第5話 奴隷制度


 「奴隷制度は良くないと思うんだ!」

  

 ある時、唐突にエルキュールはそんなことを言いだした。

 それを聞いたルナリエは無言でエルキュールの額に手を当てる。


 「……熱はない」

 「お前、人のことを何だと思っているんだ?」


 エルキュールはルナリエの手を掴んだ。


 「急に陛下が柄でもないことを言いだしたから」

 「俺が人権思想に目覚めちゃいけないか?」

 「だっていつも私に、この雌奴隷が! って言ってるじゃん」

 「それはそれ、これはこれだ」


 エルキュールは肩を竦めた。

 その場のノリというやつである。


 「奴隷制を廃止にするの?」

 「いや、別にそんなつもりはないぞ。そもそも廃止にしようがしなかろうが、大して影響はないだろうし」


 昔、レムリア帝国には奴隷制度があった。

 そして今でも存在している。


 が、昔と今とでは同じ奴隷制度でも全く異なる。


 大昔の奴隷はまさに消耗品であり、使い捨てのカイロのような存在であった。

 極一部、容姿が美しかったり、教養があったり、一芸を持っている奴隷は大切にされ、下手な平民よりも裕福な暮らしをしていたりしたが……

 それは本当に、極一部、一%くらいの都市に住む奴隷である。


 九十九%は大規模農場か鉱山で死ぬまで働かされる。

 死んだら新しいのを買えば良いのだ。


 当時は奴隷はいくらでも戦争で手に入ったため、気軽に買うことができたのだ。


 今は違う。

 確かに戦争は行われているし、実際エルキュールは幾度も戦争を外国に仕掛けているが……

 その戦争で奴隷が得られることはない。


 それもそのはず。

 エルキュールは略奪を禁じているのだ。

 物の略奪すらも禁じているのに、人など略奪できるはずもない。


 昔はレムリア帝国の周辺国は、ほぼ全てが蛮族であり、まともな国家すらもなかった。

 故に人を攫ってきても、部族ごと奴隷にしてしまっても問題なかった。

 だが今の周辺国は曲りなりにも、国の体を成している。

 人を掻っ攫っていけば外交問題にもなり得るし、そもそも人を攫いつつ戦争に勝利するほどの余裕はない。


 そんな理由があり、今のレムリア帝国では奴隷の価値は高い。

 価値の高い奴隷を使い潰すことはできないため、鉱山や農場で使い潰すのは効率が大変悪い。


 奴隷を使用した大土地農場制度は未だに存在はしているが、主流とは言い難い。

 自作農や小作農の方が多い。

 その方が効率が良いからだ。


 「まあ連中を解放しようがしなかろうが……帝国経済への影響は低い。ならば貴族の反感を買うような、奴隷解放なんぞやらない方がマシだな」

 「じゃあ急に奴隷制度云々を言いだしたのは何で?」


 当然の質問である。

 それについてエルキュールは答える。


 「多少の枠組みくらいは作ろうかと、思ってな。奴隷貿易ってのは、商品が人という点で他の貿易や商売とは一線を画す。そのまま放っておくわけにはいかないだろう」

 「まあ確かに。現状、普通の物品と同様に取引されているのは良くないかもしれない。……一種の人口移動だし」


 ルナリエはエルキュールの意見に同意するように、こくこくと頷いた。

 これでも一国の女王である。

 

 「まず犯罪者を除くレムリア臣民の奴隷化の禁止、といったところかな」

 「……債務奴隷も禁止するの?」

 「ああ。ニア曰く、紛らわしいんだとさ。人攫いで奴隷にさせられた違法奴隷と見分けが付きにくいんだと」


 人攫いは古今東西、どこにでも存在する犯罪である。

 儲かるからだ。

 特に子供は攫いやすいため、狙われる。


 これを野放しにしておくと治安が悪化する上に、盗賊団の食い扶持になってしまう。


 故にニアはこの人攫い関係に集中して捜査をしているが……

 これが中々難しい。


 正式な奴隷と、人攫いで奴隷にされたものの区別がつき難いのだ。


 「だがそもそも臣民の奴隷化を禁じてしまえば、関係ない。片っ端から叩き潰せるわけだ」

 「貸金業者は困りそうだけど」

 「そもそも返せなさそうな奴に貸す方が悪い」


 相手の返済能力を考えて貸しましょう、ということだ。

 

 「場合によっては奴隷に落とすために返せない額を貸す輩がいるからな。そういう性質の悪い連中を根絶する」


 社会不安は政治や経済に悪影響を及ぼす。

 そういったグレーなことはできるだけ排除した方が良い。


 「次に奴隷の輸出禁止だ」

 「……レムリア帝国から輸出される奴隷なんて、あるの?」


 例えレムリア帝国臣民が奴隷になっても、通常その奴隷が外に出ることはない。

 買い手が同じレムリア帝国の臣民だからだ。

 

 「普通はない、が、実は一つだけあるんだな……これが。レムリア帝国でしか産出されない、貴重な奴隷が」

 「……長耳族エルフ?」

 「正解だ」


 長耳族エルフを欲しがる外国人は多い。

 北方諸国や西方諸国の男たちにとって、長耳族エルフ女性を妻に迎えることは夢だ。


 ただそう簡単に妻として手に入ることはない。

 故に奴隷として購入することになる。


 「もっとも……レムリア臣民の奴隷化を禁じた段階で、実質長耳族エルフの輸出も禁じたも同然だが……念には念を、だな。外に流れる人間を規制する」


 輸出できないとなれば、そもそも人攫いも減るだろうという目論見もある。

 無論、密輸なども考えられるが……

 これはニアの頑張りに期待したいところだ。


 「あと奴隷市場の限定。これは絶対だな」

 「それは分かる。自由取引だと取り締まりは不可能」


 ルナリエはうんうんと頷いた。

 場所が限定されていれば、奴隷を一括で管理できる。

 それ以外の場所で行われている取引は全て違法ということで、軒並み潰せば良いだけだ。


 「それと奴隷の子供には臣民権を与えようと思っている」

 「……奴隷と奴隷の子供にも?」

 「レムリア帝国で生まれたのであればな」


 エルキュールは頷いた。


 「それはなぜ?」

 「冒頭に戻るが、俺はそもそも奴隷制には消極的だ。最終的には無くしたいと思っている」


 無理には進めないが……

 とエルキュールは付け足した。


 「やっぱり熱でもあるの?」

 「よし、お前を安心させるために理由を言ってやろう。……奴隷からは税金が取れない。それが全てだ」

 「なるほど、納得」


 無論、奴隷所有者に掛かる奴隷税は存在する。

 が、奴隷そのものに掛かる税金は存在しない。


 奴隷を解放して、自由に働かせ、そこから税金を絞った方が国の収入は増える。


 「あと、そもそも奴隷という生き物は大変よろしくない。連中が忠誠を誓うのは主人であって、俺じゃないからな。これはダメだ……この国の主人ドミヌスは俺一人で良い。それ以外は全て、奴隷しんみんだ」

 「いつもの陛下でホッとしてる」


 心底安心した表情を浮かべるルナリエ。

 エルキュールはそんなルナリエの頭を叩く。


 「痛い」

 「お前は失礼にも程がある」

 「自覚してるなら治せばいいのに」

 「治ると思うか?」

 「思わない」


 ポカ!


 「痛い……暴力反対」


 ルナリエは頭を抱える。

 もっともエルキュールも本気で殴ってはいないが。


 「それと死刑制度も廃止しようと思っている」

 「またまた……」

 「俺は本気だぞ?」


 エルキュールは肩を竦めた。


 「理由は?」

 「俺は敬虔なメシア教徒だからな。どんな罪人にも悔い改める機会を与えるべきだと思わないか? それにほら、例え罪人を殺したとしても失われた命は戻らないじゃないか」

 「ふーん」


 ルナリエは目を細めた。


 「だから罪人には素晴らしき労働をプレゼントしようという、オチ?」

 「ああ。クソ寒いタウリカ半島に送って使い潰そうと思っている」


 さすがのルナリエもエルキュールのフリが分かってきたのか、今回はあっさりと当てて見せた。


 「まあでもあれだ、完全に使い潰す気満々だと連中もやる気出ないからな。ちゃんと仕事をして、生き残れば、土地をやろうかと思っているよ。その方が税金も採れるし」

 「どれだけ生き残れるのか分からないけど、希望がある分、人道的と言えば人道的……かな?」


 ルナリエは苦笑いを浮かべた。

 確かに人間、死んだらそこで終了だ。

 死刑にするよりは開拓地に送り込んで労働をさせ、最終的に社会復帰させて税金を納めて貰った方が国のためと言えば国のためではある。


 もっとも……

 パンドラの箱に最後に入っていたのは希望という。


 死ねば良くも悪くも苦しみはそこで終わりだが、希望という人参をぶら下げられて、走らされる苦痛は相応のもの。

 

 どちらが罪人にとって幸福かは、ルナリエには判断できなかった。


 「ルナ」

 「ん? 何……ん、っ!」


 唐突にエルキュールはルナリエの唇を己の唇で塞いだ。

 すぐにルナリエの口内に舌が入り込み、その柔らかい粘膜を蹂躙する。


 逃げようにも強い腕力で無理やり抑え込まれ、暴れることすらもできない。


 「……ぁ、ぅ、ぷはぁ、な、何をするの?」


 目を白黒させて、ルナリエは尋ねた。

 エルキュールはすまし顔で答える。


 「ん? 俺が奴隷に何かするのに、許可がいるのかね?」

 「……あなたは、全く、もう」


 ルナリエは眉を上げる。

 とはいえ、すぐに満更でもなさそうにエルキュールに体重を預けた。


 「そこの壁に手を付け」

 「……はい」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る