第2話 セシリアの反攻(抗) 承


 「嫌です」


 セシリアにそう言われた時、一瞬エルキュールは自分自身の耳を疑った。

 明らかに協力してくれそうな流れだったのだから、無理もない。


 面食らった顔を浮かべたエルキュールを見て、セシリアはクスクスと笑う。

 揶揄われたことに気付いたエルキュールは少しだけ不機嫌になりながら、セシリアにいった。


 「セシリア、やめてくれないかな? そういう悪ふざけは」

 「皇帝陛下」


 セシリアは背筋を但し、エルキュールの目を見つめて言った。


 「今、私は姫巫女メディウムとして話しております。名前を呼ぶなとは言いませんが、呼び捨てにするのはいささか、私に対して礼に欠けていませんか?」


 「ふむ……分かった。では姫巫女メディウム猊下、頼まれてくれるか?」


 エルキュールは半ギレになりながら言うと、セシリアは笑みを浮かべて言う。

 

 「それについては先程も申し上げた通り、『嫌です』というのがその回答です」

 「……あまり大人を舐めるなよ、小娘」


 エルキュールは怒気を込めて言った。

 それに対してセシリアは言い返す。


 「それはこちらのセリフです、皇帝陛下。私はあなたのお人形になったつもりはありません」


 「誰のおかげで生きていると思っている?」


 「それは確かに皇帝陛下のおかげです。ですが、それとこれとは話が違う……逆に言わせて頂きましょうか? 誰のおかげで皇帝陛下は『メシア教の守護者』としての立場で、メシア教世界の指導者を名乗れているとお思いですか?」


 エルキュールは溜息を吐き、脚を組んだ。

 背中をソファーに預け、腕組をして、上から目線で言った。


 「少々甘やかしすぎたか。セシリア、今君の身柄は私が押さえているのだよ。考え直しなさい。……私に逆らうと、どうなるか分かっているのか?」

 

 「お言葉ですが……」


 セシリアはエルキュールをしっかりと見つめて言った。


 「私はあなたの家臣ではありません。ですからあなたの命令を聞く義務はございません」

 「どうなっても良いのかね?」

 「それはこちらのセリフです。……どうなっても良いんですか? 私を失って、あなたは私の代わりを用意できますか? 私の代わりにあなたはなれるんですか?」


 エルキュールは不機嫌そうに眉を顰めた。

 答えは言うまでもなく、「否」である。


 エルキュール自身がセシリアの代わりとして、教皇、または姫巫女メディウムとしての役割を務めることはできない。

 できたとしても、聖職者や信者たちはエルキュールを冷ややかな目で見るだろう。


 ルーカノスなどを教皇として即位させる、という手段も可能だが……

 それをすればエルキュールは今後、西方世界への影響力の全てを失うことになるし、聖修道会との対立も避けられない。


 元々アレクティア派の容認など、エルキュールの聖職者からの評判は良いとは言えないのだ。


 それでも現在、レムリア帝国の聖職者たちはエルキュールを支持している。

 それはセシリアを救いだしたという業績があるからだ。

 しかしもしこのタイミングで、セシリアが自分の言うことを聞かないという理由で蔑ろにすれば、高まった支持は一気に地に落ちることになる。


 「私はどうなろうと構いません。あなたのお好きなようにすれば良いでしょう。事実、この身が無事なのはあなたのおかげです。ですがあなたがお好きにできるのはこの肉体だけであり、魂は別です。私の意志をあなたが操ることはできません」


 「ああ、そうか……つまり君は私に敵対すると、そういうことかね?」


 エルキュールがそう言うと、セシリアは首を傾げた。


 「何故、そうなるのですか?」

 「……」


 先程とは打って変わった態度にエルキュールは困惑する。

 セシリアは相変わらず、悪意が一切込められていない目で言った。


 「私が言いたいのは、私はあなたの家臣ではないということです。あくまで対等な立場としてならば、あなたに協力するつもりはあります。言ったではありませんか。帝国の利益と私の、教会の利益は合致している。そこに異論を挟むつもりはありません」


 「じゃあ何故『嫌』なのかね?」


 「このままだと帝国と教会、双方が不利益を被るからです」


 セシリアは純粋な目で、そう言った。


 「陛下、いえエルキュール様。エルキュール様は私とエルキュール様が世間でどういう風に見られているか、知っておられますか?」

 

 「……」


 エルキュールは口を噤んだ。

 良い評判はたくさんあるが、同時に悪い評判もある。

 セシリアが言いたいのは悪い評判の方だ。


 例えば……


 「今の姫巫女メディウムはレムリア皇帝の愛人だ。姫巫女メディウムは司祭杖ではなく、レムリア皇帝の……ごほん、まあ、それを毎晩握っている。レムリア皇帝の傀儡で、助けて貰った見返りにその身を売っている。あのような娼婦に比べれば、まだ教皇の方がマシだ。……まあ私がこの耳で聞いたのは、こんな感じの評判です。他ならぬノヴァ・レムリア市民がそう言っているのです。……他の地方では、どうなっているのでしょうね?」


 セシリアは少しだけ、顔を赤くして言った。

 そして咳払いをする。


 「と、まあそんな感じなのです。もし今の評価のまま、私があなたに協力をしたら……ますます悪評に拍車が掛かるでしょうね。それは教会の利益に反します。そして……自称“教皇”の権威が高まることは、エルキュール様の、帝国の利益に反する。ですから私がこのまま、エルキュール様に協力するわけにはいかないのです」


 セシリアはそう言って、肴に手を伸ばした。

 美味しそうに食べながら、セシリアは言った。


 「ですから、お互いにまずは評判の方を改善するべきだと思うのですよ。正直なところ、私は今の聖職者の在り方はあまり好きではありません。教会や修道会が富を溜めこむなど、言語道断です。寄付や寄進で得た富は全て、貧しい方々に分配するべきです。それが正しい教会の在り方だと、寄付や寄進の本来の役割であると私は思うんです」


 セシリアの言い分を聞いたエルキュールは……

 溜息をつき、天井を見上げた。


 セシリアの言い分は理に適っていたし、セシリア本人にエルキュールに対して敵対するような意志があるわけではない、ということも分かった。

 そしてセシリアがほぼ九割、善意で言っているというのも分かった。


 (この手のやつは初めてだな……)


 エルキュールはセシリアに対して、どういう態度で臨めばいいのか分からなくなっていた。

 悪意でぶつかってくる相手には悪意で返せばいい。

 だが善意でぶつかってくる相手に悪意を返すわけにはいかない。

 

 そこでエルキュールはセシリアに尋ねた。


 「セシリア、君の言い分はよく分かった。では、具体的にどうすれば我々の関係が邪推されないようになると思うのかね?」

 

 「それは無理だと思います。私とエルキュール様が仲良くすれば、邪推する者は大勢でてきますよ。だって、若い男女ですよ? しかもエルキュール様は女性関係の噂が元々良くありません。あのレムリア皇帝が年若い姫巫女メディウムを手籠めにしないはずがない、とみんな思ってますよ」


 「あー、うん、それに関しては……申し訳ない」


 日頃の行いの悪さに関しては、エルキュールも多少の自覚はある。

 それを言われると、反論ができない。


 「ですから邪推されてしまうことは仕方がないのです。大事なのは邪推されると、何故評判が落ちるのか、その一点です。例えばエルキュール様とルナリエ様が男女関係にあって、お二方の評判は下がりましたか? 少なくともエルキュール様の評判は下がっていません。むしろハヤスタン王国を属国化できると、上がりましたよね。ではルナリエ様の評判は? レムリア帝国では好意的でしたよね。ハヤスタン王国では? 親ファールス派からの評判は下がりましたが、親レムリア派での評判はむしろ上がりましたよね?」


 「つまり我々が男女関係にあっても、それが利益を齎すと判断されれば評判は下がらない。と、言いたいのか?」


 エルキュールがそう言うと、セシリアは頷いた。


 「さらに言うのであれば、ふしだらなイメージを持たれないことも重要です。例えば私がエルキュール様から綺麗な服や装飾品を貰ってそれを身につけたり、莫大な寄進や寄付を受けて贅沢三昧している……とか。私がどんなに清廉潔白な生活を送っても、好き勝手に噂する輩は一定数いますからね」


 そしてそれを信じる者もいる。

 大事なのは噂の真偽ではなく、どれくらいその噂を信じる者がいるかどうかだ。


 「それで結局、何が望みなんだ?」


 「簡単です、功績ですよ。“教皇”は確かに今、多くの聖職者や信者たちの支持を集めています。ですが実際には今、何の功績を上げていません。彼への支持はただの期待なんです」


 民主主義国家で国民が選挙で投票する時、多くの投票者はあまり政治家の政策などは考えていなかったりする。

 大多数の国民は『この政治家ならばこの国を良くしてくれそう・・・・』という期待で票を入れるのだ。


 だからこそ、劇場型政治というものが成立する。


 だがこういうものはあまり長続きしない。

 ハネムーン期間はすぐに終わってしまう。


 その次に来るのは期待を裏切られた事への強い失望だ。

 だからこそ、期待をさらに盛り上げるために小さくても功績が必要になる。


 だが今のところ教皇は何一つ、功績を上げていない。

 

 「今のところ“教皇”が行ったのは帝国とエルキュール様に喧嘩を売るだけです。そして彼は結局のところ、フラーリング王国の軍事力の庇護下にあり、実際のところあまり私と立場は変わりません。先代姫巫女メディウムの時代よりも酷くなっています。すぐにハネムーン期間は終わります。そうなれば次は私たちの出番です。私たちが“教皇”よりも、信者や聖職者の期待に応えるのです。そうすれば一気に形成は逆転します」


 「功績ね……」


 今までエルキュールとしては、ファールス王国の侵攻を食い止めたり、異端者や異教徒を討伐したりと、功績を上げてきたつもりだった。

 だがセシリアが言いたいのは、そういうことではないのだろう。


 「その功績というのは、要するに君の功績か?」


 「はい、そうなります。何といいますか、誠に申し訳ございませんが……エルキュール様。私に功績を下さいませんか? そうすれば私への支持は一気に高まります。そうすればトレトゥム王国をこちら側に止めることができるかもしれませんし、上手く行けばエデルナ王国も再びこちら側に引き戻すことができるかもしれません。そして……フラーリング王国内の教会や諸侯たちの支持も集められるかもしれない」


 セシリアの権威が高まった方が、その守護者であるエルキュールも都合が良い。

 が、しかしセシリアの権威の高まりは皇帝を頂点とするレムリア帝国の国体を揺るがしかねない。


 レムリア帝国に於いて、皇帝はただ一人の権力者でなくてはならないのだ。


 だが話だけは聞いても良い。

 エルキュールはそう思い、セシリアに尋ねた。


 「セシリア、君が欲する功績というのは何だ?」


 エルキュールがそう尋ねると、セシリアは待ってましたとばかりに言った。


 「聖職叙任権についてです」

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