第6話 女の子

 「上機嫌だな、カロリナ」

 「ふふ、当たり前じゃないですかぁー」


 嬉しそうにカロリナは自分のお腹を撫でた。

 この動作からも分かる通り、カロリナは妊娠したのだ。

 発覚したばかりなので、お腹は膨らんでいないが。


 「男の子と女の子、どちらが欲しいですか?」

 「元気に産まれるならどちらでも構わないが」

 「そういう建前じゃなくて……本音のところを、です。頑張りますから」


 ニコニコと笑顔を浮かべるカロリナに対し、エルキュールは苦笑いを浮かべる。

 何をどう、頑張るというのか。

 頑張ったところで産まれてくる性別など、変えようもない。


 「うーん、女の子かな」

 「男の子じゃなくて、良いんですか? 世継ぎですよ?」


 意外な返答にカロリナは困惑した声を上げた。

 本人は男の子を産む気まんまんだったのだろう。


 「年齢が三十しか変わらないんじゃなぁ……俺が死んだ後、すぐに死んでしまう」 

 「ああ……なるほど」


 エルキュールが長耳族エルフの平均寿命の通りに二百歳で死ぬとすると、今生まれた子供は百七十歳程度で即位することになる。

 その子供がエルキュールと同様に平均寿命の通りに生きると、在位はたったの三十年。


 まあだからといって、何がどう悪いというわけでもないのだが……


 「最近、ティトゥスのやつが男の子を作ったからな。まあ、もしもの時はその子を養子に迎えれば済む話だ。どうしても男の子が欲しいわけではないな」

 「では、何故女の子が欲しいんですか?」

 「シファニーの時と同様だ。女の子はいくらいても困らない……まああと個人的に娘が欲しい。可愛いからな」


 エルキュールはそう言って、肩を竦めた。


 「お前とは違い、ルナのやつには男児を産んで貰わんと困るのだがな」

 「ハヤスタン王国は別に男系に拘ってないから、その辺は問題無い」

 

 ルナリエが会話に参加する。

 尚、ルナリエはいつものエルキュールの悪戯でメイド服を着せられていた。

 とても女王には見えないが……驚くなかれ、女王様なのだ。


 「お前らは良くてもな、悪いって難癖付ける連中はいるんだよ。例えば、ファールス王国とかファールス王国とかファールス王国とかな」


 難癖を付けることはいくらでも可能なのだ。

 王が男ではない、というのはイチャモンを付ける理由にはなる。

 

 「婿選びってのは、嫁選びよりも面倒だ。乗っ取られる可能性があるからな」


 王位は男が望ましいのだ。

 まだレムリア帝国の支配下に入ってから日が浅い、ハヤスタン王国の場合は特に。


 「皇帝陛下、お時間宜しいでしょうか?」

 「構わん、入れ」


 唐突にドアの向こうから声を掛けられた。

 エルキュールが許可を出すと、入ってきたのはトドリスであった。


 咄嗟にルナリエはエルキュールの後ろに隠れた。

 メイド服、召使の服を着ている姿を家臣に見られるのは恥ずかしかったからである。


 「何か、あったか?」

 「チェルダ王国の内戦が終結しました」

 「ほぉ……」


 エルキュールは眉を上げた。

 十年以上続いた内戦がようやく終結した、ということだ。


 「バカ息子が勝ったか?」

 「はい。ラウス一世が討ち死にし、ヒルデリック二世が勝利。チェルダ王国の唯一の王に即位しました。……ラウス一世派の貴族たちが亡命を希望しておりますが、どう致しますか?」

 

 ラウス一世は奮闘したが、結局経済力で優るヒルデリック二世が勝利した。

 結果として多くの獣人族ワービースト貴族たちがミスル属州に避難する事態となったのである。


 「ヒルデリック二世は何と?」

 「返還要求をしております。それと……密約違反、そしてラウス一世への支援などについて、こちらを非難しておりますが……どう致しますか?」

 「無視しておけ」


 エルキュールは彼らの非難を、まともに答える気などさらさら無かった。

 言わせておけば良いのだ。


 「亡命貴族の連中はできるだけ、受け入れてやれ。何なら歓迎会でも開いてやろうか?」


 エルキュールは彼らを歓待するつもりであった。

 如何にヒルデリック二世が暴君なのかを宣伝するための、材料になるからだ。


 「チェルダ王国との関係悪化は免れませんが……宜しいので?」

 「問題無い。これから無くなる国だからな」

 

 エルキュールはニヤリと笑みを浮かべた。







 「やあ、セシリア。今日は俺から会いに来たよ」

 「これはこれは、エルキュール様」


 翌日、エルキュールはセシリアに貸し与えている屋敷に訪れた。

 セシリアは頬を綻ばせ、エルキュールを歓待した。


 「本日は何の御用でしょうか?」

 「おや、俺が君のところに来るのに用が必要だったのか。これは失礼した」

 「もう……そういう意地悪を言わないでくださいよ」


 傷ついた、とでも言うように肩を竦めるエルキュールを、セシリアは軽く拳で叩いた。

 どっからどう見ても、イチャつくカップルだろう。


 もっとも一応、人目のないセシリアの私室で行ってはいるが。


 「で、では……その、今日はお話をしにきた、だけ、ですか?」


 セシリアはチラチラとベッドとエルキュールを見比べた。

 ここで言うお話、とはベッドの上での肉体言語である。


 「まあ、それもあるが……実は頼み事があってな」

 「やっぱり御用があるじゃないですか」


 セシリアは苦笑いを浮かべた。

 

 「頼み事、というか、まあ、そうだな。お許しを得に来た、が正しい」

 「お許し、ですか?」


 セシリアは首を傾げた。


 「新しく宗教関係の勅令を出そうと思っている。……西方派メシア教徒の待遇を、アレクティア派や正統派と同等にする勅令だ」

 

 セシリアは目を細めた。


 「なるほど……チェルダ王国の内戦が終結したことと、関係があると考えても宜しいですか?」

 「宜しいとも。というか、そもそもチェルダ王国に向けての勅令だからな」


 エルキュールの言葉に全てを察したセシリアは目を瞑り、ベッドに腰を掛けた。


 「何が正統で、何が異端か……それは聖界の領分であり、私の管轄です。ですが異端者をどう扱うかは世俗の範囲内です。ですからエルキュール様のご自由になさってください……」


 セシリアはそう言ってから……

 いたずらっぽく笑い、舌をベーッと出した。


 「と、言いたいところですがやっぱり嫌ですね」

 「そうか、それは仕方がないなぁ」


 エルキュールはニヤッと笑ってから、セシリアの肩を掴み、ベッドに押し倒した。


 「な、何をするんですか!」

 「悪い子にはお仕置きだ。覚悟すると良い」


 エルキュールとセシリアの体が重なり合った。








 「以上がノヴァ・レムリアの犯罪組織に関するご報告です」

 「ふむ、よくやった。とはいえ、やはりイタチごっこだな。こういうのは……潰しても潰してもキリがない。雑草みたいだ」


 ニアの報告を聞いたエルキュールは溜息を吐いた。

 ニアはノヴァ・レムリアで警察長官として大鉈を振るっているが、それでも根絶するのは難しかった。

 人が集まれば集まるほど、どうしても犯罪組織というものは出来上がる。


 「陛下、一つ、その……進言したいことがあるのですが……」

 「ほう、何だ? 言ってみろ」


 ニアからの提案なんて珍しい。

 エルキュールは目を細めた。


 「警察組織を全国に広げたいのです」

 「ふむ……現状、ノヴァ・レムリアでも手一杯のように見えるが、それはどうしてだ?」


 もしこれがニア以外の人間からの提案であれば、エルキュールはこう判断しただろう。

 自分の権力を強めようとしている、と。

 警察権というのは下手すると統帥権よりも厄介な力だ。


 ただ……ニアはエルキュールのことを病的なまでに愛しており、そして絶対の忠誠を誓っている。

 それはもう、エルキュールが軽く引くレベルだ。


 「流通網が拡大したことで、犯罪者の横の繋がりができているんです。特に大都市間、ノヴァ・レムリアとアレクティア間です」

 「ふむ……つまり、あれか。お前が前言っていた、盗賊団の都市化と広域化か」

 「はい、そうです」


 従来、盗賊というものは山や洞窟などを本拠地としているものであった。

 道を歩く旅人や商人を襲い、金品を奪う。

 それが一般的な盗賊であった。


 しかし近年はそうはいかなくなった。


 理由は屯田兵である。

 

 屯田兵には敵が攻めてきた時に遅延的な反抗を行うことと、常備軍の予備役としての機能があるが……

 それ以外に治安維持、行政警察としての役割も担っている。


 現地で盗賊等が暴れた場合、屯田兵がそれを捕えるのだ。


 主要街道は敵の進軍ルートになるため、当然その上には屯田兵が設置される。

 そのため主要街道間で盗賊が暴れることは難しくなった。

 

 主要街道ではない、つまり辺境の狭い道路ならば可能だが、今度は盗賊を維持できるほどの旅人や商人が通らない。

 結果、野山に伏して、獲物を待ち伏せするような古典的盗賊団は消滅しつつある。


 が、一方で都市に潜む盗賊たちが増えてきた。

 

 彼らが厄介なのは、普段は一般市民として生活するところである。

 さらに商人を襲ったりせず、逆に手を組むことすらある。


 まあ要するにヤクザやマフィアといった類の集団である。


 ニアが言うには、彼らは都市間での連携を強化しているらしい。

 特にノヴァ・レムリアとアレクティアは地理的には離れているが、海路で繋がっているため、実際にはかなり“近い”。


 「船に乗られて逃げられると、もう追跡できないのです」

 「ふむ……なるほどね」


 エルキュールは天井を仰いだ。

 そして少し考えてからニアに尋ねる。


 「お前の業務量は大丈夫なのか? お前に預けた独立遊撃隊、そちらの方が疎かになるようでは困る」

 「大丈夫です……結構、部下に任せていますし」

 「ふむ」


 上手く人を使えている、ということだ。

 大きな成長だろう。


 「知っての通り、我が国に於いて治安維持を担当しているのは警邏奴隷及び屯田兵、そして常備軍だ」


 レムリア帝国では、警察や消防といった分野は軍隊が担当している。

 分けるほどの財政的な余裕がないのだ。


 「だが犯罪の調査をする司法警察はノヴァ・レムリアにしか存在しない。それと同様のモノをアレクティアに設置するのは……まあ悪い話ではないな」

 「では……」

 「試験的にアレクティアに広げてみようか」


 エルキュールの言葉に、ニアは顔を輝かせた。

 自分の意見がエルキュールに認められたこと、それが嬉しいのだろう。


 「人材に心当たりはあるのか?」

 「はい。それについては私にも、いくつか」

 「宜しい……では、そうだな。今度、具体的な計画書を提出しろ」

 「はい!」


 ニアの尻尾が機嫌良さそうに揺れた。


 「ああ、でも今はやらなくて良いぞ。独立遊撃隊の訓練の方に力を注げ」

 「それは……なるほど、分かりました」


 エルキュールの言わんとしていることを、ニアは察した。

 つまり近いうちに戦争が起こるということだ。


 「ところで、陛下」

 「うん?」

 「……最近、随分セシリアと仲良くしているみたいですね」


 そう言うニアの口調には、先程までとは違い少し棘があった。

 エルキュールは自分の膝を軽く、ポンポンと叩いた。


 「来て良いぞ」

 「はい!」


 ニアは大喜びでエルキュールの膝の上に飛び乗った。

 お互いに接吻を交わす。

 

 「お前は俺がセシリアに構うと、随分と嫉妬するな。カロリナやルナリエではそうならないのに……理由を聞いて良いか?」

 「……セシリアには負けたくないんです」

 「友達だろう?」

 「……だからです」

 「複雑だな」


 俺には理解できん。

 とでも言うようにエルキュールは肩を竦めた。


 「っひゃ!」

 「にしても、ここは相変わらず敏感だな」


 エルキュールはニアの尻尾を鷲掴みにし、撫でながら言った。

 ニアは息を荒げ、エルキュールの服をじっと掴み、体を震わせる。


 「そうだニア……お前、俺と結婚したいか?」

 「……ん、っ、ぁ、け、結婚、ですか……あまり、っ、か、考えたことは、ないです」


 ニアは頬を紅潮させながら言った。


 「お前が希望するなら、いろいろ片付いた後に式を挙げても良い」

 「……結婚式は挙げてみたいです」

 「そうか。じゃあ……」

 「でも、結婚は……良いです」

 

 ニアの返答にエルキュールの手が止まった。 

 尻尾がエルキュールの手から離れ、垂れ落ちる。


 「どういう意味だ?」

 「政治的に考えてルカリオス家の養子である私が、陛下と結婚するのはあまり良くないと思うのです」

 「ほう……ルーカノスの奴が言ったのか?」

 「……いえ、私の私見です。ですが、その……お義父様と、ガルフィス将軍、クリストス将軍の政治的権力バランスを考えると、やっぱり私は結婚しない方が良いのかな、と」


 ガルフィスは娘であるカロリナをエルキュールに嫁がせている。

 クリストスはそもそもエルキュールの叔父だ。

 そしてルーカノスはエルキュールの家庭教師であった。


 この三者の権力バランスが、エルキュール政権の政治的な安定を産んでいる。


 「だが俺の権力は今、絶対的になっている。多少崩れても誤差の範囲だぞ?」

 「はい、ですが……やはり陛下に御迷惑はかけたくないので。それに……」

 「それに?」


 エルキュールが聞き返すと、ニアは照れ笑いを浮かべる。


 「ちょっと、面倒くさそうだなーって、思うんです。その、お妃様というのは。いくら側室でも、やっぱり政治的にいろいろやらないといけないじゃないですか」

 「まあ確かにな」


 エルキュールは苦笑いを浮かべた。


 「それに私はそういう柄じゃないです。私は臣下として、陛下の御役に立ちたい」

 「なるほど……では、結婚式を挙げたいというのは?」


 エルキュールが尋ねるとニアは頬を赤らめた。


 「ほら、女の子の憧れじゃないですか。私もやっぱり、その、素敵な結婚式を挙げて、花嫁衣裳は着てみたいんです」

 「つまり、あれか。結婚式は内々で挙げる。だが公的な意味での結婚、つまり側室にはならないということか?」

 「はい。……その、我儘でしょうか?」


 ニアは恐る恐るといった風に、エルキュールを見上げた。

 エルキュールはそんなニアの唇にキスを落とす。


 しばらく接吻を交わしてから、エルキュールは顔を上げた。


 「構わない。それくらいの我儘、叶えてやらないと男が廃る」


 エルキュールはそう言って笑い、再びニアの尻尾を掴んだ。

 ニアは思わず、嬌声を上げる。


 「今日は座ったまま、しようか。たくさん、可愛がってあげよう」

 「へ、へいか……」


 ニアはうっとりとした顔でエルキュールの胸板に頬を摺り寄せた。

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