第27話 南方外交 前


 カウカーソス地方の侵略を終えた後、エルキュールはミスル属州へと移動した。

 大事な会談があったからだ。


 「それにしても暑いですね、エルキュール様」

 「本当だな」


 現地で合流したエルキュールとセシリアは、その会談の日が訪れるまで仲良くデートをしていた。

 もっともデートと言っても、二人で街を歩くような標準的なデートではない。

  

 まさかの砂漠デートである。


 「あまり日焼けはしたくないですね」


 そんなことを言いながらセシリアはフードを引っ張る。

 エルキュールもセシリアも日差しを防ぐために、フードが取り付けられたマントを羽織っている。


 「現地民は気にしていないようだがな」

 「皆さん、凄い恰好をしてますよね……ビックリです。恥ずかしくないんですかね?」


 ミスル属州に住む多くのミスル人は割と露出の多い恰好をしている。

 男性も女性も腰巻一つで、おっぱいは丸だしだ。

 子供などは全裸だったりする。


 (むっつりスケベなところを除けば)敬虔なメシア教徒のセシリアにはかなりのカルチャーショックだったようだ。


 「あの方たちは一応、メシア教徒……何ですかね?」

 「うーん、どうかな? この辺りの信仰は適当なところがあるからな」


 古代レムリアも同様だが、古代ミスルも多神教の世界であった。

 レムリアはメシア教によって画一的な一神教世界となったが、ミスル属州は未だに多神教の信仰も根強い。

 とはいえそれはメシア教が信仰されていないというわけではない。


 メシア教を信仰し、聖書の教えを守りつつ、ついでにミスル土着の神々の神殿にもお参りに行ってしまう。

 大概のミスル人の宗教観はその程度であり、当然どれくらいメシア教の教義を理解しているかは怪しいところがある。


 もっとも……都市部、特にアレクティアでは多神教信仰は完全に駆逐されている。

 ……しかしアレクティアの多数派は正統派メシア教ではなく、アレクティア派メシア教だが。

 

 「実に良くないですね。ミスル属州への伝道師の数を増やす必要があるかもしれません」

 「まあ程々にな」


 エルキュール個人としては、メシア教を一応信じているのであれば、その教えを多少守っていなくとも目を瞑るつもりだ。

 面倒くさいからである。


 「それにしてもこの馬、グラグラ揺れてあまり乗り心地が良くないですね。顔は可愛いと思うんですけど……」

 「可愛い? い、いやまあセシリアが可愛いと思うなら良いけど」

 

 セシリアは優しそうな笑みを浮かべ、自分が乗っている奇妙な馬―ラクダ―を撫でた。

 ラクダは馬に比べると揺れるので、あまり乗り心地が良い生き物ではない。

 もっとも砂漠に於いては馬よりも遥かに耐久力で優る。


 「そんなに気に入ったのなら、ノヴァ・レムリアにでも持ち帰ったらどうだ?」

 「うーん、でも普段は乗りませんしね。餌代も掛かりますし」


 贅沢は敵だ、が基本のセシリアはペットの類を飼わない。

 また馬も所有していなかった。


 「私、馬に乗るのもあまり得意ではないんですよ。一人じゃ乗れません」

  

 エルキュールとセシリアはラクダに乗っているが、そのラクダはミスル人の手によって引かれている。

 動物園で行われるポニーの乗馬体験のような形だ。

 

 馬は乗れるエルキュールもラクダを一人で操ることはまだできない。

 

 「教えてやろうか?」

 「いえ、あまり時間が……」

 「前々から思っていたが、運動不足過ぎないか? 少しは運動をしたらどうだ」


 エルキュールがそう言うとセシリアは口籠る。


 「い、いや、そ、そのですね、私にはやらなければならないことが……」

 「それはセシリアがどうしてもやらなければいけないことなのか? ……俺の目にはセシリアが運動から逃げているようにしか見えないが」


 エルキュールに言われ、セシリアは言葉を詰まらせる。

 普段は正論ばかりを言って人を追い詰めるセシリアだが、逆に正論や本音を言い当てられたりすると、返答に窮して黙ってしまうところがある。


 嘘や屁理屈、詭弁は言いたくないが……

 それでも負けたくないという葛藤から、黙るという選択肢になってしまうのだ。


 無論、黙った段階ですでに敗北しているも同然だ。


 「一緒に運動すれば、俺との時間も増えるぞ? それに俺は健康的な体の女性の方が好きだ。何よりニアも運動しているし」

 「そ、そうですか? じゃ、じゃあ少しだけします。その、その時はお手柔らかに」


 セシリアはすでに本人の口から、ニアがエルキュールの寵愛を受けたことを聞いていた。

 今の今まではニアよりもずっと勝っていると思っていたが、ここへ来てニアの追い上げを受けて、少し焦っていた。

 ……エルキュールの寵愛に追い上げも何もないのだが、セシリアとニアの間にはあるのだ。

 これは二人の意地の張り合い、喧嘩にエルキュールが持ち出されているだけであり、実際にはあまり恋愛感情は関係なかったりする。


 「このお馬さん……ラクダ、でしたっけ? 古くからミスル属州にいるんですか?」 

 「原産地は違うが、導入されたのは数千年以上昔と聞いているな。利用が活発化したのは近年だが」


 ミスル属州にラクダ――ヒトコブラクダ――が導入されたのはレムリア帝国の侵攻以前、それどころか都市国家レムリア建国以前である。

 だが利用そのものはあまり活発とは言えなかった。


 確かにラクダは砂漠に適応した生き物だが、全ての砂漠が同じ条件というわけではない。

 南大陸の砂漠と、ラクダたちの原産地であった砂漠は微妙に環境が異なり、南大陸でその能力を発揮しきることはできなかった。


 また既に馬やロバが導入されていた事情もある。

 ミスル地方での活動に順応したミスル産の馬やロバでも初期のラクダに負けない程度には働くことができた。

 

 結果、「馬とロバで良くね?」という扱いになり、大々的に利用されることも少なく、そしてその広がりもミスル地方で止まった。


 が、数千年もミスル地方で使われれば環境にも適応する。

 今のラクダは初期のラクダたちとは異なり、南大陸の砂漠にもバッチリと適応していて、馬やロバには不可能な長距離の砂漠移動が可能となっていた。


 エルキュールもそんなラクダを重視していた。


 

 そんな話をしているうちにエルキュールとセシリアは目的地についた。

 二人のお目当てはミスル属州最大の名所と言っても良い、四角錐状の巨大建築物、ピラミッドであった。


 「見上げてみると大きさが分かりますね。大昔の王様のお墓、でしたっけ? よくこんな物を作りましたよね。お墓なんて立派にしても意味ないと思うんですけど。働かされた奴隷の方が可哀想です」

 「さあ、本当に墓かどうかも怪しいが。それに本当に作ったのは奴隷なのか……」


 エルキュールは前世の知識を脳味噌から引っ張り出しつつ答える。

 少なくともエジプトのピラミッドを作ったのは奴隷ではなく、そして墓であるという確固たる証拠も見つかっていない。

 まあエルキュールは「墓じゃね?」と思ったりはしているのだが。


 「もしかしたら巨大な漬物石なのかもしれん」

 「そんなバカな」

 「でも墓よりは生産的だと思わないか?」


 エルキュールにそう言われて、セシリアは思わず噴き出した。

 確かに食べられる分だけ漬物の方が役に立つだろう。


 だが数千年はさすがに漬かり過ぎだ。


 「これ、中ってどうなってるんでしょうか?」

 「どこかに入口があると思うんだがな。まあ近い内に調査をしてみようかなとは、思ってるよ」


 その時はエルキュール自ら乗り込むつもりである。

 冒険は男の夢だ。


 「さて、そろそろ戻るか」

 「はい、エルキュール様」


 二人は仲良く州都アレクティアに戻った。






 さてそれから数日後のことである。

 エルキュールとセシリアはアレクティアの総督府で、ある一団と謁見していた。


 「お初にお目にかかります、皇帝陛下、姫巫女メディウム猊下」


 少し訛ったレムリア語で黒人の男が挨拶をした。

 ミスル人ではない。

 ミスル属州から南にある、ヌバ王国から正式にやって来た使者である。


 「ああ、よく来てくれたな」

 「御足労頂き、ありがとうございます」


 エルキュールは偉そうに、そしてセシリアは丁寧にあいさつをした。

 立場というよりは、二人の人格の差である。


 「本日は我が国の新王、テクィリデアマニ王陛下の代理として参りました」

 (今、何王って言ったんだ?)

 (人名……だと思うけど聞き取れない)


 エルキュールとセシリアは異国情緒溢れ過ぎている名前に困惑する。

 使者の男は知ってか知らずか、レムリアを訪れた理由を話し始める。


 「先々代国王の時代より、我が国とレムリア帝国は密接な関係にありました。しかし先王はメシア教を嫌い、国内からメシア教徒とその聖職者を追い出し、交易も停止してしまいました」

 「そうだな、実に残念な事件だった」


 ヌバ王国は古くからレムリア帝国と交易関係にあった。

 ヌバ王国は金を豊富に産するため、基軸通貨であるレムリア金貨の安定的な発行のために金を欲する歴代のレムリア皇帝はヌバ王国とできるだけ仲良していて、そしてメシア教の伝道も推し進めていた。


 だがヌバ王国にも土着の宗教があり、メシア教の浸透はその土着宗教との軋轢も産んだ。


 それが最高潮となったのが、レムリア帝国の先帝ハドリアヌスとヌバ王国の先王の時代である。

 聖像禁止令を出すほど熱心なメシア教徒であったハドリアヌス帝と、土着信仰大好き&アンチメシア教徒のヌバ王国先王は相性が最悪であったこともあり、両国の関係は一気に冷え込んで、絶縁状態になった。


 が、しかしそのアンチメシア教の先王が死に、ラブメシア教の王であるテクィリデアマニ王が即位し……

 早速ヌバ王国はレムリア帝国との関係改善のために使者を送ったのだ。


 「先王の暴挙、先王に代わり謝罪すると王は申し上げておりました」

 「謝罪は確かに受け取った」

 

 エルキュールは頷いた。

 元よりエルキュールはそこまで気にしていない。

 何しろ自分が生まれる前に起こった出来事だ。


 「では、交易再開を許可してくださいますか?」

 「無論だとも」


 むしろエルキュールの方から頼みに行きたいほど、エルキュールは交易を望んでいた。

 金はいくらあっても足りない。

 

 「それともう一つ、国王陛下から皇帝陛下と姫巫女メディウム猊下にお願い申し上げたいことがあるのですが……」

 「何だ、言ってみろ」

 「私にも、ですか?」


 無論、二人とも分かっている。

 すでに官僚レベルで話し合いは終わっており、必要なのはエルキュールとセシリアが首を縦に振るという政治パフォーマンスだけだ。


 「我が国の首都にメシア教の大司教座を設置して頂きたいのです」


 それはつまり正式にヌバ王国がメシア教を受容し、メシア教を国教に据えることを意味していた。

 

 「先王の時のようなことが起こり、聖職者が殺されるような事態はメシア教の守護者として認められないが?」

 「分かっております、皇帝陛下。聖職者の方々はヌバ王国が全力を挙げ、その身をお守り致します」


 使者の言葉を聞き、エルキュールは満足気に頷く。

 これでエルキュールが最低限確認しなければならないことは終わりだ。


 「どういたしますか、セシリア猊下」


 エルキュールが尋ねると……

 セシリアは笑みを浮かべた。


 「私としましては問題ありません。すぐに大司教座設置の準備に取り掛かりましょう」

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