第6話 ニア・ルカリオス 前

 「よくやりましたね、シファニー。偉いですよ」

 「うん、偉い」

 

 それからしばらくし、シファニーの妊娠が発覚した後、その妊娠はごく限られた者、つまりカロリナやルナリエといった、エルキュールの家族のみに伝えられた。


 他にこれを知っているのはトドリスとルーカノスの二人だ。

 順次、公開されることになるだろう。


 「ありがとうございます。皇后殿下、ルナリエ殿下」


 シファニーは嬉しそうに笑みを浮かべた。


 皇帝の地位は純潔長耳族ハイ・エルフだけが継げるためシファニーの子がカロリナの子のライバルになることは絶対になく、そして次期ハヤスタン王を産むルナリエにとっても同様であるため、二人がシファニーに対して敵対心を抱くことはない。


 自分たち以外に女がいるというのは今更な話だ。


 「まあ暫くは休みを取って置け。産んでからまた働けばいい。今、大事なのは無事に産むことだ」

 「はい、分かっております。でも、その……」

 「暇を見つけて会いに行ってやるから安心しろ」

 「はい!」


 エルキュールはシファニーの頭を撫でた。 

 政務もあるし、戦争が起これば戦場に行かなければいけないエルキュールがシファニーに付きっ切りになることは不可能だが、様子を見に行く程度ならば十分可能だ。


 「と、ところで陛下……その、男の子と女の子、どちらが良いでしょうか?」

 「気が早くないか?」


 エルキュールは苦笑いを浮かべる。

 下手に期待して流れでもしたら余計に辛くなる、とエルキュールは考えてしまうのだが、シファニーは妊娠したことで喜びの絶頂にいるようだ。


 この辺りはただ孕ませるだけの男と、しっかりとお腹に命を宿した女との意識の差、ということになるのだろう。


 「まあどちらでも良い……というのが模範解答なんだろうが、正直なところを言えば女の子かな?」

 「どうしてですか?」

 「男の子だと就職が面倒だ。女の子なら、嫁ぎ先は山ほどあるから困らん」


 自分の子供だからと無駄飯食らいを養うつもりは毛頭エルキュールにはない。

 官僚か、軍人にでもなって貰わなければ困る。


 だがポストには限りがある。

 上にまで上がって来られるかは男の子の実力次第だ。


 「優秀なら良いんだが、平凡以下だとな」

 「陛下の子だからって、期待されると辛そうだね」

 

 ルナリエはエルキュールの意見に賛同した。

 親と子の能力が同じだとは限らない。

 鳶が鷹を産むケースもあれば、鷹が鳶を産むケースもある。


 エルキュールは間違いなく鷹の人間である。

 エルキュールよりも優秀な人間は早々いない。


 「エドモンド・エルドモート卿のようになれると良いんですけどね」


 カロリナは呟いた。

 エドモンドは知っての通り、エルキュールの腹違いの兄であり、先帝ハドリアヌスと妾の間に生まれた子供だ。

 現在は軍人としてエルキュール政権を支えている。

 エドモンドのような子供が生まれれば、将来生まれるであるカロリナの子供、次期皇帝の助けになってくれるので、カロリナとしては少し期待しているのだろう。


 「まあな……でも父上は元々評価がさほど高くなかったからな。エドモンドもそこまで期待されず、気楽にやれただろうけど。俺はね……自惚れるつもりはないが、評価が高いからな」


 あの皇帝陛下の息子さん!!

 と、期待されるのは荷が重そうだ。


 「逆に女の子なら、みんな欲しがるだろ? 側室として。海外に嫁がせるのもありだ。黒突やフラーリング、ファールスと選り取り見取りだ」


 女の子なら結婚という名の永久就職が残されているので、多少頭がアレでも幸せに生きていける。


 よほど顔が悪くない限り―といってもエルキュールとシファニーの子なので間違いなく美女になるだろうが―エルキュールの子というブランド付きなので、引く手数多だ。


 「とはいえ、気負う必要はない。今は無事に生まれてきてくれれば良いさ。俺にとっては初めての子供だしな」

 「は、はい」


 シファニーは頷いた。

 男の子か、女の子か、など産んでみなければ分らないのだ。


 お腹が膨らむ前から心配したら、鬼が笑うだろう。

 レムリア帝国の文化的には鬼ではなく、悪魔になるのか?


 事実、先程からエルキュールにしか聞こえない声でアスモデウスとシトリーが「ご主人様がパパとかマジウケる」と大笑いしている。

 今晩は徹底的に痛めつけてやろうと、エルキュールは心に決めた。


 「陛下、私も早く欲しいです」

 「焦るな。あと百年は猶予があるんだから」


 エルキュールはそういってカロリナの頭を撫でた。

 カロリナとしては早く男の子を産みたいのだろうが、子供はできる時はできるし出来ない時はできない。

 身構えても仕方がない。


 「まあ、あと一年間は大人しくしているつもりだから出産には立ち会えるはずだ。少なくともどこかの国が余計なことをしなければな」

 

 「その言い方だと、一年後には何かをするの?」


 「まあな」


 ルナリエの問いにエルキュールは笑って答えた。

 当初からの目的をエルキュールは達成するつもりでいる。


 何があっても自分の治世のうちに終わらせる大事業だ。


 「そろそろお仕置きをしてやらないと、ならんからな」


 エルキュールは嗜虐的な笑みを浮かべた。









 さて、話は一年ほど前に遡る。

 それはエルキュールとセシリアが公会議を終えた後のことであった。


 「いやー、負けたな、ルーカノス。先代のミレニア猊下とレムリア総主教には」

 「負けた……ですか?」


 ルーカノスは首を傾げた。

 セシリアに負けた、という意味ならルーカノスも理解できる。

 だがエルキュールがミレニアやレムリア総主教であるクロノスに負けた、というのはイマイチ分からない。


 「子育てだ。あそこまで優秀な子に育て上げるとはね、それに比べると……」

 「ああ、そういうことですか」


 ルーカノスは合点がいった。

 つまりエルキュールはセシリアという少女を優秀な姫巫女メディウムに育て上げた先代姫巫女メディウムのミレニア、そしてレムリア総主教のクロノスと……

 ニアを現在育てているエルキュール自身、そしてルーカノスを比べているのだ。


 「何の差だろうか? ニアもかなり優秀だとは思うのだが。やっぱり育ちが悪かったか? 境遇をバネにして飛び上がれたりはしないものなのかね?」


 「まだニアは成長途上ですよ、陛下。……今代の姫巫女メディウム猊下は陛下に匹敵、とまではいかないものの確かに非常に優秀です。でもあれは生まれもってのものでしょう? 比べるのはよくありません」


 「俺が言ってるのは能力の差じゃないさ。そりゃあ、そもそも学がなかったニアにはハンデがある。そんなところは比べたりはしないよ」


 人間にはどうしても生まれもってのものがある。

 セシリアは容姿といい、能力といい、その善良な性質といい、生まれといい……間違いなく持っている人間だ。

 ニアも無論、持っている側の人間であるとエルキュールは思っているが、どうしてもセシリアには劣る。


 だからそこを比べようとは思わない。


 エルキュールが比べているのは……


 「もっと自発的に行動することはできないのかね? 自分の頭で考えて、積極的に知識を吸収して、実践する。どうすればそういうことができるようになるのか、子育てってのは難しいな」


 「それは……」


 ニアはエルキュールやルーカノスから与えられた知識を吸収し、咀嚼して自分のものにすることができている。

 だが与えられた知識、だけだ。

 自分から知識を得ようと行動することは、今のところ一度足りともしていない。


 「俺に言われたことしかできないなら、代わりはいくらでもいるからな」


 エルキュールが寵臣に求めるのは、自分の命令の意図を組み、自分で考えて、それに沿う形で行動できる能力だ。

 言われたことを言われたままにするのは決して簡単なことではないが、その程度の普通に優秀な家臣ならばいくらでもいる。

 レムリア帝国の官僚や仕官は粒揃いだ。


 「あの子も少しずつ、成長しています。少しずつですけど……もう少し見守ってあげてくれませんか?」

 

 「そうだな……まあセシリアの、親友の活躍を見れば少しは思うところはあるだろう。何でも良いから行動を起こしてくれると嬉しいね」




 その頃、セシリアとニアは二人で紅茶を飲んでいた。

 セシリアはニアと二人切りで過ごす時だけ、十五歳の一人の少女に戻ることができる。


 「はぁ……」


 ニアは溜息を吐いた。

 落ち込んだ顔のニアにセシリアは問いかける。


 「どうしましたか、ニア?」

 「ううん、何でもないよ……」

 「……なら良いですけど、もし何かあったら言ってください」

 「うん、分かった」


 ニアは曖昧に笑った。

 まさか「あなたとの差を目の当たりにして落ち込んでいる」などと言うわけにはいかない。

 

 昔は身分と生まれは違えど、それなりに対等だと思っていた。

 再会してすぐはようやく並び立てたと思っていた。

 だが実際は違った。


 自分よりもずっと上の存在になっていたのだ。

 自分がいつも見上げていた、エルキュールと同じ土俵に立つことができるほどには。

 

 そしてセシリアから、エルキュールと男女の関係になったと告白された時にはっきりと分かった。

 セシリアはエルキュールから認めて貰えたのだ。

 嫉妬や羨望もあるが……

 それ以上にニアの心の内に渦巻くのは、今までエルキュールの側にいたのにも関わらず、何一つエルキュールに認めて貰えていない自分の不甲斐なさだ。


 (私は昔から何一つ変わってない……)


 昔と比べれば随分と頭も良くなった。

 体も大きく成長した。

 いろんな知識も得た。


 だが精神的には何一つ、成長することができていない。

 

 胸を張って街を歩けるようになった?

 違う。

 それは結局、貴族という身分の被り物を被っているからであり、つまりニア自身の成長ではない。

 ニアはそのことを自覚していた。


 結局のところ、今も昔も助けが来るまで空を見上げ続けている点では変わりない。


 「どうすれば……良いんだろう」

 「何か、言いました?」

 「ううん、何も」


 何をすれば良いのか分からなかった。

 だが何かをしなければいけないということだけは分かっていた。

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