第18話 どっきり大作戦 舞台裏

 時は一年以上、前に遡る。



 「良いだろう……と言いたいところだが、条件がある。……セシリア、少し外して貰えないかな?」

 「まあ、エルキュール様。私に隠れて内緒事ですか? 後で教えてくださいね」


 セシリアが会談の場から離れたのを確認し……

 エルキュールはマシニッサ――バルバル族、シュイエン氏族の長――に向き直った。


 「君たちの本拠地はチェルダ王国テリポルタニア地方の南側に広がる、フェザーン地方だったな?」

 「はい、そうです。元はキューレネイカやテリポルタニアも我々の土地でしたが」


 バルバル族はかつて、南大陸の北側、沿岸部の豊かな地域、リービュアという場所で生活していた。

 そして大昔は変な言葉で話す野蛮人バルバル族ではなく、リービュア人と呼ばれていた。


 しかしリービュア人たちは後から南大陸に入植してきた者たちとの争いに敗北し……

 少しづつ土地を奪われていった。


 現在では彼らがかつて生活していた地域のうち、豊かなキューレネイカ地方はレムリア帝国のキューレネイカ属州に、テリポルタニア地方はチェルダ王国の領土となっている。

 そしてあまり豊かとは言えない、フェザーン地方に彼らは追いやられた。


 「んー、今更返せと言われても困るがね」

 「まさか、そのようなことは言いません。……もう千年以上も前の話です」


 我々の故郷はフェザーンです。

 と、マシニッサは語った。


 「そうか。しかし……最近、チェルダ王国に随分と土地を侵略されていると聞いたが?」

 「はい……我々はここ数百年、チェルダ王国に土地を奪われてきました。お詳しいですね」

 「それなりに調べさせて貰った」


 フェザーン地方に追いやられたバルバル族ではあるが、全ての土地を奪われたというわけではない。

 数百年前まではテリポルタニア南部の一部を、その生活領域としていた。

 

 獣人族ワービースト侵入以前はテリポルタニア地方もレムリア帝国の支配下ではあったが、レムリア帝国はバルバル族がテリポルタニアに入植することを黙認していた。


 軍事的な侵略ならばともかく、平和的な入植ならばむしろ歓迎すらもしていた。


 しかし獣人族ワービーストが侵入し、チェルダ王国が成立してから全てが変わった。

 獣人族ワービーストたちは人族ヒューマンから土地を収奪し、地主となり、人族ヒューマンを小作人として搾取した。


 先住民であったバルバル族もまた、例外ではない。

 いや、むしろ元々差別的な扱いを受けていたバルバル族は他の人族ヒューマンの民族よりも遥かに差別的な扱いを受けた。


 小作人として搾取されるなら、まだマシな方。

 多くのバルバル族はフェザーン地方へと追いやられ、完全にテリポルタニア地方の土地を失うことになったのである。


 「そしてチェルダ王国の侵攻は、今尚続いているのだろう?」


 「はい。フェザーン地方にもオアシスがいくつかありますが……連中は僅かに残された、豊かな土地さえも奪おうとしているのです。最近はチェルダ王国が内戦状態に陥ったことが原因で、彼らの軍事行動は減りましたが」


 マシニッサは不愉快そうに眉を顰めた。

 

 ここまで聞くと一方的にバルバル族がチェルダ王国にイジメられているように聞こえるかもしれないが……

 実際はバルバル族も相応にやり返している。


 幾度もテリポルタニア地方へと侵入し、略奪を繰り返している。


 チェルダ王国がフェザーン地方に侵攻するのは、豊かな土地を奪うため、というよりもテリポルタニア地方へと侵入を繰り返すバルバル族を叩き潰すためである。


 チェルダ王国とバルバル族の関係は、レムリア帝国とブルガロン王国の関係に似ているのかもしれない。


 「つまりチェルダ王国とバルバル族は敵対関係にある。そして……チェルダ王国と我が国も敵対関係にある。そこでだ、軍事同盟を結ばないかね?」


 「軍事同盟、ですか」


 「その通り。……一緒にチェルダ王国を滅ぼそう」


 チェルダ王国を滅ぼす。

 戦うのではなく、滅ぼす。滅亡させる。征服する。


 思わずマシニッサは息を飲んだ。


 「まあ、基本的に戦うのは我々レムリア帝国だがね? 君らはほんの少しの兵力と……後は兵站を担ってくれるだけで良い」


 「……その代わり、我々にはどのような見返りがあるのでしょうか?」


 「君ら、バルバル族を我らレムリア帝国の臣民として迎える」


 エルキュールの言葉にマシニッサは眉を顰めた。

 つまり自分の支配下に下れ……という意味である。

 少なくとも「見返り」と言えるようなものではない。


 「おや、伝わらなかったのかな? ……私は自分の臣民が、帝国のどの土地に入植して、何をしようとも関与するつもりはないが」

 

 「それは……」


 「まあ、つまりテリポルタニア地方やキューレネイカ地方に入植することを認める。但し……テリポルタニア地方とキューレネイカ地方に入植した場合、その時は税金はしっかりとレムリア帝国に納めてもらうが。フェザーン地方に関しては、君らの自治領としよう。税を納める必要はない。あとは……砂漠交易の独占権を与える。どうかな?」


 「……」


 マシニッサは考え込んだ。

 実のところバルバル族にとって、土地不足はかなり深刻な問題であった。

 フェザーン地方は砂漠と荒野の土地であり、農業どころか遊牧も難しい。


 オアシスは豊かだが……そう多くのオアシスがあるわけではない。

 人口が増加すれば、その分食糧が不足し、飢え死にする者が出てきてしまう。


 故にテリポルタニア地方やキューレネイカ地方への入植許可は魅力的な提案だった。 

 バルバル族を入植、つまりは棄民することができれば、食糧不足の心配も薄れる。


 加えて砂漠交易の独占権は魅力的だ。

 交易で得た利益で、レムリア帝国産の小麦を購入すれば現在の食糧問題は改善するだろう。


 そして厄介な仮想敵国、チェルダ王国が本当に消滅するのであれば……

 これほど嬉しいことはない。


 しかしリスクも大きい。

 まずレムリア皇帝がどれほど約束を守るつもりがあるのか、分からないということ。


 そしてもう一つは内政干渉される恐れがあること。

 マシニッサ自身はメシア教徒であり、そしてメシア教の道徳や法律でバルバル族を統治していこうと考えているが、しかしそれを口実としたレムリア皇帝の内政干渉は望むところではない。


 曲がりなりにも自治となれば、レムリア皇帝の権力が名目上及ぶことになる。



 もっとも……リスクを抱えるのはバルバル族だけではない。

 レムリア帝国にとっても、この提案はかなりのリスクがある。


 特に入植許可に関しては、かなり危ない橋を渡ることになるだろう。

 場合によってはテリポルタニア地方やキューレネイカ地方をバルバル族に奪われる危険性もあるのだ。


 とはいえ……エルキュールはバルバル族を、レムリア化する自信があるからこそ、入植を認めても良いと考えているのだが。


 「……分かりました。軍事同盟の件、お受け致します」

 「それはありがたい。では今日から我らは友人だ。さて……諸君らに頼みたいことだが……」


 エルキュールは笑みを浮かべながら、計画の概要を話した。






 さてそれから約一年後の、エルキュール三十歳の十月初旬。

 作戦会議を終えたエルキュールは即座に、軍事行動を開始した。


 まずは暑さに強い黒人で構成されているオスカル率いる歩兵軍団。

 それから機動力に長ける中装騎兵カタフラクト一個軍団。

 さらにニア、ジェベの独立遊撃部隊、合計六個大隊。

 そしてクロム氏族を中心として形成された、ブルガロン人の騎兵部隊一個軍団。


 合計四三二〇〇の兵を招集し、それらを深夜のうちに船に乗せた。


 そして数日間掛けて海路でミスル属州まで行き、深夜を見計らってアレクティア市に入港。

 

 闇夜に紛れて小型の船に乗り換え、冬季に南大陸に、北から南の方角へと吹く季節風に乗り、ニール河を遡上する。


 こうして一気にミスル属州の内陸部まで移動し、ようやく全軍を船から降ろした。


 「あ、あの、皇帝陛下」

 「ん、どうした? アリシア」

 「これから敵と戦うとのことですが……どの敵と戦うのでしょうか?」


 アリシアは遠慮がちにエルキュールに尋ねる。

 それもそのはず。

 エルキュールは末端の兵士たち、そしてアリシアにも一切目的地を伝えず、ただ船に乗せて、一気にミスル属州の内陸部まで移動させたのである。


 兵士たちの多くは、唐突に砂漠の中に移動させられ、困惑している。

 特に砂漠気候に慣れないブルガロン人たちは完全に混乱していた。


 「陛下。私にも教えて頂けると助かります」


 シェヘラザードもまたエルキュールに言った。

 カロリナに「皇帝陛下を頼みます」と言われているシェヘラザードは大いに張り切っていたが、しかしさすがにここまで来て、目的地を告げられないのには困惑していた。


 「もしかしてヌバ王国が敵でしょうか?」


 ミスル属州の南の国など、ヌバ王国だけである。

 シェヘラザードは己の地理の知識を動員し、予想を立てた。


 しかしエルキュールは首を横に振る。


 「いや、違うよ。まあ……これから兵士たち全員に目的地を告げるから、安心したまえ。一先ず……迎えが来る前に出陣の用意をする。アリシア、俺の命令通りに動け。シェヘラザードは俺の護衛を頼むよ」


 「……はい」

 「はい!」


 アリシアは困惑気味に、シェヘラザードは特に気にしてなさそうな表情で返事をした。








 「一体、どこへ遠征するつもりなんだ……」


 アリシアは照り付ける太陽を睨み、溜息を吐いた。

 二週間の時間を使って、気候に慣れるために訓練を行うようにと命じられたアリシアは、ブルガロン騎兵に訓練を施していた。


 気候は過酷だが……さすがは精強なブルガロン騎兵というべきか、一週間もするうちに炎天下でもそれなりの行動ができるようになっていた。

 問題は馬だが……予めエルキュールからは潰れても問題ないように替え馬を連れてくるようにと指示されていたため、さほど問題にはなっていなかった。


 「……随分と前から、用意していたみたいだし」


 アリシアの視界には、次々と季節風を受けて河を遡上する船が映っていた。

 大量の軍需物資がアレクティア市から、ニール河の水運を使い、内陸部の港にまで運ばれてきている。


 そしてこれまた……何年も前から用意されていたのだろう。

 万を超えるラクダとロバで構成された輜重部隊に、その軍需物資が乗せられる。


 「ヌバ王国ではないとすると、チェルダ王国だが……チェルダ王国が相手ならばこんなところまで……いや、待てよ? ……まさか」


 アリシアの背筋に冷たい汗が伝った。

 とてつもなく、嫌な予感がする。


 「アリシア殿下。皇帝陛下が軍を集めるようにと、お命じになられました」

 「ああ、分かった」


 伝令兵からの報告を受けたアリシアは訓練を一時中止にし、言われた通りの場所にブルガロン人を整列させた。

 もうすでにそこにはオスカル・アルモン率いる黒人歩兵軍団や、ニア・ルカリオス、ジェベ率いる独立遊撃隊、そしてエルキュールが直接指揮することになっている中装騎兵カタフラクトが集まっていた。


 アリシア率いるブルガロン騎兵部隊の到着により、全軍が集結したのを見計らい……

 エルキュールは壇上に上がった。


 そしてエルキュールは声を張り上げ、兵士たちに語りかけた。


 「諸君! 君らは幸運だ。何故なら、これから君たちは軍事史上、例を見ない偉業の目撃者、いや達成者の一人となるのだから!!」


 その言葉を聞き……

 アリシアはやっぱりそうか、と内心で溜息を吐いた。


 そして……エルキュールはアリシアの予想通りの言葉を口にした。


 「諸君! これから我らは……大砂漠、フェザーン地方を横断・・し、チェルダ王国への奇襲攻撃作戦を開始する!!!」


 

 

 斯くして、三大陸の覇者『聖光帝』エルキュール一世の、最大の軍事上の偉業と呼ばれる、大軍事行動。

 戦史の常識を塗り替えることとなる、大作戦。


 エルキュールの名を、名将として戦史に刻むこととなった、伝説的な大偉業。

 

 かの伝説の名将による、大山脈越えに匹敵する、いやそれ以上の狂気の行動。





 大砂漠の横断が開始された。

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