第33話 売国奴
エルキュールがアズダヴィア市へと到着した時より、十四日前。
つまり砂漠越えから二十七日目のこと。
ジェベ率いる独立遊撃部隊がテリポル市へと入城した。
「よくぞ、戻ってきてくれた、ジェベ将軍」
「あなたが来てくれると、心強い」
ジェベを出迎えたのは、ステファンとオスカルだった。
取り合えず、ジェベは二人に確認する。
「テリポル市の防衛の総指揮はどちらですか?」
「今回は俺が担当する」
ステファンが言った。
なるほど、とジェベは頷いた。
「あなたは守りが得意な将と、陛下から聞いている。納得の人選だ」
そもそも皇帝陛下の人選に異を唱えるつもりは毛頭ないが。
と、ジェベは付け加えた。
例えエルキュールが選んだ将軍や家臣その人は信用できなくとも、エルキュールという人間の人を見る目だけは信用できる。
レムリア帝国の重臣たちの心理は、そういうものである。
「他には誰か、将はいらっしゃるか?」
「私がいますよ」
現れたのはニアだった。
不敵な笑みを浮かべる
「あなたもいるのか」
「何ですか? 私がいると何か、問題ですか?」
ニアが不機嫌そうに言うと、ジェベは首を横に振った。
「そういうわけではない。……てっきり陛下について行くのかと」
「私もついて行きたかったですけど、陛下にテリポル市を守るよう、ご命令をお受けしたので」
そういうニアは少し不満気だったが……
しかしエルキュールの命令に逆らうという選択肢はなさそうだった。
(……仮に他の男に、それも脂ぎった気持ちが悪いオヤジにでも抱かれて来いと陛下に命令されれば、こいつは号泣しながらでも、その命令を果たすのだろうな)
ジェベは内心で思った。
エルキュールに対しては恩義と忠義を感じるジェベも、さすがにそこまでの命令を素直に受けるほど、忠誠心は抱いていない。
「しかし随分と数が減りましたね。……三分の一、失いましたか? あなたほどの将がそれほど兵を削られるとは。意外ですね」
ニアはあまりジェベのことは好きではないが……
しかしその実力に関しては評価していた。
そのため三分の一の兵を失って帰ってきたことは、少し意外だったようだ。
「そんなところだ。……これはステファン将軍にも、オスカル将軍にも聞いていただきたいのだが……敵に厄介な将がいる」
ジェベはそう言ってから自分に打撃を与えた将軍と部隊、『赤狼姫』と『赤狼隊』について説明した。
「でもそいつはチェルダ市を守ってるんでしょう? 問題ないんじゃないか?」
ステファンがそう言うと、ジェベは首を横に振った。
「残念ながら……赤狼隊は俺がイフリキア地方から離れたのを見計らって、テリポル市へ向かう軍に合流したそうだ。赤狼隊の数は約三〇〇〇。つまり敵の兵力は五三〇〇〇ということになる」
なお、赤狼隊は元々チェルダ守備軍には加わっていなかったため、チェルダ守備軍は依然として一〇〇〇〇ほどいて、チェルダ市と王宮を守っている。
「まあ、しかしこれからやるのは籠城戦ですし、そこまで気にしなくても良いのでは?」
オスカルが言った。
赤狼隊は重騎兵だが……攻城戦に重騎兵は無用の長物である。
「おっしゃる通りだ。あまり恐怖を煽り過ぎて、及び腰になるのも良くない。ただ……頭の片隅に入れておいて欲しい。ところで聞きたいことが、三つあるのだが、よろしいか?」
ジェベは指を三本立てた。
「一つ……城壁の修繕は終わっているのですか?」
「それはもう、ばっちりだ」
ステファンは頷いた。
「では……聞くところによると、この城には抜け穴があるらしいが、大丈夫ですか?」
「それについても問題ない。敵の下士官がゲロってくれた」
カーマインたちが逃げ出したことに、不満を持つ将兵は少なくなかった。
彼らはあっさりと、テリポル市に存在する抜け穴を教えてくれた。
さらにステファンは市民たちにも聞き込み調査をし……
徹底的にそういった穴は塞いでおいた。
もっとも完全に全てを塞いだとは断言もできないので、注意は必要だが。
「では最後に……弓兵はどれくらいいる?」
投射兵器である弓は、籠城戦では必須の兵器である。
これがないと、石などで代用することになる。
城壁の上から投げる石もかなりの脅威にはなるが、矢には適わない。
「ジェベ将軍の三個大隊……今は実質二個大隊の一二〇〇だったか? それに合わせて、ニア将軍の三個大隊がいる」
「なるほど」
ジェベの独立遊撃部隊は弓騎兵なので、当然弓矢を扱える。
そしてニアの率いる独立遊撃部隊も、『万能部隊』として弓矢を扱うことができる。
「それに加えて……クロスボウを用意してある。これを歩兵に持たせるつもりだ」
「ほう……それは心強いな」
クロスボウは大変高価な武器で、その量産には莫大な資金と優れた技術力が必要になる。
が、レムリア帝国はその両方を有している。
正式な装備ではないため、普段の遠征に持ち歩くことはないが……
テリポル市は港町であり、そして制海権はレムリア帝国にある。
事前に作っておいたものを、輸送船に乗せてテリポル市に持ち込めば良い。
クロスボウならば普段は投射兵器を扱わない兵士が持っても、十分に威力を発揮するだろう。
「それと……バルバル族、シュイエン氏族の長、マシニッサがこの地に援軍として向かっている。数は戦闘で少し減ったらしく、騎兵が五〇〇〇、歩兵が一一〇〇〇、合計一六〇〇〇ほどだそうだが……それでも貴重な戦力だ」
現在、テリポル市を守る戦力は歩兵三個軍団とジェベ・ニアの独立遊撃部隊六個大隊。
本来ならば一九二〇〇になるが……
しかしテリポル市を落とす攻城戦、そしてジェベはソニアの追撃を受けてその兵力を減らしている。
歩兵三個軍団の実質的な兵力は約二八〇〇〇。
ジェベ率いる独立遊撃部隊は約二四〇〇。
ニア率いる独立遊撃部隊はほぼ損害無しの約三六〇〇。
合計、約三四〇〇〇。
これにマシニッサが率いてくるであろう兵力、約一六〇〇〇を加えれば……
合計約五〇〇〇〇となる。
「敵兵力はチェルダ市方面からくる五三〇〇〇と、テリポルタニア方面から来る三〇〇〇〇。合計八三〇〇〇。ただ……先のテリポルの戦いで逃亡した兵や、陛下の砂漠越えによる混乱で集められなかった兵士を糾合してくる可能性があるから、一〇〇〇〇〇程度の兵は覚悟した方が良いかもしれない」
テリポル市は敵地のど真ん中。
チェルダ王国はやはり軍事大国であり……自国領内であれば、それなりの兵力を集めることができる。
「敵の兵力はこちらの二倍……ですが、制海権はこちらにありますね」
ニヤリ、とオスカルは笑みを浮かべた。
それが意味することはキュレーネ市やアレクティア市、ノヴァ・レムリア市から莫大な量の兵糧や武器が海運を使って送り込まれてくる、ということだ。
こちらが飢え死にする心配は一切ない。
「気楽な防衛戦になるだろう。我々の目標はこのテリポル市を守り切ることではない。守った上で……どれだけ敵に打撃を与えるか、だ」
ステファンは不敵な笑みを浮かべて言った。
一方、その翌日。
砂漠越えから二十八日目。
カーマインがチェルダ市方面から来た援軍、テリポル市解放軍と合流した。
結果、自動的に指揮権がカーマインに移ることになった。
「信じられません……お父様。テリポル市を見捨てて、逃げ出すなんて。見損ないました!!」
ソニアは父親を怒鳴りつけた。
元々釣り目がちの目は、怒りでいつも以上に釣りあがっており……
愛らしい犬耳や栗色の髪は、怒りで天を突く勢いだ。
「落ち着け、ソニア。これには理由があるんだ……あのまま残っても、テリポル市は陥落した。私があそこで捕まるわけにはいかない。そうだろう?」
「それは……そうかも、しれないですけど」
父親の言葉に納得の色を見せるソニア。
チェルダ王国で大軍を指揮し、レムリア皇帝に対抗できそうな人材はイアソンとカーマインしかいない。
イアソンがアズダヴィア市で身動きが取れなくなっている以上、カーマインが捕まるわけにはいかないというのは、確かにその通りである。
分かりました。
納得はできませんが、理解はしました。
と、ソニアは言おうと口を開きかける。
が、しかし……
ここでカーマインは余計な一言を言ってしまう。
「あの売国奴、ホアメルの好きにさせるわけにはいかないからな」
「……ホアメル?」
ソニアは眉を潜めた。
カーマインは大きく頷いた。
「ああ、そうだ。私が捕まれば、チェルダ王国の王宮はあのホアメルに支配されてしまう。ホアメルに対抗できるのは、この私にしか……」
「……の、ためですか」
「うん? 何て言った?」
俯きながら小さく呟いたソニアに対し、もう一度言うように促すカーマイン。
ソニアはゆっくりと顔を上げた。
そしてカーマインを睨みつけながら、怒鳴り散らした。
「政争のためですか!! こんな時に!!!」
ソニアの怒鳴り声は陣幕の外にまで響いた。
カーマインは慌てて、声を小さくするように言うが……
「信じられません!! こんな時に、国家存亡の時に、まだ政争をしているつもりなんですか? ああ、そうですか。ええ、そうですね、テリポルタニア地方もテリポル市も、ホアメルの支持基盤ですものね。お父様からしてみれば、失ったところで痛くもない……それどころかホアメルの権力が後退するなら、むしろレムリア帝国に奪わせてしまっても良い。……そういうことですか?」
ソニアの言葉に……
カーマインは言葉を詰まらせた。
カーマインは決して、チェルダ王国の国土をレムリア帝国に奪わせてしまっても良いなどとは思っていなかった。
しかし……ホアメルの支持基盤だから、失ったところで痛くない、むしろホアメルの権力が低下すれば儲けもの。
と、思ったことは確かな事実だった。
故に即座に否定できなかった。
カーマインが黙ったのを、肯定と受け止めたソニアは吐き捨てるように言った。
「……この売国奴め」
そしてはっきりと音が聞こえるほど強く、歯軋りをしながら陣幕を出た。
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