第3話 ブルガロン内政 後
大河、ヒステール。
かつてレムリア帝国と野蛮人の領域を隔てた自然国境であり、ブルガロン人に突破されて以降ブルガロン王国内を走っていた川だ。
現在はブルガロン王国はレムリア帝国領となったため、レムリア帝国の自然国境に戻った。
現在、ヒステール河はエルキュールの命により要塞化が着々と進んでいた。
「どうしてこれほど防備を固めるのですか? ……北にレムリア帝国を脅かすような敵はいないと思いますが」
アリシアはエルキュールに尋ねた。
今日、エルキュールはヒステール河の要塞化工事の視察に訪れたのだ。
アリシアはその付き添いである。
河の両岸には堀が掘られ、馬が越えられないように先端が尖った柵と杭が埋められている。
河に渡された橋の両端は完全に要塞化されており、もし橋を渡ろうとすれば攻城兵器が必要になるだろう。
そんなレムリア帝国の土木技術の結晶が、数十キロに渡って作られているのだ。
「今日はいないな。だが明日、明後日は分からん」
「テリテル氏族ですか?」
ヒステール河はレムリア帝国と野蛮人の領域を隔てる自然国境であった。
が、全て、全時代に於いてそうだったわけではない。
ノヴァ・レムリアから北西、ヒステール河の北部にはダチアと呼ばれる領域があった。
ここは古くから大規模な金鉱脈があり……
それ故にダチアだけが、ヒステール河の外側であるにも拘らずレムリア帝国に侵略されて、属州となった。
その後、ブルガロン王国に征服され……そして現在エルキュールに奪い返された。
現在、旧ブルガロン王国領はヒステール河の北側をダチア属州、南側をブルガロン属州の二つの行政区に分けられて支配されている。
南側、ブルガロン属州で最大のブルガロンの氏族がクロム氏族であるとするならば、北部のダチア属州ではテリテル氏族がブルガロン最大の氏族だ。
テリテル氏族はレムリア・ブルガロン戦争では殆ど被害を出していない。
そして港を手に入れ、レムリアと直接交易に乗り出すなど……経済改革にも成功している。
レムリア側に寝返るまでの態度を含めて、エルキュールはテリテル氏族を警戒していた。
だが……
「まあ、それも無いことはないが……テリテル一氏族だけなら、ここまで大袈裟に防備を固める必要はないな」
有力、とはいえ所詮人口数十万。
レムリア帝国からすれば小石と同じだ。
無論、テリテル氏族がその他の氏族を糾合して大勢力を築けば大きな脅威になるが。
「では、何のために」
「そうだな。例えば……
「黒突、ですか」
アリシアは表情を歪めた。
ブルガロン人と黒突の文化は大変良く似ている。
それもそのはずで、ルーツを遡ればどちらも同じ民族だからだ。
大草原の覇者となったのが黒突であり、その黒突に追われてレムリア帝国に侵入したのがブルガロンである。
「連中の勢力はずっと東にあるし、その目は南……ファールスや絹の国に向いている。だが、連中が西に目を向けないとは限らない。その場合、侵略されるのはタウリカ半島やハヤスタン王国、そしてこの辺り……ブルガロン属州だな」
今はリナーシャが嫁いだことで黒突とは同盟関係、親戚関係にある。
だが今後どうなるか分からない以上、備えるに越したことは無い。
「まあ別に黒突には拘らないさ。……ここは遊牧民が侵入しやすい。お前たちブルガロン人が盾になるとはいえ、それだけで防ぎきれるか分からん。念には念を入れる」
エルキュールがブルガロン人の農耕民族化を無理に進めないのは、統治の上ではブルガロン人の文化を尊重した方が合理的というのもあるが……
力の空白地帯を作らないようにする、という理由もある。
ブルガロン属州周辺は古くから侵入した遊牧民の活動拠点となってきた。
この地の遊牧民を全滅させてしまうと、その空白に別の遊牧民が入り込む危険がある。
故にブルガロン人を従属させつつ、あくまで遊牧民として支配しているのだ。
「……ダチア属州にも同様のモノを築いているんですよね?」
「ダチア属州の要塞はもっと厳重だぞ。あそこには河もないし、直接蛮族と接しているからな」
一応、山脈などは存在する。
だが山というのは案外、敵の侵略を防ぐ盾にならない。
越えようと思えば越えられなくもない上に、木々により視界が悪く、敵の発見が遅れる。
そして一度山の中に逃げられてしまえば、追う術がない。
だから山脈などはできるだけ国境線の内側に取り込んだ上で、見通しの良い場所に長城などの人工的な国境線を作り出すのがレムリア帝国の古くからの国防政策だ。
「……お金が掛かりませんか?」
「元コトルミア氏族の奴隷のおかげで案外安く済んでるよ。使い潰しの効く労働力ってのは良いもんだ」
エルキュールの言葉に、アリシアは身を震わせた。
もし選択を誤れば、クロム氏族も強制労働をさせられていたかもしれないのだ。
「ブルガロン属州、ダチア属州は経済的にも遅れているからな。丁度良い公共事業になるし、金が掛ることはそんなに悪いことではないさ」
「そういう、ものですか?」
「そんなものだ。最後に税金として返ってくればいい。幸い、レムリアは今景気が良い」
エルキュールは機嫌良さそうに言った。
税収も増大しているため、財布には余裕があるのだ。
「それに……ダチア属州の金鉱脈からの収入が期待できるしな」
「ダチアの金鉱脈はもう、掘り尽されたのではないのですか?」
「お前らの技術水準で掘れるところまでは、な。我が国の技術なら、まだまだ深くまで掘れる。最低でも五十年分はある、ってのがうちの学者たちの試算だよ」
先程語った通り、ダチアには金鉱脈が存在する。
表層部はあらかた掘り尽されてしまったが……少し労力は掛かるが、採算が採れる量の金が深層部に眠っている。
これを掘り出せば大きな収入源となる。
「もっとも、それでもブルガロン属州とダチア属州は今のところ大赤字だ。こうなることは分かってはいたからこそ、元々ブルガロンを征服するつもりは無かったんだがな」
「え? そうなのですか?」
思わぬエルキュールの吐露にアリシアは目を見開いた。
これほどまでに徹底的にブルガロン人を支配下に置いているのにも拘らず、元々はそこまで乗り気ではなかったと聞かされれば驚くのは当然だろう。
「ど、どうして心変わりをなされたのですか?」
良くも悪くも、というか殆ど悪い方向にアリシアの人生は動いたのだ。
その動く原因、心変わりの理由を知りたいと思うのは当然だろう。
「端的に言うと、お前にやられたのに腹が立ったからだ」
「……やられた?」
「お前の奇襲のおかげで、俺は多くの精鋭を失ったんだぞ? 加えて腕も……まあそっちは戻ったから良いが。腹の一つや二つ、立つのは当然だ」
アリシアは茫然とした。
自分があの時、勝利を収めなければブルガロン王国は滅ばなかったかもしれないのだ。
「で、では当初の予定ではどうするおつもりだったのですか?」
「良くてブルガロン王国を従属国にした上で経済支配、まあ最悪領土を取り返して防衛線を再構築した上での不可侵条約だな。どちらにせよテリテル氏族とは友好関係を結ぶことができていたし、コトルミア氏族とクロム氏族の関係に楔を打ち込む策もいくつか用意していた。ブルガロンの力を大きく割くことさえできれば問題無かったさ」
「で、では私の行動は……」
「まあ悪い方向に転んではいるなぁ。もっとも俺はありがたいと思っているぞ。お前らが約束というものを欠片も守る気がない、ってことが分かったからな。いや、分かってはいたが実感が足りなかった。やはりお前らみたいな連中は、徹底的に殴った上で、しっかり首輪をつけて躾けてやらんとな」
エルキュールはそう言ってアリシアの首を鷲掴みにする。
アリシアは体を震わせた。
エルキュールは怯えるアリシアの耳に自分の唇を近づけ、囁く。
「まあまあ、そう怯えるなって。お前にとっても、クロム氏族にとっても悪い話だけではあるまい? 率直に言って、俺の方がお前の元婚約者……テレなんとかよりも数倍良い男だろう?」
「それは……まあ、はい」
アリシアの中のテレリグの印象は尚も悪い。
それにテレリグよりもエルキュールの方が優れた人物であり、何より自分よりも強いということは明らかだった。
もっとも、人格に大きな欠陥のあるエルキュールという男を“良い男”と素直に言うことはできないというのがアリシアの本音である。
首を掴まれた状態で、そんなことは口が裂けても言えないが。
「コトルミア氏族はお前らクロム氏族を使い潰す気でいた。あのままコトルミア氏族と仲良くやっていたら近い将来、お前らは窮地に立たされていたかもしれない。それにもしテリテル氏族がブルガロンの覇者の地位を狙っていたとすれば、俺はそれを裏で支援しただろう。ブルガロン人同士の内乱で死体の山ができたかもしれん。まあ、悪い方向へのIFならいくらでも想像ができる」
「それは……あなたが、ブルガロンを締め上げようとしているからでしょう?」
アリシアがそう言うと、エルキュールは笑みを浮かべた。
「そうだな。仕方があるまい? お前らが目障りなのは変わらないのだから」
ブルガロン王国はレムリア帝国のおかげで発展してきた。
レムリアから豊かな土地を奪い、略奪し、そして交易をして……そしてレムリアという大国が近くにあるからこそブルガロン王国という纏まった政体を作り出すに至った。
故にその衰退、滅亡もレムリア帝国の動向に左右されるのは当然と言えるだろう。
「あ、ちょっと、へ、陛下……こ、このような場所で……」
「今更だが、お前良い尻しているな。安産型で元気な子が生まれそうだ」
エルキュールはもう片方の手でアリシアの臀部を撫でる。
突然のことで、思わずアリシアは嬌声を上げた。
「お前には子供を産んでもらう。将来、クロム氏族の長になる子。ブルガロン人をレムリアに繋ぎ止める楔になる子、テリテル氏族……そして将来訪れるかもしれない脅威への盾となる子をな」
そう言ってエルキュールはアリシアを抱き寄せる。
体を密着され、アリシアは顔を赤くする。
この場にいるのはエルキュールとアリシアだけではない。
護衛の兵士は無論、案内役の官僚、そして多数の労働者たちがいる。
多くの視線に晒されているのだ。
「や、やめて、ください……」
「お前は口ではやめてだ、嫌だという割にはノリ気に見える。どうしてだ? 俺の勘違いか、それとも演技か……」
先程まで臀部にあったエルキュールの手は、既にスリットから覗く白い太腿に移動していた。
撫でるように、ゆっくりと手が服の内側、そして太腿の上の方にまで上がっていく。
一方アリシアの首を掴んでいた手は前に移動し、上半身の前面に移動していた。
お腹から、ゆっくりと上にまで迫り上がる。
エルキュールの手の動きに連動するように、アリシアの呼吸は荒くなり、そして声は艶を帯びていく。
真っ赤に染まった耳に舌を這わせながら、エルキュールは囁く。
「俺は何だかんだでお前のことを買っている。ガルフィスやカロリナに引けを取らない武術の腕は無論、戦術面での才能、そして俺に対して助けを乞うという正解を導き出せた政治面での才。俺はバカな女は嫌いだ。その点、お前は知恵が回る。まあだからこそ、しっかりと首輪をつけて飼わなきゃいけないわけだが……」
そう言ってエルキュールはアリシアの耳に息を吹きかけた。
ぐったりと脱力したように、全身の体重をエルキュールに預ける。
力が抜け、抵抗する気力も失ってしまったようだ。
そんなアリシアにエルキュールは言う。
「良いか、雌犬。尻尾を振り、媚びを売り、芸をして飼い主を楽しませるのは犬の仕事の一つだが……犬の本分は飼い主を輔佐することだ。犬が家畜となったのは、その狩猟の才能を見込まれたが故。そして俺がお前を飼っているのは、猟犬として使いたいからだ」
アリシアは熱を帯びた目でエルキュールを見上げた。
緊張、恐怖、嫌悪、服従、期待、悦び……様々な感情が混ざり合い、アリシアの心臓を激しく高鳴らせ、体温を上昇させる。
それは吊り橋効果を引き起こすのには十分な身体的反応だった。
「お前の献身に、期待している。アリシア」
「はい、へいか……」
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