第20話 どっきり大作戦 舞台裏 転
果たして私は何をしているんだ?
ふと、ルナリエは我に返った。
ルナリエが今、現在いるのはミスル属州の西端。
レムリア帝国とチェルダ王国との国境近くの街。
キュレーネ市である。
キューレネイカ属州の中心地でもあるこのキュレーネ市はレムリア帝国の中では三番目の規模を誇る港町であり、レムリア帝国でも有数の――さすがにノヴァ・レムリア、アレクティア、オロンティアに比べると大したことはないが――都市である。
現在、ここはレムリア帝国とチェルダ王国の戦争との最前線であり……
重要な兵站拠点であった。
ルナリエはこの地で書類に埋もれながら、最前線の将軍たちに物資を送り続けていた。
大役であることは分かる。
そして優秀な人間でなければ任せられない仕事であり、そしてルナリエはエルキュールにそれを任せるに足る優秀な人間だと判断された、ということも分かる。
それについてはとても嬉しく思う。
だが……しかし、ルナリエはふと疑問に思った。
何故、ハヤスタン王国の女王である自分がレムリア帝国軍の兵站を担っているのだろうか?
と。
「……お前は俺の奴隷だから、って言うんだろうな」
ルナリエは呟いた。
そしてエルキュールの作り出した計画書に目を通す。
今回、エルキュールが立てた計画、即ち大砂漠の横断によるチェルダ王国中枢への奇襲攻撃。
その根幹を担っているのは、綿密な行軍計画と兵站である。
計画書によると、エルキュールはブルガロン戦争の中盤、チェルダ王国の混乱が収まりつつあることに気付いた時から、すでに動いていたようだった。
万を超えるラクダとロバを用意し、巨大な兵站部隊を組織していたのだ。
そして計画が本格的に動き出したのは一年ほど前。
エルキュールは大砂漠、フェザーン地方のバルバル族と軍事同盟を結んだ。
そして密かにバルバル族のオアシス都市に軍需物資を運びこんでいたのだ。
行軍で負担となる鎧や、矢などを予め運んでしまい……
そして最低限の武装と潤沢な物資を抱えて、行軍を行う。
物資は予め蓄えていた物資を補給する形で、オアシス間を移動するのに必要な最小限の量だけを持つ。
もっともそれでも莫大な量の物資、特に水や糧秣を持ち運ばなければならない。
特にエルキュールは水と飼葉にはかなり頭を悩ませたようだ。
馬などの使役動物は莫大な量の水と、そして飼葉を必要とする。
大量の物資を持ち運ぶためには使役動物が必要となるが、しかし使役動物を連れて行くと必要となる物資の量は膨れ上がる。
エルキュールはこれを解決するために、相当複雑かつ綿密な計画を立てている。
「本当に凄い……そしてこれを実行に移そうとするのも凄い」
ルナリエはエルキュールの計画書を読み、感嘆の声を上げる。
これにはルナリエも、素直にエルキュールを認めざるを得ない。
しかしもっと凄いのは、この計画に使用された莫大な資金である。
まずラクダやロバを大量に用意するだけでも、とんでもない資金が必要となる。
加えて莫大な量の軍需物資。
この作戦に注ぎ込まれた金額は、ハヤスタン王国の国庫をダース単位で購入できるほどである。
「これだけの資金を湯水のように使って尚、レムリア帝国の財政は破綻していない上に、民は窮乏していない。本当にどうなってるの?」
聞けば『レムリア銀行』なるシステムを作ったらしい。
預金という名目でレムリア帝国全土の臣民から金を集め、それを軍資金として使用しているのだという。
はっきり言って、詐欺じゃないかとルナリエは思った。
しかしこれで上手く行ってしまっている。
恐ろしい話だ。
「チェルダ王国を征服すれば、損失は埋められる……か。戦争勝利を前提に動いているのも、大した自信というか、何というか……」
ルナリエは溜息を吐いた。
そんなルナリエの執務室のドアを誰かがノックする。
その誰かはルナリエの許可を得ず、平然と入ってきた。
「ルナリエ、陛下の情報は入って来ていますか?」
「カロリナ、せめて許可くらいは取るべき。今は……丁度、三つ目のオアシス都市を通過したところ、だけど、これは一週間前の情報。実際はもう少し進んでいるはず」
一応、エルキュールは馬を使い、自分がどこまで進んでいるのかという情報を後方へ送っている。
しかしさすがに距離が離れているため、情報の鮮度は良いとはいえない。
「というか、あなたはなぜここにいる? ノヴァ・レムリアでの留守番を命じられたはず」
「……留守番はあくまで、レムリア帝国にいろという意味で私は受け取りました。ここはレムリア帝国です。少しでも陛下の近くにいたいんです」
「距離的にあまり変わらないと思うけど」
とはいえ、夫を心配するカロリナの気持ちはルナリエにも分かる。
ルナリエもエルキュールを、ほんのちょっと、少しだけ、一欠片だけ、小麦の粒くらいの大きさ程度には心配している。
昨夜もエルキュールの夢を見てしまったくらいだ。
「大丈夫でしょうか?」
「今頃、呑気に歌でも歌ってるんじゃない?」
「……かもしれませんね」
そういう二人は……しかし心配そうであった。
一方、キュレーネ市の港にはレムリア帝国の大艦隊が停泊していた。
全軍艦五百隻のうち、二百隻がこの港には集まっている。
残りの三百隻のうち、二百隻はチェルダ王国周辺海域の制海権を押さえ、沿岸部を牽制するために動いており、百隻はノヴァ・レムリアに残って首都周辺、及び他国の海軍の動きを牽制している。
そしてその他に、歩兵二個軍団もここに待機していた。
彼らは情勢次第で即座に輸送船に乗り、チェルダ王国の本土に乗り込む手筈となっている。
「うーん、このまま乗り込むってわけにはいかないんですか? 大提督」
ステファンはクリストスに尋ねた。
ステファンは陸の専門家ではあるが、海に関係することとなるとからっきしである。
上陸作戦の経験もない。
「難しいですね。何しろ歩兵二個軍団を乗せた輸送船です。それほど大きな、そして多くの船が入れる港はテリポルタニア地方にはそう多くはありません。それに鎖で封鎖されてしまえば船は入れなくなりますし、最後の手段ではありますが船を意図的に沈め、港を一時的に使用不可能にするという手もあります」
制海権を押さえているレムリア帝国はチェルダ王国に対してはかなり有利に立てる。
しかし必ずしも一方的に殴れるというわけではない。
上陸できるのはあくまで港、それも巨大なモノに限られる上に、ちょっとした工夫でそれを妨げることも可能だ。
「それに上陸作戦は相当な犠牲を伴いますよ。……海は川より深く、広く、そして流れも速い」
「まあ確かに、そう言われてみると納得かな……ということは陛下が上手く港を確保するまでの辛抱、ということか」
「そうなりますね。もっとも……我々もそろそろ、敵の動きを牽制し、そしてこちら、海からの侵攻軍が本命であると思わせるために動かなくてはなりませんが」
結局のところ、全ての勝利はエルキュールが成功するか否かで決まる。
「まあ、陛下のことだ。どうせ、成功するでしょう」
「……ですね」
ステファンの言葉に、クリストスは同意した。
一方、チェルダ王国の都市、アズダヴィア。
この都市にはチェルダ王国とレムリア帝国、双方の軍勢が集結していた。
チェルダ王国軍は歩騎合わせて約五〇〇〇〇。
一方レムリア帝国は歩兵二個軍団、
合計四九二〇〇。
チェルダ王国軍の司令官はイアソンであり、レムリア帝国の司令官は
チェルダ王国軍はアズダヴィアを背にする形で布陣し、堅実な守りを固めている。
レムリア帝国軍はそれに向かい合う形で布陣していた。
「敵将のイアソンってやつ、若い
ダリオスはゲラゲラと笑いながら言った。
そしてイアソンの布陣の弱点をいくつか、指摘する。
確かにイアソンは優秀なようだが……しかし数多の戦場を駆けてきたダリオスから見れば、まだまだヒヨッコ。
むしろああいう、驕り高ぶった相手は御しやすい。
と、笑った。
とはいえ、笑いながら言っている時点で本気ではないことは確かだ。
兵数が同数である以上……無理な攻撃を仕掛ければ手痛い反撃を食らうことになる。
「あまり調子に乗るな、ダリオス将軍。あなたはそうやって、皇帝陛下に敗北したことを忘れたか?」
「あれは別格でしょう? 自ら危険に身を晒せる皇帝陛下と、後方で引きこもっている臆病者を一緒にするのはあまりにも失礼だ。……敵の士気はあまり高いとは言えないようだし」
イアソンは
一方、チェルダ王国軍の主力は
布陣そのものは教科書通り、兵法書通りの完璧なものであったとしても……
そういう兵士の機微が分からないようでは、皇帝陛下には敵わない。
と、ダリオスは言った。
「とはいえ、こちらも相応の動きを見せなければ、策が看破されてしまいますからね。上手いところ、やりましょうよ」
「じゃあ、こういうのはどうよ? チェルダ王国の、あの作戦はあのイアソンとかいう若造が立てたようだし……ああいうタイプは信じたい情報には飛びつくと思いますぜ」
ダリオスはニヤニヤと笑いながら、作戦を伝える。
それを聞いたガルフィスとエドモンドは苦笑いを浮かべた。
「はあ……どうにも
イアソンは溜息を吐いた。
そして読書をしていた、本を閉じる。
血気盛んな
とはいえ、相手は名将と名高いガルフィス将軍やダリオス将軍。
それを相手に攻勢に移るのはあまりにも危険だ。
「長期戦になればレムリア帝国は勝手に撤退する。それに……兵法書には、攻める側は守る側の三倍の兵力が必要と書かれている。全く……
チェルダ王国軍とレムリア帝国軍の数はほぼ同数。
攻めるよりも守っている方が遥かに楽で、そして戦力を温存できる。
「全くそれなのに勝手に追撃をして、手痛い反撃を食らって帰ってくるし……」
先日もレムリア帝国軍は散発的な攻撃をしてきた。
それに対し、イアソンは兵法書通りに対応し、これを撃退した。
そして
手負いの獣は時に、思わぬ反撃をすることもある。
加えて相手には名将と名高いガルフィス将軍とダリオス将軍がいる。
しかし一部血気盛んな
こういうことが、もうすでに何度も繰り返されている。
「イアソン様、レムリア帝国の捕虜の尋問が終わりましたので、ご報告に参りました」
「おお! 情報は何よりも大切だからね。それで、レムリア帝国軍の作戦は分かったかい?」
「はい。ペラペラと話してくれました」
拷問をする……
と軽く脅しただけで、レムリア軍の捕虜は全てを話してくれたようだ。
その捕虜によると、やはりレムリア帝国軍の作戦は陸側からの侵攻が陽動であり、本命は海側からの侵攻。
しかしイアソンの立案した防衛網に阻まれ、海側からも思うように上陸できず、攻めあぐねている。
とのことだった。
肝心のレムリア皇帝だが……やはり本命の海側からの侵攻、上陸部隊を指揮しており……
現在はキュレーネ市から、虎視眈々と隙を狙っているらしい。
「まあ、隙などあり得ませんがね。陸からの侵攻は僕がここにいる限り、不可能。海からの侵攻は僕の防衛網により阻まれる。南からの侵攻は……そもそも大砂漠に阻まれて
イアソンは一安心し、再び読書へと戻った。
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