第14話 狂笑
時は数か月前に遡る。
チェルダ王国の国政は混乱の極みに達していた。
カーマイン、ホアメルの二人の必死の説得により考えを少し改め、三年の準備期間の後に平和条約を破棄して攻め込むことを決めたヒルデリック二世だが……
彼は三年すらも待てない様子で、戦争準備を急ぐように家臣たちに命じていた。
カーマイン、ホアメルの言い分は「今すぐは戦争はできない。準備には三年が必要だ」ということだが、逆に言えば「準備が出来次第、戦争はできる」ということになる。
故にヒルデリック二世は可能な限り早く戦争準備を済ませようとしていた。
しかしカーマイン、ホアメルも無根拠で「三年」という数字を出したわけではない。
二人は常にいがみ合い、対立しているが……その二人が全く同じ「三年」という数字を出したのだ。
二人が三年というからには、三年は絶対に必要。
それを無理矢理早めようとすれば……
国力の低下は加速する。
テリポルタニア地方の失陥はチェルダ王国にとって致命的だった。
大量発生した難民による治安悪化と、穀物需要の増加。
穀倉地帯を失ったことによる穀物供給の低下。
結果として穀物の価格は数倍にまで高騰し、暴利を得るのは安価な穀物を高くチェルダ王国に売りつけるレムリア帝国の商人たち。
これに加えて戦争準備のために重税を取り立てようものなら、チェルダ王国の経済が崩壊するのは自明だ。
それが分かっていたカーマイン、ホアメルの二人は(不本意ながら)協力してヒルデリック二世を止めようとする。
結果として起こるのは国王とその家臣間の対立だ。
幸か不幸かレムリア帝国のように絶対的な君主権が確立されていないチェルダ王国では、この両者の実力はほぼ拮抗していた。
……しかしこれが良くない。
どちらの言うことを聞けば良いのか、チェルダ王国の官吏たちが分からなくなってしまうからだ。
法令が出ては、そのたびに取り消され、そして取り消しも取り消される。
そのようなことが数か月に渡って続いていた。
さて、一方ソニアはマウグリニア地方のゲイセリア家の屋敷に軟禁されていた。
国王に無礼な発言をしたから……
というのが表向きの理由で、本当はこれ以上ヒルデリック二世に油を注がないようにとカーマインが無理矢理閉じ込めだのだ。
「ソニア、入るぞ」
「……」
カーマインはソニアの私室に入った。
ソニアは私室のベッドの上で膝を抱え、座り込んでいた。
軟禁と言ってもあくまで国王に出会うことがないように……というのが目的なので、実際は庭に出ることくらいならば許される。
が、ソニアは生真面目なのか、そもそも気分が乗らないのか、ずっと私室に閉じこもり、最低限の要件でしか外に出ることはしなかった。
「重要な話がある」
「……婚約破棄でも決まりましたか?」
ソニアは今回の一件で完全にヒルデリック二世に嫌われたと確信していた。
もっともソニア自身も、元々ヒルデリック二世のことを嫌っていた。
故にソニアからすればどうでもよいこと……むしろ嫌な相手と結婚せずに済み、嬉しいくらいだ。
もし不都合があるとすれば、修道院に送られることだろう。
国王の元婚約者の結婚相手がいるとは思えない。
修道院に送り込まれ、一生飼い殺しにされることは目に見えている。
赤狼隊ともお別れだと、ソニアは内心で思った。
「いや、逆だ」
「……逆?」
「結婚が早まることとなった。遅くとも後三か月後には式を挙げて貰う」
ソニアは目を見開いた。
この情勢下で結婚が早まる理由が分からない。
「……別に、構いませんが」
元々、結婚することは変わらない。
それが早まっただけ……だからソニアからすれば、大したことではない。
……はずなのだが、どうしてか分からないが、ソニアは嫌な気持ちになった。
「どういう意図でしょうか?」
「我が家と国王陛下との関係を強固にするのだ。今はこのような情勢なのでな」
ソニアは首を横に振った。
「このような情勢だからこそ、意図が見えません。今、お父様と陛下は敵対していたはずです」
「それは今までの話だ。これからは違う」
ソニアはカーマインが何を言おうとしているのか、何がしたいのかすぐに理解できなかった。
だが、すぐに思い至った。
「ま、まさか! 国王陛下の側に付くおつもりですか!」
「……そもそも私は最初から、国王陛下の家臣だ。人聞きの悪いことを言うな」
「そういうことを言っているのではありません!」
ソニアはカーマインを睨んだ。
「あの国王がやろうとしていることは、阻止しなければならない。それはお父様が一番よくお分かりのはず! 今の我が国はこれ以上の戦争は耐えられない! 仮に耐えられたとしても、レムリアには敵わない! だからこそ、お父様は国王を止めようとしていたのではないのですか!」
「だが、いつまでも国を割り続けているわけにはいくまい」
「それは……」
確かに現状で国論が割れていては、どうしようもない。
このままでは家臣たちの制止も聞かずにヒルデリック二世は和平破りと戦争を実行してしまうかもしれない。
どうせやられてしまうのであれば、国内をまとめた方が良いかもしれない。
そう考えることもできなくもない。
ソニアは納得できなかったが……
しかしカーマインの意見には一理もないということはない、と思ったその時だった。
「一先ず、復興のためには国をまとめなければならない」
それはカーマインが漏らした失言だった。
何気ない一言だったが、聡いソニアはそれですべてを察してしまった。
「……まとめる?」
「どうした、ソニア?」
「……なるほど、そういうことですか」
ソニアはカーマインを睨みつけた。
「ホアメルを王宮から排除する、それを条件に国王に協力を約束したということですか!!!」
カーマインはヒルデリック二世に全面的な協力をする。
ヒルデリック二世はカーマインにとって最大の政敵であるホアメルを排除する。
そしてその約束の証として、手形としてソニアがヒルデリック二世と結婚する。
カーマインの急な心変わりの背景にはこのような構造にあったのだ。
「この国難の時に、また政争ですか!」
「それは誤……」
「誤解? じゃあ、何ですか? ヒルデリック二世に愚かな戦争をやめさせるように説得することを放棄し、逆に協力し、そして共同歩調を取っていた仲間を追い落とす意味は、何ですか? 正当な理由があるのですか? 答えてください!!」
カーマインはソニアに反論することができなかった。
……実際のところ、カーマインが「政敵の排除」という果実に釣られてしまったのは事実だからだ。
しかし愛国者である……正確には、自分のことをまだ“愛国者”だと思いたがっているカーマインには、何も言い返さずに肯定するという選択肢は選べない。
「そもそも! お前が陛下を焚きつけたことがこのような事態を招いたのだろうが!」
「私は事実を言っただけのこと! そもそも、小娘に正論を言われただけで、感情のままに方針を決めるような愚王を選んだのは誰ですか!! ラウス一世陛下ならば、このようなことはなかった!」
それは少々ラウス一世を買い被りすぎというものだ。
もっともヒルデリック二世よりは遥かに良かっただろう。
実際のところ、ラウス一世が治めていたころのチェルダ王国は今よりもずっと発展しており、レムリア帝国とも対等に渡り合っていたのだから。
「だいたい、私が国王を焚きつけたことと、あなたがホアメル大臣を裏切って、愚王に従うことは関係がないことでしょう! なぜ、話を逸らすのですか? 図星だったからでしょう!!」
「とにかく、お前は陛下と結婚しろ! 親の言うことを聞け!! それがこの国と家のためだ!!」
ソニアは鼻を鳴らした。
「『俺のためだ』の間違いでしょう? ……この売国奴」
ソニアはそう言うと無言で私室を出て行った。
それからソニアの意志に反するように、着々と結婚の準備が進む。
結婚式の日に近づくにつれて、ソニアの心は淀んで行った。
「……結婚、したくない」
元々ソニアはヒルデリック二世が好きでなかった。
今ではその顔を思い出すと反吐が出るほど、嫌っていた。
ヒルデリック二世の子供を産むくらいなら、蛞蝓の子供を産んだ方がまだマシくらいに思っていた。
もちろん、国のため、家のためというならば涙を飲んで結婚しよう。
ソニアも貴族として生まれたからには、それなりの覚悟がある。
だが……自分の結婚は国の滅びに繋がっている。
チェルダ王国はレムリア帝国に勝てない。
愚かな戦争をすれば敗北は免れず、そしていずれは滅ぼされる。
そうなればゲイセリア家もおしまいだ。
ソニアは結婚に意味を見出せなかった。
「誰も彼も、自分勝手に……なのに、どうして、私が……」
ヒルデリック二世も、ホアメルも、カーマインも自分の利益のために好き勝手に政争に明け暮れている。
なのにどうして、自分だけがそんなくだらない政争のために、本当の望みを捨てて、嫌な相手と結婚しなければならないというのか。
「……本当の、望み?」
ソニアはふと、気付いた。
自分の本当の望みとは、一体何だというのか。
一度、気付いてしまえば早かった。
(ああ……そういう、ことか……だから私は……)
こんなにも結婚したくないのか。
ソニアは自分が心の底から結婚を嫌がっていた、その理由に気付く。
「……はは」
ソニアの口から乾いた笑いが漏れた。
そしてそれは徐々に大きくなっていく。
「はは、あは、ハハハ、アハハハハハハハハ!!!!!」
ソニアは狂ったように笑い続け、そして……
「もう、どうでも良い」
濁った目で呟いた。
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