第16話 どっきり大作戦 前

 シェヘラザードとの結婚式など、その他諸々の内政業務を終えた、エルキュール三十歳の十月。

 エルキュールは予てから計画していた、チェルダ王国への侵攻作戦を起動させた。


 「さて、諸君。まずは……我が国の軍事力の再確認から始めようか」


 エルキュールはそう言ってから召使たちに命じて、書類を配らせる。

 レムリア帝国の将軍たちの手に、軍隊の詳細が行き渡る。


 「知っての通り……ブルガロン戦争後、新たに歩兵一個軍団を設立した。さらにニアとジェベにはその功績を考慮に入れて、それぞれ二個大隊を新たに与えている」


 歩兵五個軍団、弓兵一個軍団、重装騎兵クリバナリウス一個軍団、中装騎兵カタフラクト一個軍団、軽騎兵一個大隊、三個大隊の遊撃隊が二つ。


 つまり一〇四四〇〇。

 それがレムリア帝国の常備軍の全てである。


 「あー、ただ軽騎兵に関しては索敵用だから直接戦闘にはあまり加わらないということは留意したまえよ。屯田兵に関しては我が国の総人口の約三%程度の六十万人が従事している」

 

 総兵力約七十万。

 と聞くととてつもなく、巨大に感じるかもしれない。


 だが外征能力を持っているのは常備軍である約十万である。

 屯田兵は完全に守備特化型の軍、というより身分であり……規模が巨大なのに対して財政的な負担が低い代わりに、戦闘能力は低い。


 もし敵国に攻め込まれれば、遅滞戦術以外を取ることはできないだろう。


 「海軍に関しても制海権維持のために増強されており……船の数は五百に達している」


 当然、それに伴い人員も増加している。


 「さて問題はチェルダ王国の総兵力だ。まあ……こればかりは正確な数は分からないため、予想でしかないが……」


 チェルダ王国の人口は六百万から八百万程度である。

 そのうち五十五%程度の、三百三十万から四百四十万が獣人族ワービーストである。


 チェルダ王国では獣人族ワービースト=武人階級=兵士なので、総兵力に関して言えば相当な数にはなるものの……

 彼らは武人である以前に、農民でもある。


 故に動員可能な・・・・・総兵力という観点から見れば、人口の一割に当たる約三十万から約四十万程度である、と考えるのが妥当だ。


 「まあ先の内乱でかなり疲弊してはいるが……それでもある程度、大きく評価をした方が良いだろう。まあ総兵力、三十万というのが俺と武人官僚たちの見積もりだ」


 レムリア帝国の総兵力は約七十万。

 だが実際に外征に持ち出せるのは常備軍である、約十万である。


 「敵兵力はこちらの三倍だ。また……フラーリング王国の存在も加味すると、あまり長期的な戦いは望ましくない。短期決戦で決める。まあ……長くても三年だな」


 そこまで言って、エルキュールは将軍たちの表情を見渡す。

 エルキュールの予想通り……多くが「マジで言ってんの?」という表情を浮かべていた。


 とはいえ、その目にはエルキュールを疑う色はない。

 次なるエルキュールの発言を、その具体的な作戦と戦略を待っている。

 

 「では作戦名を言おうか? 作戦名は……「ドッキリ大作戦」だ。どうだ? ……可愛らしくないか?」

 「「「……」」」


 ちょっと滑ったな。

 エルキュールは頬を掻いて、先程の自分の発言を後悔した。

 素直に「虎穴に入らずんば虎子を得ず」作戦の方が良かったかもしれないと思い直す。


 「あー、ごほん。さて概略を述べるぞ……まず……」


 エルキュールの作戦を聞いた将軍たちの反応は様々であった。




 「……正気ですか」

 

 ガルフィスは目を見開いた。


 「天才と何とかは、紙一重とはこのことですか……」


 クリストスは頭を抱えた。


 「出陣前に兵士たちに遺書を用意させた方がいいかもしれませんね」

 

 エドモンドは溜息を吐いた。


 「はははは!!! 最高だ、皇帝陛下! これが成功したら、皇帝陛下は歴史上最高の馬鹿野郎だ!!」


 ダリオスは大爆笑をする。


 「……俺、まだ子供がいるんですけど」


 オスカルは茫然とした顔を浮かべ……


 「ふぅ……俺はそっち担当じゃないみたいだな。オスカル将軍、頑張れよ? お前が死んだら、お前の子供にはお父さんは立派な軍人だったって、伝えてやる」


 ステファンはそんなオスカルに同情とエールを送る。


 「ふぅ……短い生涯だったな」


 ジェベは遠い目をして、故郷の大草原の方向を見て黄昏れる。


 「……バカじゃないの?」


 補給線を担当するルナリエは率直にエルキュールを罵倒する。


 「さ、さすが陛下です! 常人では思いついても、普通ではやろうと思わないことを平然とやろうとする! そこに痺れる、憧れる!!」


 ニアはオブラートに包んで「バカ」とエルキュールに言った。


 そして……


 「陛下! 私の名前は! 私は何をすれば良いんですか!」


 カロリナが叫んだ。

 エルキュールはそんなカロリナに一言。


 「お留守番」

 「そんな! 何でですか!!」


 カロリナはエルキュールに詰め寄った。

 エルキュールは溜息を吐いた。


 「何でって、お前子供産んだばっかじゃん。今は体を休めろ……こんな危険な遠征に連れていくわけにはいかない」

 「で、では誰が陛下の身を守るんですか!」

 「シェヘラザードとアリシアを連れて行く。それで良いだろ?」


 シェヘラザードとアリシアがこの場にいないのは信用の問題である。

 作戦が作戦であるため……今は伝えられない。


 エルキュール個人としては二人を信用している(シェヘラザードは人格面、アリシアはその立場上作戦を漏らすとは思えない)が、周囲が納得しなかったのだ。


 もっとも遠征間際には伝えられるのだが。


 「で、ですが……」

 「俺はお前のためを思って言ってるんだ。な? カロリナ……今回は体を休めてくれ」

 「……分かりました」


 エルキュールに説得され、カロリナはしぶしぶという様子で引き下がった。

 そんな様子を見たダリオスは呟いた。


 「……陛下はまずは無茶な作戦に付き合わされる兵士を心配するべきだな」


 全ての将軍たちはそれに同意した。

 




 十一月の末。

 ヒルデリック二世は群臣たちを集め、会議を開いた。

 議題はレムリア帝国軍の動向についてである。

 

 「諸君、もうすでに耳に入っているかもしれないが……レムリア帝国軍約八万が一週間ほど前に、アレクティアに集結した。その後レムリア軍は二手、海路と陸路に分かれて我が国へと向かっている」


 ヒルデリック二世が群臣たちの前でそう言った。

 忌々しそうにヒルデリック二世は顔を歪める。


 「あの、欲深き、詐欺師、レムリア皇帝がついに我が国の国土を蹂躙せんとしている。……我々はこれに対し、一丸となって対処しなければならない」


 ヒルデリック二世はそう言って、腹心の部下であるホアメルとカーマインを睨んだ。

 内戦終結後も、チェルダ王国の国政は安定しているとはいえない。

 というのもホアメルとカーマインが政争を始めたからである。


 ヒルデリック二世はそれを止めることができず、歯痒い思いをしていた。


 しかしこのような国家存亡の危機に、政争などやられてはたまらない。

 故にヒルデリック二世は無駄とは分かっていながらも、一応釘を刺したのだ。


 「しかし……陸路と海路か。おそらく本命は海路でしょうな。陸路は進軍ルートが限られる上に、道が険しい」


 カーマインが呟いた。


 チェルダ王国は南側が砂漠に面している。

 そのためその実質的な領土は、砂漠と海に挟まれた細い沿岸部であり、通行可能なのもそこだけである。

 

 この細い沿岸部を通る道はあまり多くない。

 大軍を進軍させにくい上に、砦や都市などを迂回することもできないため、攻め込むには向かず、そして逆にチェルダ王国側から見れば守りやすい地形である。


 そしてチェルダ王国海軍は以前の敗北から、立ち直っておらず……

 船の数は百程度である。

 つまり海からの侵入は容易い。


 それを考慮に入れると、陸が陽動で本命が海であると予想できる。


 「問題はどの港から上陸するつもりなのか分からない……ということでしょう。港を封鎖し、鎖で塞いだとしても、そう長くは足止めできない」


 チェルダ王国の沿岸部は長く、細い。

 一度上陸されてしまえば、国土が分断されることになる。


 「国王陛下。王国の東部、テリポルタニア地方に関しては、捨て石としましょう。各要塞に僅かながら兵力を置けば、それなりに足止めにもなります。陸上兵力は首都のチェルダの守り、そして中部と東部の連結点、物流の要所であるテリポル市の二つに集中させるべきです」


 テリポルに相応の兵力を置けば、まずレムリア帝国は陸路での侵入は不可能。


 問題は海路だが……これに関してはある程度、諦めるしかない。

 制海権を奪われている以上、どこに上陸されるか分からない……つまりどこから上陸されても問題ないような作戦を取るべきである。


 そのためには最低限、首都の守りを強化することが大切だ。

 首都さえ落ちなければ問題無い。

 

 逆にチェルダ王国の国土の中で孤立した、レムリア帝国軍が不利に陥るだろう。


 それから弱り切ったレムリア軍を叩けば良い。

 チェルダ王国は最低でも二十万、多く見積もって三十万の兵力を動員できるのだ。

 敵軍は多く見積もっても十万……十分に勝機はある。


 またレムリア軍が全兵力を、つまり陸側と海側の双方からテリポル市を攻撃した場合だが……

 その時は首都の守りに置いていた兵力を割き、救援に向かわせれば良い。


 首都チェルダ市とテリポル市の連絡路さえ確保できれば、後はどうとでもなる。


 「し、しかし……カーマイン将軍。それではテリポルタニア地方が一時的に敵の手に渡ることになるのではないか? あそこは我が国有数の穀倉地帯であり……そ、それに無辜の民もいる」


 ヒルデリック二世はカーマインの策に難色を示した。

 テリポルタニア地方は人族ヒューマンの人口比率が高い。ここを切り捨てるのは、人族ヒューマンからの支持を得たいヒルデリック二世からすれば許容できぬことである。


 そしてまた、この地はホアメルの支持基盤でもある。

 テリポルタニア地方を見捨てれば、ヒルデリック二世の寵姫であるカッサンドラが機嫌を損ねるのは明白であり……ヒルデリック二世からすればそれもあまり望ましいことではない。


 もっともカーマインはそのことを知ったうえで、このような提案をしているのだが。


 「しかしですね、陛下。もし仮にテリポルタニア地方の入口で敵を待ち構えれば……それこそ、海路から上陸されてテリポル市を落とされるようなことになれば、テリポルタニア地方を失うどころか我々は貴重な兵力を失うことになります」


 レムリア軍はやがて疲弊し、撤退する。

 なれば国の内側で守りを固めるべきである、とカーマインは主張した。


 ヒルデリック二世は目を泳がせる。

 誰か、代案がある者はいないのか……


 と、そこで一人の人族ヒューマンの青年が立ち上がった。


 「陛下。テリポルタニア地方を見捨てるべきではありません」


 そういう若い人族ヒューマンの青年の名はイアソン。

 チェルダ王国の将軍の一人であり、ホアメル派の数少ない武闘派である。


 もっとも……本人の戦闘能力はあまり高くはない。

 武闘派、というのはあくまで武人という意味であるが、彼自身はあまり自分のことを武人だとは思っていないようである。


 どちらかと言うと軍師や参謀、という意識が強い。


 「おお、イアソンか! して、何か代案はあるのか?」

 「はい。まずは兵力を四つに分けます」

 「バカな……兵力の分散は最大でも三つだ!」


 カーマインは怒鳴り声を上げた。

 カーマインはただ闇雲に兵力を二つに分けようと考えたわけではない。

 これには大きな理由がある。


 レムリア帝国の戦力は約十万。

 一方チェルダ王国が動員可能な兵力は多く見積もっても三十万。


 兵力を分散しても、ギリギリ各個撃破されない兵力は三等分の各十万であり…… 

 相手が戦上手のレムリア皇帝とあらば、万全を期して二等分の各十五万までに、分散は抑えるべきである、というのがカーマインの考えである。


 「カーマイン! ……イアソン、続きを言え」


 「はい。兵力の分散は危険である、というカーマイン殿の懸念も分かります。まずは聞いてください。四つにわけた兵力はまず一つを首都の守りに、もう一つを要所であるテリポル市へ、もう一つをテリポルタニア地方の玄関口であるアズダヴィアに配置します」


 「……」


 カーマインは不満そうな表情を浮かべているが……

 口を挟めばヒルデリック二世にまた咎められてしまうため、一先ず最後まで聞くことにする。


 「そして最後の一つはテリポルタニア地方全域に分散配置します。もし仮に敵が海上から上陸を図ろうとしても……分散させた兵団がこれを食い止め、そしてその間にテリポル市から主力が駆けつけ、これを撃破します」


 「机上の空論だ!!」


 カーマインは怒鳴った。

 バン! と強く机を拳で叩く。


 「食い止め切れる算段がどこにある? 各個撃破されるのがオチだ!」


 「上陸作戦は時に数倍の兵力を必要とします。テリポルタニア地方には大きな港はそう多くありません。もし仮に小さな港から上陸を試みようとしたら、相当の時間を要しますし……逆に大きな港に上陸を試みようとするのであれば、こちらも相応の兵力を用意すれば良いのです」


 カーマインとイアソンは激論を交わした。

 そして二人はそれぞれ、己の国王に訴える。


 「陛下! リスクを取るべきではありません! テリポルタニア地方は切り捨てるべきです」

 「陛下! 民は国の宝、軽々しくも切り捨てるべきではありません!」


 双方の訴えを聞き……ヒルデリック二世は結論を下す。


 「イアソンの策を採用する」


 ヒルデリック二世の言葉にイアソンは嬉しそうに笑みを浮かべ、ホアメルはニヤリと笑う。

 一方、カーマインは不機嫌そうに鼻を鳴らした。


 (……何か、肝心なことを見落としているような気がする)


 不機嫌そうなカーマインの横で、ソニアは一人思考を巡らせる。

 ソニアとしては娘として、父親の策を押したいが……しかし政治家・軍人としての立場から見て、イアソンの策にも一理があるように感じる。


 実際、民を軽々しく見捨てるのはあまり良い選択肢ではない。

 ただでさえ内乱で民心は離れているのだ。


 あの優れた統治手腕を持つレムリア皇帝にテリポル市よりも東側の、テリポルタニア地方を奪われれば……

 土地だけでなく、民の心さえも奪われ、支配されてしまうかもしれない。


 テリポルタニア地方はチェルダ王国の穀倉地帯である。

 経済的に考えても……この地を支配されれば、首都チェルダ市への食糧供給も不安になる。


 故にイアソンの策は悪くはない。

 無論、各個撃破の危険もあるのだが。


 (実際のところ、お父様の策もイアソンの策も、よほどの失敗か何らかの混乱、ミスが生じなければレムリア軍をある程度は防げるはず。フラーリング王国の存在も加味すれば、レムリア皇帝は長期戦を望まない。長引けば撤退する……でも……)


 果たして、あのレムリア皇帝がこの程度の作戦すらも予想していないと考えられるのか?

 否。


 あのレムリア皇帝ならば、イアソンやカーマインの作戦程度予想できるはずである。

 予想した上で、勝てると判断して軍を動かしているのだ。


 軍を動かしたからには必勝を確信しているはずである。


 (何かが……何かがおかしい。何かを見落としているような気がする。……いや、でも、もうレムリア皇帝の取り得る策はすでに議題に上がっている)


 その上ですでに対応策が、今、練られている。

 だからチェルダ王国は勝てるだろう。


 そう、常識的に考えれば。


 (……心配のし過ぎかな?)


 ソニアは不安を吹き飛ばすかのように、頭を横に振る。

 レムリア皇帝を恐れるあまり、過大評価しているのかもしれない。


 (何はともあれ……レムリア皇帝の首、必ず取って見せる)


 チェルダ王国を貶めた男。

 必ずやこの手で。


 ソニアは強く、両手を握り締めた。

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