第30話 奇襲と強襲

 「全員、退避!!!!!」


 ジェベがそう叫ぶのと、ソニア率いる赤狼隊が突撃をするのは全く同じタイミングであった。

 

 ジェベだけは何とか地面を転がり、騎兵突撃を回避することはできたが……

 ジェベに同行し、倉庫の前に立っていた兵士たちは皆、重騎兵の蹄鉄に踏みつぶされた。


 「総員! 馬に乗れ!! 逃げるぞ!!」


 ジェベはそう叫び、近くの馬に乗って一気に駆け出した。

 さすがはジェベ率いる独立遊撃部隊。


 元々、敵中での破壊工作をしているのだから……敵に待ち伏せされる可能性は十分考慮に入れており、緊急時に即座にその場から離脱する訓練も施されていた。


 逃げ足は脱兎のごとく。

 あっという間にジェベ率いる独立遊撃部隊はその場から離脱した。


 馬を走らせながら、ジェベは背後を確認する。

 敵は追って来ているが……ずっと後ろの方だ。


 そして……ちゃんと部下と替え馬はジェベの後ろについてきている。


 これだけは日頃の訓練の賜物だ。

 しかし……


 (くそ、五〇〇は取り残されたか。替え馬も半分は失った)


 ジェベは思わず歯噛みした。


 精鋭五〇〇を失ったことも、そして替え馬を失ったことも大きい。

 これでジェベ率いる独立遊撃部隊の機動力は大きく失われたことになる。


 (ここまでの行軍と戦闘で一〇〇を失い、今ので五〇〇は失った。今は三〇〇〇か……そろそろ潮時かもな)


 もう十分、暴れまわった。

 これ以上、イフリキア地方に滞在するのは危険かもしれない。


 そう判断したジェベは予定より一日早いが、帰還することに決めた。

 しかし……


 「隊長! 左手側の森から……」

 「っく、待ち伏せされていたか!! 騎射しつつ、右へ退避しろ! 直接戦闘は極力、避けろ!!」


 左手側の森から出現した白い重騎兵一〇〇〇騎に対し、騎射を浴びせつつ、右手側へと回避するレムリア軍。

 これに対し、赤狼隊は一切怯まず、レムリア軍の左脇腹に対して騎兵突撃をした。


 前後に分裂させられてしまうレムリア軍。


 「クソ……友軍を助けるぞ!!」


 ジェベは急速旋回し、今度はレムリア軍を貫いた赤狼隊の左脇腹に対して、逆に騎兵突撃を加えた。

 ジェベの突撃に合わせて、後続のレムリア軍もまた赤狼隊の右脇腹に攻撃を加える。


 逆に前後に挟まれる形となった赤狼隊が窮地に立たされた。

 ジェベは巧みな指揮で、赤狼隊を包囲し、これを殲滅しようとする。


 「怯むな!! 我ら獣人族ワービーストの力を劣等種に見せつけろ!!」

 「「「おおおお!!!!」」」


 しかし赤狼隊は一切怯まず、無茶苦茶な突撃をジェベ率いるレムリア軍に加えた。

 無数の矢を食らい、まるでハリネズミのようになる赤狼隊の兵士たち。

 しかしその予想以上の抵抗に、ジェベ率いるレムリア軍にも少なくない犠牲が生じた。


 そうこうしているうちにソニアが直接率いる、赤狼隊が戻ってきた。

 真っ白だった鎧は、鮮血で真っ赤に染めあがっている。

 彼らは友軍を包囲するレムリア軍の背後に向かって、まっすぐ速度を緩めずに突撃してきた。


 慌ててジェベは包囲を解き、隊列を整える。


 一方、ソニアも包囲されたことで混乱が生じていた赤狼隊の隊列を整えた。


 独立遊撃部隊約三〇〇〇と、赤狼隊約一〇〇〇が向かい合う。


 「捕捉できないほどの速度で逃げる獣を捉えるには、事前に罠を張る。当然だと思わないか?」


 ソニアはレムリア語でジェベに語り掛けた。

 ジェベは鼻で笑う。


 「獣はそちらだろう」


 そしてサーベルを引き抜いた。

 

 「二個大隊……A隊とB隊は先に逃げろ。C隊は俺と共に足止めだ」

 

 ジェベが独立遊撃部隊に命令を出した。

 それと同時にソニアも、赤狼隊に命じる。


 「我らの土地を荒らす害獣を殺す」


 双方の将の声が重なった。



 「「突撃!!」」



 独立遊撃部隊約一〇〇〇と赤狼隊約一〇〇〇が激突した。











 「散々な目にあった……」


 次の日の正午、ジェベは満身創痍で先に逃がした二個大隊と合流した。

 ジェベ率いる一個大隊は、昨日、一日中ソニア率いる赤狼隊に追い掛け回されたのだ。


 「おかげで精鋭を六〇〇も失った」


 ソニア率いる赤狼隊は噂に違わぬ強さで……

 ジェベ率いる一個大隊は六〇〇の兵を討ち取られてしまった。


 今までの行軍で失った兵は一〇〇。

 そしてソニアによる待ち伏せ攻撃で五〇〇。

 そしてソニアの追撃で六〇〇。


 失った兵は合計一二〇〇。

 

 実質、一個大隊を丸ごと失ったに等しい。


 「隊長、良くぞ戻ってきてくれました……」

 「それはこちらのセリフだ。よく、逃げ切ってくれた」


 涙を浮かべながらジェベを迎える隊員に、ジェベも笑みを浮かべて労った。

 もし……これが普通の部隊であれば、敵中で散り散りになってしまい、ジェベ率いる独立遊撃部隊は全滅、となっただろう。


 しかしジェベは何が起こっても逃げ切れるように、あらかじめ合流地点を定めていた。

 そのためジェベ率いる殿(しんがり)と、先に逃げた二個大隊は無事に再会できたのだ。


 多くの兵は討ち取られたが……

 遭難した兵士はゼロである。


 ジェベは胸を撫で下ろした。


 「どうします? 隊長」

 「これ以上、長居はできない。とっとと逃げるぞ」


 斯くしてエルキュールが砂漠越えをしてから十七日目。

 ジェベ率いる独立遊撃部隊は総退却を開始した。







 「っち、見失ったか」


 ジェベが味方と合流した頃、ソニアはキリキリと歯軋りをしながら呟いた。

 その愛らしい唇から、鋭く尖った犬歯が見え隠れする。


 白かった鎧は返り血で真っ赤に染めあがっており……

 そして美しい栗色の髪は、血糊がべっとりと付いている。


 「さすがはレムリア軍の将軍と言うべきか」


 ソニアは自分の兵士たちを見回した。

 完全な奇襲を決め、そして徹底的な追撃をした赤狼隊ではあるが、決して無傷とは言えない。


 反撃を受けて、四〇〇の精鋭を失った。


 「まあ、良い。最低でも一〇〇〇は削った。これで連中はイフリキア地方から撤退するだろう」


 約三分の一の兵を失ったのだ。

 その作戦能力は大きく衰えていると考えても良い。


 「一先ず、王宮に戻り……勝利を陛下にご報告するぞ」


 ソニアは真っ赤に染まったマントを翻し、退却を開始した。








 さてその翌日、つまりエルキュールが砂漠越えをしてから十八日目。

 テリポル市が丁度、陥落した日のこと。


 「よう、ステファン。こうして会うことができて嬉しいよ」

 「陛下、俺もお会いできて幸栄です。良くぞ、ご無事で」


 ステファンは心から、そう言った。

 君主に砂漠で野垂れ死にされたら、さすがに困ってしまう。


 「陛下。この後、どうされるおつもりですか?」


 「中装騎兵カタフラクト一個軍団、ブルガロン騎兵一個軍団を船に乗せて、一度キュレーネ市へと戻る。それからアズダヴィアを攻めている、ダリオスたちと合流し、アズダヴィアを撃破する」


 「では私はオスカル・アルモン将軍と共に、合計三個軍団の歩兵で守備を固めていれば良いのですね?」

 

 「ああ、そういうことになるな。指揮系統は……今回はお前が上で良い。お前の方が守りは得意だろう?」


 エルキュールがそう言うと、ステファンは頷いた。


 「はい。……しかしよろしいのですか? 俺の方が新参ですし、身分的にも……」


 オスカルはエルキュールの配下の将の中では古参であり、そして傍流ではあるが、ミスル属州の名門貴族アルモン家の人間である。

 一方ステファンはオスカルよりも新参であり、そして元傭兵だ。


 「安心しろ。オスカルの奴にも了解はとってある。あいつは守りよりも攻めの方が得意だしな」


 エルキュールは内心で、攻めのオスカル、受けのステファンと呟いた。

 大変、不健全で反メシア教的な香りがするので口には出さないが。


 オスカルの了解はとってある、と聞いたステファンは安心したような表情を浮かべた。


 普段はオスカルに対して砕けた口調で語り掛けるステファンではあるが……

 一応、その辺りは気にしているようだ。


 「ジェベ将軍とニア将軍の独立遊撃隊はどう動くことになっていますか?」


 「どちらもテリポル市へと撤退するように、命令を出してある。少なくとも、敵がテリポル市を奪い返しに来るよりは早く来るだろうな」


 昨日の時点で、エルキュールはニアにテリポル市でステファンと合流するように命令を出していた。

 テリポル市が落ちた以上、これ以上の情報封鎖は不要である。


 それに……

 そろそろ、隙間から零れ落ちた情報がヒルデリック二世のところに届けられる頃合いだ。


 「まあ……多分早ければ二週間、遅くても一か月以内にテリポルタニア地方とチェルダ市の双方から敵の援軍が来るだろう。アズダヴィアの方を打ち破ってから、すぐに迎えに行く予定だが……それまで頑張って耐えてくれ」


 エルキュールがそう言うと、ステファンは頷いた。


 「分かりました。任せてください……守りは得意です。ジェベ将軍とニア将軍は好きに使っても?」

 「構わん。テリポル市は要所だ。必ず守り切れ……死んでもだ。どこぞの誰かのように……無様に逃げるような姿は晒すな?」


 エルキュールがそう言うと、ステファンはニヤリと笑った。


 「別にチェルダ王国軍を……全滅させてしまっても、構わないでしょう?」

 「……構わないが、本当に死ぬなよ? 死にそうになったら逃げても良い」


 死守しろ、というのは気持ちの問題だから。

 本当に死なれたら困る、とエルキュールは念押しした。

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