第11話 信ずる者は救われる

 さて、シェヘラザードやニアとの結婚政策を陰で進めつつ……

 エルキュールはもう一つ、別の政策に着手していた。


 「どうにか、年内には形にできそうだな。ここまでよく進めてくれた、アントーニオ、シャイロック」


 エルキュールは裏で事業を進めていてくれた二人の重臣を労った。

 アントーニオとシャイロックは嬉しそうに笑みを浮かべた。


 「一週間後、布告を出そう。実施できるのは……二か月後かな? 何はともあれ、これで戦費調達には困らなそうだ」


 上機嫌にエルキュールは言った。

 そんなエルキュールが手にしている書類のタイトルは……


 『レムリア銀行の設立について』


 である。



 銀行。

 貨幣流通の心臓とも言える機関である。


 元々銀行を設立する計画はあり、アントーニオとシャイロックに命じて様々な調査を行っていた。

 そしてついにその計画が形となったのである。


 エルキュールが『レムリア銀行』に求めている役割は四つ。


 一つは貨幣の安定的な供給と物価調整である。

 現在、レムリア帝国では物価上昇が続き……緩やかなインフレが発生している。

 これはつまり経済が上向きに成長しつつあるということだ。


 しかし一歩間違えれば物価の高騰を招き、民衆の生活を圧迫しかねない。

 貨幣の数量を効果的に調整するためには、銀行が必要不可欠である。


 もう一つは富の再分配である。

 基本的にお金というものは、お金のあるところに集まる傾向がある。

 金持ちはさらに金持ちに、そして豊かな地域はさらに豊かになる。

 まあつまり現在、レムリア帝国では人や物、金がノヴァ・レムリアに急速に流れ込んでいるのだ。


 この流れは決して悪いことではない。

 だが行き過ぎれば、地方の窮乏を招きかねない。


 それは安全保障上、望ましいことではない。


 そこで銀行の存在が役に立つ。

 ノヴァ・レムリアの富裕層、中流層から預金を募り……これを地方へ投資するのだ。

 そうすることで中央に集まった貨幣を、再び地方へと再分配するのである。 


 レムリア帝国経済全体の還流を作り出すことで、持続的に好景気を維持して、国を安定化させようというのがエルキュールの目的である。


 もう一つは借金の整理のためである。


 レムリア帝国は未だに多くの借金を抱えている。

 先帝ハドリアヌスの時代から積み上げてきた借金は膨大であり、その全てを返済することはいくら何でも十数年では不可能だ。


 これらの借金を銀行に肩代わりさせることで、エルキュールは借金を整理して、返済先を一本化させようと考えていた。



 最後の一つは戦費の確保のためである。

 実はエルキュールは直近に戦争を控えており……その戦費を集めるために銀行を利用しようと考えていた。

 銀行の設立計画を少し早めたのも、それに間に合わせるためである。 

 

 

 他にも貿易会社との連携や、聖七十六家への融資のためなど……

 様々な目的がある。



 「結婚式の所為で用意していた戦費が少し圧迫されていたからな。銀行ができるとかなり楽になる」


 前近代の国の財政というのは、どうしても税収に左右される。

 税収、つまり収入を超える予算を組むことはできない。

 借金をすることもできるが、気軽に行うことはできない。


 しかし銀行ができれば、話は少し変わる。

 自由に金の貸し借りができるのだ。


 つまり財政の自由度が上がる。

 もっとも……逆に言えば際限無く、借金が膨れ上がる可能性も残っているが。


 「しかし……問題は銀行がちゃんと受け入れられるか、だな」


 一応、準備金はちゃんと用意してある。

 以前行った貨幣改鋳によって得た利益、及びブルガロン王国の王宮から接収した財物である。


 しかしそれだけでは銀行が機能しない。

 誰かが金を銀行に貸してくれなければ、つまり預金してくれなければならない。


 「多くの金融業者の協力と理解は既に受けておりますが……」

 「組合ギルドの多くも、資産を銀行に移すことが決まっております。大丈夫なのでは?」


 すでにシャイロックとアントーニオが、事前に金融業者や組合ギルドといった多くの金を持っている人間や組織に事前説明を行っている。


 最大の懸念はすでに存在する金融業者たちが、「強大なライバルが出現した!」と勘違いしてしまうことだが……

 『レムリア銀行』に限って言えば、個人への融資を行うことはしない、ということが説明されている。


 「俺が心配しているのは個人からの出資、つまり『預金』のことだ」


 銀行に金を預ける。

 というと、銀行がまるで金庫のように感じられてしまうかもしれない。


 だが実態は、銀行に金を貸している、のである。


 現代日本人でもイマイチ理解し辛いこの感覚が、果たしてレムリア帝国臣民にどれだけ伝わるかは、微妙なところだ。


 レムリア帝国には貸金庫と呼ばれるものが存在するが、それらを使用する時は必ず利用料金を取られる。

 お金を預ければ、その分一定額を取られてしまうというのがレムリア帝国の、というよりこの世界に於ける常識である。


 しかし『レムリア銀行』の場合、預けた分、つまり貸した分だけ利息の支払いがある。

 お金を取られるどころか、むしろ逆にお金を貰えてしまうのだ。


 大多数の臣民は、意味不明に感じるだろう。


 さらにその『レムリア銀行』が、自分たちが預けた金を使って帝国政府にお金を貸す。

 「それは俺たちの金だぞ、何を勝手に貸してるんだ!」と勘違いした臣民が怒りだす可能性がある。


 臣民たちが、「これは国ぐるみの盛大な詐欺なのではないだろうか?」と疑っても何もおかしくはない。

 実際、シャイロックやアントーニオたちは銀行のシステムを説明するのに、かなりの骨を折った。


 経済の専門家である、金融業者や商人たちですらも納得するのに時間が必要だったのだ。

 無教養の臣民たちがどれだけ理解できるかは疑問だ。


 しかし銀行の利点を最大限に生かすためには、大多数の臣民からの預金が絶対に必要不可欠となる。


 そもそもだが……金融業者や組合ギルドから金を借りる分は、別に銀行を仲介する必要はない。

 彼らは単体でも十分な資本を持っているからだ。

 単体でも十分に、国家財政に影響を及ぼすだけの貨幣を所有している。


 大事なのは臣民の、塵のごとき小さな資本を掻き集めて、強大な資本を作り上げることである。

 それができなければ、銀行を設立させる甲斐が無い。


 「……そればかりは少しずつ、理解をして貰うしかないのではありませんか?」 

 「まあ、そうだな……」


 シャイロックの言葉にエルキュールは曖昧に頷いた。







 「……つまりその銀行へ、教会の資産を預けろとエルキュール様は仰っているのですか?」

 「さすがセシリア、話が早くて助かるよ」


 金融業者たちですらも理解するのに苦労した銀行のシステムをあっさりと理解したセシリアは、これまたあっさりとエルキュールの言わんとしていることを言い当てた。


 「うーん」

 「ダメなのか? お金を預ける、貸すだけだぞ?」


 エルキュールが尋ねると、セシリアは溜息を吐いた。


 「その『レムリア銀行』という組織がどれくらい、帝国政府から、つまりレムリア皇帝であるエルキュール様から独立しているのかにもよります。さすがにお金がなければ教会は運営できません。その重要な資金をレムリア銀行に預ける、というのは教会の自治独立に関わる事案です」


 つまりエルキュールが強権を振るい、教会の資産を差し押さえてしまえるようでは困るとセシリアは言っているのだ。

 エルキュールは内心で舌打ちをする。


 ……いざとなったら、それで脅してやろうと考えていたのだ。


 「そうですね……まあ、全ては不可能ですが、ある程度の額ならば可能です。それと……見返りとしては何ですが、ノウハウが蓄積したら教えて頂けますか? メシア教会は別で、その銀行というのを作ってみたいです」

 

 「何だ? メシア教会もついに金融業に参入するのか?」


 エルキュールが眉を顰める。

 一応、メシア教会はお金の貸し借りには否定的な立場を取っている。


 「『高利』を取るのはダメですが、『利子』を取るのは問題無いというのが今の解釈です。それに営利目的で金融業をやろうとは思っていませんよ。エルキュール様と同じです、自由に予算をやりくりしたいんです」


 「なるほど。まあ、構わんぞ。できた時はうちの銀行からも融資してやる。信用創造もしたいしな」


 「……やっぱりエルキュール様は御自分の銀行のつもりなんですね」


 セシリアにジト目で見られ、エルキュールは肩を竦めた。

 とはいえ、銀行の数が増えることは望ましいことだ。


 もっともあくまで『レムリア銀行』が最大にして中心となることが前提ではあるが。


 「ところで信用創造って何ですか?」

 「レムリア銀行に俺が金貨千枚を預ける。するとレムリア銀行が九百枚をセシリアに貸し出し、セシリアは九百枚をセシリアちゃん銀行に預ける。今度はセシリアちゃん銀行がニアに八百枚を貸し、ニアがニアちゃん銀行に八百枚を預ける。するとあら不思議、書類上の、貨幣を保有している枚数がレムリア銀行千枚、セシリアちゃん銀行九百枚、ニアちゃん銀行八百枚、合計二千七百枚に増える……という錬金術だ」

 「何ですか、その詐欺みたいな手口は」

 「信ずる者は救われるってやつさ」

 「主を冒涜しないでください」


 セシリアは不愉快そうに眉を潜めた。


 「それと……臣民がちゃんと預金してくれるか、不安。でしたっけ?」

 「そうそう……詐欺だと思われるかもしれないだろ?」

 「そうですね。まあ確かに一見不可解ですからね。お金を預けると、預けた額が増加するというのは」


 慣れ親しんだことのある者ですらも、少々理解し辛いシステムである。

 経済や金融など、人生で一度も考えたことのない臣民にこれを理解させるのは骨が折れるだろう。


 「……いっそ、理解させるのはやめたらどうですか?」

 「どういうことだ?」

 「つまり、とにかく預ければ分かる、と説得するのです。疑う人にはいくら言葉を尽くしても、余計に疑いを深めるだけですよ。むしろ詳しい説明をする方が、疑いを強めるかもしれません」


 セシリアは今でも、定期的に市井に降りて説法を行ったりしている。

 そういう草の根的な活動が重要だと感じているからだ。


 そういう活動を通してセシリアが感じたのは……

 言葉を尽くせば尽くすほど、逆に理解を得にくいということである。


 「皆さん、長い説明をされたり、専門用語を並べられたりすると考えるのをやめてしまうんです。ですから、銀行のシステムを丁寧に説明するよりは……『君たちがお金を預けてくれれば、自分は助かる。預けてくれればその返礼のお金を支払う。貯蓄をすれば、その分君たちも無駄遣いをしなくなって一石二鳥だ!』って感じで誠心誠意頼んだ方が良いかもしれません。エルキュール様はレムリア帝国の臣民の皆様から、信頼されていますし」


 「なるほどね……」


 エルキュールは臣民から強い支持を受けている。

 すでに臣民から信用されているエルキュールは、言葉を連ねて説明をする必要はない。


 俺を信じろ、その一言だけでも信用する者はいるだろう。


 「確かに君の言う通りだな。……ところで君も当然、協力してくれるよな?」

 「まあ、貯蓄は天国への近道であるという教義を追加したわけですし。私たちの方針や理念にも合致します。ですが……どうしましょうかね?」


 セシリアは上目遣いでわざとらしく言った。

 エルキュールはセシリアが何を求めているのかを察して立ち上がり……


 

 セシリアを強引に押し倒した。

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