第18話 困惑

 エルキュールはまずこう思った。


 こいつは何を言っているのだろうか?

 と。

 

 次に「もしかして、『素敵な結婚式』というのは何かの政治用の隠語なのだろうか?」と思い悩んだ。

 だとすると、結婚というのは同盟ということか?


 素敵な同盟を結びたい?

 素敵な同盟というのは、どう素敵なのか? 誰にとって素敵なのか?


 レムリア帝国と良好な関係を結びたい?

 否、まさかそんな単純な意味ではあるまい。


 一般的にレムリア帝国では、妻は結婚した後も財産権を保持する。

 これはつまり、チェルダ王国の行政権は与えないということか?


 なるほど、侵略されてしまえば行政権は奪われてしまうが……

 その前に降伏して最低限の行政権は確保する。

 ということなのだろうか?


 実は降伏とは裏腹に、「レムリア帝国には決して屈したりしない」という意思表示なのか?


 と、散々に考えたのだが……


(……まるで、恋する乙女のようだな)


 思い悩むエルキュールを他所に、ソニアは「キャッ、言っちゃった!!」とでも言わんばかりに顔を両手で隠している。

 そして時折、とろんとした瞳でエルキュールの様子を伺い、目を合わせると恥ずかしそうに隠す。

 素肌は真っ赤に染まり、獣耳はピョコピョコと、尻尾はぐるんぐるんと動いている。


(本当に、本当に、純粋な意味でこいつは俺と結婚したいと言っているのか?)


 ようやくエルキュールはその可能性に行き着いた。

 まさか、思い人と結婚したいがために反乱を起こすような女がいるだろうか。

 あまりにリスクが多すぎる。


 理性的な判断ではない。


 と、思いながらもエルキュールは小声で言う。


「シトリー、こいつは嘘を言っているか?」


 シトリーは秘密を看破する悪魔だ。

 特に恋愛関係については、シトリーに敵う悪魔はいない。


【言ってないね……本当に結婚したいみたいだよ? ……凄い、頭の中、ピンクって感じ。もう、どういう結婚式を挙げるか、初夜にどんな服を着ていくか、考えているみたい】


「そ、そうか……」


 シトリーが言うならば、それは本当なのだろう。

 エルキュールは困惑しながらも、髪を掻いた。


(さて、どうするか……)


 どう答えるかエルキュールが悩んでいると、ソニアがおどおどとした表情でエルキュールに尋ねた。


「そのぉ……ど、どうですか?」

「え? いや、そ、そうだな……」


 エルキュールはわざとらしく咳払いする。

 

「ソニア姫、あなたのような美しい女性に婚姻を申し込まれるとは、これほど男として光栄なことはない」

「そ、そんな! 両思いだったなんて!」

「……いや、そこまで言ってないが」


 ただの社交辞令を本気で受け止めるソニア。

 心が変と書いて恋とはこのことだなと、エルキュールは思った。


「し、しかし……だ。私と君の婚姻、つまりレムリア帝国とチェルダ王国の同君連合となれば、そう簡単に答えを出すわけにはいかない。家臣たちと協議するから、しばらく返答を保留にさせていただけないだろうか?」


「はい、分かりました!」


 ニコニコとした表情で答えるソニア。

 とりあえず、現状は凌げたとエルキュールはホッと息をつく。


「あ、もしレムリア帝国とチェルダ王国との同君連合が障害となるのであれば、私はいつでもチェルダ王国の女王位を放棄致します! ただのソニアになれば、結婚の障害はありませんよね?」


「い、いや、ま、待ちたまえ。そのようなことは軽々しく……」


「軽くなど、ありません。本気です!!」


「わ、分かった……分かったから、落ち着きなさい。結論が出るまで、少し時間が掛かる。それまで……早まった行動は控えて欲しい」


 ただのソニアとなったソニアと結婚する利益はない。

 女王位を放棄されてしまうのはエルキュールにとって、非常に困る。


 だから早まった行動はするなと釘を刺すと、ソニアは満面の笑みで頷いた。








「というわけなのだが、どうするべきかね」


 エルキュールは即座に重臣たちを呼び出した。

 集められたのは国政に深く関与する家臣たち。


 ガルフィス、クリストス、ルーカノス、トドリス。

 そして皇妃であるカロリナ、ファールス王国との重要な繋がりであるシェヘラザード、同君連合を組んでいるハヤスタン王国の女王でもあるルナリエ。


 以上のメンバーである。


 まず先に口を開いたのはガルフィスであった。


「……彼女の恋愛感情は置いておいて、何か不利益があるのでしょうか? 私が思うに、大きな問題はないように思えますが」


「ふむ……現状、我々が知る情報だけで判断すると……利益の方が大きいな」

 

 エルキュールは答えた。

 エルキュールが警戒したのは、あまりにもレムリア帝国に取って「美味しい話」だったからだ。

 

 毒が仕込まれていないのであれば、この婚姻は単なる「美味しい話」でしかない。

 拒絶する理由はない。


「私は賛成です、陛下。チェルダ王国の海軍の残党を吸収できれば、アルブム海で我が国と対抗できる国はありません」


 一応、アドルリア共和国という海上交易国は存在する。

 が、レムリア帝国とチェルダ王国が同君連合を組めばアドルリア共和国など恐るるに足らない。


「強いて言えば、国教が不安ですね、陛下。我々は正統派で、チェルダ王国は西方派ですから。西方派の容認は当然として、ソニア姫には正統派に改宗して頂く必要がありますし、チェルダ王国の国教も建前上は正統派に変える必要があります」


 エルキュールは正統派の守護者である。 

 その正統派の守護者が、仮にも西方派の国の王になるわけにはいかない。

 実質的にはともかくとして、建前上では正統派にチェルダ王国を改宗させなければならない。


「……まあ、それに関してはテリポルタニア地方の統治の延長線上にあるからな。後はソニア姫が改宗に応じてくれれば問題あるまい」


 あの様子ならばすぐに改宗してくれるだろうと、エルキュールは内心で呟いた。

 恋のためなら国すらどうでも良いというのだ。

 信仰に対しても大して思うところはないだろう。


「問題があるとすれば、正室か側室か、ではありませんか?」


 トドリスが言った。

 

 レムリア帝国に於いては、皇位継承権を持つ子を産むのが正室で、継承権を持たない子を産むのが側室だ。

 故にカロリナ、シェヘラザードは正妻で、ルナリエは側室だ。

 ルナリエは混血長耳族ハーフ・エルフなので、彼女の子は皇位継承権は持たない。


純血長耳族ハイ・エルフ至上主義を取るレムリア帝国では、純血長耳族ハイ・エルフでなければ皇帝位を継ぐことはできないのだ。


 勿論、メシア教の教義上では複数の妻を持ってもすべて対等に扱わなければならないとされている。

 故に宗教上は正室・側室の区別はない。


 が、それは建前の話だ。

 実際には正室の方が側室よりも上位に扱われる。


 さて、問題はソニアの立ち位置だ。

 血統で考えれば彼女は側室が妥当なところだ。

 彼女は純血長耳族ハイ・エルフではないからだ。


 しかし側室という立場を彼女が、そしてチェルダ王国が受け入れてくれるかは分からない。


 ハヤスタン王国は小国であり、圧倒的にレムリア帝国が上位だったがために側室でも問題はなかった。

 だがチェルダ王国は大国であり、依然としてその国力は侮れないものがある。


「……まあ、扱いは正室だが皇位継承権は持たない、で良いんじゃないか?」

「……それは側室では?」

「その辺は上手く誤魔化すしかあるまい」


 最悪、法律を改正して正室と側室の中間のようなものを作ってしまっても良い。

 正室か側室か、などとはただの面子の、そして言葉遊びの問題だ。

 皇位継承権だけは発生しないことを、ソニアとチェルダ王国人に納得して貰えば良いだけのこと。


「お前たちはどう思う?」


 最後にエルキュールはカロリナ、シェヘラザード、ルナリエに尋ねた。

 勿論、家父長制のレムリア帝国では結婚に既存の妻の許可を取る必要はない。


 が、それでも一応聞いておくのが配慮というものだ。


「人のことを売女などと言った小娘のことは気に入らない」

 

 と、ルナリエは腕を組んで言った。 

 よほどソニアのことが気に入らないらしい。


「けど、陛下の決定に異を挟む気はない。……あとで仕返しの機会を頂戴」

「まあ……実際に結婚したらな」


 その時はニアやアリシアも呼ぶことになるのだろう。

 エルキュールは少しだけソニアに同情した……もっとも自業自得だが。


「私は全く、構いませんよ」


 ニコニコと笑みを浮かべながら言ったのはシェヘラザードだ。

 シェヘラザードとソニアの関係はさほど悪くない。

 ソニアが捕虜だった頃、互いに手合わせをした仲だ。


 そういう意味ではカロリナも同じである。

 が、カロリナはどうにも納得できないという表情を浮かべていた。


「陛下は結婚には消極的なのですか?」

「どうしてそう思う?」

「彼女との結婚はレムリア帝国の国益に叶うと、私は思いますが……陛下は先ほどから、彼女と結婚しない理由を探しているように見えます」

「……鋭いな」


 実際、結婚に乗り気ならば絶対的な君主として決めてしまえば良い。

 家臣の了解は無論、妻の許可など取る必要がない。

 しかし妙に家臣や妻に「結婚しても良いのか?」と聞くということは、エルキュールが乗り気ではないことを意味している。


 それをカロリナは見抜いていた。


「彼女は美しい女性だと思いますし、チェルダ王国がそのまま手に入るのは良いことだと思いますが、陛下は何が気に入らないのですか?」


「いや、まあ……その通りなのだが、な」


 エルキュールは髪を掻き、ため息をつきながら言った。


「……ちょっと、怖くないか? 控えめに言って、重すぎるというか、頭がおかしいというか」

「「「……」」」


 確かに。

 一同は目がイってしまっているソニアの顔を思い浮かべながら思ったのだった。

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