第7話 イアソン

 十一日間行軍を続け、エルキュール率いるレムリア軍はアズダヴィア市に到着した。

 砂漠越えから八十九日目のことである。


 「まだアズダヴィア守備軍は降伏してないのか?」


 エルキュールは呆れ声を上げた。

 とっくに勝敗が決しているのにも関わらず、いまだに無意味な戦いを続ける敵将の気持ちが、エルキュールには全く理解できなかった。


 「敵将のイアソンは理性的な人物のはずだ。こんな無意味なことをするとは思えないが……」


 やはり物事に絶対はあり得ない。

 エルキュールは再度、それを確認した。


 「内部からの情報によると、獣人族ワービーストの指揮官たちが反乱を起こしているようです」


 ガルフィスは内部協力者から得た情報をエルキュールに伝えた。

 エルキュールは思わず溜息を吐いてしまう。


 「内部協力者、ね。つまり敵は徹底抗戦派と降伏派で内部分裂を起こしているのね」

 「兵士の多くは後者のようですが、獣人族ワービーストの指揮官たちは前者が多いようです」


 エルキュールの予測を、ガルフィスが補足する。

 エルキュールは困ったように頭を掻いた。

 

 「うーん……面倒だな」


 アズダヴィア市の抵抗によってレムリア軍の勝利が覆るか、と聞かれるとその答えは否である。

 チェルダ王国は当分の間、まともに防衛戦争をすることすらもできないだろう。


 それほどまでに犠牲が増えているのだ。


 しかしエルキュールが困らないか、と言われるとそうでもない。

 困ることには困るのだ。


 「あれを強引に攻め落とすのは難しいですぜ、陛下。俺としては兵糧攻めをお勧めしますよ。あんなのに貴重な兵を浪費するのは得策じゃない」


 そう言ったのはダリオスである。

 ダリオスもまた、エルキュールと同様に心底呆れた、という表情を浮かべていた。


 「兵糧攻めか……しかし連中は元々兵糧を多めに持っていたような気がするが」

 

 兵糧攻めで敵を降伏させるには、もう少し時間が必要になる。

 エルキュールとしては早いところ、テリポルタニア地方を支配下に収めたいのだ。


 「そうだなぁ……よし、こうしよう」


 エルキュールはにやりと笑みを浮かべた。







 「なかなか、敵は攻めてきませんね」

 「きっと怯えているのだろう。……兵糧はあと一月は持つ。兵糧攻めがそう簡単に成功するとは思わないことだ」


 アズダヴィア守備軍の、現在の総指揮を執っている将軍が言った。


 レムリア軍が兵糧攻めを選択すれば、必ず長期戦となる。

 大兵力をアズダヴィア市で遊ばせておくほどの余裕はレムリア軍にはない……つまりそれだけでレムリア軍を困らせることができる。

 

 逆に短期決戦のために、強引に攻めてきたら……

 敵に手痛い打撃を加えてやればいい。


 どちらを取ってもレムリア軍を困らせることができる。


 もっとも……それが勝利に繋がることはない、ということだけは彼は気付いていなかった。


 「……ん? あれはなんだ?」


 レムリア軍の野営地から、丸裸にされた男たちがだんだんとアズダヴィア市へと近づいてくる。

 将軍はこれに攻撃を加えようとしたが……

 彼らの正体に気付き、守備兵には構えたまま待機するように命じる。


 そして城門を開くように命じた。


 裸の集団が城門を潜ったことを確認すると、すぐに閉めさせる。


 そして将軍はすぐに彼らを出迎えた。


 「こんな丸裸で……さぞや寒かっただろう。すぐに服と温かい食事を用意させる。……我らの友軍よ!」


 裸の集団…… 

 それはレムリア軍が捕虜とした、二〇〇〇〇のチェルダ王国の兵士たちの一部であった。







 「まずは二〇〇〇人を解き放ちましたが……本当に受け入れましたね」

 「そりゃあそうだろ。自分たちを助けるために、駆けつけてくれた兵士たちを見捨てるわけがない」


 エドモンドの言葉に対し、エルキュールはにやにやと意地悪い笑みを浮かべていった。

 彼らはアズダヴィア市を包囲するレムリア軍を撃破するためにアズダヴィア市へとやってきた、元テリポルタニア守備軍の兵士たちであった。


 降伏という結果に終わったが……

 彼らがアズダヴィア守備軍の救援のために駆け付けた事実だけは変わらないのだ。


 それが裸で放りだされ、城壁へと向かってきたら受け入れるのが当然だ。


 「これから今日明日に二〇〇〇〇人の捕虜の全てを解き放つ」

 「よろしいんですか? 敵の戦力が増大する可能性は……」

 「五〇〇〇〇に武器も持たない全裸の集団が加わって、何の役に立つ? 投げる石だって、限りがあるんだぞ」


 もうすでにアズダヴィア守備軍の矢は尽きている。

 剣や槍、鎧の予備が二〇〇〇〇人分も存在するとは思えない。


 そしてレムリア軍が攻め寄せると、家具やレンガなどを投擲物としてこちらに投げてきていることから……

 もはや投げるのに適した石すらも、残っていないということが分かる。


 「役立たずの大飯食らいを増やしてやろう、って作戦ですか? 陛下」

 「まあ、三分の一はな」


 ダリオスの言葉に、エルキュールは小さく頷いた。

 ダリオスは笑みを浮かべる。


 「へぇ……残り三分の二があるんですか。そうですね……もしかして何人か、兵士を買収してますか?」

 「そんなところだ。内部から反乱を起こさせるために、工作員を紛れ込ませている」


 エルキュールは捕虜のうち比較的身分の高い獣人族ワービーストを、財宝や土地を条件に買収し、アズダヴィア市の内部で反乱を起こさせようと考えていた。


 敵の将軍もその可能性を多少は考慮しているが……

 まさか自分たちをかつて助けようとしてくれていた友軍を疑うわけにはいかない。


 「もっとも、あともう三分の一が残っているけどな」


 「まだ理由があるんですか? 聞いても?」


 「簡単だよ。……降伏して、捕虜になって、なんだかんだで戦争も終わりだと気が抜けきり、そして我が軍の比較的美味な食事を口にして、すっかりと平和気分になっている兵士たちが……籠城戦で役に立つと思うか?」


 むしろ逆に「いい加減、降伏しようよ……」という空気を醸し出し、全体の士気を大いに下げてくれるはずだ。


 「ああ、そうそう……ニア、ジェベ!」

 「「はい」」


 エルキュールは、大変便利な存在となった独立遊撃部隊の二人の指揮官に命じる。


 「この辺りの住民を適当に集めてこい。三日目以降は、ここら辺の住民を全裸にして放り込む」

 

 エルキュールは愉快そうに笑みを浮かべる。


 「さてさて、何日持つかな?」





 それから五日間。

 捕虜二〇〇〇〇に加え、地域住民三〇〇〇〇人がアズダヴィア市へと強引に放り込まれることになった。


 

 

 そして砂漠越えより九十四日目。

 ついにアズダヴィア市内部で兵士の反乱が勃発し……降伏派の兵士たちが徹底抗戦派の将軍を拘束。


 それを手土産にする形で、レムリア軍に降伏した。



 斯くしてアズダヴィア市が陥落。

 これによって全ての戦いが終結した。







 アズダヴィア市陥落後、イアソンはすぐに救出された。

 そして捕虜としてレムリア軍に捕まり……エルキュールに謁見させられることになった。


 美しい絨毯の上で縛られた上で兵士に囲まれているイアソン、一方エルキュールは周囲よりも随分と高い段の上に置かれた玉座からイアソンを見下ろしている。


 「ふむ、お前がイアソンか」

 「はい、皇帝陛下。イアソン、と申します。趣味は読書です」


 聞かれてもいないことを答えるイアソンに対し、エルキュールは目を細めた。


 「奇遇だな。俺も読書が趣味だ」

 「本当ですか? ぜひとも、本について語り合いたいですね」

 「そうだな……機会があったらだが」


 エルキュールはそう答え……

 高い段の上に置かれたイスの上から、イアソンを見下ろす。


 「お前は降伏しようとしていた、というのは本当か?」

 「はい。……これ以上は無益と判断しましたので」

 「それは賢明な判断だな」


 エルキュールは素直にイアソンを褒めた。

 今までの戦争でイアソンは確かに振り回され続けてはいたが……できる限りの最善を尽くしているようにエルキュールの目には見えた。


「あなたにはノヴァ・レムリアに来て貰う。捕虜として、最低限の文明的な生活は保障しよう。不便な生活もしばらくの辛抱だ。まあ……身代金が支払えればの話だが」


 もっとも、さすがに一国の将軍の身代金を支払えないほどチェルダ王国は落ちぶれてはいないだろうが。


「……いえ、チェルダ王国には帰るつもりはありません。願わくば、レムリア帝国の市民権を頂けませんか?」


「……ほう、理由は?」


 エルキュールは目を細めた。


 「チェルダ王国にはもう、愛想が尽きました。将軍たちは僕の言うことを聞かないどころか、脅し、挙句の果てには指揮権すらも奪うし、カーマイン将軍は逃げ出すし、ホアメル宰相はご自分の権益のことばかり考えている。国王陛下は愛人にご熱心で頼りなく、そしてその婚約者は喧嘩っ早い上に差別主義者だ」


 イアソンはそう言って溜息を吐いた。

 そしてエルキュールに頼み込むように言った。


 「皇帝陛下は君主として、遥かに我らの国王よりも上。それに家臣たちも、みな互いに足を引っ張り合うことなく、協力している。……チェルダ王国に勝ち目はありません。泥船に乗りたいと思うものはいないでしょう?」


 「なるほどね……」


 エルキュールは笑みを浮かべた。

 ゆっくりと椅子から立ち上がった。


 そして段を降りた。


 「君の気持ちはよく分かった」


 エルキュールはそう言って腰の剣に手を掛けた。

 そして……









「我が国で司書をやらないか?」

「司書?……ほ、本当ですか!! やったぁあああ!!!」





 「良かったんですか? 陛下」


 その夜、ダリオスがエルキュールに尋ねた。

 

 「あいつの能力は中々、高いですよ」


 「へえ、意外だな。お前、酷評してたじゃないか」


 「経験不足であることを考えれば、優秀な方なのは事実。人望の無さは……そもそも将軍などやらせず、副官として扱えば良いでしょう? 司書として、飼い殺しにするのはもったいないと思いますが」

 

 軍を率いる才はないが、作戦を立案する能力にも、状況を把握する能力にも長けている。

 それがダリオスのイアソンへの評価だった。


 「そうだな。俺もあいつの能力は評価している」

 「では、なぜ?」


 ダリオスが尋ねると、エルキュールは肩を竦めた。


「性格が気に入らない。嫌な奴とは一緒に働きたくないだろう?」

「陛下はあまり家臣の人格をお気にするような方ではないと思っていましたが……そんなに気に食わないところがありましたか?」

「まあ、個人的に気に入らないのもあるが……」


 個人的にあまり好きではない。

 が、エルキュールが問題視しているのは自分自身のイアソンへの個人的な感情ではない。


「……あいつが家臣に入ると、ギスギスしそうじゃないか。あいつは上からも下からも嫌われるような質だろ?」

「……それは否定できませんね」


 ダリオスは苦笑いを浮かべるのであった。

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