第33話 舞台演劇 終幕 仲直り そして監督のご挨拶
さて無事レムリア市を抜けたエルキュール一行はすぐにガルフィスと合流してから、港に向かい、船で海へと出てしまった。
もうこれで追っては来れない。
「ああ……ル、ルーカノス・ルカリオス殿……わ、私は罪を犯してしまいました……」
「は、はぁ……」
セシリアはルーカノスに治療されながら……
半泣きで懺悔をしていた。
ルーカノスは適当に相槌を打ちながら、セシリアの指先を消毒し、薬を塗り、自らの契約精霊マルバスでその傷を癒す。
「私は罪深い人間です……
「……」
あなたが罪深かったら、うちの君主はどうなるんだ。
ルーカノスの口から思わずそんな言葉が漏れそうになったが、どうにか堪えて……
無言でセシリアの頬に傷薬を塗る。
なぜならすぐそこに彼の君主がいたからである。
「緊急事態だったし、良いじゃないか」
「ファ、ファーストキスだったんですよ!! あなたも少しは気にして下さい!!」
セシリアはそう言ってグズグズと泣き出した。
ルーカノスの心情としてはセシリアを庇いたいのだが、自分の主人を非難するわけにもいかないので……
間を取って、ひたすら無言を貫いていた。
「いや、すまない。謝るよ、セシリア……」
「い、いえ……そ、その……問題は初めてだったとか、接吻したとかじゃないんです。しょ、所詮唾液の交換ですし、か、神もお許しになられるでしょう……接吻それ自体は」
エルキュールが真面目に謝ると、セシリアは首を振った。
どうやらセシリアは唇を汚されたことに罪を感じているわけではないようだ。
そもそもセシリアはエルキュールに接吻されるとは思っていなかったわけで、無理やりされた接吻が罪になるはずがない。
「わ、私が問題視しているのは……そ、その……それによって性的な興奮を覚えてしまったことです!! 私は罪深い人間です……ル、ルーカノス・ルカリオス総主教様! 私は本当に
「……」
そんなの知るかよ。
自慢か? 自慢なのか?
私は性的に興奮することができるんですという自慢か?
俺はしたくてもできねえんだぞ、このクソガキ。
お前ら痴話喧嘩するなら余所でやれや。
ルーカノスは思ったが、どうにか堪えた。
一瞬忘れそうになったが、この男女はレムリア皇帝と
メシア教世界に於ける俗世と聖界の最高指導者なのである。
「あ、セシリア……ここにいたの。いろいろ話があるんだけど……」
すると……
ドアを開けてニアが現れた。
「ニア、敬語」
「ひぃ! お、お父様!! セ、セシ……
「いえ、セシリアで構いません。ここは公的な場ではありませんから」
セシリアは首を横に振った。
ルーカノスは眉を顰めたが、セシリアが良いと言っている以上、文句を言えない。
「丁度、私もあなたに……その、言いたいことがありまして」
セシリアはそう言ってから……
大きく深呼吸した。
「その……あなたに手紙のことを言わなかったのは……不適切でした。その、言わなかったのは……隠したかったからなのです。何故隠したかったかは……その、ここでは言いませんが、私は……あなたに少し嫉妬をしていました。……今を思うと。そ、その……だから、ですね……」
顔を強張らせ、震えた声で言った。
「その……ど、どうか……し、親友に戻して……貰えませんか?」
「セ、セシリア……」
ニアは顔を赤らめた。
「ま、待って……えっと……その、あの時は私も嫉妬してて……酷いこと書いたけど、あ、あれは本心じゃなくて……」
ニアの目には涙が浮かんでいた。
セシリアに駆け寄り、縋りつくように言う。
「ごめんなさい……あなたに酷いことを言いました。あなたを傷つけようと、酷いことを書きました……わ、私は……あなたの親友になる権利がありません……私は、本当に性格の悪い女なんです。あなたのように素晴らしい人の親友に相応しくありません……」
ニアは俯いて言った。
ニアは(どこぞの誰かと違って)自分の性格の悪さを自覚していた。
育ちの所為だとか、悪いのは自分を虐めた相手だとか……
行為への言い訳はできる。
だがその行為をする自分の性格、性質の悪さだけは誤魔化すことはできない。
一方、ニアから見ればセシリアは素晴らしい人物だ。
自分を拷問にかけた男に協力した兵士の冥福を、心の底から祈ることができる人物だ。
そんな心の清らかな人の親友など、おこがましい。
ニアは心の底からそう思っていた。
「そんな!! わ、私だって……醜い人間です。親友だと言っておきながら……大切なことを黙っていたんです! それを言ったら私だって……ニアに相応しい人間じゃありません」
セシリアはニアに頭を下げた。
そして……
「その……お互い未熟者同士、やっぱり相応しい親友ということに……しませんか?」
「……そう、だね」
二人は抱擁を交わした。
「あの、状況が呑み込めないのですが、あれは何ですか?」
「知らなかったのか? あの二人、最近まで手紙に『お前なんか絶交だ!!』って書き合ってたんだぞ?」
「聞いてないですよ……」
さて、その後……
セシリアの治療を終えたルーカノスは、ある男のところにまで向かった。
「調子はどうかね。クロノス・クローリウス」
「……そうだな、気分は悪くないよ」
解放されたばかりのクロノスは全身傷だらけで、疲弊していた。
その生命は危機的状況にあった。
だがルーカノスのマルバスによる治療により、一命を取り留めたのだ。
「……笑わないのか?」
「何が? 君のどこに面白い要素があるのかね」
クロノスの言葉に、ルーカノスは肩を竦めた。
クロノスは絞り出すように言った。
「私は……拷問で睾丸を破壊された」
「ええ、存じています。傷を塞いだのは私ですしね。あと一歩遅ければ、死んでいたかもしれません」
クロノスはグレゴリウスによる拷問の過程で、睾丸を潰されていた。
傷の手当も適当だったため、あと一歩遅ければ膿んで死に至る可能性があるほどの重症だったのだ。
「私は今まで君のことを笑って来たんだぞ」
「ええ、そうですね」
「……本当は内心で笑っているんだろう? ざまぁ見ろと」
クロノスがそう言うと……
ルーカノスは溜息を吐いた。
「私がそんなことを根に持って、不幸のどん底にいる者を嘲笑うとでも?」
「だが私は……拷問に屈して自白したような男だぞ?」
「経緯は聞いています。
そう……
クロノスはグレゴリウスにこう脅されたのだ。
お前が自白しないというのであれば、セシリアに聞くしかない。
お前と同様に……いや、それ以上のことをしてやろう、と。
「あなたは
ルーカノスは笑みを浮かべた。
「よくぞ死を恐れず、己の主人を……育ての親としての責務を全うしましたね。あなたの傷は称えられるものであっても、貶されるようなものではありません。もしあなたのことを笑う者がいたならば、私はその者を非難しましょう。お前には忠義というものが分からないのか、と」
ルーカノスの言葉に……クロノスは涙を流した。
「ル、ルーカノス……い、今まですまなかった……わ、私はお前のことを……」
「いえ、私もあなたのことを挑発しましたし……お相子です。今度からは共に己の主人を盛り立てて行きましょう」
ルーカノスはベッドに横になっているクロノスに手を伸ばした。
クロノスはその手を握った。
「なあ、カロリナ」
「何ですか?」
「最近、なんか友情が流行ってるみたいなんだよね。俺も友達が欲しくなってきたんだけど、どうすればできると思う?」
「取り敢えず去勢してみたらどうですか?」
「去勢するくらいなら、エンペラー・オブ・ボッチで良いわ」
さて、その後の顛末を簡潔に書こう。
エルキュールとセシリアは共同してノヴァ・レムリアに『臨時レムリア総主教座』を打ち立て、亡命して来た聖職者たちを取りまとめた。
そして『グレゴリウスとその協力者全て』に対してエルキュールは帝国追放令を出し、セシリアと五本山の総主教座は一斉に破門宣告を出した。
これに対し、グレゴリウスもまたエルキュールとセシリア、そして五本山の総主教座に破門宣告を出したのである。
斯くしてメシア教会正統派は、教皇派と
後に
この段階ではエルキュールとセシリアは事態を重く見ていなかった。
だが二人が思っている以上に、事態が深刻化した。
二人にとって想定外であったことは……
多くの聖職者が事態を冷ややかな目で見たということだ。
そもそも建前上全ての信徒は神の前に平等であるにも関わらず、
ミレニアは血縁は無論、政治的にも優れた実力者であるため不満は表面化しなかったが……
どう考えても未熟なセシリアが立ったことで、一気に表面化したのだ。
その未熟なセシリアがレムリア総主教座から、
これは初代
何より……エルキュールと同調して、グレゴリウスに破門宣告を出した。
セシリアがエルキュールの傀儡であることは自明であり……
そしてエルキュールは聖職者に対して厳しいことで有名なレムリア皇帝である。
既得権益を手放したくない聖職者たちがどちらを支持するかは……
明白だった。
結果、
レムリア帝国と友好関係を結ぼうと考えていたトレトゥム王国では、両者の勢力が拮抗。
その他の地域、つまりグレゴリウスの政治基盤であるエデルナ王国、レムリア帝国の影響力が薄いフラーリング王国では、多くの正統派教会が明確にグレゴリウス、教皇派を支持する事態となった。
エデルナ王国とトレトゥム王国の国教は西方派であり、当然西方派勢力も多かったが……
西方派は預言者であるメシアの人性を強調し、神性を否定する教義である。
預言者だけではなく
さらに悪いことは続く。
エデルナ王国で軍事クーデターが発生したのである。
このクーデターにより親レムリア派であり、正統派(
ディートリッヒ二世はエルキュールに対し、エデルナ王国の王位と西レムリア帝国領内に於ける執政官と護民官の地位を求めたが、エルキュールはこれを拒否した。
反レムリア派の人間、それも軍事クーデターで正統な王を弑逆した者に、「はいどうぞ」と王位と官職を与えることができるわけがない。
だがこれが良くなかった。
ディートリッヒ二世は王位の正統性をグレゴリウス、即ち教皇に求めたのである。
斯くしてエデルナ王国は一気に反レムリアに傾いてしまったのだ。
そしてほぼ同時にフラーリング王国もまた、レムリア帝国に執政官と護民官の地位を返却し……
レムリア帝国からの独立を宣言した。
そして自らを教皇の守護者であると、自認したのである。
エルキュールが塗りあげてきた西方世界が……
一瞬で塗り替わってしまった。
「ははははは!! どうかな、エルキュール陛下!! 気に入って頂けたかな? かつてあなたがエデルナ宮殿で監修した演劇に……優るとも、劣らないのではないかな?」
世界を塗り替えて見せた男……
フラーリング王国、国王ルートヴィッヒ一世は笑った。
この男こそ……
後にエルキュール帝終生のライバルの一人に数えられる男。
七人の騎士を従える、最高・最強……そして最悪・最凶の騎士。
騎士の中の騎士『獅子王』ルートヴィッヒ一世である。
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