第4話 とうもろこし・じゃがいも・さつまいも
「にしても探せばいろいろと見つかるものだな」
エルキュールは機嫌が良さそうに言った。
というのも探していた三種類の作物を発見したからだ。
玉蜀黍(とうもろこし)、馬鈴薯(じゃがいも)、甘藷(さつまいも)の三種類である。
「セシリアの協力のおかげだな」
「いえいえ、この程度のことならば喜んでご協力いたしますよ」
セシリアはにっこりと笑みを浮かべて言った。
この三種類の作物を見つけることができたのはセシリアの協力があったからだ。
メシア教会の聖職者に、セシリアがエルキュールの意図を伝えたのである。
セシリアの指導の下、現在メシア教会は世界中にその手を伸ばしつつある。
当然、教会や修道院を設置する前に現地で綿密な調査をし、計画を立てる必要がある。
その過程で変わった作物を見つけたら、手に入れてノヴァ・レムリアに送るようにセシリアは指示を出したのだ。
「しかし……聖書には書かれていない食べ物ですが、食べられるのですか?」
「それは論より証拠、ってやつだな。……ああ、シファニー。ここに置いてくれ」
「かしこまりました」
エルキュールの執務室に、シファニーが三種類の作物で作られた料理を運んでくる。
テーブルの上に置き、一礼して去っていく。
シファニーがいなくなるのを確認してから、エルキュールは自分の隣を軽く叩いた。
「一緒に食べないか?」
「……ではお言葉に甘えて」
セシリアは顔を少し赤らめて、エルキュールの向かい側のソファーから隣へと移動した。
「それで……これはどういう風に調理されたものか、説明してくださいますか?」
「馬鈴薯と甘藷はシンプルに茹でたもの、玉蜀黍は粉にしてからパンに加工した」
エルキュールはそう言ってまず馬鈴薯を手に取った。
手で割ってから半分をセシリアに渡す。
恐る恐る、という風にセシリアはその美しい唇を馬鈴薯につけた。
「ん、柔らかいですね。何て言えば良いんでしょうか? 表現し辛い味です」
「口には合わないか?」
エルキュールが聞くとセシリアは首を傾げた。
「いえ、不味くは、ないです。ただ、うーん、ちょっとよく分からないですね。食べ慣れない味なので……」
「まあそれもそうか」
エルキュールも馬鈴薯を齧った。
(……知らない味だな)
エルキュールも首を傾げた。
前世の知識があったため、味の予想はある程度できてはいたが、それでも違和感がある。
それもそのはず。
そもそもレムリア帝国には芋類が存在しないのだ。
全くもって、未知の食べ物である。
エルキュールの舌も初めて感じる味覚に「なんだ? これ……」と困惑しているようだ。
「これ、土の中で育つんですよね? 根っこ、ってことでしょうか?」
「いや、根っことは違うみたいだぞ。確か馬鈴薯は地下茎、茎の一種だ」
「……茎、ですか? これが?」
セシリアは首を傾げた。
それはエルキュールも同感である。
「まあ、でもほら。ブロッコリーの茎を柔らかくすれば、こんな感じになる気がしないか?」
「……確かに、そんな気がしなくもないような」
まあともかく、レムリア帝国の常識で考えれば謎植物であることは変わらない。
「次は甘藷にしよう」
同様にエルキュールは甘藷を手で割り、半分をセシリアに渡した。
二人揃って口に運ぶ。
「少し、甘いな」
「そうですね……馬鈴薯を甘くした感じですね」
もっとも、甘いと言っても日本で食べられている品種ほど甘くはない。
そこまで品種改良は進んでいないのだ。
「これも確か土の中で育つんですよね? 茎ですか?」
「土の中で育つのは確かだが、これは根っこらしいぞ」
「へぇー、じゃあ馬鈴薯とは全然違うんですね」
馬鈴薯はナス目ナス科ナス属じゃがいも種。
甘藷はナス目ヒルガオ科さつまいも属さつまいも種。
同じモンゴロイド、しかし日本人の東京都民と中国人の北京市民、というくらいは他人である。
「次は玉蜀黍だ」
玉蜀黍は粉に加工した後、こね、焼いて、パンにしてある。
日本で玉蜀黍、と言えば茹でて食べたりするのが一般的である。
だがこの玉蜀黍は茹でてもあまり美味しく頂けない。
日本で一般的に栽培されている玉蜀黍は
一方、エルキュールが入手した玉蜀黍は
「ん、これは割と普通ですね」
「まあ、普通だな」
調理方法がパン、ということもありこれは二人の口にも親しみ安かった。
「でも小麦のパンの方が私は好きですね」
「それはまあ、確かにな」
小麦で作られたパンと、玉蜀黍で作られたパン。
敢えて後者を選ぶ理由は、物珍しさ以外には二人にない。
「それでエルキュール様、この三種類の作物を導入するメリットって、何ですか? ……味だけなら、小麦の方が私は良いと思いますけど」
「それは我々が食べ慣れていないだけだろう。……メリットか。まあまずは馬鈴薯の説明からするか」
馬鈴薯。
日本ではジャガイモと呼ばれている作物だ。
名前の由来は「ジャカルタから来た芋」である。
日本に伝来した時、ジャカルタはオランダの貿易拠点であった。
まあつまり、オランダ人が持ってきた芋という意味である。
痩せた土地でも育ち、そして寒さにも強い。
必要となる降水量も少ない。
つまり小麦を育てるのに向かない土地でも十分に育てることができる作物、ということになる。
「欠点を上げるならば、連作障害が起きやすいことかな? あと疫病が流行ると壊滅する。この辺りは注意しないといけない」
「一長一短がある、ということですね。甘藷はどんな作物ですか?」
甘藷。
日本ではサツマイモ、と良く呼ばれている作物だ。
名前の由来はそのまま、「薩摩の芋」であり、九州から日本全土へと栽培が広がったことでその名がつけられた。
尚、北九州では「琉球芋」と呼ばれることがある。
そして沖縄では「唐芋」と呼ばれることがあり、中国では「番藷」と呼ばれる。
これは甘藷が、アメリカ大陸→ヨーロッパ→中国→琉球(沖縄)→薩摩(九州)→本州というルートで広がっていったことを意味する。
つまり本州の人からすれば甘藷は「薩摩の芋」、薩摩の人からすれば「琉球の芋」、琉球王国の人からすれば「唐(中国)の芋」、中国の人からすれば「番(ヨーロッパ人)の芋」ということになる。
甘藷も馬鈴薯と同様に痩せた土地や降水量が少ない土地でも十分に育つ。
「やはり同様に連作障害が起きやすいのでしょうか?」
「いや、連作障害は起きにくい」
甘藷は根粒菌と共生しているため、窒素固定が可能だ。
故に連作が可能である。
無論、ある程度の注意は必要だが。
「え、じゃあ馬鈴薯の上位互換じゃないですか」
「俺もそう思ったんだがな……暖かいところ、日照量が多いところじゃないと育たない。レムリア帝国で栽培が適するのはミスル属州くらいだろう」
「なるほど……」
万能な作物は存在しないのである。
「最後、玉蜀黍はどうなのでしょうか?」
「これもまあ、今までの流れから分かる通り、痩せた土地でも育つな」
玉蜀黍は痩せた土地でも十分に育ち、そして連作障害も起きにくい。
特に山間部等、小麦を育てられない地域での栽培が可能である。
「まあ総括すると……この三つの作物は小麦を育てにくいところで育てられる、というのが利点だな。今まで耕地にできなかったところを耕地にできる、というのは大きい。他にも……」
「リスク分散、ですか?」
「よく分かったじゃないか」
エルキュールが褒めると、セシリアは嬉しそうに微笑んだ。
リスク分散。
エルキュールが三つの作物を導入したい、最大の理由である。
小麦だけを育てていると、小麦が凶作になった時に多くの餓死者が出る。
だが小麦以外の作物も育てていれば、餓死者の数を大きく減らすことができる。
「農業政策で大事なのは収穫量を上げることじゃない。どれくらいリスクを分散し、飢饉の時の被害を抑制できるかだ」
尚、ここで言うリスク分散というのは作物の種類だけではない。
栽培されている地域、または輸入先も含まれる。
「まあ問題があるとすれば、どうやって食べるか、そして広げるかだ」
「玉蜀黍はともかく、馬鈴薯と甘藷は難しそうですよね。……地中で育つ食べ物なんて、あまり聞いたことないですよ」
人間、食べ慣れていないものは食べられない。
理屈の問題ではなく、感情の問題である。
タラバガニは食べられるが、蜘蛛は食べられない。
剥いたエビは食べられるが、幼虫は食べられない。
貝は食べられるが、カタツムリやナメクジは食べられない。
人間というのはそういう生き物である。
ましてや食感、食味、共に未知の味だ。
カニと蜘蛛、貝とカタツムリ以上に心理的ハードルが高い可能性は十分にある。
「……しかも馬鈴薯は毒があるからな」
「え、そうなんですか? 食べちゃいましたけど……」
「いや、正確に言えば『芽』に毒がある。そこをちゃんと除けば問題無いよ」
とはいえ、アフリカマイマイはちゃんと熱すれば食べることが可能だと知っていても、「お、アフリカマイマイじゃん! 今夜は御馳走だ!!」となる日本人はあまりいないだろう。
この辺りをどう説明するかが重要だ。
「というわけで、セシリア」
「はい? 何でしょうか……っきゃ!」
エルキュールは突然、セシリアを押し倒した。
そしてその唇を強引に奪う。
慣れた手付きでセシリアの手足をロープで縛り、拘束する。
「ちょ、ちょっと! な、何をするんですか! やめてください!」
「まあまあ、落ち着けよ。ちょっとお願いごとをしようとしているだけさ」
エルキュールはそう言ってセシリアの頬を撫でた。
セシリアの息遣いが荒くなり、目が潤み始める。
言葉とは裏腹に興奮しているのがよく分かる。
「やめて欲しかったら、作物の普及に協力してくれ。な?」
エルキュールがそう言うとセシリアはプイっと頬を逸らした。
「嫌です、絶対に屈したりなんかしないんですからね!」
と、まあフリの一種である。
一応、セシリアは聖職者なのだ。
婚前交渉はNGである。
強姦されたから仕方がないのだという、言い訳がなければセシリアはそういうことに応じることができない。
玉蜀黍や馬鈴薯、甘藷を聖職者に啓蒙させる程度、別にセシリアからすればどうってことはない。
ただ……
それを言い訳にしているだけだ。
エルキュールはゆっくりとセシリアの胸部に手を伸ばす。
セシリアの体がビクリと震えた。
「ぁ……ん、ッ、ふぅ……」
「体の方は、正直だな。相変わらず……」
「感じてなんか、いないです。むしろ気持ち悪いくらいです……エルキュール様のことなんか大っ嫌いです!」
つまり凄く感じていて、気持ちがいい。エルキュール様のことが大好き。
という意味である。
敢えて、全く真逆のことをセシリアは言っている。
大変、正直者である。
「可愛い奴だ……愛しているよ」
「私もです……エルキュール様……」
エルキュールに愛を囁かれ、セシリアはうっとりと答えた。
「え、何だって? 聞こえなかった」
急に難聴になるエルキュール。
セシリアは慌てて言い繕う。
「わ、私はエルキュール様のことなんか全然愛してないです。大っ嫌いです!!」
「だよな。お前が俺のことが好きなはず、ないもんな」
「当たり前です! 全然、好きじゃないですから!!」
そして二人は笑い合った。
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