幕間
アルビオン征服
エルキュールがレムリア総主教座の奪還を企てているころ……
フラーリング王国、国王ルートヴィヒ一世はアルビオン遠征を行っていた。
アルビオンはフラーリング王国から海峡を隔てた先にある島であり、かつてはレムリア帝国の支配下にもあった。
エルキュールの父祖、初代レムリア皇帝が遠征したことでも有名である。
ルートヴィヒ一世がアルビオン遠征を行ったのには、理由が三つある。
第一に領土拡大のため。
第二に背後の憂いを無くすため。
第三に初代レムリア皇帝と同等以上の偉業を行うことで、自らの名前を世界と歴史に刻むためである。
もう既に遠征は三度目であり、征服まであと一歩のところまで迫っていた。
しかし……
「中々、侮れんな。敵将は」
ルートヴィヒ一世は呟いた。
フラーリング王国軍は五万、対するアルビオン軍は三万。
フラーリング王国軍は五万のうち三万が騎兵であり、アルビオン軍はその殆どが歩兵である。
しかし数、質で上回っているのにも拘らずフラーリング軍はアルビオン軍の陣形を崩すに至っていなかった。
もう既に交戦して三日が経過している。
背後に多くの敵を持つルートヴィヒ一世にとって、時間は一番の敵である。
「もう少し兵を連れてきた方が良かったかもしれんな、ローラン」
「はい……しかしエルキュール一世はブルガロン征服を既に終えています。彼の目が西か、東のどちらに向かうか分からない以上は致し方が無いかと」
フラーリング王国は国力の大きさに対して、強大な軍事力を持っている。
ルートヴィヒ一世が封建契約を結んでいる騎士の数は十万を越え、騎士たちが引き連れる歩兵の従者も含めれば総兵力はさらに膨れ上がるだろう。
とはいえその全てを遠征に連れてこれるはずもない。
アルビオン王国は既に風前の灯であり、あと少しで落ちる……と考えたルートヴィヒ一世は五万の兵力で遠征に臨んだのだ。
「敵の士気が高い所為で、中々陣形が崩れん。槍兵も弓兵も厄介だ」
フラーリング王国の主力は重騎兵であり、その基本戦術は重騎兵による突撃である。
そして……
そのためフラーリング王国の重騎兵は、レムリア帝国の
とはいえ、馬という生き物は基本的に尖った物を怖がる生き物であり、いくら能力を強化しようともその本能だけは鍛えようがない。
そしてまた、どんなに鎧を分厚くしようとも……
構造上、視界を確保するための穴はあるし、また関節部は機動性を確保するために薄くなる。
そのためその部分に矢が命中すれば騎士は負傷する。
弓は点ではなく面制圧の兵器であり、数打てば当たるモノだ。
つまり長槍で円陣を組み、内側から矢を射れば……
如何に強力なフラーリング騎士の騎兵突撃とて、防ぐことは容易、とは言わないまでも十分可能なのだ。
こうなると勝敗の鍵を握るのは士気の高さである。
つまり重騎兵がどれだけ槍や弓を恐れず、勇気を持って突撃できるか……
そして対する長槍部隊は重騎兵の突撃を恐れず、勇気を持って構え続けることができるか……
より強く、固い勇気を抱き続けた側が勝つ。
そして今のところ、その勇気、士気はアルビオン軍が優っていた。
「確か、敵方の将軍はアルビオンの王子だったな。名前は確か……」
「アストルフォです、陛下」
ローランは答えた。
アルビオン王国王子、アストルフォ。
それが敵将の名前であった。
その王子アストルフォが先頭に立ち、兵士たちを鼓舞しているが故にアルビオン軍は未だに持ち堪えていたのだ。
「……試しに一騎打ちでも申し込んでみるか。勝てばアストルフォを除くことができる。断るようであれば、敵の士気が下がるだろう」
もっとも、追い詰められているのはアルビオン側である。
もし一騎打ちを申し込めば、必ずアストルフォは受け入れるだろうとルートヴィヒ一世は考えた。
問題は勝てるか、否かである。
「ローラン、行けるか?」
「無論でございます、陛下」
ローランは笑みを浮かべた。
さて翌日、ローランは一人馬に乗り、ゆっくりとアルビオン軍に近づいた。
そして大きな声で呼びかける。
「我が名はローラン、偉大なるルートヴィヒ一世の配下の騎士、爵位は伯。二つ名は『勇気』、『勇気』のローランである! 敵将、アルビオン軍の第二王子アストルフォ殿に一騎打ちを申し込みたい!」
ローランがそう叫ぶと……
ゆっくりと、アルビオン軍の陣形が動き、波が退くように兵士たちが道を開ける。
そこから現れたのは大変美しい少年だった。
白銀に輝く髪、紫水晶のように美しい瞳、鏡のように磨かれた鎧。
白銀の髪からは
合計四つの耳……
耳が四つあるというのは大変奇妙だが、
アルビオンはかつてレムリア帝国の領土であり、そこに土着したレムリア貴族、
そしてレムリア帝国がアルビオンから手を引いた後に
そのような経緯があるため、混血種はさほど珍しくはない。
もっとも彼のように両種族の特徴が現れるのは大変珍しいが。
「俺の名前はアストルフォ! アルビオン軍の第二王子、アストルフォである! あなたの一騎打ちの申し込みに応えよう!!」
ローランはアストルフォと名乗る美少年を見て、思わず目を見開いた。
というのもアストルフォが大変な美少年だったからである。
おそらく主は彼に、彼女に与える性別を間違えたのだろうとローランは確信した。
と、その美しさに見とれてからようやくローランは気付いた。
アストルフォが大変奇妙な動物に騎乗していることに。
前半身が鷲、下半身が馬の幻獣……ヒッポグリフである。
「どうした! ローラン!! 怖気づいたか?」
「いや、あなたに……ごほん、そのヒッポグリフに見惚れていたのだ。申し訳ない」
「ふふん、羨ましいだろう!」
アストルフォは自慢気に胸を張った。
ローランは目を凝らしてみたが……その胸には一切の膨らみは観測できなかった。
極めて美しい美少年と、無乳の美少女の違いは何なのだろうかという極めて哲学的・神学的な疑問についてローランが思い悩んでいるのを尻目に、アストルフォは部下に槍を持ってこさせた。
その槍を見て、ローランは尋ねる。
「悪魔を使わないのかね?」
アストルフォが何らかの悪魔と契約を交わしていることは、ローランも聞き及んでいた。
大変強力な槍に化ける悪魔であると。
無論、相手がどのような武器を使ってこようともローランは負ける気など無かったが。
「ああ……『アミー』のことか。うーん、あれを一騎打ちの場で使うのは、少々卑怯だと俺は感じてしまう。例え勝ったとしても俺はその勝利を誇れないだろう。だから使わない……まあ俺の自己満足だね」
アストルフォの言葉を聞き、ローランは感心した。
故にローランは腰に下げていた愛剣を外し、従者に渡した。
「なるほど、分かった。ならば私もこの剣は使わない」
「ふーん、良いのかい? 聞くところによると、それは大変優れた魔剣らしいじゃないか」
「私の自己満足だ……気にしなくて良い」
二人は笑い合った。
そして真剣な(しかし可愛らしい)顔でアストルフォは言った。
「俺が勝ったら、大陸に引いてもらう。良いね?」
「では私が勝ったら軍を解散し、降伏して貰おう」
そして二人は槍を構え、突撃した。
アストルフォは懸命にその槍を捌くが、しかし相手が悪い。
ローランはフラーリング王国に於いて、いやもしかするとこの世のあらゆる騎士の中で最強の英雄なのかもしれない人物なのだから。
幸いにもアストルフォの馬はヒッポグリフであり、対してローランの馬は名馬とはいえただの馬。
両者の戦いは馬の質によって、保たれていた。
しかしある時、その均衡が崩れる。
突如、ローランの馬が大きくよろけたのだ。
アストルフォはそのチャンスを逃さず、槍をローランに突き刺そうとして……
ギリギリで槍を止めた。
そして顔を真っ赤にさせ、身を翻した。
「こんな勝利、俺は認めない! 明日、仕切り直そう、ローラン!!」
高い声で怒鳴ってから、アストルフォは自らの陣営に戻っていった。
「命拾いしたなぁー、ローラン」
「はい……陛下。申し訳ございません、恥をさらしてしまいました」
ローランはルートヴィヒ一世の前で頭を垂れた。
アストルフォが一方的に仕切り直しを宣言したため形の上では引き分け……だが、実質的にはローランの敗北。
それはフラーリング王国軍の士気を多いに下げた。
「お前ほどの騎士が負けるとはな。しかしアストルフォはどうして引き返したのやら……」
「そのことなのですが、陛下。おそらくはこれが原因かと」
ローランはルートヴィヒ一世に細い針のようなモノを見せた。
それは吹矢の矢だった。
「私の馬に刺さっておりました。おそらく、アルビオン軍の兵士が焦れて放ったものかと。それに気付いたアストルフォは仕切り直しを宣言したのです」
「なるほど、それを聞いて安心した。つまりお前は負けたわけではないのだな?」
「いえ、そのような言い訳をするのは……」
「あー、分かった、分かった。そうだな、負けは負けだ。とはいえ、お前の実力が劣っていたわけではないことは確か。明日、必ず勝て」
ルートヴィヒ一世がそう言うが……ローランの顔は浮かない。
そしてローランは意を決するような表情を浮かべ、ルートヴィヒ一世の顔を見つめて言った。
「陛下。一騎打ちの前に、私は彼に礼がしたい……どうか、それをお許しください」
「礼? 全く律儀な奴だな、おぬしは。まあそういうところは嫌いではないが……」
ルートヴィヒ一世は少し考えこみ、そして良案を思いついた。
そして笑みを浮かべる。
「良いだろう。明日、ナモを使者に出す。お前もそれに同伴しろ。私も大切な臣下を救って貰った礼をしなければならないのでな」
「ありがとうございます! 陛下!!」
ローランは顔を輝かせ、そして一礼をしてからその場から立ち去った。
一人残ったルートヴィヒ一世はニヤリと笑みを浮かべた。
「アストルフォ王子、お初にお目にかかります。私(わたくし)はナモ、偉大なる我らの陛下の騎士の一人、爵位は『公』。二つ名は『知恵』、『知恵』のナモでございます。以後、お見知りおきを」
それと同時にローランも改めて丁寧に名乗る。
「お初にお目にかかる、ナモ殿。そして、ローラン殿。俺はアストルフォだ……さて、何の用かな? 見たところ、一騎打ちをしにきたわけではなさそうだけど」
アストルフォは人の良さそうな笑みを浮かべて尋ねた。
それに対してローランは答える。
「昨日の礼をしに参りました、王子。あなたは毒が塗られた吹矢に気付き、そして決闘を一時中止にし、私の命を救ってくれた。そして改めて正々堂々と一騎打ちをするチャンスを与えてくれた」
「やめてくれ……何も俺は君に感謝して欲しくてやったわけじゃあない。ただ俺が納得できなかった、それだけだよ。つまり俺の自己満足だ」
「それは私も同じだ。あなたに礼を一度も言わず、再び一騎打ちをするような恥知らずの行動は私はできない」
ローランがそう言うと、アストルフォは困ったように笑った。
二人のやり取りが終わったのを見て、ナモが口を開く。
「我らの国王陛下、ルートヴィヒ一世はアストルフォ殿下の騎士道精神に大変感服しております。また我が国一番の騎士、ローランの命を救ってくれたことに大変感謝しております。故に殿下に贈り物がしたい、とのことです」
ナモはそう言うと、パンパンと手を軽く叩いた。
するとフラーリング王国の騎士たちがアストルフォへの贈り物を持って、現れる。
西方に於ける基軸通貨であるレムリア金貨は無論、美しい宝石で彩られたの装飾品。
絹で出来た豪華な衣服、クロテンの毛皮で作られたマント。
そしてアルビオンでは滅多に口にできない、貴重な香辛料。
思わぬお土産にアストルフォは目を見開いた。
「こ、これは……こんなもの受け取れない! 俺はただ、自分の我儘を通しただけだ!」
「いえいえ、我が国にとって、国王陛下にとってローランの命と名誉はこのような宝物よりも遥かに貴重なものです。それを救ってくださったアストルフォ殿下にはむしろ、この程度の贈り物しかできないことを非常に申し訳なく思います」
「し、しかし……」
アストルフォは口では否定しながらも……
その目は宝物に釘付けだった。
実はこの少年、かなりの派手好きで、豪華で綺麗なモノが大好きなのだ。
金銀宝石で彩られた装飾品は無論のこと……
アルビオンから遥か東にある、絹の国を産地とする美しい絹織物は喉から手が出るほど欲しい。
アルビオンでは得ることができないクロテン、セーブルの毛皮の美しいマントを羽織った自分自身の姿は、想像するだけでにやけてしまう。
「どうかお受け取りください」
「……っく、し、仕方がないな。う、受け取ってやろう、うん、仕方がない……受け取らないのは逆に失礼に当たるからね!」
アストルフォは自分に言い訳するように呟き、これらの宝物を受け取った。
ニヤリと、ナモは笑みを浮かべた。
さて、それからしばらくしてある噂がアルビオンに流れた。
曰く……
アルビオンの王子、アストルフォはフラーリング王国と内通している。
必勝の槍を使わなかったこと、そして倒れたローランに止めを刺さなかったこと。
そして何より、フラーリング王国から数々の
多くの民、兵士たちはその噂を鼻で笑った。
まさか、アストルフォ様がそんなことをするはずがない。
あの騎士道精神を何よりも重んじ、そして何よりお頭が弱いアストルフォ様が裏切りなど考えるはずがないと。
しかし息子が自分よりも人気があることに嫉妬していた国王と、王太子の地位を奪われるのではないかと危惧していた第一王子はこの噂を信じた。
そしてアストルファを宮殿に召喚し、牢に捕らえた。
アストルフォを失ったアルビオン軍は崩壊し、ルートヴィヒ一世率いるフラーリング王国軍は瞬く間にアルビオンを進軍。
ついにその首都、ロンディニウムを陥落させた。
その後、牢から助け出されたアストルファはルートヴィヒ一世に助け出された。
アストルフォはルートヴィヒ一世に改めて騎士に任じられフラーリング騎士となり……
『伯』の爵位と、『愛』の二つ名を与えられることとなった。
その後、フラーリング王国は破竹の勢いでアルビオン島に進軍。
アルビオン島の諸王国全てを屈服させ、その支配下に置いたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます