第12話 乙女の葛藤

 そこはレムリア帝国の宮殿の内部にある、小さな礼拝堂である。


 そこにいるのは四人の女と、三人の男。

 つまりカロリナ、ルナリエ、セシリア、ニア、エルキュール、ティトゥス、ルーカノスの合計七名。


 カロリナとルナリエは地味なドレスに身を包み、ティトゥスとルーカノスは地味な礼服を着ている。

 セシリアは姫巫女メディウムとしての正装に身を包んでおり……

 エルキュールは派手な礼服、ニアは美しい白いウェディングドレスに身を包んでいた。


 「よく似合ってるじゃないか」

 「……はい、ありがとうございます」


 ニアは幸せそうに微笑んだ。

 オフショルダーのスレンダーラインのウェディングドレスは、身長が高く、細い体のニアに良く似合っていた。

 ウェディングドレスの色は白だが、厳密には真っ白ではなく……

 彼女の髪色に合わせて、ほんの少しだけ桃色を帯びている。


 臀部に開けられた小さな穴からは、隠すことなく……愛らしいハート型の尻尾が外に出ており、機嫌が良さそうに揺れていた。


 「えー、ごほん。ではそろそろ始めさせて頂きますね」


 セシリアは軽く咳払いしてから、厳かな声で淡々と結婚式を執り行う。


 「……両者、誓いますか?」

 「誓う」「誓います」


 最後に二人が誓いの言葉を口にすると、セシリアは喜びと嫉妬が入り混じったような複雑な表情を一瞬だけ浮かべ、それからいつもの真面目そうな無表情へと移る。


 「では誓いのキスを」


 エルキュールはニアのヴェールをあげて、その頬にキスをした。

 ニアはうっとりとした表情を浮かべる。


 「……陛下、愛しています」

 「俺もだよ、ニア」


 エルキュールがそう言うと……

 ニアの瞳が一瞬揺れ、涙が漏れ始めた。


 「うっ……ぐす……」

 「おいおい、どうした?」

 「す、すみません……嬉しくて……」


 エルキュールはハンカチを取り出し、ニアの涙を拭ってやる。

 ニアは涙を流しながら、嬉しそうに笑う。


 「……あの時は、こうして、生きて、結婚できるなんて思ってもいませんでした」

 「俺もまさか君を拾った時は、結婚することになるとは思っていなかったよ」


 エルキュールはそう言ってニアの髪を撫でる。

 ニアはエルキュールを見上げた。


 「陛下、本当に……ありがとうございました」

 「ふふ……それはこちらのセリフだ。これからも誠心誠意、仕えてくれ」 

 「はい!」


 


 「あの晩、陛下とウェディングドレスを着たままね……どうしたの? セシリア、機嫌悪そうだけど」

 「……その話、十回目ですよ」


 不機嫌そうにセシリアは言った。 

 ニアとエルキュールの秘密結婚式から二週間が経過した。


 二人の結婚式はあくまで秘密であり、出席者も限られていたこともあり……

 ニアとエルキュールが特別な関係になったということを知る者は殆どいない。


 近い将来ニアはルカリオス家から独立することになってはいるが、それもまだ先の話である。


 「あれ? そうだっけ」

 「……会うたびに、同じような惚気話を聞かされる身にもなって欲しいですね。それも、ふしだらな惚気話を」


 人差し指で机をコツコツと叩きながらセシリアは言った。

 セシリアは例え不機嫌であっても、それを表情や態度に出すことはあまりない。

 そんなセシリアが不快感を表現しているということは……相当キレてるということである。


 が、しかし幸せ真っ盛りのニアは普段ならば気付くであろう親友の気持ちには全く気付いた様子は見られない。


 「じゃあふしだらじゃない話はどう?」

 「何の話ですか?」

 「私と陛下の家族計画。何人産もうかなーって、実は最近、名前辞典を読んでるんだけど……」

 「その話は十三回目です!」


 バン!

 とセシリアは拳を机に叩きつけた。

 さすがのニアも、ようやくセシリアが不機嫌であることに気付く。


 「どうしたの? セシリア。生理?」

 「……結婚してから、言動まで似てきましたね」


 セシリアは溜息を吐いた。


 「幸せなのは結構なことです、ええ……親友として嬉しく思います。ですが! あなたはもう少し、気を遣うべきです。ええ、言わずとも分かるでしょ?」

 「何? セシリア、嫉妬してるの?」


 ニアはニヤニヤとした笑みを浮かべた。

 するとセシリアは本当に、心底不機嫌そうに……


 「ッチ」


 舌打ちをした。

 これにはさすがのニアも、顔を青くする。


 「ご、ごめん……そ、そんなに怒らないで」

 「……別に怒ってませんよ」

 「そ、そう?」


 これは絶対に怒っている……

 ニアは珍しく、人を呪い殺しそうな目をしているセシリアを見て言った。


 「そのさ、セシリア」

 「何ですか」

 「そ、そんな低い声で返事しないでよ……私が悪かったからさ」

 「……早く続きを言ってください」


 話を腰を折るな、と言わんばかりに睨んでくるセシリア。

 ニアはおどおどしながら、話題を振る。


 「そのさ、セシリアは……結婚しないの?」

 「……そうですね。私も、そろそろ身を固める必要が、ええ、あるかもしれませんね! 良いですね、どっかの誰かさんは、好きな人と自由に結婚ができて、ええ、羨ましい限りです!」


 ついに怒りが頂点に達したのか、セシリアはガシガシと机を蹴りながら言った。

 セシリアの豹変に、ニアは怯え顔を浮かべる。

 

 「っひ……い、いや、そ、その……へ、陛下と結婚しないの?って意味だったんだけど」

 「……」


 するとセシリアは机を蹴るのをやめた。

 そして頬杖をつきながら、スプーンで紅茶を掻き混ぜる。


 「さあ……どうですかね?」

 「どうですかねって……しないの? 好きなんでしょ?」

 「……それは私を嘲笑して言ってるんですか?」


 セシリアはニアを睨みつけた。

 ニアは顔を真っ青にさせる。


 「い、いや! ぜ、全然そんな気持ちはなくて! 本当に……だ、だってほら、過去にレムリア皇帝と姫巫女メディウムが結婚した例もあるでしょ? ほら、レムリア帝国がメシア教を公認した時の、ノヴァ・レムリアを建設した大帝は当時の姫巫女メディウムと結婚したじゃない!」


 その言葉を聞き、ニアに自分を挑発するような意思がないことに気付いたセシリアは、頭を掻いてから、溜息を吐く。


 「……すみません。早とちりしました。あなたは確かに性格は悪いですけど、そこまで悪くはありませんでしたね」

 「……」


 いや、確かに私は性格があまり良くないけど、その言い草はいくらなんでも酷くない?

 とニアは思ったが口には出さなかった。


 今日のセシリアは本当に機嫌が悪そうだ。


 「一応言っておきますと、生理なのは本当です。ええ……あまり万全とは言い難いです」

 「そ、そうなの……えっと、お大事に?」

 「はい……まあ、それはそれとして、結婚ですか。陛下と……」


 セシリアは溜息を吐いた。

 今日のセシリアは溜息が多い。


 「エルキュール様は……する気なんですよね?」

 「そりゃあ、もう……次の姫巫女メディウムは俺の娘か孫だ、なんておっしゃってるよ」


 エルキュールはセシリアを孕ませる気、満々である。

 しかしセシリアは少し考えが違うようだ。


 「姫巫女メディウムとしては……結婚しない方が良いと、思っています」

 「それはどうして?」

 「……あの人はメシア教会を支配下に置こうとしていますからね」


 今、現在はエルキュールとセシリアは同一の目標を掲げている。

 つまり打倒、グレゴリウス。

 反教皇派、という旗だ。


 しかしエルキュールとセシリアの政治・宗教的な考えはどうしても交わらない。


 メシア教会を政治的に支配しようと考えているエルキュール。

 メシア教会の独立を保ちたいセシリア。


 いつかは袂を分かつことになる。


 「結婚したら……取り込まれてしまうような気がします」

 「それは……そうかもね」


 現状、エルキュールは財政的にも軍事的にも遥かにセシリアを上回っている。

 もしエルキュールと夫婦になれば、セシリアは完全に飲み込まれるだろう。


 姫巫女メディウムが皇帝権を飾る装飾品になってしまう。


 「でもさ、セシリア。……ぶっちゃけ、やりまくってるんでしょ?」

 「……何をですか?」

 「そりゃあ、あれよ」


 ニアは左手で輪を作り、右手の指を挿し入れた。

 女同士の親友……遠慮はない。


 「……やりまくっている、というのはあまり適切な表現ではありませんが。まあそれなりに回数は重ねてますね」

 「避妊してる?」

 「……それは神がお許しになりませんから」

 「だよねー」


 避妊はするなというのが神の教えである。


 「陛下は長耳族エルフだからできにくいけどさ……数やればできちゃうんじゃない?」

 「……安全日は把握してます」

 「でもできちゃう時はできちゃうじゃん。どうするの?」

 「……その時はその時ですよ」


 その時はもう、こっそり産むしかあるまい。

 と、セシリアは内心で覚悟していた。


 「そういう、何というのかな……後先考えないのはセシリアらしくないよ」

 「……私だって恋する乙女なんです」


 こればかりは理屈ではなく、感情である。

 しかしセシリアの場合は、完全に感情に赴くままになれていないというのが問題であった。


 その強靭な理性が中途半端なところで自粛を促しているのだ。


 「結婚すれば?」

 「……そういうわけにはいきません。私にはメシア教会を守るという使命があります」

 「じゃあ、強くなれば良いんじゃない?」


 ニアの言葉にセシリアは首を傾げた。


 「……どういうことですか?」

 「だから陛下に負けないくらい、セシリアも強くなればいいじゃん。むしろ逆に取り込んじゃう勢いで」


 エルキュールとセシリア、どちらを選ぶか?

 と言われればニアは迷わずエルキュールを選ぶ。


 しかしそれでもセシリアは親友……その親友が(ニアからすると)下らないプライドから望まぬ相手と結婚をするというのは、黙って見過ごすわけにはいかない。


 発破をかけるくらいは良いだろう。

 とニアは思った。


 「ニアは……私がエルキュール様に勝てると思ってるんですか?」

 「思ってないけど? でもそれが目標だったんじゃないの? 昔、言ってたじゃん」


 ニアにそう言われてセシリアは目を見開いた。


 「そうでした。私としたことが……最初の気持ちを忘れていました。そうですね……エルキュール様だって、人間です。私が勝てない道理はありません……」


 セシリアは小声でブツブツと呟いてから、ニアに笑顔を向けた。


 「ありがとうございます、ニア。おかげで最初の目標ができました。……そうですね! 私がそれくらいの実力を身につければいいだけのことですよね!!」


 セシリアは立ち上がった。


 「ニア、今日は一足先に帰らせて頂きます。……エルキュール様に取り込まれないくらいの力を身につけて、必ず結婚してみせます!!」


 そう言ってセシリアは立ち去ってしまった。

 一人残されたニアは頭を掻いた。


 「……やり過ぎたかな?」

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