第2話 ブルガロン内政 前

 「羊毛、馬乳酒……で、手始めにやってみた小麦。本気で売れると思ったのか?」


 属州ブルガロン、クロム氏族自治区。

 その中心地である天幕の中で、エルキュールは鼻で笑うように言った。


 エルキュールのすぐ横にはアリシアが控え、盃に馬乳酒を注いでいる。

 一段下にはクロム氏族の氏族長、そして以下有力者が顔を俯かせて座っていた。


 「で、ですが……美味しくないですか? 馬乳酒」

 「俺は嫌いではないが、俺が好きだからといってレムリア人全員が好きなわけがあるまい」


 エルキュールはアリシアから注がれた馬乳酒を飲みながら答えた。

 強い酸味のあるこの酒は、大変栄養価が高い。

 

 エルキュールは健康のために取り寄せて毎日一杯ほど飲んではいたが……

 それはそれ、これはこれだ。


 「レムリア人が好むのは葡萄酒だ。メシア教の儀式にも、葡萄酒は付き物だからな。葡萄酒よりも一段劣る飲み物として麦酒、最近は変わった酒として米酒が一部では流行しているが、それでも格は下だな」

 「馬乳酒はどのような扱いですか?」

 「人間の飲むものじゃない、ってのが一般的なレムリア人の感覚だろう」


 昔、レムリアでは大麦は下賤の食べ物として扱われた。

 何故なら大麦は馬などの家畜の飼料として使われていたからである。

 故に大麦から作られる麦酒は家畜の飲み物であり、野蛮人の飲み物だ。


 最近はレムリアでも麦酒が飲まれるようにはなってきている。

 獣人族ワービーストの文化が逆輸入されたからだ。


 そもそもレムリア帝国にはかなりの数の獣人族ワービーストが生活している。


 では馬乳酒は? というとレムリア人にとってはもはや未知の飲み物である。

 白濁色の酸味の強いドロドロした液体。

 しかも原料が馬の乳……


 飲まれるはずもない。


 ヤギの乳やチーズは食べられているのに馬の乳はダメなのか?

 と思うかもしれない。


 だが日本人だって、カニやエビは食べることができても蜘蛛や芋虫は食べれないだろう。

 カニはどう見ても海版蜘蛛であり、剥いたエビはカブトムシの幼虫そっくりだ。

 だがカニやエビは食べれても、蜘蛛や芋虫は食べれない。


 それと同じだ。


 「そ、そうですか?」

 「うん、ただまあ……お前らは飲み続けた方が良いぞ。お前らの食生活から馬乳酒を除けば、栄養が偏るだろうからな。特にビタミンCは重要だ。それはさておき……」


 エルキュールは別にブルガロン人に対して栄養指導をしに来たわけではない。

 馬乳酒の栄養価についての話は置いておき、話題を移す。


 「羊毛はなぁ……まあ売れないこともないが。競争力は弱いだろうな。他のブルガロン人も売るだろうし」


 羊そのものはレムリア帝国全土で育てられている。

 エルキュールは繊維業に力を入れており、実際に繊維の需要は伸びている……

 のだが、綿の生産量も伸びているため全体として羊毛の需要は徐々に低下していた。


 

 加えて現在、レムリア帝国では新たに品種改良された高品質の羊毛を生産する羊が育てられている。

 そのためブルガロンの羊毛は安く買い叩かれてしまう。


 「次に小麦だが……まあ農業やってみようっていうチャレンジ精神は買うよ。だが小麦はダメだ。競争相手が強すぎる」


 ブルガロンの土壌は決して痩せてはいないが……

 レムリア帝国の穀倉地帯である、属州ミスル、属州シュリア、属州アナトリコン。

 そしてハヤスタン王国や、チェルノーゼムを有するタウリカ半島の小麦生産力と比べてしまうとどうしても劣る。


 そして何より、ブルガロン人の農耕技術が疎い。

 自分たちで食べる分は確保できても、商品にはならない。


 「では、何を作れば良いでしょうか?」


 アリシアがクロム氏族の有力者たちの気持ちを代弁した。

 エルキュールは少し考えてから答える。


 「まずは成功者を学びな……テリテル氏族は馬を売ってるだろう? 羊を減らし、馬を増やせ。今、レムリアでは馬の需要が高まっている。軍用としては無論、荷駄馬としても農耕馬としてもな。馬だけじゃなく、ロバなんかもありだな。何なら馬とロバを掛け合わせたラバなんてのは、商品価値も高いだろう」


 馬の生育には広い土地が不可欠だ。

 しかしレムリア帝国は農耕民族の国ということもあり、馬の生育に適した広い草原地帯が少ない。

 あったとしても、それらの土地は羊の放牧に使用される。

 その点、ブルガロンは良くも悪くも土地が広い。

 馬を伸び伸びと育てることができるだろう。


 「しかし、いざという時に食糧が無くなるのでは?」

 「ふむ、良い質問だな。では一つ、クイズを出そう。……レムリア帝国にある二つの村があった。一つは小麦を専門として育てている村、もう一つは小麦も育ててはいたが亜麻などの商品作物の生産により大きな力を注いでいた村。さて、ある時日照りが起きて農作物に被害が出た。さて、どちらの村の方がより多くの死者が出たと思う?」


 アリシアは少し悩んでから答えた。


 「商品作物を育てていた村ではないですか? だって、その分食糧が少ない……」

 「結論から言うと不正解だ。小麦を専門とした村の方が、死者が多かった」


 エルキュールはまず答えを言ってから、解説を始める。


 「レムリア帝国は広い。広いから、どこかが凶作でも別のどこかは豊作……ということはよくあるんだよ。ミスル属州が凶作ならシュリアか、アナトリコン。またはハヤスタン、タウリカ半島から小麦を買ってくれば良い。金があれば、何でも買える。加えて……小麦は一年、二年程度しか持たないが金なら何十年と持ち、いざという時のために蓄えることができる」


 そもそもとして、小麦の生産者と所有者が違うということもよくある。

 つまり小麦を育てている小作人たちは少ない小作料で窮乏しているかもしれないが、領主たちは財政難になることはあっても万が一に飢え死にすることはない。

 

 そして大金を支払って小麦を買い求める領民、または外国人と……

 一銭も持っていない小作人。

 どちらに小麦を売るだろうか、と考えれば答えは明白だ。


 「良いか。基本的に市場では、買い手と売り手なら買い手が絶対的に強い。買い手は売り手を選べるが、売り手は買い手を選べない」


 もっとも時と場合にも依るが、とエルキュールは小さな声で付け足す。


 砂漠のど真ん中で、オアシスも何もないようなところでは……

 もしかしたら水の売り手と買い手なら、売り手が強いかもしれない。

 だがそういう状況は滅多に発生しない。


 「ちなみにこれは国同士の力関係にも如実に現れる。ハヤスタン王国とレムリア帝国は現在、レムリア帝国の一方的な輸入超過。レムリアはハヤスタンの小麦を輸入している……が、レムリアは別にハヤスタン小麦に拘る必要はない。だからハヤスタンが生意気な態度を取れば……関税を引き上げれば良い。それだけでハヤスタンの経済は破綻するだろう。連中の小麦を買っているのは我が国だけだからな。故にハヤスタンは我が国に逆らえない。金は万物に代えることができるが、小麦は金にしか代えられない」

 

 お客様は神様だ、とはよく言うが……

 言い得て妙だ。

 客がいなければ、店に並ぶ商品はただのガラクタに過ぎないのだから。


 「なるほど……よく分かりました」


 アリシアは相槌を打ちながら、馬乳酒を注ぐ。 

 エルキュールはそんなアリシアの肩を抱き寄せ、頬に唇を押し当てた。

 

 アリシアは頬を赤らめる。


 「さて、農業に関してだが……お前たちの生活や文化を考えると、大規模な農場経営は不可能だろう。つまり小麦や大豆、葡萄や亜麻、綿……薄利多売の商品は向いていない。小規模経営でも利益が出やすい、高付加価値の商品が望ましい。加えてレムリアではあまり生産されていないような商品が良いだろうな」


 「具体的には、何でしょうか?」


 アリシアが尋ねる。

 エルキュールはそんなアリシアの頭を軽く叩いた。


 「少しは自分の頭で考えられんのか?」 

 「う、す、すみません……農業は全然分からなくて……」 

 「本を読むという選択肢は?」

 「……字が読めません」 

 「あらら、なら仕方がないな」


 エルキュールは馬乳酒を飲んでから、肩を竦めた。

 ルナリエとアリシアは立場は似通ってはいるが、中身が違う。


 ルナリエは変態ではあるが、知恵はよく回る。

 レムリア帝国に従属しつつもその経済力を利用して、ハヤスタン王国を豊かにしようと日々こそこそと動いている。

 レムリア語、ハヤスタン語、ファールス語、キリス語と複数の言語を操ることができるルナリエは足りない知識を本で補うということもできる。


 一方アリシアは頭は良いが……それは戦争、特に戦術に関することだけだ。

 戦略レベルになるとかなり怪しくなる。

 政治はともかく、経済はまるでダメだ。

 

 そしてブルガロン語と片言のキリス語しか操れない。

 ブルガロン語の書籍など、ほぼ無いに等しいため実質文盲だ。


 (というか、民族性がモロに出ているな。興味深い……)


 ハヤスタンという土地はそもそも歴史上自力で国を保った時期の方が短い。

 万年属国民族である。

 そのためどんな国に支配されても立ち回れるように、上流階級は他言語の字の読み書きができる。


 一方ブルガロンは支配された時期などほぼない。

 質実剛健な文化、と言えば聞こえは良いが早い話、脳筋気質なところがある。

 

 「そうだな……まあ香辛料、香料が良いだろう。この辺りで育てられる香辛料と言えばサフランだが、これはブルガロンの気候に合うか少し自信がないな。うーん、アニス、ヒマワリ、バラ辺りかな?」


 エルキュールは香油は好きだ。

 もっとも、香油を自分に塗るのが好きなのではない。

  

 女性に塗るのが、そして塗った女性が好きなのだ。


 バラの香油を塗ったカロリナの姿をエルキュールは思い浮かべた。

 あれは大変良いものである。


 「しかし育て方が分かりません……」

 「それくらいは調べろ、と言いたいところだがな。字が読めんなら仕方がないな。今度、開墾修道会の連中を紹介してやる。知ってる奴の一人、二人はいるだろう」

 「あ、ありがとうございます!」

 「構わんさ……大した手間でもないしな」


 クロム氏族の弱体化はエルキュールの望むところではない。

 テリテル氏族がイマイチ信用できない以上、対抗部族としてクロム氏族はブルガロン第一位の地位を保って貰わなければならない。


 「ああ、そうだ……近々、ラクダという動物をブルガロンに送るから、馬をラクダの臭いに慣らしておいてくれないか?」

 「それは……どうしてですか?」

 「今度の遠征で使う予定だからだ」


 あまり多くは語るつもりはないようで、エルキュールは短く答えた。

 何をするにもしても逆らえる余地はない。

 アリシアは素直に頷いた。


 「ついでにメシア教への改宗を進めて置け。我らの小さな姫巫女メディウム殿が五月蠅くてな。早いところ改宗しないと、ブルガロンに布教に出向くと言いかねん。面倒だぞ、あの子は。黙ってれば可愛いんだがなぁ」

 

 「あ、あの、へ、陛下……」


 「どうした? 妬いたか?」


 「……」


 無言のアリシアをエルキュールは抱き寄せた。

 他のクロム氏族の者たちが見ている中、髪を撫でる。


 「まあ安心しておけ。お前が俺の物であるうちは大切にしてやるさ。さて……そろそろ発つぞ。何もブルガロンに来たのは、クロム氏族の面倒を見てやるだけじゃあないからな」


 エルキュールはそう言って立ち上がり、マントを翻して天幕を出ていく。

 慌ててアリシアがその後ろを追いかけていく。


 「はぁ……」


 二人が去った後、クロム氏族長が大きな溜息を吐いた。

 それを皮切りにクロム氏族の有力者たちは、緊張が解けたように体を崩した。


 皆、ぐったりとしている。

 それもそうだろう。


 エルキュールからずっと、殺気と精神攻撃魔法を受け続けていたのだ。


 「あれは……逆らえんな」

  

 クロム氏族長は小さな声で呟いた。

 クロム氏族の有力者たちは、それに同意するように無言で肯定した。

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