第8話 ペラティアの戦い 起
「髪は黒……なのは俺もお前も黒だから当たり前として、瞳の色は何色なんだろうな?」
「青だと良いですよね……神秘的な感じですし」
「別に目の色なんぞ、何色でも良いと思うが」
エルキュールは猿顔の赤子を抱きながら言った。
この赤子はエルキュールとシファニーの娘、ペトラである。
ペトラ・ユリアノス、それがこの子の名前だった。
「全く、実感が湧かない。抱いてみれば、何か、こう、来るものがあると思ったんだが……」
「はは……まあその辺は母親と父親の意識の違い、ということになるのでしょうかね?」
シファニーは苦笑いを浮かべた。
腹を痛めて産んだシファニーに対し、エルキュールは何もしていないわけで、エルキュールが実感を持てないことは仕方のないことだった。
「とはいえ、俺の子であることは事実なわけだ。……こんなふてぶてしい顔をした奴が俺の子でないわけないしな。先帝陛下と同じ轡は履かないようにしなければ」
エルキュールはそう言ってシファニーにペトラを返した。
自分の父親である先帝が子育てに尽く失敗していることは身を持って知っている。
「カロリナの母親……メアリさんにでも聞いてみるか」
エルキュールが知る中で最もまともな性格をしている淑女といえば、カロリナである。
正妻だということを贔屓目に見ても、非常に良い子だ。
育成成功例である。
二番目にまともなのはルナリエだ。
だがあのようなマゾに育ってもらうのはエルキュールとしては御免である。
同様にニアを現在育てているルーカノスの意見も当てにならない。
ニアはエルキュールの前では猫を被っているが……実際は平民いびり、最近は犯罪者いびりに精を出していたりと、問題行動を多々行っている。
最近はそれでもマシになってきてはいるが……
性格が最悪なのは間違いない。
部下なら良いが、娘にはあのような酷い性格にはなって欲しくはない。
善人で言えばセシリアだが、セシリアのような娘は欲しくない。
最近、エルキュールは口淫や接吻を除く口での勝負に全く勝てなくなっている。
セシリアは一人で十分だ。
シェヘラザードは論外だ。
どういう育て方をすれば、あのような勝手な家出娘に育つのか実に理解できない。
ササン八世とヘレーナの子育ての能力はハドリアヌス三世並かそれ以下と評価せざるを得ないだろう。
「こうして考えると俺の周囲にはまともな女がいない……待てよ、シファニーはまともだな?」
「ま、まあ……確かに私は普通だと思いますけど」
「じゃあ、今度実家に帰ったら子育てのコツを聞いてこい」
するとシファニーは驚いた表情を浮かべた。
そして頭を左右に振る。
「そ、そんな……私の家はごく普通の商人の家ですよ? 確かに多少は裕福ですけど。この子は庶子とはいえお姫様で……」
「普通に育てば良いんだよ、普通に。普通の性格なら嫁ぎ先はあるんだから」
エルキュールとシファニーの娘なのだから、容姿は可愛らしくなるのは確定。
エルキュールの娘なのだから血筋も問題無い。
後は何か障害でも持っていない限り、ごく普通の性格に育てば安泰だ。
「その娘は俺の血を半分継いでるんだぞ? 変な育て方をして、俺みたいになったらどうするんだ。その娘が夫にDVをして離婚騒動になるなんて、俺は嫌だぞ」
「……一応自覚はあるんですね」
シファニーは苦笑いを浮かべた。
「まあ何はともあれ、無事に生まれて良かったな。出産にも立ち会えたし。よくやった、シファニー」
「はい、陛下……その、一人だけとは言わず、二人目も……」
「ああ、分かってる。だが暫くは休め。焦る必要はないんだから」
エルキュールはシファニーの頬にキスをした。
そして踵を返した。
「じゃあ行ってくるよ」
「はい、行ってらっしゃい」
「さて、ブルガロン人共はどこまで入ってきている?」
「属州トランキアの中枢にまで侵攻してきています。現在は属州総督指揮下で、屯田兵たちを主力として抗戦しておりますが……」
トドリスの報告を聞いたエルキュールは不愉快そうに鼻を鳴らした。
シファニーから分かれた後、エルキュールはすぐに群臣たちを集めて会議を開いた。
侵攻してきたブルガロン王国に対処するためだ。
季節は五月、エルキュールは晴れて二十三歳となっていた。
エルキュールは今年からはブルガロン王国への貢納金の支払いを停止することを決めていた。
するとブルガロン王国は条約破りだと言って、トランキア属州に侵入してきたのである。
「属州総督には手筈通り、撤退しろと伝えろ。……連中には麦一粒与えないように、奴らの侵攻ルート上の村や町は焼き払え。強固な城壁を持つ都市は決して打って出るようなことはせずに、堅く城門を閉ざせ。連中を帝国の奥深くまで引き込むんだ」
「は、はい……そのように伝えます」
ブルガロン王国の人口は約三百五十万。
が、しかしそのうち支配者層であるブルガロン人の人口は百五十万だ。
そして今回レムリア帝国に侵攻してきたブルガロン騎兵の数は五万。
遊牧民はその経済構造上、農耕民族に比べて人口に対する兵力の動員可能率が高いが……
それでも百五十万のうち、五万というのはかなりの数だ。
エルキュールはこれを一網打尽にするつもりでいた。
「ガルフィス、兵を揃えろ。歩兵二個軍、騎兵二個軍、弓兵一個軍団を連れて行く」
「はい!」
慌ただしく動き始める。
斯くして……
約五年間に及ぶ、レムリア・ブルガロン戦争が幕を開けた。
「ひぃぃ!! 助けて、命だけは!!」
「ふん、逃げ足が遅いのが悪い」
逃げるレムリア人を馬に乗ったブルガロン人の女性が追いかける。
耳は長く、髪は黒い。
スリットが深く入った乗馬に適したブルガロンの伝統衣装に身を包んでいて、手には弓を持っている。
「ふむ、焦土戦術とは……レムリア帝国も考えたものだが、私たちの進行速度を見誤ったな」
ブルガロン王国クロム氏族、氏族長の娘、アリシア・クロムは逃げるレムリア人の背中を弓で射貫いてから呟いた。
そして叫ぶ。
「好きなだけ奪って殺せ。早い者勝ちだ」
「「「おおおおお!!!」」」
アリシアの許可を得たクロム氏族の騎兵、一〇〇〇〇は馬から下りて思い思いに略奪を始めた。
男と子供は殺し、女は犯し、財貨を奪う。
それはブルガロン人にとっては戦争の醍醐味だ。
「しかし……レムリア兵は腰抜けばかりだな。少し戦っただけで、あっという間に逃げていく」
「あなたが強すぎるのですよ、アリシア様」
アリシアの副官は苦笑いを浮かべた。
事実、アリシアは一五歳の若さにして……ブルガロン王国有数の戦士であり将軍として認識されていた。
遊牧民の社会は実力主義であり、女であっても強ければ戦場に出ることが多々あるが……
アリシアのように兵を率いる立場にまでなるのは、その地位を考慮に入れても異例だった。
「ところでアリシア様は略奪に参加しなくても宜しいのですか?」
「このような田舎の村、大したものは無いだろう」
アリシアは鼻で笑った。
女なので装飾品などには興味はあるが、このような村には無いだろう。
無論、逆に言えば大きな街なら略奪に参加する気はあるということだが。
「物はないかもしれませんが……人間はありますよ?」
「お前の目には私が男に見えるのか? 悪いが、私には同性を犯す趣味はないぞ」
「女でなくても美少年はいるかもしれないではないですか」
「私にはテレリグ様という立派な婚約者がいるわけだが、お前は分かって言っているのか?」
テレリグ・コトルミア。
それがアリシアの婚約者の名前であった。
代々ブルガロン王国の王位の継承しているコトルミア氏族宗家の長男である。
ブルガロン王国は複数の氏族の同盟によって構成されている連合国家だ。
ブルガロン王国のブルガロン人百五十万のうち、最大の人口を誇るのがコトルミア氏族であり、その数は六十万。
二番目の人口を持つのが四十五万のクロム氏族であった。
テレリグとアリシアの結婚は、近年求心力を落としてきたコトルミア氏族の力をクロム氏族が下支えすることにある。
またクロム氏族が反乱を起こそうとしているのではないか、と疑っているコトルミア氏族の疑念を晴らすという目的もあった。
「ですがテレリグ様もきっと、今頃は略奪に参加して女を犯していると思いますよ?」
「だから何だ? そんなものはテレリグ様の好きにすれば良い。結婚するまで私は貞操を守るつもりだ」
「生真面目ですねー、ところで同じ女としては良いのですか?」
「何が?」
「強姦ですよ、気にならないのですか?」
副官がそう聞くと、アリシアは鼻で笑った。
「強姦されているのは私ではない」
「それを言ったらお終いだ!」
副官は大笑いした。
アリシアはそんな副官を横目で見ながら、さらに付け足す。
「弱いから奪われる、弱いから犯される……そして私たちは強いから奪える。それが摂理だ。私は強者側の人間。弱者のことなど知らん」
そして副官と自分の周囲にいた護衛の男たちを挑発するようにいった。
「私を犯したいか? ならば今ここでも良いし、夜でもいい……襲い掛かって来い。私はそれを悪いことだとは思わんぞ。もっとも……私も相応の抵抗はさせてもらう。去勢される覚悟がある奴だけ、来い」
そういうと副官は両手を上げた。
「あー、怖い。確かにアリシア様は強くてお美しいですし、是非とも組み伏せたいですけどね、問題は私よりも遥かにお強いことですよ。さすがに去勢はされたくはありません。……さて、私もそろそろ行って良いですか? こんな話をしていたら少しムラムラしてきまして」
「好きにしろ。但し服は汚してくるな。……汚いものは見たくない」
「はは、善処しますよ」
そう言って副官は馬に乗って略奪・強姦に参加するべく駆けていく。
「全く、何が楽しいのやら」
アリシアは肩を竦めた。
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