第7話 世界外交 序
ドン!
エルキュールは壁を強く叩く。
シェヘラザードはビクリと体を震わせた。
「あ、あの……陛下」
「シェヘラザード……」
エルキュールは右手でシェヘラザードの顎を軽く持ち上げる。
シェヘラザードは目を閉じ……二人の唇が重なる。
その後エルキュールはゆっくりとシェヘラザードを抱き寄せた。
シェヘラザードの大きな双丘がエルキュールの体に押し当てられ……エルキュールは思わず生唾を飲んだ。
エルキュールは長く、美しい金髪から覗く形の良い長耳に唇を近づける。
そして……
「シェヘラザード……」
囁く。
するとシェヘラザードは脱力したようにエルキュールに体を預けてきた。
「あぁ……陛下、だ、ダメです。私は、その、ファールスの姫です」
「そうだな。……だがメシア教徒だ」
「そ、そう、ですけど……あぁ、やっぱりだめです」
シェヘラザードはそう言ってエルキュールを引き離す。
腕力ではシェヘラザードの方が上なので、本気でシェヘラザードに拒絶されてしまえばエルキュールはどうしようもない。
「ごめんなさい……」
「いや、構わないさ。むしろ好感が持てるよ」
エルキュールはそう言ってシェヘラザードの髪を撫でた。
シェヘラザードの耳が赤く染まった。
「お久しぶりだな、レムリア皇帝」
「お久しぶり……と言っても、一月振りだがね。ファールス王」
エルキュールとササン八世は挨拶を交わした。
二人がいるのは、いつもレムリア・ファールス間で外交交渉が行われる時に必ず利用されるフラート河の中州である。
今日、二人は両国の今後の関係にとって重大な影響を及ぼすある条約を結びにやってきた。
即ちレムリア・ファールス間の
レムリア帝国もファールス王国も、
レムリア帝国に聖七十六家が存在するように、、ファールス王国にも『創始三十七氏族』と呼ばれる貴族家が存在する。
尚、レムリア帝国の方が数字の数が多いから、
どちらも
さて両国共に純血を維持するために純血同士で婚姻政策を取っているが……
実は困ったことが二つある。
一つは必ずしも年齢が合うとは限らないことだ。
何しろ
故に五十歳程度の年齢差が生じることがある。
だがこれはあまりよろしくない。
できれば……近い年齢の者同士で結婚したいところだ。
もう一つは血が濃くなってしまうことだ。
例えばエルキュールとカロリナ、この二人の血縁関係は実はかなり近い。
危険なほど近いわけでもないが、それでもやはり血は濃くなってしまう。
近縁同士で結婚すると障害を持った子が生まれやすいというのは、両国でも経験則としてある程度は知られている。
ただでさえ、出生率が低いのだ。
これに加えて、障害を持った子が生まれる率が高まれば……国家体制を揺るがしかねない。
両国の貴族は漠然として不安を抱いていたのである。
そこでエルキュールとササン八世が画策したのが、国際結婚である。
つまりレムリア帝国の女性をファールス王国に、ファールス王国の女性をレムリア帝国に嫁がせようという計画だ。
両国で血を交換し、薄めようという考えである。
もっともこれは両国にとって大変危険な政策であることは言うまでもない。
何しろ仮想敵国同士であることは変わりないのだ。
仮に戦争が起きれば、嫁いだ女性は夫と両親の間に板挟みになってしまう。
さらに宗教の問題があった。
知っての通りレムリア帝国はメシア教の国であり、ファールス王国は聖火教の国である。
両国ともに異宗婚を認めていない……というわけではないにしても、慎重に取り扱わなければならない問題である。
そこでエルキュールとササン八世は互いに外交官を派遣し、時には顔を合わせて話し合い、話を煮詰め合った。
結果、ついにレムリア・ファールス友好結婚条約が結ばれたのである。
その内容は簡単に表すと、以下の通り。
・両国、同数の女子を嫁がせる。
・両国の間で戦争が発生したとしても、一度成立した夫婦関係は否定されない。
・両国共に互いの信ずる宗教は尊重し合う。
・生まれた子供は国教に従う。
・嫁いだ女子はその国に忠誠を誓う。
・十年に一度だけ、里帰りを許す。但し必ず帰国させなければならない。
・夫が亡くなった場合、帰国するか残留するかを選択できる。
といった具合である。
その他にもきめ細やかな決まり事があるが、ここでは省く。
尚、重要なことだが……
両国、この結婚はこそこそとやることになっている。
というのもレムリア帝国は黒突と同盟関係を結んでいるからだ。
対ファールスで共に同盟を結んでいるのにも関わらず、そのファールスと血の交換をするのは……
あまり都合が良くないという事情だ。
「早速、調印を済ませてしまおうか」
「そうですなぁ、と言いたいところですが少し事情が変わりましてな」
ファールス王はニヤリと笑みを浮かべた。
エルキュールは眉を顰める。
空気が凍り付いた。
レムリア側の外交官たちは怒りの表情を見せ、一方ファールス側の外交官たちは慌てた表情を浮かべた。
「ふむ、そう怖い顔をするな。レムリア皇帝」
「ここで白紙撤回されては如何に寛容な私とて、気分は悪くなる。何か、相応の言い訳があるのだろうな?」
エルキュールがそう言うとササン八世は大笑いした。
目に見えてエルキュールが怒りを露わにし、レムリア側の外交官たちも不愉快そうな表情を浮かべている。
一方ファールス側の外交官は焦っているのか、顔色が悪い。
「こ、国王陛下……あの、言い方というものが……」
「まあまあ、ベフナム。落ち着け」
見ていられなくなったのか、側近のベフナムがササン八世を諌めようとする。
が、ササン八世はそれを制した。
「ご安心して頂きたい、レムリア皇帝。どちらかといえば貴国……いや、あなたにとって大きな利益がある提案だと私は思っている」
「ほう……ここまで勿体付けたのだ。それは相応の利益なのだろうな?」
「ふふふ、当然だ。きっとあなたは喜ぶだろう」
ササン八世はニヤリと笑みを浮かべた。
「我が娘、シェヘラザードをあなたに差し上げよう」
エルキュールは一瞬、眉を上げて怪訝そうな表情を浮かべた。
レムリア側の外交官たちも困惑している。
一方ファールス側の外交官たちはようやくササン八世が本題を切り出し、険悪な雰囲気を払拭してくれたことに安心したのか、少し安堵の表情を浮かべていた。
「忘れているのかね? 我が国は黒突と婚姻関係を結んでいる。我が国と貴国との間に婚姻関係が結ばれれば、黒突は怒るだろう」
エルキュールはシェヘラザードを惚れさせてコントロールしようとしていたが……
実のところ結婚しようとはこれっぽっちも思っていなかった。
黒突との関係があるからだ。
「それにはご安心頂きたい」
ササン八世は笑みを浮かべる。
「何しろ我が国と黒突は婚姻関係を結び、休戦協定を結ぶことになったからな」
これにはさすがのエルキュールも目を見開いた。
レムリア側の外交官たちの間にも衝撃が走る。
ファールス王国と黒突は犬猿の仲であり、両国が和睦するなどあり得ないことだ。
また同時にレムリア帝国が黒突に裏切られたことを意味していた。
「事の経緯を説明しよう。シルナ国のことは知っておられるな?」
「絹の国、のことでしょう。それくらいは知っているとも」
シルナ。
あまり一般的ではないが、レムリア帝国が『絹の国』と呼んでいる極東の帝国の事である。
「彼の国と黒突が戦争を始めたのも当然知っておられるな?」
「無論」
そのことはリナーシャを通じてエルキュールの耳に入っていた。
リナーシャによると若干、優勢であるとのこと。
エルキュールは黒突を陰ながら応援するために、両国の交易量を増やしていた。
「では若干劣勢に立たされていることも?」
「それについては頷けないな」
「おやおや、あなたの姉君と私の情報、もしかして食い違いがありましたかな?」
ササン八世は笑みを浮かべて言った。
もっともその目は笑っていない。
冷静にエルキュールがどれだけ東方の事情に通じているかを見極めようとしているのだ。
「そういう意味ではない。何しろ我が国と、その戦場はまさに大陸の東端から西端。情報の伝達に大きな時間が必要となる。戦況は刻一刻と変化するもの……故に我が国が得ている情報と貴国の得ている情報が一致していようとも、間違っていようとも、そもそもいつの情報かが分からない限り、互いの情報が食い違っているか否かは判断できない」
エルキュールの知り得ている情報と、ササン八世が知り得ている情報。
どちらが新しいかどうか、判断できない。
もしかしたら優勢から劣勢へと戦況が変化したがために、情報に食い違いが生じている可能性もある。
逆もまた然りだろう。
「もっとも……そもそも私は我が姉の情報も、そしてあなたからの情報も決して完全には信用しない」
「ほう、それはなぜかね?」
「私ならば、嘘を混ぜるからな」
リナーシャは確かにエルキュールの姉であり、レムリア帝国に利益を誘導するように動いている。
だが同時に彼女は黒突の皇后である。
当然、黒突のために動くだろう。
(まあ、恐らくは一進一退の攻防、戦況は膠着していると考えても良いだろうな)
もし仮に少しでも勝っていたら、自国の軍事力を喧伝するために大袈裟に「大勝利」と報告するだろう。
逆に少しでも負けていたら、援助を引き出すために「大敗北」と報告する。
戦況が五分五分ならば……
黒突の国風を考えれば「優勢だ」と説明するのは予想しやすい。
エルキュールの脳裏には舌をペロっと出して、「ごめんなさいね、陛下。察して」と言っている姉の姿が浮かんだ。
ササン八世が「劣勢である」と言ったこともそれを裏付けている。
ササン八世の場合は黒突とは真逆に動くからだ。
つまり戦況は膠着状態であり、一進一退、互いに勝敗を塗り替え合っている最中なのだ。
「それでその戦争と私とシェヘラザードの婚姻にはどういう関係があるのかね」
「まあまあ落ち着きたまえ。まだまだ話は終わっていない」
ササン八世はエルキュールを宥める。
が、これは逆効果でありエルキュールの神経を逆撫でする行為だ。もっともササン八世は分かってやっているのだが。
「実はね、シルナ国から我が国に同盟の要請が来たのだよ。つまり黒突を挟撃しよう、ということだな」
エルキュールは目を見開いた。
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