第13話 子供と都市の名前


 「あ、陛下! 陛下! 今、蹴りました!」

 「む……俺が目を離すと動くんだな」


 エルキュールは苦笑いを浮かべた。

 エルキュールの側には、大きくお腹を膨らませたカロリナがいる。


 カロリナが「陛下の子供が元気よくお腹を蹴っているから、それを感じて欲しい」と頼まれたエルキュールは先程まで、カロリナのお腹に手を当てていた。

 しかし一向に動き始めないため、エルキュールが飽きて手を離した途端に……元気よく動き始めたのだ。


 「嫌われているのかな?」

 「恥ずかしがり屋さんなだけですよ」


 と、カロリナは上機嫌に言った。


 (取り敢えず、今は機嫌が良さそうだな)


 エルキュールは内心で溜息を吐いた。

 

 ここ最近のカロリナの機嫌は浮き沈みが激しい。

 上機嫌になったかと思えば、急に不機嫌になり、不安で泣き始めたかと思えば、嬉しそうにニコニコとし始める。


 シファニーはそんなことは無かった(少なくともエルキュールの前では情緒不安定にならなかった)ので、少し戸惑っていた。


 「陛下は男の子と女の子、どちらが良いですか?」

 「どちらかと言われれば女の子かな? でも、どちらでも元気に生まれてきてくれればいいさ」(またこの話か)


 エルキュールはもはや何回目になるか分からないセリフを口にする。

 もう何度もこの問答を繰り返しているが……

 これに対して「もうそれは前も答えただろう?」などと答えると、カロリナの機嫌は急降下するので、同じような返答をするしかない。


 全く同じような返答を聞き、嬉しそうな表情を浮かべるカロリナの今の感情を、エルキュールは全く理解できていなかった。


 まだ産まれてもいない子供にはさほど興味を抱いていないエルキュールとしては、「お前が無事ならそれで良い」のだが、カロリナは「この命に代えてでもこの子を産む」つもりでいる。


 二人の気持ちは平行線である。


 もっともエルキュールはそのことを察しているので、口に出すことは無い。

 エルキュールと周囲の気遣いもあり、カロリナは夫の気持ちには幸いにも気付いていなかった。


 「でも……ちゃんと元気に産まれてきてくれるでしょうか?」

 

 不安そうな表情を浮かべるカロリナ。

 エルキュールはそんなカロリナに寄り添い、髪を撫でてやりながら、「まーた、始まったか……」と内心で呆れる。


 エルキュールはそろそろ退散したい気持ちになっていた。


 (別に俺がいても、いなくても、生まれる時は生まれるだろうし、生まれない時は生まれないだろ)


 などと、内心で冷めたことを考え始める。

 実際のところ、シファニーはエルキュールがブルガロン王国で忙しくしている頃に第二子を見事に出産した。


 まあ母体の精神状態が悪ければ、当然出産にも影響を及ぼすのは間違いないが……

 だからといって、エルキュールが常に付きっ切りでいなくてはいけないわけではない。


 「陛下……大丈夫でしょうか?」

 「大丈夫、大丈夫。俺がついているから」


 医者でもない俺が大丈夫かどうかなんぞ知るかと、エルキュールは思いつつも……

 カロリナを慰める。


 そして逃げ出す隙を伺う……ものの、カロリナはがっしりとエルキュールの腕を掴んでいる。


 身体能力に関してはエルキュールよりもカロリナの方が上。

 それはカロリナが妊娠中だろうが、なかろうが関係ないため……物理的にホールドされてしまうと逃げられない。


 (……そろそろ政務に戻らないと不味いんだけどな)


 実は今、エルキュールはかなり忙しい。


 シェヘラザードとの結婚を含む、ファールス王国との外交。

 黒突と絹の国の戦争の情勢調査、及び黒突への支援。

 設立されたばかりのレムリア銀行の運営。

 そして次の遠征への準備。


 カロリナにだけ構っている暇はない。

 とはいえ、これを無理やり振りほどけば余計に面倒なことになることは分かっている。


 それにエルキュールも何だかんだでカロリナのことを愛している。 

 愛している相手に「側にいて」と涙ながらに頼まれれば、さすがのエルキュールも無体にはできない。


 しかし時間は有限であり、そればかりはどうしようもない。


 「あー、カロリナ。俺はそろそろ……」


 とエルキュールが言いかけた時だった。

 ドアを誰かがノックをする。


 「入っても宜しいでしょうか?」

 「シファニーか? 良いぞ」


 エルキュールが許可を出すと、女の子と男の子と手を繋いだシファニーが入室した。

 

 女の子の方はエルキュールにとって第一子となった、ペトラ。

 現在、六歳。


 男の子の方はブルガロン戦争中に生まれた子供、ゼノ。

 現在、二歳。


 どちらも混血長耳族ハーフ・エルフである。


 「陛下!!」


 ペトラが無邪気にエルキュールに向かって走ってくる。

 エルキュールの服の袖を掴み、見上げる。


 「ペトラか、あー、一週間振りだったか?」

 「二週間です、陛下!」


 二週間に一度の対面。

 一見、少なく感じるが皇帝とその私生児、ということを考慮に入れると頻度は高い。

 

 気付くと、一応気を遣ったのかカロリナがエルキュールの手を解放していた。 

 エルキュールはペトラの頭を撫でてやる。

 するとペトラは嬉しそうな表情を浮かべた。


 (それにしても「陛下」か、しっかりと教育が行き届いているな)


 少し前まではペトラはエルキュールのことを「お父様」と呼んでいたが、いつの頃からか「陛下」と呼ぶようになった。


 幼い、物心がついていた頃は許されていたが……

 分別がつくようになったため、教育係かまたはシファニーに躾けられたのだ。


 「お、おとーさま……」

 「ゼノか、良いぞ」


 エルキュールに甘えるペトラを見て嫉妬したのか、ゼノもエルキュールへと駆け寄ってきた。

 ギュッとエルキュールの体に抱き付くゼノ。

 そんなゼノの頭をエルキュールは撫でてやる。


 「二人とも……あまり陛下を困らせてはいけませんよ? そこまでにしなさい」

 「はい」

 「……はい」


 ペトラはあっさりと、ゼノは名残惜しそうにエルキュールから離れた。

 迷惑の掛け具合ではカロリナの方が上ではあるが……その辺りは立場の差である。


 「二人の養育は順調そうだな」

 「はは……陛下の前だと、お利口さんなんですよ」

 「それについては、まあいろいろと聞いている。随分とヤンチャしているそうだな、主にペトラが」


 エルキュールがそう言うとシファニーは苦笑いを浮かべた。

 かなり苦労しているようだった。


 「まあ、何かあったら俺を呼べ。父親として最低限のことはしよう……ところで今日は俺に会いに来たというわけでは、なさそうだな?」

 「あ、はい……その、カロリナ妃殿下のお見舞いを、と思いまして」


 カロリナの様子を見に来るついでに、エルキュールに子供を会わせたというのが正しい。

 エルキュールは少し、体を避ける。


 シファニーはゆっくりとカロリナのベッドに近づいた。


 「カロリナ妃殿下、お体の様子はどうですか?」

 「悪くはありません……ただ少し不安で。シファニーのようにちゃんと元気な子を産めるかどうか……」


 カロリナは空気を読んで大人しくしているペトラとゼノを横目で見ながら言った。

 するとシファニーはカロリナの手を握る。


 「分かります、妃殿下。不安ですよね……私も最初は不安で……ゼノの時は、陛下も御側にいらしてくれませんでしたし」

 「……」


 そんなに不安そうだったか?

 とエルキュールは首を傾げた。


 しかしエルキュールのいないところで不安だったと言われれば、エルキュールも否定できない。

 ゼノの出産の時はろくに側にいなかったことも、責められてしまえば……エルキュールとしては何も言えない。


 (……これはもしかして、俺の悪口を言う流れか?)


 皇帝陛下は全然、私たちの気持ちを分かってくれない!

 という愚痴を二人で始める。


 有り得る話である。

 

 (うーん、ゼノ云々は暗にお前の悪口を言うから出てってくれというシファニーの合図かな?)


 何となく、いろいろとエルキュールは察した。

 まあ、悪口では無いにしても、女同士でしかできないような、少なくとも近くに夫がいるところではできない話もあるだろう。


 そう考えたエルキュールはこれ幸いと、踵を返した。


 「まあ妊娠経験者と、妊婦……いろいろと積もる話もあるだろう。俺は少し席を外そう……政務もあるしな。ペトラ、ゼノ……二人とも勉強を頑張りなさい。あまりシファニーや教育係を困らせるな」


 などとエルキュールは言って、逃げるようにその場から去っていった。

 


 




 それから数週間後、シファニーによるカロリナのメンタルケアが功を奏したのか……

 カロリナは無事に出産した。


 「ふぅ……今までに経験したことがないほどの痛みでした」

 「その割には元気そうだな?」


 エルキュールは汗に塗れたカロリナの髪を撫でながら言った。

 以前、シファニーの出産に立ち会った時、出産後のシファニーは息も絶え絶えでまともに動けないほどであった。


 しかしカロリナは疲弊してはいるものの、顔色も悪くない。


 「まあ日頃から鍛えていましたから」

 「なるほど……基礎体力の差か」


 元々、武人として体を鍛えているカロリナはシファニーよりも体が丈夫だ。

 子供が無事に産まれるかどうかは運が絡むとはいえ……産後の健康状態には元々の体力が重要のようだ。


 「その……陛下。抱いてあげてください」

 「ああ、分かった」


 エルキュールはカロリナから赤ん坊を受け取る。

 僅かに生える髪は赤い。

 そこはカロリナ似のようだ。


 「可愛らしい女の子だな。見た感じ、健康そうだし……良かった、良かった」


 見た限りでは障害は無さそうで、エルキュールは一安心した。

 

 「その、陛下。名前を……考えてありますよね?」

 「あ、忘れてた……何て言うと思ったか? ちゃんと考えてある。男の子ならコンスタンティヌス、女の子ならコンスタンティナにするつもりだったよ。つまりこの子はコンスタンティナだ」


 エルキュールがそう言うとカロリナは目を細めた。


 「……もしかして次の子は、アレクサンドロスかアレクサンドラですか?」

 「……よく分かったな」

 「三番目は……男の子だったらアンティオコス、女の子だったらアンティオケアにするつもりでしょう?」

 「さすが、カロリナ。……でも悪くないと思わないか?」

 「まあ……拘って変な名前をつけられるよりはずっと良いですけど。安直過ぎませんか?」

 「もっと変則的でカッコイイ名前にでもするか? エルキュリーアとか?」


 エルキュールが冗談交じりに言うと、カロリナは何とも言えない顔をする。


 「……少し気にしてるんですか?」

 「敢えて変な読み方にしやがったな、あの親父とは思っている」


 エルキュールは肩を竦めた。


 「ところで……四人目の子、が生まれるかは分からないですけど、その場合はどうするおつもりですか?」

 「その時は……まあおそらくその時までには多分……」


 エルキュールはぶつぶつと呟いてから、答える。






 「男の子だったらヘラクレイオス、女の子だったらヘラクレアになるだろう。そう……改称させるつもりだ」

 「……それはどういう、意味ですか?」


 カロリナが尋ねると、エルキュールはニヤリと笑みを浮かべた。


 「数年後にはチェルダ市には双頭の鷲の旗がはためくことになる、という意味さ」

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