幕間

第1話 太陽と月

 

 「その……ニア、よろしくお願いします」

 「うん、任せて。これでも生まれてからずっと、ここに住んでるからね」


 セシリアがノヴァ・レムリアに来てから一月が経過した。

 傷も十分に癒えて、失われた体力も日々の食事で戻って来たので……


 ニアにノヴァ・レムリアを案内して貰うことになったのだ。


 「あの、変じゃないですよね? これ」

 「うん、似合ってると思うよ」


 ニアはセシリアの服を褒めた。

 セシリアは非常にシンプルな白いワンピースを着ている。


 いつもの姫巫女メディウム服を身に着けて歩けば大騒ぎになるからだ。

 幸い、まだセシリアはノヴァ・レムリアの住民に顔を覚えられていない。


 「ところで……その、ニアは良いんですか?」

 「うん、何が?」

 「その……角とか、尻尾とか」


 セシリアはニアの角や尻尾に視線をチラッと移してから尋ねた。

 セシリアの記憶の中のニアはいつも不安そうにおどおどしていて、角や尻尾は必ず隠していた。


 だが今は帽子すら被らず、平然と角を露出させている。

 そしてミニスカートの下から尻尾を垂らしていた。


 「ああ、気になる? セシリアが嫌なら隠すけど」

 「まさか! またそういう意地の悪いことを……」

 「冗談だよ、冗談。私のこと、気遣ってくれたんでしょ? 安心して。私は大丈夫だから」


 ニアはセシリアに笑いかけた。 

 セシリアは目を丸くした。


 離れている間の親友の成長にはいつも驚かされる。


 「変わりましたね」

 「それはセシリアもでしょ。ほら、行こう」

 「はい!」


 セシリアとニアは手を繋いで歩き出した。






 まず初めに二人が向かったのは美術館である。

 皇室財産は無論、貴族たちが蒐集してきた数々の装飾品・絵画が飾られている。


 強化の魔術が掛けられた分厚いガラスケースと鉄格子によって、美術品は守られている。

 出入りには高い入場料と、身分による制限、そして徹底的な荷物検査が行われる。


 「わぁ……凄いですね。大きなルビーです」

 「これは皇室のだね。シンディラの商人が献上したものだよ」


 ニアは一つ一つ、セシリアに美術品の由来を説明する。

 その度にセシリアは相槌を打ち、ニアを褒めた。


 「ニアは物知りですね。凄いです!」

 「それほどでも」


 実はこの日のために何度も美術館に通い詰めて、必死に本で調べたのだがそれは秘密だ。

 セシリアの前だけはどうしてもカッコイイ、頼りになるところを見せたいニアであった。


 「でも、ニアも随分とレムリア語が上手になりましたね。ビックリしましたよ」

 「ははは……昔はキリス語も話せなかったからね」


 ニアは苦笑いを浮かべた。

 昔はセシリアがニアに合わせてキリス語を話していた。


 セシリアはニアの訛ったキリス語を笑わず真剣に聞いてくれていた。

 今ではニアがセシリアに合わせてレムリア語を話している。


 「そう言えば、セシリアの母語はレムリア語で良いんだよね?」

 「ええ、そうですよ。レムリア総主教座の公用語はレムリア語です。もっとも一歩レムリア市から出ればエデルナ語の世界ですけどね」


 もっとも旧西レムリア帝国領内にはまだまだ大勢レムリア語の話者が残っているため、一概にもエデルナ語が支配的とは言えないが。

 少なくとも西レムリアの上流階級の間ではレムリア語が公用語として通じる。


 「セシリアって、何か国語話せるの?」

 「私ですか? えっと……そうですね。レムリア語とキリス語、エデルナ語は問題無く話せます。チェルダ、トレトゥム、フラーリングは片言って感じですね」

 「おお……流石セシリアだね。私はまだレムリア語とキリス語だけだよ。今はファールス語を習ってるけど」


 最大の仮想敵国の言語程度は覚えておきなさい。

 エルキュールとルーカノスにそう言われて、ニアはファールス語の習得に精を出していた。


 しかしキリス語・レムリア語とファールス語は言語体系が違う。

 前者は海の世界で成立した言語で、後者は砂漠の世界で成立した言語。


 習得には苦心していた。


 「ファールス語ですか。私も話せるようになりたいですね。エルキュール様に頼めば教師の方を紹介してくださるでしょうか?」

 「……聖火教の言語ですけど、良いんですか?」

 「聖火教の方にメシア教をお教えするのに、ファールス語が話せないと不便じゃないですか」

 「それもそうか」


 セシリアもニアも動機は同じ。

 敵の言語を覚えて、敵に対する理解を深める。


 もっともセシリアは『敵』とは思っていないだろう。

 彼女にとっては救済の対象だ。


 


 さてそれから二人は港に向かう。

 世界最大の港と言ってもいいこのノヴァ・レムリアの港は、エルキュールが下水処理場を建設して悪臭を解決したことで、ノヴァ・レムリア有数の観光地になっていた。


 「うわぁ! 船がたくさんありますね。それに潮の香がします」

 「そんなに面白い?」

 「ニアはいつも見慣れてるかもしれないですけど、私はこんなにたくさんの船は見たことないですし、海なんて滅多にいかないんですよ。精々エデルナ市に幾度か訪れる程度です」


 セシリアは楽しそうに言った。

 ノヴァ・レムリアで生まれ育ったニアには理解できない。


 「そろそろお昼だし、ご飯にしよう。セシリアに食べさせたい名物があるから」

 「名物、ですか?」


 セシリアはニアに連れられて、桟橋の方へと向かう。

 そこではたくさんの屋台が並んでいた。


 「なんか、お魚の匂いが焼ける香りがしますが……」

 「そりゃあそうだよ。ここの屋台、みんなサバを焼いてるからね」

 「サバ、ですか?」


 セシリアは首を傾げた。

 無論、セシリアもサバくらいは知っているし食べたこともある。


 だがサバが名物と言われてもピンとこない。

 港町だから魚介類が名物、と言われればそうかもしれないが……わざわざニアが「食べさせたい」と言うほどのものなのか、セシリアには分からなかった。


 「親父さん、前言った通り友達連れてきたよ」

  

 ニアは立ち並ぶ屋台の店主の一人に話しかけた。

 店主は軽く一礼する。


 「これはニアちゃん。その後ろの子が友達のセシリアちゃん? 可愛いねぇ」

 「こ、これはどうも……」


 セシリアは一礼した。

 どうやらこの店主は魔族ナイトメアに対する差別意識はないようだ。


 「二つね」

 「はいよ」


 ニアから貨幣を受け取った店主は半分に分かれた細長いパンを取り出し、そこに玉ねぎとレタスを数枚乗せた。

 そして鉄板の上で焼かれていたサバにレモン汁をかけて、そのサバをパンの上に乗せる。

 最後にオリーブオイルがベースのドレッシングをかけて、もう半分のパンで挟み込んだ。


 それを麻布で巻き、セシリアに手渡した。

 セシリアが困惑している間にも店主はニアの分も作り終えてしまう。


 「これは……何ですか?」

 「サバサンド。ノヴァ・レムリアの名物だよ。私も定期的によく食べてるの。店によって味は違うけど、ここのは一番美味しいよ」


 そう言ってニアはセシリアの手を引き、少し離れたところまで案内した。

 店の前で食べるのは流石に迷惑になるからだ。


 「じゃあ、食べよう」

 「あの……座る場所とか、無いんですか?」

 「立って食べるんだよ。海を見ながらね」

 「立って!」


 セシリアがビックリしていると、ニアがお手本を見せるようにサバサンドに齧り付いた。

 セシリアもそれを見習って、おっかなびっくり食べてみる。

 サンドイッチも初めてだし、立って食事をするのも初めてなのだ。


 「どう?」

 「美味しいです……パンとサバって、合うんですね。ドレッシングとレモンの酸味が絶妙です。野菜もシャキシャキしてて美味しいです」

 「気に入って貰えて良かった」


 二人はあっという間に食べ終えてしまう。

 食べ盛りな二人にはサンドイッチ一つは少なすぎる。


 「もう一つ名物があるよ。行こう」

 「はい、期待します」


 ニアに連れられてセシリアは街の中を歩いていく。

 ニアは一つの屋台の前で立ち止った。


 「これは……お肉ですか? 随分と大きいですね」

 「羊肉を重ねてるんだよ。重ねたお肉を金属の棒に指して、回転させながらじっくり火で炙るの。で、焼けたところからナイフで切り落としていく。そういう料理」


 ニアはセシリアに説明しながら、指を二本示してからお金を店主に渡した。

 相手が魔族ナイトメアだろうが、客なら何でも良いようで無愛想に店主は完成した料理をニアに渡した。


 ニアはセシリアに一つを手渡す。


 「ギロピタっていう料理。さっきのお肉と野菜を丸いパンに挟んでドレッシングをかけた料理。これはこれで美味しいよ」

 

 ニアはそう言ってセシリアの前で齧り付いて見せた。

 セシリアは周囲をキョロキョロと確認し、遠慮がちにギロピタを口に入れる。


 「美味しいです。お肉が香ばしくて良いですね」

 「野菜も取れるし、健康にも良いよね」


 さて、しょっぱくて脂っぽいものを食べた後は冷たくて甘いモノが食べたくなる。

 そこでニアはセシリアをデザートに誘った。


 「今度は何ですか?」

 「今度は面白いよ。セシリアが注文してみて」


 ニアはセシリアの背中を押した。

 セシリアの鼻腔を甘い匂いがくすぐる。


 「アイス、ですか?」

 「ええ、そうですよ。一つで良いですね?」


 セシリアはお金を渡し、アイスを一つ注文した。

 店の店主は棒でアイスを掬い上げるように伸ばした。


 「わぁ!」

 

 セシリアは目を丸くした。

 セシリアの知識の中のアイスは伸びたりはしないからである。


 店主はそのアイスをコーンに乗せて、棒に付けた状態でセシリアに手渡す。


 「ありがとうございます……あれ?」


 スカっとセシリアの手からコーンが消える。

 セシリアがコーンを握る瞬間に、店主が棒を回転させてその掌から逃れさせたからだ。


 「あ、あれ……掴めない」

 

 セシリアは意地でも捕まえてやろうと何度もトライするが、その度に失敗する。

 セシリアの反応に気をよくした店主がさらにパフォーマンスを続ける。


 とはいえ、いくらパフォーマンスが斬新で面白いとはいえ……

 あまりにしつこいと飽きる。

 途中からセシリアもあまりのしつこさに飽きてしまった。


 そして完全に飽きた頃、店主は満足したのかあっさりとアイスを渡した。


 「何なんですか、あれ……」

 「一応名物だから、あれも」

 「食べ物で遊ぶなんで、神様に不敬ですよ」

 「途中までセシリアも楽しんでたじゃん。じゃあ、私も貰ってくるよ。多分長くなるだろうしセシリアは先に食べててね」


 セシリアはニアを見送ってからアイスに口を付けた。

 案外味は普通だった。

 






 アイスを食べ終えた二人は高台から夕陽に染まる街を眺めていた。

 大理石で作られた家々が黄金に輝く。


 「ノヴァ・レムリアは大都会ですね。寂れてしまったレムリア市とは大違いです」

 「まあ、皇帝陛下の御膝元だしね」

 「……レムリア市も姫巫女メディウムの御膝元なんですけどね」


 セシリアは溜息を吐いた。

 言葉を選ぶべきだったと、ニアは後悔した。


 「あの……セシリア?」

 「良いんですよ。実際のところ姫巫女メディウムには力はありません。私には権威はあれども権力は無いのです。私は聖世界の指導者であり、俗世界の指導者はエルキュール様です。それでもやっぱりエルキュール様は凄いですね。この街を見てつくづく思いました。レムリア市もエデルナ市も、街には浮浪者や孤児で溢れかえっています。それに汚物で汚れている。でもこの街にはそういう人が少ないですし、とても清潔です。凄いですね、エルキュール様は」


 そういうセシリアの頬は少し赤らんでいた。

 決して夕日の所為だけではないだろう。


 「セシリアは……さ」


 ニアは少し遠慮がちに尋ねた。


 「陛下のこと、どう思ってるの?」

 「好きですよ」

 「それはえっと……人間として?」

 「人間としても、男性としてもですよ」


 あっさりとセシリアは言った。

 そしてニアに向き直り、頭を下げた。


 「あなたにエルキュール様との文通のことを言わなかったのは、多分あの時の私はあなたに嫉妬していたからです。あの時は私も気持ちの整理が付かず、何となく嫌だ程度の気持ちでしたが……今ならハッキリと言えます。私はエルキュール様のことが好きで、あなたに嫉妬していました。すみません」

 「い、いや……そ、そんな、あれは私も、というか私が悪かったし」

 

 ニアは両手を振り、セシリアに謝らないで欲しいと伝えた。

 再び話がエルキュールに戻る。


 「セシリアは陛下と結婚したい? 過去に結婚した姫巫女メディウムはいたよね?」

 「そうですね、いました。でも今は良いです」

 「何で?」

 「私はエルキュール様の傀儡になるつもりはありませんから」


 セシリアはきっぱりと言った。


 「エルキュール様のことは男性として好きです。政治家・軍人としては無論、文化人としても尊敬しています。ですがあの方は皇帝であり私は姫巫女メディウムです。私はあの方の傀儡になるつもりもなければ、家臣になるつもりもありません。これは私の姫巫女メディウムとしての責任です」


 「そんなに難しく考えなくても良いんじゃない?」

 

 「難しい……ですか。まあ私個人として、エルキュール様に認めて欲しい、あの人をぎゃふんと言わせてみたいという気持ちもあるんですけどね」


 セシリアは悪戯っぽく笑った。

 だがすぐに真剣な表情に戻る。


 「今の私は間違いなく、エルキュール様の傀儡だと思われているでしょうね。そして今の私がエルキュール様と男女の関係になれば、間違いなく揶揄されるでしょう。それは姫巫女メディウムの権威の失墜を意味します。歴代の姫巫女メディウムが積み上げてきたメシア教の歴史と権威に、私が泥を塗るわけにはいきません。それに姫巫女メディウムの権威の失墜は皇帝権の失墜を意味します。エルキュール様も万能ではないみたいですね。あの人は姫巫女メディウムの権威を過小評価している節があります。エルキュール様は官僚組織と常備軍の力で国を押さえておられますし、その力は確かに強大です。でも……それだけでは国は纏まらない。姫巫女メディウムの権威は世界の秩序に不可欠なのです。あのお方は優秀過ぎる。それゆえに見えていない。何故レムリア帝国がメシア教を国教化したのか、何故姫巫女メディウムの権威を利用したのか、そして歴代皇帝が、お父君がそれを守り続けてきたのかを」


 セシリアは僅かに薄らと浮かぶ月に手を伸ばす。


 「皇帝権は月であり、姫巫女メディウム権は太陽である……などと不遜なことは言いません。でも同時に皇帝権が太陽であり、姫巫女メディウム権が月であることもありません。あのお方はご自分を太陽だと、勘違いしておられますね。まあそういうところも魅力的ですし、好きなところですけど……それとこれとは話が違います。私たちはどちらか一方が一方を照らすような関係ではなく、相互に光で照らして高め合う存在であるべきです。そうでなくてはならない。ですから私は間違っていると思ったことは、はっきりと言いますよ」


 セシリアはそう言い切り、ニアに笑いかけた。


 「ごめんなさい、長い話になってしまいましたね」

 「ううん、最初に話題を振ったのは私だし……」


 ニアはそう言って首を横に振った。

 セシリアはクルっと街に背を向け、ニアに振り返った。


 「そろそろ時間も時間ですし、帰りましょうか。今日はありがとうございます。楽しかったです。……近い内にエルキュール様に地団駄を踏ませて見せますから、楽しみしていて下さい。ルナリエ様ができたんですから、私にだって出来ます。いえ、以上のことをして見せますよ」


 そう言ってセシリアは歩き始めた。

 ニアはセシリアの背中を見つめる。


 その背中は随分と遠くにあるように感じられた。

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