第29話 赤狼隊

 一方時は遡ること……

 エルキュールが砂漠越えをしてから十三日目の日。


 ジェベが早朝に村を発ち、そしてエルキュールとステファンがテリポル市へ総攻撃を開始した日のこと。


 チェルダ王国の王宮に、ようやくカーマインがテリポルの戦いで敗退したことが伝えられた。


 ヒルデリック二世は慌てて軍議を開いた。


 重苦しい雰囲気に包まれる中……ヒルデリック二世は口を開いた。


 「援軍はいかほど、必要だと思う?」


 さすがに援軍を出さざるを得ない。

 それだけは決定事項である。


 これに対し、青い顔のホアメルが口を開いた。


 「……現在、チェルダ市へと迫りつつあるレムリア軍に対応するためには最低でも一〇〇〇〇は残す必要があるかと」

 「つまり残りの兵力、五〇〇〇〇を援軍として向かわせるべきということか」


 奇しくもそれはカーマインがテリポルの戦いで敗北した時に率いた兵力と、全く同じだった。

 それが意味することは、つまり五〇〇〇〇という数は決して援軍として十分に足る兵力ではないということである。


 「……ソニア、君も同じか?」

 「可能であれば、五〇〇〇〇ではなく六〇〇〇〇、つまり全軍を向かわせるべきですが……イフリキア地方で暴れまわっているレムリア軍の存在を考えると、それは難しいでしょう」


 つまり五〇〇〇〇の援軍に賛成、ということだ。


 「余は心配だ」


 ヒルデリック二世は弱弱しい声で言った。


 「……これがレムリア軍の罠ではない保証がどこにある?我々が援軍を出した途端、砂漠の向こう側から十万を超える軍勢が押し寄せてこないと、誰が保証できる?」


 「……」

 「……」


 ソニアとホアメルは口を噤んだ。

 それが可能性として低い理由はいくらでも並べることができるが、しかし絶対にないと言い切れるほどの根拠は提示できない。


 もうすでに絶対にありえないと断言したことが起こっているのだから。


 「それに今、イフリキア地方を暴れまわっているレムリア軍は一日に百キロ以上を行軍する、異例の軍隊なのだろう? その将が無能だとは思えない。……一〇〇〇〇の兵がその将によって、壊滅させられないと断言できる者はいるか?」


 「陛下。敵将、ジェベが率いる軍勢は三〇〇〇から四〇〇〇。二倍以上の兵力差があります。そう簡単に敗れるとは……」


 「ではホアメル。お前は軍隊が一日に百キロ以上も行軍することと、二倍の兵力差が覆されること。どちらが可能性として低いと思う? どちらが難しいと思う? 余は前者だと思うが?」


 一日に百キロを行軍するような軍隊だ。

 二倍、三倍程度の戦力差を覆すような想像もできない戦術を採ってくる可能性もお前は否定できるのか?


 とヒルデリック二世はホアメルにいった。


 これにはホアメルも何も言えない。



 通常、一日の行軍速度が二十キロを超えれば十分に早い部類とされる。

 

 進軍速度は兵士の士気と練度によって決定されるが……

 軍事国家であるチェルダ王国の兵は、士気も練度も高い。


 故にレムリア帝国の軍隊と同水準、一日に二十五キロ程度の行軍ならば十分に可能である。(ただし一日に三十キロを超えるような超強行軍となると、将軍の才覚が重要になってくるため、レムリア皇帝のような異常な速度での行軍は難しい)


 しかしイフリキア地方を荒らしまわり、首都を脅かさんとしているレムリア軍の進軍速度は一日に九十キロから百キロ。

 その速度は、「あり得ない」ものである。


 「確か報告によると、敵は騎兵のみで構成される精鋭部隊だったか? まあ……しかしそれでも異常な軍隊であることは事実だ」


 ヒルデリック二世は溜息交じりに言った。

 

 「……余は援軍を出すべきではないと思う。全ての兵を集め、ここ、チェルダ市とイフリキア地方の守りに充てるべきではないか?」


 「陛下! それでは兵士たちとテリポルタニア地方の民、そしてイアソン将軍……とカーマイン将軍の命はどうなりますか!」


 ホアメルは悲痛な声で訴えた。

 テリポルタニア地方を支持基盤とするホアメルにとって、テリポルタニア地方の失陥、それだけは防がなければならない。


 「ではチェルダ市がもし敵の奇襲で奪われればどうなる? 我が国は滅ぶぞ」


 ヒルデリック二世は疲れ切った顔で言った。

 完全にレムリア軍に、レムリア皇帝エルキュールに怯え切ってしまっている。


 「陛下」

 

 ソニアは立ち上がった。

 ヒルデリック二世は淀んだ目でソニアを見つめ、力なく言った。


 「君もホアメルと同じ意見か?」


 これに対し、ソニアはしっかりとヒルデリック二世を見つめて言った。


 「陛下のご心配は分かります。確かに……もはや何が起こっても、おかしくはありません」


 ソニアの言葉に、ヒルデリック二世は目を見開いた。

 真っ向から否定されると思っていたからだ。


 「私が、敵将ジェベを排除します。絶対に、この命に代えても、奴をこのイフリキア地方から追い払いましょう。ですから、ご安心して五〇〇〇〇の兵を援軍として出す許可を。陛下」


 




 その後、新たに四五〇〇〇の兵がテリポル市へと向けられ……

 封鎖の解除のために先に向かった五〇〇〇の兵と合流し、合計五〇〇〇〇の兵がテリポル市を包囲するレムリア軍を撃破し、カーマインとテリポル守備軍を救出するために向かった。


 もっとも……

 数日後には、彼らはテリポル市が陥落したことを知ることになるのだが。









 「思った以上に順調ですね、隊長!」

 「油断をするな。すでに敵は動いているんだ」


 ジェベ率いる独立遊撃部隊が、チェルダ市から百キロ圏内での破壊活動をしてから四日目。

 今のところジェベ軍は大した損害もなく、敵に効果的なダメージを与えることができていた。


 もうすでにいくつもの食糧庫を燃やし、輸送部隊を襲撃しては敵の兵站を脅かしている。


 ジェベは巧みに敵の包囲網を潜り抜け、逆に奇襲攻撃を仕掛け、敵に打撃を与えていた。


 一日に最大百キロ、最低でも四十キロは行軍するジェベ軍に対し……

 チェルダ軍は精々、二十五キロ、無理をしても三十キロ程度である。


 これでは追いつけるはずも、包囲できるはずもない。


 敵に騎射を浴びせ、すぐに戦線を離脱してしまえばいい。


 「ですが、敵には大した将軍はもういないでしょう?」

 「いや……一人いる」

 

 ジェベはあらかじめエルキュールから……

 正確に言えば、幾度もチェルダ王国と交戦してきたバルバル族のマシニッサからもたらされた情報を思い出した。


 チェルダ王国にいる、注意すべき将は三人。


 一人は歴戦の将軍、カーマイン。

 もう一人は若き天才将軍、イアソン。


 しかしこの二人はさほど大きな脅威でもない、とマシニッサは語った。

 どちらも優秀な将軍ではあるが、あくまで「普通に」優秀な将軍である、と。


 カーマインは経験豊富で人望も厚いが、しかし特別優れた才能があるわけでもなく、ごく普通の用兵しかしない。

 イアソンは才能には恵まれているが、経験不足で、そして人望はお世辞にも厚いとは言い難い。


 決定的な弱点がそれぞれ存在する。


 よって、注意するべき将は……

 たった一人。


 「『赤狼姫』ソニア、彼女がいる」

 

 ソニア・リュープス・ゲイセリア。


 現在の国王、ヒルデリック二世の婚約者であり……

 そしてカーマインの娘に当たる少女である。


 この齢十七の少女だけは、注意するようにマシニッサは言った。


 「まだまだ、小娘でしょう?」

 「お前は皇帝陛下がダリオス将軍を打ち破った年齢を知らないのか?」


 十七歳の少女を過小評価する部下に対し、ジェベはそう言い返した。

 これには誰もが、口を噤んでしまう。


 「マシニッサ殿によると、ソニア姫の有する『赤狼隊』なる軍勢が有名らしい。何でも、カーマイン将軍が娘可愛さに与えた、獣人族ワービーストで構成された騎兵部隊だそうだ」


 自分とニア・ルカリオスの所有する、独立遊撃部隊のようなものである。

 と、ジェベは言った。


 少し異なるのは……赤狼隊はカーマイン及びソニアの私兵である、という点である。


 もっともチェルダ王国は『私』と『公』は明確に分けられていない。

 カーマインもソニアもヒルデリック二世の臣下であり、ヒルデリック二世はチェルダ王国の国王なのだから、『赤狼隊』も立派なチェルダ王国軍である。


 「赤ってのは、アレですか? 赤い鎧でも身に着けているんですか?」


 精鋭部隊に目立つ色の鎧を着せる。

 いかにも十七歳の少女がやりそうなことである。


 もっとも、派手な色に統一するというのは実はそんなに悪い手ではない。


 集団での密集戦法が前提となるこの世界の軍隊では、軍服は味方に分かりやすいように目立つ色の方が都合がいい。

 派手な色はそれだけ敵を威嚇できる上に、連帯感も増す。


 「いや、色は白だそうだ」

 「じゃあ、白狼隊じゃないですか。どうして赤なんですか?」

 「血で真っ赤に染まるからだそうだ」


 ジェベの回答に、隊員たちは絶句した。

 それだけで『赤狼隊』という部隊がどのような部隊なのか、分かるような気がした。


 「歩兵の密集陣形、槍衾を一切恐れず、真正面から突撃してくるらしい。その戦闘能力は狂犬のごとく……だ、そうだ。まあ誇張も入っているだろうが、しかしそれでもとてつもない戦闘能力だそうだ」


 少なくともバルバル族が、ソニア率いる『赤狼隊』によって相当数殺されていることだけは確かである。


 「まあしかし注意はするべきだが、過度に恐れるべきではない。我々の速度についてこられる部隊など、いないのだから」


 ジェベは自信満々にそう言った。

 そして次なる目的地へと、馬を走らせる。


 

 一行が辿り着いたのは、軍需物資を一時的に保管する倉庫であった。

 ここに蓄えられた兵糧を燃やされると、チェルダ王国軍は自国領内であるにも関わらず、一時的に食糧不足に悩まされることになる。

 

 それでも自国領内であるため、すぐにその問題は解決するのだが……

 嫌がらせとしては十分だ。


 「ここだ。さて……守備兵を殲滅し、燃やしてから帰るぞ」


 三六〇〇の騎兵たちはまるで作業でもするように、敵の守備兵一〇〇を蹴散らす。

 次々と射殺され……守備兵たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


 その後、ジェベたちは倉庫の中に入り、小麦や大麦の詰まった麻袋に火をつけていく。

 保存のために乾燥されている食料は、とても良く燃え上がった。


 「さて、ここが最後だ」


 ジェベは部下を率いて、一番大きな倉庫を開けた。

 

 

 ギギギギ……


 と大きな音を立てて、倉庫の扉が開く。

 暗がりの中を、ジェベは松明で照らした。


 そこにあったのは山のように積まれた穀物の袋。



































 ではなかった。














 












 「お初にお目に掛かる、ジェベ将軍」


 そこには真っ白い鎧を身に付けた一〇〇騎の重騎兵と、愛らしい笑みを浮かべた少女がいた。

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