第5話 第二次テリポル市攻囲戦 終結

 酔っ払ったニアが敵の野営地に放火をした日の翌日。

 砂漠越えから六十七日目。


 エルキュールは一日に四十キロの速度でテリポルタニア地方を進軍していた。

 騎兵だけで構成された部隊であることを考えると、いつものレムリア軍からすれば随分と遅い進軍である。


 「ブルガロン騎兵の雄姿を見せつけろ! 一斉射撃、開始!!」

 「ブルガロン人に遅れを取るな! レムリア軍の、中装騎兵カタフラクトの実力を見せつけなさい! 突撃!!!」


 アリシア率いるブルガロン騎兵が騎射によって敵を攪乱し、そこへカロリナ率いる中装騎兵カタフラクトが突撃を加える。

 そして中装騎兵カタフラクトの開けた穴を押し広げるように、ブルガロン騎兵もまたサーベルを抜き放って、突撃をする。


 数に劣るチェルダ王国軍の獣人族ワービーストの歩兵部隊は蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


 「カロリナ、凄い張り切ってますね」

 「ああ。久しぶりに暴れられて、楽しいんだろう」

 「……楽しいというか、アリシアさんに張り合っているというのが実際なところだと思いますけどね」


 シェヘラザードがカロリナの心理を言い当てた。

 ニア、アリシア、そしてシェヘラザードと、自分と同じ程度戦えるエルキュールの寵姫が増えて、カロリナは内心で少し焦っていたのだ。


 そのため、今までの遅れを取り戻すかのように、奮戦している。


 「しかし何といいますか。随分と散発的な攻撃ですよね」

 「まあ、本隊であるテリポルタニア守備軍は御留守だからな」


 テリポルタニア守備軍はアズダヴィア市を包囲している。

 つまりテリポルタニア地方は完全に手薄になっているわけだが……しかし完全に無防備マンになったわけではない。


 テリポルタニア地方には徴兵されなかった多くの獣人族ワービーストの下級武人たちが大勢住んでいるのだ。

 農民でもある彼らは、そう簡単に農地を手放して戦場に馳せ参じる……ということはできないものの、敵が攻めてきた際には一定の抵抗をする程度のことはできる。


 とはいえ、二四〇〇〇の纏まった軍勢には適わないのだが。



 「このまま沿岸部を西進し、港湾都市を支配下に収めていく。内陸部は後回しで良いだろう。抵抗する敵は皆殺し、降伏するなら温情を、だな」


 「内陸部は宜しいのですか?」


 「ああ。内陸部は獣人族ワービーストが多いからな」


 エルキュールが沿岸部から占領しているのは、港を押さえることでレムリア帝国の本土との連絡路・輸送路を確保するため……という目的もあるが、もう一つ他の理由もある。

 

 というのも、テリポルタニア地方の沿岸部は人族ヒューマン、それもキリス人が大勢住んでいるのだ。

 またチェルダ人――獣人族ワービーストではなく、大昔にチェルダ共和国を建設した人族ヒューマン――の子孫も多い。


 当然と言えば当然なのだが、そもそもテリポルタニア地方の港湾都市は全て大昔のキリス人やチェルダ人が建設したのだ。

 そしてチェルダ王国に於いて、海運業を営んでいるのは主にキリス人やチェルダ人の子孫たちである。


 テリポルタニア地方は元々人族ヒューマンの比率が多い。

 そして彼らの大部分は沿岸部に住んでいる。


 そして……人族ヒューマンの多くは正統派メシア教徒である。


 もっとも今は正統派メシア教も、教皇派と姫巫女メディウム派で分裂しているのだが……

 実際のところ、信者の多くはその差異を認識していない。

 分裂は聖職者や貴族など、支配階層の内部のことでしかないのだ。


 「まあ、ヒルデリック二世は人族ヒューマンに対して融和政策を始めたみたいだが……今までの迫害の歴史はそう簡単に拭えん。それにまだ理念を掲げただけで、実態の方が追いついていない……つまり獣人族ワービーストによる人族ヒューマンへの差別は依然として行われている」


 人族ヒューマンたちにはわざわざチェルダ王国のために、レムリア帝国と戦う動機などない。

 故に多くの都市が無血開城をして、レムリア軍を迎え入れた。


 対照的なのは獣人族ワービーストたちである。

 彼らはレムリア帝国の支配下に下れば自分たちの今までの特権が廃止されると思っているらしく、エルキュールに対して反抗的な態度を取った。


 「道中、我々の進軍を邪魔する獣人族ワービーストの村は焼き払う。無論、降伏すれば命と財産は保証するがね」


 エルキュールはニヤリ、と笑みを浮かべた。

 獣人族ワービーストもそのすべてがレムリア軍に対して抵抗しているわけではない。


 二四〇〇〇に挑めば負けると分かっているのか、それとももうすでにチェルダ王国の敗北は確定的だと思っているのかは分からないが……

 レムリア軍に対して降伏する村もあれば、恭順を示して積極的に協力する獣人族ワービーストたちもいた。


 つまり獣人族ワービーストたちもレムリア派とチェルダ派で分裂が始まっているのだ。


 「このまま都市を落としつつ西進し……テリポル市を包囲している敵の背後を脅かす。連中はもうテリポルタニア地方には戻れないさ」


 もうすでにテリポルタニア地方はレムリア軍に占領されている上に、二四〇〇〇という決して少なくない数の兵力が迫ってきているのだ。

 

 攻囲に失敗したチェルダ王国軍の撤退先はチェルダ市方面、つまりイフリキア地方しかあり得ない。

 テリポルタニア地方方面に撤退しようものならば、テリポル市の籠城軍とエルキュール率いる騎兵二四〇〇〇に挟み撃ちされてしまうのだから。


 「つまりもう……」

 「この戦争は我々の勝利だ。もっとも……勝利は砂漠越えが成功した段階から、決まっていたがね」


 エルキュールは笑みを浮かべ……


 「っきゃ! な、なにをするんですか!!」

 「これから西の方に都市が一つある。きっと娼婦もいるだろうから、兵士は女を抱ける。兵士が女を抱ける、ということは俺は自分自身に課している制約を解除できる」


 エルキュールが己に課している制約。

 兵士が女を抱けない環境では女を抱かない、を解除するということは、すなわち……


 「今夜はたくさん、可愛がってやる」

 「へ、陛下……」


 カロリナとアリシアが前線で敵と戦っている中……

 エルキュールとシェヘラザードは二人して甘いムードになっていた。









 第二次テリポル攻囲戦が始まってから、三十四日目。

 砂漠越えから七十四日目のこと。


 「……諸君、今日が最後の総攻撃となる」


 カーマインは早朝、指揮官たちを集めて宣言した。

 これには指揮官たちも悔しそうに唇を噛み締めた。


 というのも……今までの三十三日間の攻囲の中、テリポル市が落ちる気配が全くなかったからだ。

 攻城兵器はことごとく破壊され、坑道もあっさりと見破られて潰されてしまった。


 そして当初、一五〇〇〇〇に達していたその兵力はレムリア軍の反撃と疫病により、一〇〇〇〇〇にまで数を減らしていた。


 今日の総攻撃で落ちる可能性は低い。

 そして……今日が最後、ということはチェルダ王国軍の敗北ということになる。


 「お、お父様! 今日が最後とは、どういうことですか?」

 「……ソニアか」


 あの日の一件以来、ソニアとカーマインの関係はギクシャクしていたが……

 しかしだからと言って、カーマインがソニアの問いに答えないということはしなかった。


 ソニアの疑問はもっともであり、そしてソニア以外にもカーマインの言葉に疑問と反感を抱いている者たちもいるからだ。


 「知っての通り、我が軍は元々三十日分の兵糧しか集められなかった。何とか三日持たせたが、もう限界だ。これ以上続ければ、撤退時の食料すらも覚束なくなる。よって今日が最後の総攻撃となる」


 「し、しかし……このままではテリポル市が……」


 「加えて、テリポルタニア地方を西に横断する形で、レムリア皇帝の率いる騎兵二四〇〇〇が近づいてきている。こちらは一〇〇〇〇〇、迎撃は可能だが……しかしそれでも挟み撃ちにされる可能性があり、そしてテリポル市が落ちる見込みがない以上、最悪の事態を避けるために撤退しなければならない」


 最悪の事態。

 それはチェルダ王国軍の兵糧が完全に尽きて、兵士たちが飢え死にしかけているところへ、レムリア皇帝の率いる二四〇〇〇が襲来。

 テリポル市に籠城している五〇〇〇〇の軍勢と前後を挟み撃ちにされて、壊滅することである。


 「っぐ……分かりました」


 ソニアは歯軋りをしながら、頷いた。

 ソニア以外の指揮官も現実を受け止めたのか。俯きながら、渋々という表情で頷く。


 「では……諸君。早速、攻撃の準備に入ってくれ」

 「「は!!」」






 その日の夕暮れまで、チェルダ王国軍はテリポル市を攻め立て続けた。

 しかしレムリア軍はこれを冷静に対処し、その攻撃のことごとくを跳ね返した。


 またその日の夜、チェルダ王国軍は大規模な夜襲も行ったが……

 レムリア軍はこれも弾き返した。


 そして翌日、早朝。

 チェルダ王国軍は総撤退を開始した。






 「撤退!! 撤退せよ!!」


 チェルダ王国軍は野営地を捨て、最低限の兵糧や装備だけを持ち、一斉退却を開始した。

 士気は完全に下がり切っており、疲れ切った兵士たちは隊列も乱れ切っており、行軍するのが精一杯というありさまだった。


 当然、レムリア軍もそれを黙ってみているわけがない。


 ニア、ジェベの率いる独立遊撃部隊は無論のこと……

 マシニッサ率いるバルバル族の兵士や、オスカルの率いる歩兵軍団……つまり念のためにテリポル市を守るステファン率いる二個軍団の歩兵を除く、全兵力がチェルダ王国軍への追撃を開始しようとした。


 これに対し、カーマインは一〇〇〇〇〇のうち比較的、元気があり、そして士気も高い三〇〇〇〇の兵を割いて、殿しんがりとした。


 そしてその中には……ソニア率いる赤狼隊もいた。






 「っく、この、しつこいぞ!!」

 「追撃は戦果拡大のチャンスなのですから、当然でしょう?」


 もはや運命の赤い糸で結ばれているのか……

 ニアとソニアはまたもや戦場で鉢合わせをし、剣と剣を激しくぶつけ合っていた。


 (くそ……こいつら、一か月以上も籠城していたのに、何でこんなに元気なんだ!)


 ソニアは一月前と全く変わらない強さを保つ、ニアの遊撃部隊に押されていた。

 いくら精強な赤狼隊といえども、一か月の攻囲戦で疲弊すれば、弱体化もする。


 一方ニア率いる遊撃部隊は敵への追撃に備え、たっぷり食事と睡眠を取っていたため、その強さは健在だった。


 「撤退だ!!」


 これ以上の戦闘は不可能だと考えたソニアは戦場から離脱しようとする。

 しかし……


 ヒュン!!


 そんなソニアの背中へと矢が迫る。


 普段のソニアならばこれくらいの矢なら、すぐに気づいて弾き返せたが……、攻囲戦で疲弊し、さらにニアと戦った後だったこともあり、完全に注意が散漫になっていた。


 「っぐは!」


 背中に矢を受けて、地面に転がり落ちるソニア。

 そこへニア率いる独立遊撃部隊が、網を被せた。


 「な、なんだ、こ、この……な、なんだ、か、体が動かない……」

 「痺れ薬を塗っておいた。……うちの隊員を殺してくれた、お礼だよ」


 そう言って現れたのはジェベである。

 ソニアを背中から射抜いたのはジェベだったのだ。


 「悪いな、ニア。獲物を横取りしてしまう形になって」

 「いえいえ。私としてはこの女を捕まえることができただけで、大満足です!」


 ニアは上機嫌に言った。

 そして馬から降りて、ゆっくりとソニアに近づいた。


 「あぐぅ、は、離せ……」


 ニアは網の上からソニアの耳を鷲掴みに、その顔を持ち上げる。

 そしてソニアの顔を覗き込みながら、笑顔を浮かべていった。


 「たっぷり、調教してやりますよ、この雌犬」

 「だ、黙れ、こ、この、劣等ぐぁああ!!」


 ニアはソニアの顔面を強く地面に叩きつけた。

 痺れ薬が完全に回ったのか、それとも気絶したのか……ソニアは動かなくなった。


 「うふふ……陛下への良いお土産ができました♡」


 ニアは嬉しそうに笑った。




 かくして、第二次テリポル攻囲戦はレムリア帝国の勝利に終わったのである。

 そして……それが意味することは二つ。


 一つ、テリポルタニア地方がレムリア帝国の手中に完全に落ちたということ。

 そして……イアソン率いるアズダヴィア守備軍が取り残されたということである。

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