルダ王国の封建制度と、屯田兵制の違いは中間に大貴族を挟むか否かである。


 屯田兵制の場合、兵士たちは直接エルキュールから土地を与えられている。

 兵士たちを指揮する将軍たちも、エルキュールから直接土地を与えられているという点、他者に土地を分け与えるような真似はできないという点ではほかの兵士たちと全く同じだ。


 一方、チェルダ王国の場合はまず国王が大貴族に広大な土地を与え、そしてこれを配下の貴族に与え……

 という具合に階段状の構造が築かれている。


 エルキュールは封建制度という外見はそのまま、この階段状の構造を破壊しようと考えていた。


「具体的には大貴族から土地を没収し、土地を持たないような獣人族ワービーストの武人階級にこれを分け与える。もしくは土地の耕作者を、その土地の所有者にするつもりだ」


 幸いなことに反乱鎮圧の過程でチェルダ王国の土地のいくらかは分配が可能だ。

 ……しかしそれでも足りない。


 故にエルキュールはソニアに頼む。


「そのためにはリュープス・ゲイセリア家の土地も解体する必要があるが、承諾してくれるかな?」

「はい……良いですよ」


 ソニアは熱に浮かれた表情で頷いた。

 リュープス・ゲイセリア家の土地を解体し、それを分け与えてしまうということはソニアの権力が消滅することを意味するが……

 彼女は特に気にしている様子はなかった。


「ありがとう。これですべての大貴族の土地を解体できるだろう」


 女王のソニアが自らの土地を解体するのだから、他の大貴族の土地もまた同様に解体するのが道理だ。

 これでチェルダ王国の貴族階級の力は大幅に弱体化する。


 あとは官僚機構をゆっくりと整備すれば、中央集権的な国家体制を構築することができるだろう。


 

 それからエルキュールはソニアに対し、いくつかチェルダ王国の国家体制を骨抜きにしてしまうようなことを提案したが……

 知ってか知らずか、ソニアはそのすべてを拒絶することなく、承諾していった。



 結果としてチェルダ王国は実質的にもエルキュールの支配下へと治まっていった。

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