第17話 どっきり大作戦 後

 軍議での決定に従い、チェルダ王国はレムリア帝国軍迎撃の準備を開始した。

 国中に早馬が走らされ、各地の軍人貴族たちが兵を率いて集結し始める。


 まず初めに軍隊が集結し終えたのは、最前線となるアズダヴィアである。

 ここに獣人族ワービーストで構成される、約五〇〇〇〇の兵が集まった。


 この五〇〇〇〇がレムリア帝国軍の侵攻を食い止めている間に、首都のチェルダ守備軍、テリポルタニアの各港を守護するテリポルタニア守備軍、そしてテリポル市を守るテリポル守備軍が編成される運びとなっている。


 「……しかし同時に兵を集めることはできないものか」


 ヒルデリック二世は小さな声で呟いた。

 そして手で肉を掴み、口に運ぶ。

 

 チェルダ王国にはフォークやナイフを使用する文化はなく、食事は手掴みが基本である。


 「仕方がないでしょう。軍の動員には時間が掛かります。優先順位の低いところはどうしても後回しになる」


 野菜を口に運びながらそう答えたのはソニアである。

 国王とその婚約者として、互いを良く知り、交流を図るための食事会ということでカーマインがセッティングしたのである。


 もっとも……その効果はあまり見られない。


 「……何を不機嫌になっている? そこまで怒ることはあるまい。君の御父上と余は、君を心配して止めたんだぞ?」


 不機嫌そうなソニアに対し、やはりヒルデリック二世も不機嫌そうに尋ねる。


 実はソニアはレムリア帝国軍と戦うために最前線であるアズダヴィア守備軍に所属し、戦おうとしたのだが……それはヒルデリック二世とカーマインにより阻止されてしまった。


 ヒルデリック二世がこれを止めたのは、本人が言う通り純粋な心配から。

 カーマインが止めたのもやはり心配から……というのもあるが、一番はアズダヴィア守備軍が主にホアメルの派閥によって形成された軍だからである。


 「別に不機嫌になど、なっておりません。私は事実を言ったまでのことです」


 ソニアはやはり不機嫌そうに答えた。

 とはいえ、口調こそ不機嫌ではあるが……言っている内容に関してはソニアの言う通り、『事実』である。


 テリポルタニアを切り捨てず、守り切る……というイアソンの作戦から考えれば、まず第一に優先するべきはアズダヴィアを防衛することである。


 一先ずアズダヴィアを守り切れば、陸側からの侵攻は食い止められる。


 次に警戒するべきは海からの侵攻であり……つまり首都を奇襲攻撃されないためのチェルダ守備軍と、テリポルタニア地方の各港を守るために配置されるテリポルタニア守備軍、そしてテリポル市を守るテリポル守備軍となる。


 ちなみにそれぞれ予定されている兵力とそれを指揮する将軍は……


 まずアズダヴィア守備軍五〇〇〇〇、司令官はイアソン。

 テリポルタニア守備軍七〇〇〇〇、司令官はイアソンの部下。

 

 チェルダ守備軍六〇〇〇〇、司令官はカーマインの部下

 テリポル守備軍七〇〇〇〇、司令官はカーマイン。


 総勢二五〇〇〇〇、総司令官はカーマイン。

 

 となっている。

 一応、名目上はカーマインが総司令官ということにはなっているが、イアソンはホアメルの派閥の人間であり……実質はカーマインとイアソンの二人の総司令官がいるという形になっている。


 「むむ……そうか、悪かった」

 「いえ……私も強く言い過ぎました、申し訳ございません」


 ソニアはヒルデリック二世に頭を下げた。

 さすがのソニアも、国王を直接罵倒しない程度の分別は持っている。


 ヒルデリック二世はそんなソニアを何とも言えなさそうな表情で見た。

 

 ヒルデリック二世のソニアへの印象は、ここ十年で大きく変わった。

 十年ほど前はただのうるさい小娘、という印象だったが……美しく成長したソニアに、少しではあるが心を奪われていた。


 これはヒルデリック二世の寵姫である、カッサンドラが年齢によって衰えてきたことも要因の一つである。

 

 獣人族ワービーストの高位種である人狼族は、長耳族エルフほどではないにしても長い寿命を――百五十年ほど――を持っている。


 ヒルデリック二世自身は若い頃のままだが、人族ヒューマンであるカッサンドラは老化した。

 ヒルデリック二世は以前ほどカッサンドラに魅力を感じなくなる一方で、やはり生涯の伴侶は同じ寿命を持つ人狼族が良いと思い直し始めたのだ。


 とはいえ、ソニアの気が強さそのものは十年前から変わらない……どころか以前にも増して強くなってきており、さらにヒルデリック二世への悪感情も強まっている。


 苦手意識は相変わらずであり……ヒルデリック二世は大変複雑な思いを抱いていた。


 「し、しかし……このように兵を分散させて良かったのか。やはりカーマイン将軍の作戦の方が良かったかもしれないな」



 ヒルデリック二世はソニアへのご機嫌取り半分、本音半分を口にした。

 そしてソニアの顔色を伺う。


 ソニアは一瞬だけ眉を跳ねさせたが……落ち着いた声で答えた。


 「……テリポルタニアを守ることを考えれば、これは致し方がないでしょう。敵はどこからでも上陸できるのですから。制海権を取られている以上、こちらは後手に回るしかありません。確かにこのような兵力の分散は愚策、しかしかといって無辜の民を見捨てるという選択が上策かと言えば、そのようなことはないでしょう」


 ソニアの反応はヒルデリック二世からすれば意外なものであった。


 ソニアがカーマインの娘であること、テリポルタニアがホアメルの支持基盤であり、人族ヒューマンの数が多いことを考慮に入れると、イアソンの作戦を非難し、カーマインの作戦の方が良かったと言うに違いない……とヒルデリック二世は予想していたのである。

 

 「……陛下の無辜の民を見捨てるわけにはいかない、という思いは統治者として大変ご立派であると思います」

 「そ、そうか」

 

 意外な褒め言葉にヒルデリック二世は少しだけ機嫌を良くした。

 しかしソニアの言葉はそれで終わりではなかった。


 「ですから、陛下は御自分のお考えに自信を持つべきです。一度下した決定、その判断を迷うような発言を気安く言うようでは、家臣たちは不安に思います。心中はお察ししますが、それは胸の内に留めるべきです」


 自分よりも年下の少女に説教され、ヒルデリック二世は再び機嫌を悪くした。


 もし仮にこれがカッサンドラであったら、慰めてくれるのに……

 とヒルデリック二世は内心で溜息を吐く。

 

 (……別に少し愚痴を言う程度、良いでは無いか。君は婚約者だろ)


 何も家臣に対して、下した判断を迷っているというようなことを言ったわけではない。

 婚約者である、身内であるソニアに愚痴をこぼしたのだ。

 その程度、許容してくれても良いじゃないか……というヒルデリック二世の考えは決して間違いではない。


 あの残忍なレムリア皇帝や、暴虐なファールス王も、巨乳妻の前では口も多少軽くなることもあるだろう。


 (……カッサンドラの方が、大きいな)


 ヒルデリック二世はソニアの胸を見て、ふと思った。

 容姿は老化も考慮した上で、ソニアの方が幾分か優ってはいるが……胸の大きさは未だに自分の愛人の方が上である。


 ソニアとカッサンドラ、二人の女の前でヒルデリック二世の心は揺れていた。


 「……何か?」

 「い、いや……申し訳なかった。余の考えが甘かった。謝罪……をすると、また怒られてしまうな」

 「……いえ、申し訳ございません。言葉が過ぎました。御無礼をお許しください」


 ソニアは再び頭を下げた。

 そしてその後二人は黙々と食事を続ける。


 沈黙をその場が支配する。


 沈黙に耐えかねたヒルデリック二世は再び話題を提供する。


 「レムリア皇帝は本気で我が国を侵略しようと、思っているのだろうか? こちらには二十五万の兵力がある。さらに動員しようと思えば三十万を超える兵力も集められる。レムリア帝国は確か総兵力だけならば七十万を超すとは聞いたが……遠征能力を持つのは十万程度だろう? 二倍以上の兵力差で勝てるほど、我が国の兵は弱くはないが……」


 チェルダ王国の主力は獣人族ワービーストである。

 獣人族ワービースト人族ヒューマンよりも身体能力に優る……とまでは必ずしも言えない。


 優れた身体能力と、長寿を持つ獣人族ワービーストは高位種に限られる。

 中位種程度ならば人族ヒューマンの身体能力でも十分対応可能であり、下位種となれば少し人族ヒューマンに優る程度である。


 一対一の戦いならばともかく、集団戦となると鍵を握るのは身体能力よりも連携である。

 つまり陸上での戦いは人族ヒューマンが主力のレムリア帝国と獣人族ワービーストが主力のチェルダ王国との間で、戦力に大きな差があるというわけではない。


 大きな差があるわけではない、ということはつまり重要となるのは数である。

 そして数ならば……防衛側であるチェルダ王国の方が、より多く集められる。


 「小競り合いではなく、本気で遠征軍を動かしているのですから、彼は本気なのでしょう。レムリア皇帝は名将と名高い……勝てる算段があるからこそ軍を動かしたと考えるのが妥当でしょう。どうやって勝つつもりかは、私には到底想像もできませんが」


 「ふむ。まあ……しかし我が国が誇る知将、イアソンとカーマインがあらゆる可能性を考慮に入れて、対応している。あの男の目論見は潰れるであろう」


 うんうん、と頷くヒルデリック二世。

 しかしソニアには、何かが脳裏に引っかかっていた。


 (あらゆる可能性を考慮に入れた?)


 確かに考えられる限りの可能性を考慮に入れ、その対応策を用意した。

 少なくとも抜け穴はないはず……


 (本当に対応しているの?)


 何か、根本的なところが抜け落ちているのではないか。

 ソニアは考え込んだ。


 「ソニア? 大丈夫か?」

 「……」


 ヒルデリック二世の言葉が届かないほど、ソニアは深い深い思考の海を潜る。

 そして約二十分が経過し、ヒルデリック二世が医者を呼ぼうとしたその時だった。


 「ああああああ!!!!」


 ソニアは悲鳴を上げて、立ち上がった。

 いつもは自信に溢れ、強い意思を宿している瞳が大きく見開かれている。


 顔は真っ青に染まっていた。


 「まさか、まさか、まさか!!! そ、そんなことを……いや、できるはずがない! そんな馬鹿げたことを、普通は思いついてもやらない! もしやったら本当の馬鹿だ!! でも、だからこそ、今までそんなことをやろうとしたものは……いない!! もし、もし、もし、そんなことが、可能だとしたら……」


 ソニアはあまりのショックからか、崩れ落ちた。

 

 「だ、大丈夫か? ソニア」


 ヒルデリック二世は心配そうにソニアに声を掛ける。

 ソニアはそんなヒルデリック二世の肩を掴んだ。


 「陛下! ち、父上に……カーマイン将軍を至急、王宮に召喚してください! ま、まさかとは思いますが……いえ、万が一にもあり得ないとは思いますが、し、しかし億が一の可能性があります! れ、レムリア軍の主力は、本命は海路ではありません!! 海も、陸も陽動です! もしかすると、その本命は……」


 ソニアが言うよりも……

 一人の伝令兵が飛び込んでくる方が早かった。


 「国王陛下! お食事中、申し訳ございません!! し、至急、お伝えしなければならないことが……」


 伝令兵は真っ青な顔で跪き、そしてその知らせを口にする。


 「れ、レムリア帝国軍約三万が、テリポル市から南に突如出現しました!」

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