第19話 どっきり大作戦 舞台裏 承


 照り付ける灼熱の太陽。

 草木一本生えない、荒涼とした大地。


 僅かに散見される動植物はこの過酷な環境に特化した極一部の生き物だけである。


 そんな世界の中を、万を超える人の集団が歩いていた。 

 たなびく旗には双頭の鷲。

 レムリア帝国の精鋭、常備軍とブルガロン人騎兵部隊。


 そして彼らを先導するように歩く、フェザーン地方に住まう民、バルバル族。


 「ふぅ……暑い……」


 アリシアは思わず呟いた。

 照り付ける太陽の中、行軍するのはとてつもなく疲れる。

 フード付きのマントを身に纏い、直射日光を避けてはいるが……太陽の光はまるで矢のようにマントを射貫き、その下に隠れるアリシアの肌を熱し続けていた。


 汗がマントの下に隠れる、民族衣装の中を伝う。


 「もう、いっそ……脱いでしまいたい」


 アリシアは乗馬用のズボンを脱ぎたくなる衝動に駆られた。

 ブルガロン人の女性の民族衣装は、乗馬用のズボンと深いスリットの入った踝まで覆うワンピース型の衣服によって構成されている。


 アリシアはエルキュールの嫌がらせにより、度々乗馬用のズボンを脱がされ、その健康的な足を公衆に晒すことになったり、またある時は丈が膝の上までしかない、あるいは下着が隠れる限界ギリギリのとてつもなく丈の短いドレスを着せられることもあった。


 他にも背中側の布地が大きく開いていて、その白い背中を晒すようなドレスや……

 胸元がハート型に切り取られていて、その白い胸の谷間を露出させられたり……

 ある時はノースリーブで腋を晒し、またある時は腹部の布地が切り取られていて形の良い臍を露出させたり……


 最悪の時はその全てが組み合わさったようなドレスを着せられたこともあった。


 肌を公衆に晒される恥辱と、ブルガロン人の誇りである衣装を魔改造される屈辱を幾度も味わわされた。


 ……もっとも最近はカロリナやシェヘラザードのウェディングドレスに見られるように、ある程度肌の露出はファッションとして受け入れられるようになってきており、レムリアではブルガロンの文化への無知からか「へぇー、ブルガロンの女はこういう服を着るのか、異文化ってのは面白いなぁ」などと斜め上の方向で受け止められ、一方ブルガロンでは「レムリアの女性は肌を露出することにさほど抵抗がないらしい……なるほど、アリシア様のファッションはあれはレムリア帝国の文化を取り入れたものなのか。レムリア帝国は文化の中心地……あれこそ文明的なファッション。素敵! カッコイイ」というこれまた斜め上の方向で受け止められ、模倣をし出したブルガロン人女性を見てこれまたレムリア人が勘違いを始めるという、アリシアの与り知らぬところでブルガロン文化の汚染と勘違いが始まっているのだが。


 閑話休題。

 

 ともかく、そういう恥ずかしい恰好をさせられてきたアリシアではあるが、今はそういう恥ずかしさよりも、暑さと熱さ・・・・・への苦痛が優っていた。


 とにかく涼しい格好をしたい。

 欲を言えば水浴びがしたい。


 アリシアは切に願った。


 ドーン! ドーン! ドーン!


 大きな銅鑼の音が鳴った。

 水分補給の合図である。


 待ってました、とばかりにアリシアは腰に下げていた革袋を手に取る。


 そして二、三口、口に含む。

 一瞬だが、生き返るような心地になる。


 もっともすぐに太陽の日差しで汗として流れ出てしまうが。


 「頑張れ、アリシア。あともう少しで休憩だ」


 隣を歩いていたエルキュールが、アリシアに声を掛けた。

 そして流れるような動作で、アリシアの臀部を撫でた。


 「ッキャ!」

 「びしょびしょの塗れ濡れだなぁ……今回ばかりは、本当に汗みたいだが」

 「へ、陛下は……元気そうですね」


 アリシアはニヤニヤと笑っている、長耳族エルフの男を見上げる。

 その額には汗が浮かんでいるが……しかしその表情はとてつもなく元気そうだった。


 「鍛えているからな」

 「そう、ですか……ところで陛下は馬に乗らなくても宜しいのですか?」


 馬の体力を温存させるために、一行は騎兵も含めて全員馬に乗らず、徒歩で移動していた。

 もっとも馬の背には、荷物や鎧が乗せられているのだが。

 

 しかし皇帝であるエルキュールくらいは、馬に乗っても良いだろう。

 誰も文句は言わないはずだ、とアリシアは思った。


 「文句を言う奴はいないだろうが、不満を抱く奴はいる。こういう行軍には、気力が、士気が大切になる。俺だけ楽をするわけにはいかないさ」


 そういう、妙なところだけは律儀な男だ。

 アリシアは普段の横暴な態度からのギャップ、差異に困惑を抱きつつも、そういう気配りができるからこそ……


 行軍を初めて十日間、今のところ兵士たちから不満の声が一切出ていないのだろうと推測した。


 「あの、皇帝陛下」

 「どうした、シェヘラザード」


 これまた律儀にエルキュールの側を歩いていた、新妻……

 ファールス王国の元姫君、レムリア帝国の新しい皇后、シェヘラザードがエルキュールに問いかける。


 「どうしてこの水が甘いのか、教えて貰っても良いですか? あと……少し酸っぱい味としょっぱい味もするみたいですけど」


 それに関してはアリシアも疑問を抱いていた。

 エルキュールが行軍中に配る水は、妙な味がするのだ。


 「砂糖と塩、レモンが含まれているからな」

 「どうしてそんな味付けを?」


 シェヘラザードが尋ねると…… 

 エルキュールはそんな彼女を強引に抱き寄せた。


 そしてその頬に舌を這わせ、汗を舐める。


 「な、何をするんですか……」

 「汗はしょっぱいだろ?」


 エルキュールの言葉を聞き、シェヘラザードとアリシアはハッとする。

 言われてみると確かに……汗はしょっぱい。


 それはつまり……体から水分と同時に塩が流れ出ていることを意味する。


 「塩以外にも、汗にはいろいろな栄養素が流れ出ている。まあ細かい説明は省くが……そういうのを一緒に摂取した方が効率が良い」


 「……休憩時間事に配る、あの飴もそのためですか?」


 アリシアが尋ねる。

 一時間ごとにエルキュールは休憩時間を設けており、その僅かな時間には各々に飴が配られる。


 これは炎天下を行軍する兵士たちの、数少ない娯楽になっていた。


 当初、アリシアは兵士たちへの娯楽の供給と、そして唾液の分泌で渇きを誤魔化すためであると思っていたが……

 

 「その通りだ。まあ……娯楽のためってのもあるけどな」

 

 エルキュールは頷いた。

 これにはアリシアも感心してしまう。


 「……ブルガロン王国も負けるはずですね」

 「よく分かっているじゃないか。そして……これからチェルダ王国も滅ぶ」


 エルキュールはニヤリと笑った。

 その言葉を聞き、アリシアは確信を抱く。


 チェルダ王国は間違いなく、滅ぶだろうと。

 そしてクロム氏族はエルキュールにだけは逆らってはいけないと。


 「ところで陛下、今日は後どれくらい歩きますか?」

 「あと二十五キロくらいかな? まああと五、六時間くらいだ」


 シェヘラザードの問いにエルキュールは答える。

 あと五時間も、このペースを維持して歩き続けなければいけないと知り……シェヘラザードとアリシアは思わず溜息を吐いた。

 

 「速度を緩めませんか? 陛下。もう今日は十五キロも歩いていますよ?」

 

 このような炎天下で四十キロも歩くなんて、正気の沙汰ではない。

 とアリシアはエルキュールに訴えた。


 「速度を緩めると、計画に狂いが生じる。明後日までには次のオアシスに辿り着かないといけないからな。それに……四十、五キロ歩くのは今日が初めてではないはずだ」


 「それも……そうですが」


 レムリア軍は平均的に、一日三十キロほどの距離を歩いていた。

 時には水場と水場の距離の問題からか、四十、四十五キロ歩くこともある。

 この大砂漠で、この進軍速度は異常である。


 これだけ速度を出して、未だに脱落者が一〇〇〇人を下回っているのは……

 エルキュールの一定のペースを保った、計画的な行軍にある。


 「言っておくが、ペースを落とす方が脱落者は増えるぞ?」

 「……そうなのですか?」


 アリシアの問いに、エルキュールは頷いた。


 「ああ。こういう水や食糧の供給が覚束ない土地ではゆっくり歩くよりも……一気に駆け抜けた方が安全だ。部隊は疲弊するが……ちゃんと休息を取らせれば良い。幸いにもここは同盟部族、バルバル族の領域。戦闘の心配はない」


 戦闘の心配がないのであれば、多少無理な行軍をしても問題ない。

 というよりも、無理な行軍をしてでも駆け抜けた方が良い。


 とエルキュールは語った。


 「まあ、しかし……士気が落ちかけているのも事実だ。ここは一つ、やる気を出させるか」


 エルキュールは騎兵に乗った伝令兵を集める。

 そして彼らに言った。


 「各部隊に伝達してくれ。……明後日の正午までにはオアシス都市に辿り着く。そこはバルバル族の、そこそこ規模の大きい街だ。水や食糧だけでなく、女、娼館も用意してある。当然、盗みや強姦は禁止だが……小遣いをやる。一日、好きに遊ぶ時間を用意するから、頑張れ」


 エルキュールの言葉を聞いた伝令兵たちは、目を輝かせた。

 そしてこれを仲間たちに伝えるのが己の使命である、と言わんばかりの勢いで駆け出した。


 「これで士気は回復する」

 「そんな単純な……のが男でしたね」


 アリシアは己の部族の男たちを思い浮かべ、溜息を吐いた。

 女を犯せる? ヒャッハー! と言わんばかりに、彼らは大喜びで村落を襲っていた。


 軍紀が徹底してあるレムリア軍といえども、男は男である。


 「「おおお!!」」

 「「よっしゃぁー! 頑張るぞ!!」」

 「「気合い入れろ!!」」

 「「皇帝陛下、万歳!!」」

 「「皇后殿下、万歳!!」」

 「「ブルガロンのお姫様、万歳!!」」


 後方から元気の良い声が聞こえてきた。

 シェヘラザード、アリシア、ニア、そして僅かではあるが一定数存在する、中装騎兵カタフラクトに所属する長耳族エルフの女騎士たちは呆れからか、一斉に溜息を吐いた。


 「士気も上がってきたな。ここは景気づけに歌でも歌うか。アリシア、俺に続いて歌え」

 「う、歌ですか?」

 「そうだ。シェヘラザード、お前も一緒に歌え」

 「は、はい」


 アリシアとシェヘラザードは頷いた。

 二人が頷くのを確認してから、エルキュールは上機嫌そうに、そして妙に綺麗な声で高らかに聖歌を歌い始めた。


 

 大砂漠の中、高らかに聖歌を歌う人間の集団。

 

 これにはレムリア軍の頭上を舞っていたハゲワシたちもドン引きし、どこかへと飛び去っていった。

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