第31話
一方遡ること十二日前。
エルキュールが砂漠越えをしてから六日目の日。
イアソンの下にカーマインが敗北したという情報が届いた。
「そんなバカな……」
イアソンの手から本が落ちた。
しばらく呆然とした表情を浮かべ……そして呟く。
「まさか、本当に砂漠を越えてきたのか?」
ここで初めてイアソンはレムリア軍が本格的に砂漠を越えてきたことが真実であることに気付いた。
そして地図を広げて、考え込む。
(可能なら僕が援軍に行きたいが……アズダヴィア市からテリポル市までは七百キロ近くある。現実的ではないか……)
最短でも一月以上はかかる。
そもそも……イアソンは今、レムリア軍と対峙しているのだ。とてもじゃないが、援軍に向かうことはできない。
(となるとテリポルタニア守備軍を割いて、向かわせるしかないか)
テリポルタニア守備軍は五〇〇〇〇ほど。
そして現在、テリポルタニアを襲撃しているバルバル族は二〇〇〇〇ほどである。
数的な余裕はある。
(情報によるとレムリア軍は三〇〇〇〇ほど。テリポルタニア守備軍から三〇〇〇〇を割いて向かわせれば……)
と、そこでイアソンは気付いた。
「ダメだ……海上にレムリア軍がいる」
海上のレムリア軍の兵力は詳しくは分かっていないが……
砂漠を越えてきたレムリア軍と、イアソンが今対峙しているレムリア軍の数と、レムリア軍の常備軍の総数を考慮に入れて……二〇〇〇〇から三〇〇〇〇ほどであると推測できる。
テリポルタニア守備軍から三〇〇〇〇も割いてしまえば、手薄になった港から二〇〇〇〇から三〇〇〇〇ほどのレムリア軍が上陸してくるだろう。
「イアソン様、テリポルタニア守備軍より援軍に向かわせてほしいと……」
「ダメだ。援軍には向かわず、海上の敵に備えるように伝えるんだ」
イアソンはそう言った。
そして考え込む。
(チェルダ守備軍には余裕がある。そこから援軍が出るはずだ。時間はかかるかもしれないが、テリポルタニア守備軍に余裕がないことも伝わるはず。……一応、援軍を出してもらえるように陛下に要請しておくか)
イアソンは「友軍を助けに行かないとは何事か!」と怒り狂うであろう
ペンを持って手紙を書き、それを早馬に乗せてチェルダ市へと送った。
この書状は四日ほどでテリポル市を越えて、チェルダ市とテリポル市の幹線道路上まで辿り着き……
そこでニアに捕まってしまい、チェルダ市へと届くことはなかった。
ちなみに……
イアソンの予想は一部では正しく、エルキュールのセカンドプランにはテリポルタニア守備軍が援軍に来た場合はステファンをテリポルタニア地方の港から上陸させる計画も存在したことを記しておく。
それから十日後。
エルキュールが砂漠越えをしてから十六日目のこと。
イアソンの下に新たな情報が届いた。
それはレムリア軍がテリポル市を陸と海から包囲し、総攻撃を開始した……というものだった。
その情報は三日前のモノであり……
実際にレムリア軍がテリポル市を総攻撃したのは、エルキュールが砂漠越えをしてから十三日目のことである。
「っく、やはり援軍を向かわせるべきだったか……」
テリポルタニア守備軍から三〇〇〇〇ほどの兵を割いて、援軍として派遣するべきだったか?
と、イアソンは十日前の自分の選択を後悔した。
しかし……
(いや、そもそもテリポルタニア守備軍から向かわせても、二十日は掛かるか……)
テリポルタニア守備軍は各港や重要地点に分散配置されている。
これらを一度集めて、テリポル市へと向かわせても二十日は掛かるだろう。
下手に配置を動かせば、手薄になった港からやはりレムリア軍が上陸してくる上に……
現在、テリポルタニアを襲撃しているバルバル族が、防御網の隙間を潜り抜けて、レムリア軍と合流するかもしれない。
自分の選択はやはり正しかった、とイアソンは思い直した。
(そもそも……レムリア軍が砂漠を越えてきた段階から、この作戦は破綻している……か)
イアソンは溜息を吐いた。
大砂漠を横断するなど、正気の沙汰ではない。
レムリア皇帝の予想外の行動により、チェルダ王国の戦略は根底から覆されてしまった。
あらゆる対策が全て、後手に回ってしまっている。
「今、採れる次善の策は……慌てず、下手に軍を動かさないことだ」
テリポルタニア守備軍の配置は完璧だ。
事実、バルバル族はテリポルタニア地方の南部を荒らしまわるだけで、国土の奥へ攻め込むことはできず……
そしてレムリア軍も海側からの上陸は断念している。
これを動かさない限り……
レムリア軍はテリポルタニア地方へ、下手に手を出すことができない。
(じきにチェルダ守備軍から援軍がやってくる。そうなれば敵中に孤立しているレムリア軍は終わりだ。ここは動かすべきじゃない。守りを固めるべきだろう)
イアソンはそう判断した。
そしてテリポルタニア守備軍から来ていた要請――つまりテリポル市への援軍派遣――を却下し、今まで通り守り続けるようにと命令を出した。
イアソンのこの選択はとても最善とは言えなかったが……
決して間違いではなかった。
あと数日後にはテリポル市は陥落するのだ。
援軍を送る意味は薄い。
テリポルタニア守備軍が健在ならば、バルバル族がテリポルタニア地方を縦断・横断し、テリポル市のレムリア軍と合流を図ることを防ぐことができるため、賢明な判断と言える。
しかし……
「これはどういうことだい?」
その夜のこと、イアソンの自室に武装した
皆、険しい表情を浮かべている。
「イアソン将軍、テリポルタニア守備軍の要請を却下し……そしてテリポル市へ、カーマイン将軍に援軍を送ることを禁じたと聞きましたが、それは本当ですか?」
「本当だ。なぜなら……」
イアソンが理由を述べようとした時……
指揮官たちは剣を引き抜き、イアソンの顔に向けた。
「うわっ! な、なんだ!?」
「命令を取り消し……テリポルタニア守備軍をテリポル市へと向かわせろ! さもなければ我々はこれからあなたを更迭する」
「む、無茶苦茶な……君ら、何をしているのか分かっているのか? 僕はアズダヴィア守備軍とテリポルタニア守備軍の司令官であり、君らの上司だぞ? 軍隊では上下関係が絶対……」
「黙れ、劣等種が!!」
殺気を向け、凄まじい剣幕で怒鳴り付ける。
「国王陛下からのご命令だ。貴様の命令は聞いてやるが……しかし友軍を見捨てるようなことを黙って見過ごすわけにはいかない! この売国奴が!!」
「分かった……分かった! ま、全く……国や民のことなんて、何も考えていないのはそっちだろうに……プライドと自分の権益を守ることだけに必死な、
イアソンは文句を言いながらも、少し前に出した命令を取り消し……
テリポルタニア守備軍の配置と編成を変え、三〇〇〇〇をテリポル市へと向かわせることにした。
なお……
皮肉なことに、カーマインとその部下の
イアソンの下にテリポル市陥落の情報が届いたのは、それから三日と半日後。
砂漠越えから二十一日目だった。
「ははは……何のための援軍なのやら」
カーマインの逃亡とテリポル市陥落を聞いたイアソンは、力なく笑った。
イアソンが命令を出してから五日が経過した頃。
つまり砂漠越えから二十二日目。
「族長、チェルダ王国軍の挙動がおかしいです」
「……おそらく、テリポル市に援軍に向かうのだろう」
マシニッサのところにテリポル市陥落の情報が届いたのは……
エルキュールが砂漠越えをしてから、二十日目だ。
イアソンよりも一日早く、その情報を手に入れたことになる。
「どうしますか?」
「隙をついて、テリポル市へと向かい、友軍と合流し……テリポル市を防衛する。それがレムリア皇帝との約束だ」
エルキュールがマシニッサに頼んだのは、二つ。
一つはテリポルタニア守備軍をテリポルタニア地方に釘付けにするため。襲撃を繰り返すこと。
もう一つはテリポルタニア守備軍がテリポル市、またはアズダヴィア市のどちらかに援軍へ向かおうとした時は先回りして、そのどちらかと合流すること。
「レムリアのために血を流すつもりは毛頭ないが……」
今のところ、レムリアの敵であるチェルダ王国はシュイエン氏族にとっても敵である。
レムリアのために血は流すつもりはないが、チェルダ王国に血を流させるためならば、やぶさかではない。
「すべては我々の未来のために……レムリアを利用する。行くぞ、同胞たちよ」
マシニッサは軍を北西、つまりテリポル市の方角へと向けた。
レムリア帝国とシュイエン氏族。
レムリア皇帝エルキュールとシュイエン氏族長マシニッサ。
全く異なる国、文化、言語の両者ではあるが……
両者は、チェルダ王国の国王・家臣たちよりもはるかに連携し、互いに協力し合っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます