第13話 アスティアの戦い 後

 「これで三つ目だな」


 エルキュールは開いた城壁に殺到する自軍の兵を見ながら呟いた。


 エルキュールは着実にレムリア帝国とブルガロン王国の国境線近くにある都市を一つ一つ、落としていた。

 攻撃の対象とする都市は国境線にほど近い都市だけであり、決して奥深くには侵攻しない。


 「陛下、ブルガロン王国の首都は目指さないのですか?」


 カロリナは尋ねた。

 カロリナはエルキュールがブルガロン王国の奥深くまで侵攻し、打撃を与えようとしていると思っていたのだが、エルキュールの軍事攻撃は非常に消極的だった。


 「落としたところでさらに北に首都を移すだけだぞ、連中は。無駄なことだ。それよりも国境線の画定の方が重要だ」


 エルキュールはブルガロン王国の奥深くにまで侵攻するつもりはさらさらなかった。

 リスクが高く、そして得られる利益も小さいからである。

 それよりもレムリア帝国にとって、有利な国境線を引くことの方が重要だった。


 「先帝の時代に失った都市は全て取り戻す。その上で国境線を再び安定させる」


 基本的に国境線というものは山脈や川によって引かれる。

 ブルガロン王国がレムリア帝国領に容易に侵入できてしまうのは、山脈や川などの自然国境よりも外側(レムリアから見ると内側)にまで、支配地を持っているからだ。

 エルキュールはそれを押し上げて容易に国内に侵入できないようにしようと画策しているのだ。


 「ある程度都市を得たら、長城を建設して数珠のように繋げるつもりだ。そうすれば連中はもうこちら側にそう簡単に入って来られない」

 「お金が掛かりそうですね」

 「安全保障というものはそういうものだ」


 エルキュールも本音のところではブルガロン人をブルガロンの地から追い出したい。

 そうすればヒステール川を再び国境線にできる。


 ヒステール川は西大陸では有数の大河であり、大昔はレムリア帝国と蛮族の世界を隔てる国境線だったのだ。

 今は完全に放棄されて、ブルガロン王国領内を流れている。


 ヒステール川ほどの大河になればわざわざ長城など建設する必要もないのだが……

 無いもの強請りをしても仕方がない。


 「皇帝陛下!! 偵察部隊より報告です!! ブルガロン王国軍がこちらに接近しております! その数はおよそ九万!!」

 

 「きゅ、九万……」


 カロリナは息を飲んだ。

 その数はあまりにも巨大だ。


 一方エルキュールは特に動じていない様子で言う。


 「十万は来ると思ったんだがな。案外、少ないな。やはり消極的な氏族がいるみたいだな」


 ブルガロン王国の奥深くにまで侵入すれば、ブルガロン王国の全氏族は一致団結してレムリアに戦いを挑むだろう。

 が、しかし元々レムリア帝国の領土を奪い返された程度ではブルガロン王国の氏族は団結しない。

 ブルガロン王国北部を支配領域とする氏族からすれば、何の関係もないことだからだ。


 「元々は奥深くまで引き込むつもりだったが、焦れて攻撃を仕掛けて来たというところか。良いだろう、返り討ちにしてやる」


 エルキュールは不敵に笑った。







 エルキュールはまず城壁の周囲に壕を掘らせ、東西南北の城門の前にハルバード部隊を一個大隊ずつ配置させた。

 そして弓兵を全て城壁の上に上げた上で、残りの兵を城壁の内側で待機させた。


 ブルガロン王国が西側の城門の前に布陣したことを確認すると、エルキュールは東南北のハルバード部隊をそのままにし、残りの兵を全て西門前に布陣させた。


 「敵数は歩兵が一万、騎兵が八万といったところか」


 エルキュールは城壁の上からブルガロン王国の兵を見て言った。

 ブルガロン王国は遊牧国家だが、歩兵を運用しないというわけでもない。

 城攻めの時にはどうしても歩兵が必要になるため、傭兵を雇うこともあるし、騎兵から降りて戦うこともある。


 「しかし騎兵八万とは羨ましい限りだよ」


 もっともブルガロン王国の国力を考えると一度に動員できる騎兵の数は精々十万。

 この八万を失えばブルガロン王国は今後数十年は軍事行動を取れなくなる。


 追い込まれているのは明らかにブルガロン王国の方だ。

 

 「これで講和に応じてくれれば助かるんだがな」


 斯くしてアスティアの戦いが始まった。







 レムリア帝国とブルガロン王国の戦い、いわゆるアスティアの戦いが始まって一週間が経過した。

 戦況はレムリア帝国が優位にあり、ブルガロン王国はレムリア帝国の防衛陣地を突破できないでいた。


 塹壕が騎兵の行動を制限する上に、レムリア歩兵が作り出すパイクの壁が騎兵の突撃を阻む。

 さらに城壁の上からレムリアの弓兵が放つ矢は、ブルガロンの軽騎兵が馬上から放つ矢よりも遠くまで届くため、一方的に射られてしまう。

 

 そして時折、レムリア騎兵が反撃を仕掛けてくるため……

 少なくない犠牲がブルガロン王国には出ていた。


 「悪いが我々テリテル氏族は帰らせてもらいます、ブルガロン王」


 テリテル氏族長は総司令官であるブルガロン王にそう言った。

 防衛戦争ということもあり、一応義理として少数の兵を供出したテリテル氏族長だが、もはや彼はこれ以上の義理を果たすつもりが無かった。


 テリテル氏族はブルガロン王国北方をその支配領域、縄張りとしており、ブルガロン王が奪い返そうとしている都市には何の利権もない。

 それに加え、レムリア帝国から貢納金もテリテル氏族には殆ど分配されていなかった。

 彼らからすればレムリアが勝とうが、コトルミア氏族が勝とうが、どちらにせよ損益はないのだ。


 故にテリテル氏族がこの不毛な戦いから一抜けしようとするのは……

 当たり前と言えば当たり前の話である。


 「止めはしないが……できればそのように和を乱す行為は慎んでもらいたいものだな」


 ブルガロン王は苦言を呈した。

 元々少数しか兵を連れてきていないテリテル氏族が抜けたところで戦力に大きな変わりはない。

 が、しかし三番手の勢力を持つテリテル氏族が抜けると軍全体に大きな動揺が走ってしまう。


 下手をすれば櫛の歯が抜けるように、次々と各氏族たちが戦線から抜けてしまう恐れがあった。


 「それはこちらのセリフです、ブルガロン王。過半数以上の氏族長たちは戦いを望んでいない。和を乱しているのはあなた方の方だ」


 テリテル氏族長は不愉快そうに言った。

 コトルミア氏族とクロム氏族を中心とする主戦派は人口の上では確かにブルガロン王国の多数派ではあるが、氏族の数という側面から考えると少数派だ。


 どんな弱小氏族であっても、数で言えばコトルミア氏族と同じ「一つ」の氏族なのである。


 「会議で決まったことだ。……逃げるのかね? テリテル氏族はとんだ腰抜けだ」


 そう言ったのはクロム氏族長である。

 主戦派としてブルガロン王を庇い、テリテル氏族の戦線離脱を防ぐための挑発の言葉だった。


 それに大してテリテル氏族長は鼻を鳴らして言った。


 「ならばクロム氏族はとんだ大馬鹿者だ。羊が底を突き、周囲に略奪できる村すらもなく、馬の飼葉すらも覚束ないこの状況で勝てるつもりとは。勇猛と無謀は異なるのだよ」


 遊牧民が多数の馬を維持できるのは広大な領域に散らばって生活しているからだ。

 だがこのような狭い地域に八万(代えの馬も含めれば十万以上)の馬が集結すれば、草原の草はあっという間に食べ尽くされ、そして飼葉も底を尽きるのは自明だ。


 遊牧民の兵站システムは常に動き回ることを前提とする。

 略奪と羊や馬を絶えず移動させることで、自由自在に兵を展開できるのだ。


 一か所に一週間も滞在するような状況には対応できない。


 「そもそも内に引き込んで倒すのではなかったのかね? レムリア帝国の国境から数十キロ程度の距離で、どこが内なのやら。あなたの戦略ミスだろう」


 奥深くまで侵入して来たレムリアを叩く。

 というのがブルガロン王国の戦略であり、それが破綻した以上勝機はない。


 テリテル氏族長はそう主張した。

 そして踵を返して言う。


 「悪く思わないで頂きたい。我々テリテル氏族は自分たちよりも豊かな氏族の尻を拭うほどの余裕はないのだよ」


 

 それから一週間のうちに次々と各氏族たちは戦線を離脱した。

 ついには親コトルミア・クロム氏族の氏族長たちも帰還を望むようになり……


 これ以上の戦闘続行を不可能と判断したブルガロン王は撤退を決めた。


 斯くしてアスティアの戦いはレムリアの勝利に終わった。








 「困ったものだな」


 ブルガロン王は頭を抱えていた。

 アスティアの戦い以降、レムリア軍はさらに勢いを強めて次々と都市を攻略している。


 農耕民たちから上がる税収はコトルミア氏族にとって大事な収入源だ。

 どうにかしてレムリアを撃退しなければ、コトルミア氏族の力はさらに落ちてしまう。


 だがテリテル氏族を始めとし、多くの氏族は撤退してしまった。

 擦り減った兵力でレムリアに勝てるはずがない。


 「王よ、失礼いたします」

 「クロム氏族長か」


 ブルガロン王のユルトに入ってきたのはクロム氏族長であった。

 その後ろには氏族長の唯一の娘である、アリシア・クロムが続く。


 「アリシアより、打開策があるそうです。聞いて頂けませんか?」

 「打開策? ……ふむ、聞くだけなら」


 藁をも掴む思いでブルガロン王は頷いた。

 アリシアは一歩進み出て挨拶をしてから、自分の策を語った。


 それを聞いたブルガロン王は暫く考えてから……


 「よし、良いだろう。選りすぐりを百、用意する。……ただし必ず成功させるのだ。もし失敗するようなことがあれば……」

 「分かっております、死を持って償います」



 

 

 アリシアは後にこの時のことを……つまりブルガロン王に打開策を提示したこと、それを実行に移したこと、そしてエルキュールを甘く見たことを後悔することになる。

 

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