第4話 酔っ払い

 イアソンがのこのことやってきたテリポルタニア守備軍を見て、絶望していた日。

 つまり砂漠越えから六十六日目。

 

 第二次テリポル市攻囲戦が始まってから二十六日目の夜のこと……


 「ああ!! あの雌犬、捕まえて絶対に調教してやります!!」


 ニアは荒ぶっていた。

 手には骨灰磁器のコップを持っており、そこには並々と葡萄酒が注がれている。

 それをぐびぐびと飲み干した。


 ワーワーワーワー!!!


 「隊長、あなた、お酒そんなに強くないんだから飲み過ぎては……」

 「ええい! 黙りなさい!! あなたはお酒を私のコップに注いでればいいんです!!」


 酒を控えるように進言する部下を怒鳴り散らすニア。

 完全にパワハラ上司である。


 ワーワーワーワー!!!


 ニアの言う、雌犬とは当然ソニアのことである。

 初日の戦い以来、ニアとソニアは互いを不俱戴天の敵と認識していた。


 そして運命の巡り合わせも良いのか、悪いのか分からないが……

 戦場で鉢合わせをすることが多かった。


 ワーワーワーワー!!!


 基本的に城壁を登ってきたソニアと、城壁を守る側であるニアが戦い……

 チェルダ王国軍の撤退の合図とともに、ソニアが捨て台詞を吐いて去っていくというのがいつものパターンである。


 ワーワーワーワー!!!


 「まあ、しかし……籠城する側であるにも関わらず、こうして酒を飲めるのは素晴らしい」


 ワーワーワーワー!!!


 上機嫌に言ったのはバルバル族シュイエン氏族の氏族長、マシニッサである。

 マシニッサ率いるシュイエン氏族の兵たちも、城壁の上から石を落としたり、クロスボウで敵を射抜いたりして活躍していた。


 ワーワーワーワー!!!


 籠城戦は物資、特に食料が欠乏しやすい。

 そのためマシニッサはある程度、不自由な生活を覚悟していたのだが……


 ワーワーワーワー!!!


 その心配は杞憂に終わった。


 ワーワーワーワー!!!


 何しろ制海権はレムリア帝国側にあるのだ。

 いくらでも物資は港から輸送できる。


 ワーワーワーワー!!!


 戦場では通常、堅く焼いたパンしか食べられないが……

 籠城しているレムリア軍の食事は、焼き立てのパンだった。


 小麦粉をキュレーネ市から輸送し、それをその日のうちに焼いて、兵士たちに供給しているのだ。

 パン焼き窯はテリポル市にあり、燃料となる薪を港からいくらでも輸送できる限り、節約する必要もない。


 無論、食事はパンだけではない。


 ワーワーワーワー!!!


 オリーブ油などの食料油や、干し肉、干し果物、漬物、チーズ、瓶詰、缶詰などの保存食は無論のこと、時には新鮮な生野菜や生果物、そして生きた豚や鶏が詰められた輸送船が来ることもあった。


 ワーワーワーワー!!!


 葡萄酒や麦酒、砂糖、蜂蜜、香辛料などの嗜好品も十分な量、とまではいかないものの、兵士たちの不満を和らげる程度には供給されていた。

 

 さらにテリポル市は港町。

 つまり漁業も盛んである。


 ワーワーワーワー!!!

 

 さすがに漁船を出すことは許可を出してはいないが、港で釣りをする程度のことはレムリア軍は許可を出しており……

 テリポル市の市民たちが釣った魚は、レムリア軍が買い上げていた。


 ワーワーワーワー!!!


 そんなわけでその日釣ったばかりの新鮮な魚が兵士たちの食卓に上がることも多々あった。


 また兵士たちの娯楽は食事だけではない。

 性欲の処理、つまり『女』も含まれる。


 ワーワーワーワー!!!


 レムリア軍は軍規の維持と、占領後の統治のために原則として強姦を禁じているが、女を金で買う、つまり買春に関しては禁じていなかった、いやむしろ積極的に進めていた。


 ワーワーワーワー!!!


 テリポル市は港町、ということもあり、船乗りが利用する娼館が多数存在した。

 レムリア軍はそれらの施設をまとめて貸し切りにし、兵士たちに利用させていた。


 とはいえ、五〇〇〇〇人の若い男たちの性欲である。

 テリポル市の娼館だけでは足りなかったため、ノヴァ・レムリア市の娼館からわざわざ娼婦をダース単位で連れてくることになった。


 ワーワーワーワー!!!


 これも制海権を押さえているからこそ、できる芸当である。


 ワーワーワーワー!!!

 

 (全く、凄まじい国力だな)


 ワーワーワーワー!!!


 酒を飲みながらマシニッサはつくづく思った。

 レムリア帝国が超大国であることは知っていたが、戦場でこれほどの贅沢を兵士にさせることができるほど、国力が有り余っているとは、さすがに考えもしていなかったのだ。


 ワーワーワーワー!!!


 やはりレムリア帝国に逆らうのは得策ではない、とマシニッサは改めて思った。

 そして勝ち馬に乗った過去の自分を内心で賛美した。


 ワーワーワーワー!!!


 ……もっともレムリア軍がいつもこのような食事をしているわけはない。

 むしろこの戦いが特例である。


 制海権を押さえており、海から物資を輸送できるからこそ、これだけ余裕のある戦いができるのだ。


 ワーワーワーワー!!!


 「一方、敵は兵糧不足に苦しんでいるようだな。兵士の顔色があまり良くない」


 ジェベは葡萄酒を飲みながら言った。

 レムリア軍とは違い、海上輸送のできないチェルダ軍は飢えはしないものの、食料の節約を図らなければならない状態にあるようだ。


 ワーワーワーワー!!!

 ワーワーワーワー!!!

 ワーワーワーワー!!!


 「ワーワー、煩い!!!!!」


 ニアは怒鳴りながら、カップを床に叩きつけた。

 隊員たちが「隊長、癇癪起こさないでくださいよー」と言いながら床の掃除をし始める。


 ニアはゆっくりと立ち上がり、床の掃除をし、ジェベとマシニッサに「うちの隊長がすみません」と謝っている隊員たちに言った。


 「酒飲んでないで、立ちなさい! 行きますよ!!」

 「いや、どこにですか?」

 「黙ってついてきなさい!」


 怒鳴り散らすニアに対し、やれやれと隊員たちは溜息を吐きながら立ち上がった。

 いつものことのようだ。


 「おい、待て、ニア。お前、どこに行く気だ?」

 「外でバカ騒ぎしている連中を黙らせに行くんですよ」


 バカ騒ぎしている連中……

 つまりチェルダ王国軍のことである。


 彼らは少しでもレムリア軍を疲弊させるために、真夜中に大声を上げ、まるで攻撃を今すぐにでも仕掛けようとしているかのように見せかけていた。


 実際に攻撃を仕掛けることは滅多にない。


 夜襲はリスクが高いからだ。

 しかし滅多にない、ということはたまになら攻撃を仕掛けてくるという意味でもある。


 夜通し警戒しなければいけないのは、やはりレムリア軍を疲弊させる。


 苛立っているのはニアだけではなく、レムリア軍全体である。

 つまり確かに効果は現れていた。

 戦局に影響を及ぼすか否かは別として。


 「おい、待て。それで城門を開けたら、敵の思う壺だぞ?」

 「開けませんよ」

 「じゃあどうするつもりだ」

 「城壁の上から降りるんです」


 大丈夫か、この酔っ払い。

 ジェベとマシニッサは思った。







 「マジでやるんですか、隊長?」

 「やりますよ。ステファン将軍の許可は取りました」


 ニアはそう言ってロープを城壁の上から垂らした。

 そしてロープを伝い、あっという間に城壁の下へと降りる。


 隊員たちは溜息を吐いてからニアに従った。


 三個中隊、総勢四五〇人の兵士たちが城壁の下へと降りた。


 彼らは匍匐前進をしながら、敵の野営地へと近づいていく。

 大騒ぎをしているのは全体の五分の一程度のようで、残りの五分の四は睡眠を取っているようだ。


 「私が合図を出したら、一斉に投げなさい。良いですね……三、二、一、今です!」


 そう言ってニアは投石器を使い、液体の入った瓶を敵陣へと投げた。

 四五〇人の兵士たちも、ニアに倣ってそれを投げつける。


 そして直後に背中に背負っていた弓を取り出し、そこに火矢を付けて、空へと放った。

 夜空に赤い流星が浮かぶ上がる。

 それは敵陣へと降り注ぎ……そのうちのいくつかが、先に投げた瓶の液体、つまり『聖なる炎』に引火した。


 地面に散らばった『聖なる炎』は一気に燃え広がり、チェルダ王国軍の野営地に真っ赤な炎の絨毯が広がった。


 「おら!! 全部、投げつけろ!!」


 ニアは酒に酔った勢いで、大量に持ってきた『聖なる炎』の詰まった瓶を投石器で投げつけまくる。

 隊員たちはニアほど大量に持ってきてはいなかったが、それでも一人三瓶は持ってきていたため、それらを追加で投げつけた。


 「切り込むぞ!! 全員、抜剣!! 突撃!!!」


 剣を抜き放ち、突撃するニア。

 隊員たちもニアに続いて、敵の野営地へと切り込んでいく。


 突如上がった炎によって混乱状態になっていたチェルダ軍は、さらにレムリア軍の夜襲攻撃により大混乱に陥った。

 五、六分ほど敵兵を斬り続けたニアは……


 酔いが少し冷めてきた頭で、そろそろ潮時だと判断し、敵の増援が来る前に撤収した。






 その日以降、レムリア軍だけではなく、チェルダ軍もまた敵の夜襲に注意を配らなければいけなくなった。





 「隊長、本当に覚えてないんですか?」

 「揶揄ってるんですか? 私は昨晩、敵に夜襲なんて仕掛けてないですよ。あー、なんか頭が痛いです……風邪かな?」

 (酒を飲んだことすら忘れているのか……)

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