第14話 エディン崖の戦い
アスティアの戦いから暫くして、レムリア帝国に対し、ブルガロン王が講和と交渉のための一時休戦を申し込んだ。
「いったい、どういう風の吹きまわしだ? このタイミングで」
アスティアの戦いの後、レムリア軍は快進撃を続けた。
そして次なる都市に向かう途中、野営地を構築している最中にブルガロン王から停戦の申し込みが来た。
「良いじゃないですか。それとも何か条件を付けてきたんですか?」
カロリナが尋ねるとエルキュールは頭を掻きながら答える。
「いや……レムリアが現段階で落とした都市に関してはレムリアにそのまま引き渡す準備があるとまで言ってきている」
今まで貢納金を寄越せ、都市を割譲しろと言って来たブルガロン王国が急に態度を低姿勢に切り替えたのだ。
エルキュールが不審に思うのも無理はない。
「ブルガロン王国内部で何か、起こったのか?」
エルキュールの想像よりもブルガロン王国の経済基盤が弱く、これ以上の戦争に耐えられなかったか。
もしくは各氏族がこれ以上戦争を続けるのであれば、コトルミア氏族長を王として認めない……
などと主張した可能性は十分にある。
さすがのエルキュールもブルガロン王国内部の政治情勢はあまり詳しくはない。
「受けないのですか?」
「まさか、受け入れるさ。俺だって早く講和したいんだから」
もうすでにブルガロン王国内の各氏族がこの戦争に非常に消極的になっていることは分かっている。
兵を新たに集めることができない以上、時間稼ぎの可能性も低い。
本気でブルガロン王国は戦争を止めたいのだろう。
「暫くはここで時間を潰すか。幸い、ここは野営するには最高の立地だ」
野営をするとき、注意しなければならないのは敵からの襲撃である。
エルキュールが野営地に選んだ場所はエディン崖と呼ばれる崖の麓だ。
背後を崖に預け、左右前方を壕と柵で囲んでしまえば如何にブルガロン王国の騎兵が精強と言えども迂闊に攻撃することはできない。
「これでようやく帰れるな」
エルキュールは安堵の表情を浮かべた。
その夜のことである。
コトルミア・クロム氏族から精鋭百騎を引き連れて来たアリシアは眼下で野営するレムリア軍を見下ろした。
様子はよく見えないが、篝火がちらちらと見えるためレムリア軍の野営地なのは確かなようだ。
「それにしても油断のならない男だな」
アリシアは思わず呟いた。
崖の上にも少数だが見張りの兵がいたのだ。
もっとも全て射殺したため、見張りのレムリア兵は物言わぬ死体になっている。
「惜しかったな、レムリア皇帝。お前が注意を払うべきは前ではなく、後ろだった」
見張りの兵たちは背後ではなく、前方に目を光らせていた。
崖という立地を利用し、高所から見渡すことでブルガロン軍の襲撃を逸早く察知しようというレムリア皇帝の意図だ、とアリシアは考えていた。
つまりレムリア皇帝は停戦を受け入れた後も、油断していなかったのだ。
「お前の考えは間違っていない。ああ、この崖を騎馬で下ろうとするのは不可能だ。加えて今は月明かりだけが頼りの真夜中。だから後ろに注意を払う必要などない。注意を払うべきは前方だろう。崖で守られている背後には、少数の見張りを置くだけで十分以上だ」
アリシアは……
笑みを浮かべた。
「あくまで相手が普通の騎馬ならば、の話。少数精鋭の騎馬ならば……」
アリシアはそう言って馬の腹に蹴りを入れて、真っ直ぐ進む。
目前に道はないが、速度を緩めるようなことはしない。
そのまま一気に崖を下る。
さらに百騎の騎兵がアリシアの後に続き、次々と崖を下り降りていく。
そして……
ついにレムリア軍後方に回り込むことに成功した。
アリシアは背後を振り返り、騎兵の数を確認する。
月明りでぼんやりと浮かぶ顔を数えると……
その数は六十。
四十が途中で脱落してしまったようだ。
だが……
「六十もあれば十分」
アリシアはフードを深く被り、黒い布で口と鼻を覆う。
これで闇夜でも目立ちやすい顔が完全に隠れた。
「行くぞ!!」
アリシアはそう言って……
レムリア軍の陣地に突撃した。
「……誰だ? こんな真夜中にお祭り騒ぎをしているバカは」
エルキュールは騒音を聞き、目を擦りながら起きた。
しかしすぐにそれがただのお祭り騒ぎではないことを察した。
(夜襲だと? 見張りは何をしていたんだか。しかしどこから……まさか背後から? あの崖をこんな真夜中に下りられるとは思えないが)
そんなことを考えながら、自分に抱き付いているカロリナを揺すり起こす。
「おい、起きろ。おそらく夜襲だ」
「うん……陛下のエッチ……やしゅう? 夜襲!?」
カロリナはすぐに跳び起きた。
それとほぼ同時に兵士が飛び込んできた。
「お、お休み中失礼いたします! 皇帝陛下、夜襲です!! すぐにお着替えを……」
「安心しろ、それはすでに済んでいる」
エルキュールとカロリナはベッドから降りた。
二人は同じベッドで夜を過ごしたが、性行為をしていたわけではない。
そしてすぐに起きられるように予め服も着ていた。
「敵はどこから来たか、分かるか?」
「お、おそらく後方からです」
兵士の報告を聞き、エルキュールは眉を顰めた。
(まさか本当にあの崖を下ったのか? だとするならば……)
「今すぐ各将軍、そして兵士たちに呼びかけろ。敵は少数、それも間違いなく百騎以下だ。例え攻撃されても戦闘せず、その場に待機しているように」
もし後方の崖を下ったとしたなら、それは大軍ではない。
大軍が崖を下ればさすがに音で気が付くからだ。
敵は少数精鋭だ。
同士討ちをせず、落ち着いて対処すれば撃退できる。
「は、はい!」
兵士は頷き、すぐさま駆け出した。
が、しかしどこからともなく飛んできた矢に射貫かれてしまった。
「っち、もうこんな奥深くまで入ってきているのか」
エルキュールの呟きに対する返答のように、エルキュールに向かって矢が降り注ぐ。
カロリナはエリゴスを召喚し、その矢を全て弾き返した。
「陛下、お逃げください!」
「逃げろと言ってもな。そう簡単に逃げられるわけ……」
[ご主人様! 避けてください!!]
【ご主人様! 上から矢が!!】
その瞬間、アスモデウスとシトリーが叫んだ。
エルキュールは慌てて体を逸らした。
同時に右手に痛みが走った。
見ると矢が突き刺さっている。
「こ、これは……不味いな」
その矢を見たエルキュールの背中に冷たい汗が伝った。
身分の高そうな男を射貫いたアリシアは笑みを浮かべた。
元々視力の良い
先程アリシアが射貫いた
「さぁ、このまま陣地を突っ切って離脱するぞ。後は勝手に同士討ちをして連中は数を減らすはずだ」
先程射貫いた男の生死を確認するようなことはしない。
今は一早くこの場から離脱することが先決だからだ。
(もっとも私の『レラジェ』に射貫かれて生きているとは思えないが)
序列十四番、地位は大侯爵。
『弓矢と腐敗の大精霊レラジュ』。
それがアリシアが契約している悪魔、精霊である。
この矢で射貫かれた者は、例え掠っただけでも……
傷口から毒が周り、数十秒で全身が腐り、死んでしまう。
よほどの生命力と悪運があれば生きられるが、全身に猛毒が周り、歩くことはおろか、まともに話すこともできなくなる。
何はともあれ、将軍クラスに最低でも致命傷を与えることができたのはアリシアにとっては幸いである。
「しかし
アリシアは矢を放ちながら呟く。
もっともだからこそアリシアたちは
夜目が効かない
もはやそれだけでも大きな戦果だ。
それから数分後、無事にアリシアたちはレムリア軍の陣地を抜けることに成功した。
仲間の数を確認すると、僅か二十騎しか残っていない。
が、しかし未だに大混乱に陥っているレムリア軍を見る限りその死は決して無駄ではなかった。
大戦果と言っても良い。
「今回は私たちの勝ちだ、レムリア皇帝。大人しく草原から去れ」
アリシアは不敵に笑い、去っていった。
翌日、ブルガロン王国は混乱するレムリア軍に対して激しい追撃を加え、多くのレムリア兵を殺害することに成功した。
アリシアは後にエディン崖の戦いを回顧し、このように思った。
「あの時、負けていれば、失敗すれば良かった」
エディン崖の戦い
交戦戦力
レムリア帝国VSブルガロン王国(コトルミア・クロム氏族)
主な指揮官
レムリア帝国
エルキュール・ユリアノス
カロリナ・ユリアノス
(以下省略)
ブルガロン王国
アリシア・クロム
兵力
レムリア帝国 約八〇〇〇〇
ブルガロン王国 一〇〇
結果
レムリア帝国 死傷者 約二〇〇〇〇~三〇〇〇〇
ブルガロン王国 死傷者 詳細不明(六〇~八〇)
ブルガロン王国の勝利
備考
レムリア帝国、全面撤退
コトルミア・クロム氏族の指導力上昇
レムリア・ブルガロン戦争の長期化が決定的になる
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