第六章 ■■■■戦争

第1話 雌羊と雌犬


「まさか、まさか、まさか!!! そ、そんなことを……いや、できるはずがない! そんな馬鹿げたことを、普通は思いついてもやらない! もしやったら本当の馬鹿だ!! でも、だからこそ、今までそんなことをやろうとしたものは……いない!! もし、もし、もし、そんなことが、可能だとしたら……」


 レムリア皇帝について


 ――ソニア・リュープス・ゲイセリア――





 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ


 「ルートヴィヒ一世、アルビオン征服完了ねぇ……腹立たしいな。全く」


 エルキュールは不愉快そうに鼻を鳴らした。

 ブルガロン王国を征服してから数年、エルキュールは二十九歳となっていた。


 もうそろそろアラサー・アラフォーと言っても良い年頃である。

 人族ヒューマンならそろそろ老け始め、少し年を感じ始める頃合い……

 ではあるが、エルキュールの容姿は二十代前半の頃より変わっていない。

 今後、八十年前後は変化しないだろう。


 長耳族エルフとはそういう種族なのだ。


 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ


 「できればアルビオンの国を対フラーリング包囲網に引き込みたかったんだがなぁ。さすがに遠すぎたか」


 アルビオンは大陸から海峡を隔てた先にある二つの島、大アルビオンと小アルビオンを総称した呼び名である。

 そしてこの島は歴史上、一つの政治権力の下で統一されたことがない。


 レムリア帝国が足を踏み入れる前は小さな都市国家、いや小さな集落が各地に点在している程度であり、そこに住まう者は自分たちが共通の先祖・文化・宗教を持っている同胞という意識はあれども民族などという概念はなかった。


 レムリア帝国が足を踏み入れ、レムリア人が大アルビオンの南部の支配拠点としてロンディニウムを建設した時に初めて、アルビオンの先住民たちは民族の概念、つまり“自分たち”と“侵略者”を分けて考えるようになった。

 

 レムリア帝国はアルビオンの七割を支配したが、その全てを支配下に収めることはできなかった。

 いや、やろうと思えばできただろう、

 しかしそれをするだけの価値をレムリア帝国は見出さなかった。


 レムリア帝国が衰退し、真っ先に放棄されたのはアルビオンだ。

 

 侵略者がいなくなり、アルビオンは平和になった……

 はずがない。

 レムリアという支配者がいなくなった地域では秩序が失われ、そしてレムリアという侵略者、共通の敵を見失ったがために先住民同士の覇権争いが起こった。


 もし仮に何事もなく、この争乱が放置されていれば……

 いずれアルビオンには統一国家が生まれたかもしれない。


 だが程なくしてアルビオンに獣人族ワービーストたちが上陸した。

 

 アルビオンはレムリア人、先住民、獣人族ワービーストの三勢力が入り乱れることになったのだ。

 そしてそれは今の今まで続いていた。


 さすがのエルキュールでも、この遠く離れたノヴァ・レムリアからアルビオンの情勢を把握することは不可能だ。

 

 しかし……


 「少なくとも形の上では、ルートヴィヒ一世に全てのアルビオンの勢力が封建契約を結んだわけね。実効支配しているのはおそらく南部の一部が精々だろうが、それでも大したものだな。ただの戦バカではない、ということか」


 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ


 エルキュールはルートヴィヒ一世への評価を上げる。

 『騎士の中の騎士』『獅子王』などという仰々しい噂の所為で、ついついルートヴィヒ一世を典型的な武人として多くの者は見てしまう。

 

 それは各国の政治家やルートヴィヒ一世に仕える家臣、そして初期のエルキュール、後世の歴史家たちですらも同様である。

 ルートヴィヒ一世の華々しい軍事的功績と、極めて軍事的な二つ名から多くの者はそういう武人肌なルートヴィヒ一世を思い描いてしまう。


 だがそれは虚像だ。


 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ

 

 ルートヴィヒ一世という男は、軍人というよりは政治家。

 直接的・暴力的な解決よりも、間接的・政治的な解決方法を好む。


 騎士道精神という仮面を被ってはいるが、その実態は陰謀家であり……

 地味な裏工作を得意とするのだ。


 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ


 「まあ、冷静に考えてみれば当たり前の話だな。フラーリング王国は封建制度の、どう考えても地方分権的な国家。レムリアのような完全な官僚制の中央集権化国家や、ファールスのような折衷型でもない。それなのにあれだけの諸侯を従え、そして軍を動員して見せる……ただのカリスマ性では説明がつかない」


 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ


 エルキュールが軍隊を動員する方法は簡単だ。

 官僚と将軍に兵を集めるように言えばいい。

 上から下まで組織下されたレムリア帝国では、それだけで軍が集まる。


 まあその組織を維持するのには別の労力が必要なのだが……

 少なくとも兵士を集めるという機能だけで見れば、容易い。


 だがフラーリング王国ではそうはいかないだろう。

 嫌だという諸侯に、無理やり兵を出させることはできないのだ。

 それが封建制度というものだ。


 故に綿密な根回しが必要になるし、裏切られないように常に目を光らせる必要もある。

 ルートヴィヒ一世はそういう能力に長けているのだ。


 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ


 「厄介な奴だ。まだササン八世の方が単純明快で楽かもしれんな」


 エルキュールは溜息を吐いた。

 そして報告書をテーブルの上に置き、視線を下に移す。


 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ


 エルキュールは自分の足の指を一心不乱に舐める奴隷・・を見下ろした。

 

 右足指を舐めているのは首輪、手枷、足枷を嵌め、薄い肌の透けるような奴隷服を着た胸の大きい青色の髪の女性。

 左足指を舐めているのは、同様に枷を嵌めているが、奴隷服ではなくブルガロンの伝統衣装―とはいえ魔改造されており大変卑猥な衣装―を着ている黒髪の女性。


 どちらも髪の間から長耳族エルフ特有の長い耳が生えている。


 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ

 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ

 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ


 執務室に足を舐める音が響く。


 エルキュールは二人の首輪から伸びる鎖を持ちながら、声を掛ける。


 「やっぱりルナの方が上手だな」

 「ん、嬉しくない」

 

 エルキュールに褒められた奴隷服を着た女性、ハヤスタン王国女王兼レムリア帝国側室ルナリエ・ユリアノスはいつものポーカーフェイスで答えた。

 とはいえその瞳は潤んでおり、エルキュールから与えられる被虐に酔っているのは明らかだった。


 「アリシアは、まあ下手ではないんだがなぁ……ルナに比べると劣るな」


 次にエルキュールは左足指を舐めている女性、ブルガロン王国有力氏族の一つ、クロム氏族の族長の長女、姫君、そして現在レムリア帝国側室(候補)、アリシア・クロムを見下ろす。

 そして同時に左足の指を動かしてみる。

 するとアリシアは苦しそうに呻く。


 「ふぐ、ん、が、がんばります」


 呻きながらも、懸命に指を舐める姿は大変健気だ。

 アリシアにとって目下の課題は、エルキュールから如何に寵愛を得て、クロム氏族の今後の二百年を安泰にするかである。

 必死になるのも当然だろう。


 (二人とも被虐癖持ちだが……タイプが違うのは面白いな)


 ルナリエはどちらかと言えば、直接的な暴力等を好むタイプである。

 肉体的な苦痛が好きなのだ。

 

 一方アリシアは精神的な苦痛、恥辱や屈辱に対して強い反応を示す。

 おそらく謁見の間、公衆の面前で全裸に脱がしたことがアリシアの性癖を大きく歪めてしまったのだろう。

 まあそれはそれである意味幸せなことなのかもしれないが。


 「二人とも、頑張れよ。お前たちの頑張り次第で、お前たちの民の境遇は変わるんだからな」


 エルキュールがそう言うと、二人の舌の速度が上がった。

 

 二人のエルキュールへの愛情表現は打算込みだが……

 実はこういう関係は、エルキュールは嫌いではない。


 理由は二つ。


 まず人質を取って無理矢理・・・・言うことを聞かせているというシチュエーションがそもそも好きだからというエルキュールの倒錯的な性癖。

 もう一つは……根が人間不信なので、愛情に理由があった方が信用できるというもの。


 

 母親から本来受けるべき愛情を受け取れなかった。

 故に心の底では愛情を渇望しているが、人間不信であるが故に対等な関係は恐ろしくて築くことができない。

 と、解釈すればエルキュールという人間は大変憐れだろう。



 「さあ、ルナ。来なさい」


 そう言ってからエルキュールは軽く鎖を引っ張った。

 ルナリエは足の指を舐めるのをやめて、いそいそとエルキュールの膝の上に登って来た。


 二人は啄むようなキスを交わす。


 「随分と聞き分けの良い子になったな、ルナ」

 「別に……私の一番はハヤスタン王国だから」


 エルキュールに肢体を弄られ、見悶えながらルナリエは答えた。

 

 「体と媚びは売っても、心は売ってないから」

 「そうか、結構、結構……ところで二番目に好きなのは何かな?」

 「……お父様」

 「じゃあ三番目は?」


 するとルナリエは一瞬、頬を赤らめてから答える。


 「……へいか」

 「素直で良い子だ」


 エルキュールはルナリエの髪を乱雑に撫でた。

 髪を引っ張られ、痛みでルナリエは呻き声を上げる。

 もっとも、その瞳はより熱を帯びていたが。


 「最近、ハヤスタンの小麦と葡萄酒が随分と売れてるな」

 「うん、安いから……」


 レムリア帝国の首都、ノヴァ・レムリアは人口七十万を超える大都市であり、小麦や葡萄酒の一大消費地である。

 ハヤスタン王国はアーテル海を通して、ノヴァ・レムリアと直通しているため農産物を輸出するのに大変適しており、輸送コストを最小限に済ませることが可能だ。


 またハヤスタン王国はレムリア帝国と比べて貨幣経済が浸透していない。

 それの意味するところは少ない金銭収入でも生きていくことができるということであり、つまりより安い価格で売ることができる。

 そしてレムリア帝国の小麦の流通が、アレクティアの小麦市場によって支配されているのに対してハヤスタン王国はかなり自由だ。


 結果、幾分と安い価格で売ることができるハヤスタン王国の小麦と葡萄酒は競争力が高い。


 「おかげで我が国は輸入超過だ。さて、どうしようかな?」

 「だ、だめ、こ、このままにして……」


 ルナリエはエルキュールの胸板に体をピタリとくっ付け、潤んだ瞳で見上げて、許しを乞う。

 レムリア帝国が関税を引き上げれば、ハヤスタン王国の経済は強い打撃を受ける。

 折角、今豊かになりつつあるのだから、水を差すようなことはやめてくれとルナリエはエルキュールに媚びを売る。


 「ルナ、一番好きなのは何だ?」

 「ハヤスタン、王国」

 「じゃあ二番目は?」

 「お、お父様」

 「もう一度聞こうか。二番目は?」

 「………………へいか、です」


 熱を帯びた声でルナリエは言った。

 エルキュールは雛鳥に餌を与える親鳥のように、ルナリエの唇と自分の唇を合わせた。


 「安心しろ、悪いようにはしないさ。ただ……そろそろタウリカ半島の開拓が進み、本格的に北方産の小麦が流入してくる。葡萄酒の生産比重を強めるか、それとも耕地を広げて小麦の生産量を上げて価格を下げないとな。少なくとも今までのようにはいかない」


 「へ、へいかぁ……お、お金、貸してくれる?」


 「それはお前の態度次第、だな」


 エルキュールがそう言うと、ルナリエは今まで以上にエルキュールに体重を預けて来た。

 胸をピタリとエルキュールの体に付ける。


 「ご、ご奉仕させてください、へいかぁ……」

 「ああ、今晩な」


 レムリア帝国とハヤスタン王国の貿易は、レムリア帝国の一方的な輸入超過……

 つまりハヤスタン王国に一方的に金が流れる形になっている。

 が、実はさほどエルキュールはこのことを気にしていない。


 というのも、このまま金の流入が続けばハヤスタン王国の物価はレムリア帝国とほぼ同じ水準になるからだ。  

 そうなれば価格は上がり、競争力低下と共に輸入量は下がる。

 また同時に富農となったハヤスタン王国の農民が、レムリア帝国の手工業品や商品作物を購入してくれる見込みもある。


 現在でも借款に対する利子・利息という形でレムリア帝国に一部の金は返って来ているし、最悪税金という形で吸い上げることもできる。


 そこまで深刻な問題ではない。

 

 そもそもだがレムリア帝国の小麦市場は、ハヤスタン王国やタウリカ半島産の小麦だけで満たすことができるほど小さくはなく、そしてエルキュールは帝国全体で小麦から商品作物への転換を図っているため、輸入小麦による外圧は好都合と言える。


 「あ、あの、へ、陛下」

 「誰が舐めるのを止めて良いと、許可を出した? 雌犬」

 「ふぐ、ん、んぐ……」


 耐えきれず口を開いたアリシアの口内に、エルキュールは足を捻じ込んだ。

 苦しそうに咳込みながらも、アリシアは再び指を舐め始めた。


 「お前が何を言いたかったか、当ててやろうか? 自分のクロム氏族も、何か新しい産業を興したい。他の氏族よりも優位に立ちたい……そんなところだろう?」

 「ふぐ、んぐ……ふぁい、ん」


 アリシアはエルキュールの足の指を舐めながら、小さく頷いた。

 エルキュールは今、自由になっていた、ルナリエの唾液がべっとりとついている右足をアリシアの頭の上に置いた。

 そしてアリシアを踏みつけるように撫でる。


 「正直なところ、俺はお前に腕を落とされた恨みがまだ残っているが……」

 「いい加減、許してあげれば良いのに。器が小さい」

 「何か言ったか、ルナ」

 「皇帝陛下、大好き」


 ルナリエはエルキュールに抱き付いて誤魔化す。

 そんなルナリエの頭を撫でながら、同時にアリシアの頭を撫でている右足の力を強める。

 

 右足でグリグリと踏まれながらも、尚も左足を一心不乱に舐め続ける涙目の少女を見下ろしながらエルキュールは言う。


 「あれだろ、テリテル氏族の連中が思いの他成功してて驚いているんだろう? 他にも上手い事やってる連中がいるみたいだな。で、お前らは失敗続き。お前も、お前の父親も絶望的に商才が無いな」


 今までのブルガロン王国の政治・経済体制ならば良かったかもしれない。

 だがレムリア帝国と自由な交易ができるようになった今、経済競争に敗北することは氏族全体の力の低下を意味する。


 折角、死にたくなるような屈辱と引き換えに裏切ったのに、あっという間に困窮して他の氏族に吸収されてしまうようであれば、アリシアも報われない。


 「まあ、今の俺にとってはクロム氏族は一番忠実な飼い犬だ。少しだけ、教示してやろう。……後日、ブルガロンに向かう」


 エルキュールの言葉に、アリシアは目を輝かせた。

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