第七章 素敵な結婚式
第1話 第二次テリポル市攻囲戦
ジェベがテリポル市に到着して、八日後、つまり砂漠越えから三十五日目。
ステファンはニアとジェベの二人を呼び出した。
「何でしょうか? ステファン将軍」
ニアが尋ねると、ステファンは地図を広げた。
「今、シュイエン氏族長のマシニッサ殿が率いている援軍の位置がここ、そして……チェルダ市から来た敵の軍隊の位置がここ」
ステファンがピンを指して、位置を示した。
それだけで二人はステファンが何を言いたいのかを理解した。
「つまり……このままだと味方の援軍よりも先に敵がテリポル市に到着してしまうから、足止めをしろ、ということでよろしいですか?」
「素晴らしい。そういうことだ、ジェベ将軍」
ステファンは大きくうなずいた。
「そういうわけでニア将軍とジェベ将軍の二人には独立遊撃部隊を率いて、敵の進軍をどうにかして二日ほど遅らせて欲しい」
「「分かりました」」
二人は頷いた。
「作戦立案は基本的にあなたに任せます」
「ほう、意外だな」
ニアの言葉にジェベは目を見開いた。
自己主張の激しいニアならば、自分の方が上だと主張すると思ったのだ。
「失礼ですね……あなたの方が敵については詳しいでしょう? だから敵への作戦も立てやすいはずです。私なりの合理的な判断ですよ」
ニアの言葉になるほど、とジェベは頷いた。
(皇帝陛下と秘密結婚をしたと聞くが、性格が少し丸くなったのはそれか)
とはいえ、どちらにせよ性格が悪いのはそこまで治っていないが。
と、ジェベは内心で思った。
「あなたの意見はよくわかった。だが……作戦の立案は個人的にはあなたに頼みたい」
「……理由を聞いても?」
「敵も俺のことをよく知っているからだ」
「確かに、それもそうですね」
ジェベが敵のことをよく理解しているように、敵もジェベについては理解しているのは道理だ。
つまり場合によっては裏を掻かれてしまうかもしれない。
「ではこうしましょう。基本的に作戦を立てるのは私です。あなたは助言をください」
「心得た」
ジェベは頷いた。
その日、カーマイン率いるテリポル市解放軍は森の中を突き進んでいた。
「先鋒部隊からの報告です。この先に障害物があるとのことで」
「障害物?」
カーマインは眉を顰めた。
「どんな障害物だ? 回避はできなさそうなのか?」
「はい。障害物は……」
報告によると、道路全体を塞ぐように設置された柵。
その向こうには大岩。
さらにその向こうには三メートルほどの溝があり、そこには昨晩の雨で水が溜まっている。
そして溝から五十メートルほどの間の道路は舗装が掘り返され、穴だらけにされてしまっている。
とのことであった。
「それと、その……」
「まだあるのか?」
「いえ、このような立札と髪が貼ってありまして……」
カーマインは強引にその紙を毟り取った。
その紙には可愛らしい女の子の絵が描かれていた。
ツルハシを持ち、『安全第一』と書かれた帽子を被った、桃色の髪の少女である。
お尻からはハート型の可愛らしい尻尾が出ている。
そんな女の子がこちらに頭を下げ、片目を閉じ、舌をチロっと出している。
女の子の顔の横には小さくチェルダ語で「テヘペロ」と書かれている。
そして紙の一番下にはチェルダ語でこう書かれていた。
「こちら、工事中です。大変、ご迷惑をおかけしています。byレムリア帝国軍」
カーマインは笑みを浮かべた。
「ははは! こんな可愛らしい女の子にそう言われてしまったら許すしか……って、そんなわけあるか!!」
カーマインは激怒しながら、紙を地面に叩きつけた。
そして靴で踏みつぶす。
「仕方があるまい……障害物を撤去し、道路を通れるようにしろ! ……どれくらい時間が掛かる?」
「四時間ほど頂ければ、可能だと先鋒部隊から……」
「三時間で修繕しろ!」
そしてカーマインは舌打ちをする。
「本当に面倒なことを……」
道路に障害物があると、それだけで進軍は停止する。
そして……軍隊は一度止まると、動き出すまでに時間が掛かる。
何しろ大勢の人間でできた行列なのだ。
無論、五〇〇〇〇人が列を作って行軍……などはせず、ある程度分かれては進んでいるが……
それでも一度足を止められると、少し面倒なことになる。
(しかし障害物を作るのも、道路を破壊するのも簡単ではないはずだが……)
もし簡単に敵を足止めできるのであれば、誰もが同じ戦術を採る。
あまりやる者が少ないのは、破壊するのと修繕するのでは、同じ程度の時間は掛かるからである。
修繕、といっても何も道路を作り直す必要はない。
柵は破壊して撤去すれば良いし、穴は適当に塞げばいい。
舗装を剥がされた道路もわざわざ舗装し直す必要はなく、土を簡単に固め直すだけで十分だ。
(本当にこれだけか?)
とカーマインが考えていると……
「将軍!! 敵襲です!! 最後尾の部隊と、中列の荷馬車隊が敵に襲われました!」
「何!!」
「上手く行きましたね」
「まあ、殆ど敵兵を殺せてないがな」
「足止めですから、これで良いんですよ」
敵に奇襲攻撃を行ったニアとジェベは、森の中を逃走していた。
さすがに森の中で馬は使えないので、徒歩での移動である。
森を抜けた先には馬が用意されており、その馬に乗ってから離脱を図る予定になっている。
「これで三時間に上乗せして、二時間は足止めできました」
ニアは笑みを浮かべた。
ニアとジェベの目的は敵の足止めであり、敵を奇襲によって倒すことではない。
適当に矢を射かけて、敵の反撃が来る前に即座に逃げ出したため、二人の部隊の損害はゼロである。
もっとも、敵兵も十数人しか死んでいないが。
「障害物は道中、あと三か所あります。そのたびに敵は伏兵を警戒するでしょう。進みも遅くなるはずです」
「よくもまあ、考えたな。しかし……これで一日は足止めできるな」
道路に障害物を設置して敵の進軍を妨害する。
敵に奇襲攻撃を仕掛けて、混乱させて進軍を妨害する。
この二つは本来、全く異なる妨害行為だが……
それを同時に行うことで、敵にこの二つを結びつけさせるのだ。
これから先、障害物を確認すると、敵は奇襲攻撃を警戒しなければならなくなる。
「一日も足止めできれば、十分でしょう。マシニッサ殿には急ぐように使者を出しましたし……最悪、いなくても何とかなるでしょう」
「それもそうだな。無理をして足止めするほどの価値があるとは思えない」
ニアとジェベはリスクを避け、すぐにテリポル市へと退却した。
マシニッサ率いる援軍がテリポル市へと到着したのは、砂漠越えから三十八日目のことだった。
マシニッサとその兵士たちは、レムリア軍から大歓迎を受けた。
「お初にお目に掛かる、マシニッサ殿。俺がレムリア軍、テリポル市防衛の総指揮を執ることになっているステファンだ。以後、よろしく」
ステファンはマシニッサに向けて手を伸ばした。
マシニッサもステファンの手を握り、両者は固く握手をする。
「言語や文化は違えど、同じメシア教、正統派の信徒。ともに協力し、異端者と戦おう。ところで一応聞くが……制海権はこちらにあるのだな?」
「無論。最悪、陥落しそうになれば海上へ逃げればいい。その時は……バルバル族の兵士を優先すること約束しよう。その代わり……」
「分かった。では、私はあなたの指示に従おう」
もしも、テリポル市が落ちるようなことになれば、バルバル族を最優先して、その命を助ける。
それを条件にマシニッサはステファンの指示に従うことを約束した。
こうしてテリポル市の籠城軍は一時的に指揮系統を統一させた。
一方、チェルダ守備軍からやってきたカーマイン率いるテリポル解放軍がテリポル市に到着したのがその翌日の三十九日目のことであり、さらにテリポルタニア守備軍からやってきたテリポル解放軍がテリポル市に到着したのは、四十日目のことである。
前者はもともと五〇〇〇〇であり、後者は三〇〇〇〇。
合計八〇〇〇〇となる予定であった。
しかし現実にはさらに兵力は膨れ上がっていた。
例えばテリポル守備軍は元々最大七〇〇〇〇が動員される予定であったが、動員が終わるまでにレムリア軍と交戦することになり、その時の兵力は五〇〇〇〇……つまり二〇〇〇〇の動員漏れが存在していた。
同様にテリポルタニア守備軍にも本来七〇〇〇〇であるはずが、五〇〇〇〇しか動員しきれていなかった。
両軍はそういう動員漏れの兵力や、またテリポルの戦いでの逃亡兵、そして赤狼隊などの新たな兵力を道中で動員していた。
そのため前者であるチェルダ市方面から来たテリポル解放軍は、元々の五〇〇〇〇の兵力に加えて、赤狼隊の三〇〇〇、テリポルの戦いでの逃亡兵一三〇〇〇、テリポル守備軍の動員漏れ二〇〇〇〇を合わせた八六〇〇〇。
後者であるテリポルタニア方面から来たテリポル解放軍は元々の三〇〇〇〇の兵力に加えて、動員漏れ二〇〇〇〇を加えた五〇〇〇〇。
合計一三六〇〇〇。
さらに道中で一四〇〇〇の兵を動員し、その総兵力は一五〇〇〇〇に達していた。
「一〇〇〇〇〇は覚悟した方がいい、と言われたので覚悟してましたが……あれ、一〇〇〇〇〇
「いやー……思ったよりチェルダ王国軍が本気で、俺も驚いている。うん、ごめん」
想定していたよりも敵数が多かったことに関して、ステファンは頭を下げた。
ニアは首を横に振る。
「いえ……別に責めているわけじゃないですけど。まあ、一〇〇〇〇〇も一五〇〇〇〇も大して変わらないでしょうし。二倍の兵数が三倍になっただけです」
というニアの表情は決して楽観的、とは言えなかった。
二倍と三倍は言葉の上では大して変わらないかもしれないが、数値の上では大変大きな差である。
「一つ気になることがある。……敵は兵糧を用意できているのか?」
ジェベは眉を潜めながら言った。
兵糧責め、というものが存在するため攻城側と籠城側では後者の方が食料などに困るイメージがあるが、実際は逆だ。
現実には攻城側の方が先に食料が不足することの方が多い。
理由は二つ。
まず第一に籠城する側と攻城する側では、後者の方が兵数が多い場合が圧倒的に多数であるため、先に食料が不足するのが後者であるから。
第二に籠城する側は籠城すると決めた段階で城の周りの街や村から食料を徹底的に搔き集めて、準備をするのに対し……
攻城側はもうすでに籠城側に食料を搔き集められてしまい、小麦一つ残っていない土地での長期戦を強いられる。
もっとも……
これらはその都市や城の非戦闘員、つまり住民の数や双方の兵站能力にもよる。
つまり攻城側の兵站能力が格段に優れていれば、兵糧攻めが成立する。
そして今回の場合、つまり籠城するレムリア軍と攻城するチェルダ軍では……
前者の方が圧倒的に食糧の余裕がある。
レムリア軍は敵が到着する前に周囲の村落から食料を搔き集めており、さらに制海権は以前としてレムリアが握っているため、いくらでも食料を海上輸送できる。
一方チェルダ軍の場合、もうすでにテリポル市周辺の食料はレムリア軍によって奪われてしまっているため、陸路で遠方から持ち運ぶ必要がある。
「まあ……テリポルタニア地方はチェルダ王国の穀倉地帯ですから、何とかなるのではないですか?」
「むむ……まあ、確かに」
今回の籠城戦、または攻城戦は通常のものとは少し異なる。
というのも普通は籠城側の方が自国領土で、一方攻城側の方が敵国領土に侵入しているという形になることが多い。
しかし今回は真逆、つまり籠城側が敵の領土内に侵入しており、そして攻城側が自国領内という奇妙な構造になっている。
本来ならば敵国領土内にいるはずの攻城側の兵站能力は著しく低下するが……
今回の場合、攻城側は自国領内だ。
「おそらく、多少の目算はあるからこそ、この兵数を用意したのだろう。……もっとも長期決戦をするつもりならば、つまり食料の余裕があるならば、こんな大軍を集めることはない」
食料に余裕があるから大軍を集めたわけではない。
その逆、つまり余裕がないからこそ大軍を集めたのだろうとステファンは推測した。
つまり戦いが長引けば不利になると考えたチェルダ軍は、食料が尽きる前にテリポル市を落とすために、敢えて大軍を集めて短期決戦を行おうと考えている。
という説だ。
これには説得力があると感じたのか、オスカルもニアもジェベも、そして黙って聞いていたマシニッサも頷いた。
斯くして……
レムリア・チェルダ戦争の勝敗を左右することになる、第二次テリポル攻囲戦が始まろうとしていた。
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