第30話 舞台演劇 第四幕 白馬の女騎士


 「お……グレゴリウス君が出てきた」


 ニアはグレゴリウスが別邸から出るのを確認した。

 馬車に乗り、本邸へと戻っていく。


 朝からずっと監視しているが、出入りしたのはグレゴリウスとその護衛の兵士だけだ。 

 しかし屋敷の警備は妙に厳重である。


 「やっぱりあそこだよね……」


 もし違ったらもうセシリアを救い出す術はない。

 無論、エルキュールは絶対にあきらめないだろう。


 おそらくこれで助け出すことができなければ……

 グレゴリウスを殺してでも助け出そうとするはずだ。


 (気に食わない……)


 ニアは少しだけセシリアを羨ましく思った。

 エルキュールにそれだけ大切に思われているのだから。


 無論、エルキュールがセシリアを大切に思っているのは政治的な理由からであり、そして今セシリアが酷い目にあっていることもニアは分かっている。

 だがそれを抜きにしても、やはり羨ましかった。


 「……ちゃんと謝って貰うんだから。悪いのはあなたなんだからね」


 ニアは呟いた。

 

 さてそのままニアは暫くの間、時間が過ぎるのを待ち続けた。

 

 そして少し空が明るみ始めた頃……

 ニアはついに動き出す。




 さて……

 ここで魔族ナイトメアとしての彼女の能力について説明しよう。


 魔族ナイトメアには生まれつき魔眼が備わっていると文献には記されている。

 そしてそれはニアにも備わっていた。

 が、しかしその能力の詳細が分かるまでは少し時間が掛かった。


 丁度、チェルダ海軍とレムリア海軍が激突する……数週間前、初めて能力の一端が分かったのだ。


 それはヒュパティアを始めとする、学者たちを集めてニアの身体検査を行った時である。

 

 ニアにはあるモノが見えていることが判明した。

 それは……


 ベクトルと魔力である。


 より正確に言えば、右目はベクトルを、左目は魔力を可視化していたのだ。


 なぜ今まで分からなかったのかと言えば、ニアにとってそれは見えていて当然のモノであったからだ。

 角や尻尾など身体的特徴が覚醒したのは十一歳の頃だが、魔眼そのものは生まれつき持っていたのだ。


 生まれつき五感を備え、五体が備わっているものは……

 五感や五体に何らかの欠損がある状態を想定することは難しい。


 それと同様にニアという少女にとって、ベクトルと魔力は生まれつき見えているものであり、見えないということを想定したことが無かったのだ。


 またこの世界にはベクトルという概念が存在しない以上、ニアが自分の右目が映しているモノが「ベクトル」、即ち「空間に於ける大きさと方向を持った量」であることを認識することは半ば不可能に近く、そして魔法を使用したことは無論、エルキュールに拾われるまで魔法を見たこともなかったので、左目が映しているモノを「魔力」だと認識するのも難しかったのだ。


 まあ、そんなわけでニアは「ベクトル」と「魔力」を可視化することができる。

 

 ただ念頭に置いて欲しいのは「可視化」というのは表現上視力に例えただけのことで、実際は視力とは別の第六感、第七感に近いモノであるということだ。

 

 生まれながらに全盲の人間に「光と闇」がどのように「視えるか」を説明することは不可能だ。

 

 それと同様にニアが「ベクトル」と「魔力」をどのように感じているのかを、我々に説明することは不可能である。


 さて……では、「ベクトル」と「魔力」を感じることができるということがどのような利点があるのかを説明しよう。


 例えば「体で覚える」という言葉がある。

 これは武術やスポーツでは、言語で説明不可能な部分があるからだ。

 

 見たり聞いたりするだけでは限界がある。


 だがニアは違う。

 彼女は「空間に於ける大きさと方向を持った量」を見ることができるため、「体で覚える」必要性がない。


 分かりやすく料理に例えると……

 我々が料理をするときに「目分量」で材料を決めなければならないのに対し、ニアは非常に正確な量や計量スプーン・カップを使って決めることができる、ということだ。


 前者は初めのうちは失敗することがあるが、後者は(少なくとも味付けに於いては)失敗することがない。


 ニアがダンスや武術の覚えが異常なまでに良かったのは、これが要因である。

 彼女は一度見れば、そのエネルギーの動きを完全に『理解』できるのだ。


 次に「魔力」を感じることができる利点として、「魔法」を模倣することができるというものがある。


 魔法には『固有魔法』『血統魔法』『継承魔法』の三種類がある。


 この全てに共通することだが、『魔法』を持たない者は『魔法』を使うことができず、そして『魔法』を持つ者は『魔法』を持たない者に、その使い方を教えることができないという点だ。


 魔法とは家電製品のスイッチのようなもので、スイッチを持つ者は簡単にそれを作動させることができるが、持たないものはどうやっても作動させられない。

 スイッチを持つ者はそのスイッチの仕組みを殆ど理解していないため、スイッチを他者に譲渡することもできず、作ることもできない。


 だがニアは「魔力」を見ることができる。

 つまり……スイッチの構造がある程度分かるのだ。


 無論、アスモデウスやシトリーと言った悪魔が使う魔法はあまりにも高度なためニアには模倣できない。

 そして血統魔法には血統が、そして継承魔法にはそれを受け継がれたものだけが世界で唯一使用できるという制限があるため、模倣できない。


 だがそういう制限のない固有魔法……例えばエルキュールの『畏怖』、カロリナの『神速』、シェヘラザードの『金剛力』などは、ほぼ完全に模倣することができてしまう。


 まあつまり長くなったが……


 精霊術を抜きにすれば、ニアは現状レムリア帝国で最強の存在と言っても過言ではないということだ。


 



 「『金剛力Ⅱ』『神速Ⅱ』……」


 ニアは複数の身体能力強化の固有魔法を己に重ね掛ける。

 そして……

 剣を抜き放ち、一気に駆け出した。


 「き、貴様は……」

 「な、何者だ?」 

 「し、侵入……」


 見張りの兵士が呆気に取られている間にニアは剣で彼らの首を切断した。

 三つの首がゆっくりと地面に落ちる。


 見張りの兵士を殺したニアは悠々と屋敷に侵入した。









 

 さて一方セシリアは……


 「っく、ふぅ…………あぐっ!」


 憔悴し切った顔で小さな呻き声を上げ続けていた。

 拷問される時と、僅かに与える食事、排泄の時を除けば基本的にセシリアは吊るされたままだ。


 眠ろうとして体から力を抜けば……

 体が下に落ちて、手枷が手に食い込む。

 そして爪先に体重が掛り、強烈な痛みで無理矢理意識を覚醒させられる。


 しかし人間、眠らないでいることはできない。

 

 拷問を受ける時以外、セシリアはずっと……

 覚醒と睡眠の間を行ったり来たりしていた。


 それでも耐えられたのは今のところ拷問が爪を剥がされたり、多少殴られたり蹴られたりする程度で本格的なモノに移行していなかったことと……

 誰かが……エルキュールが助けに来てくれると、信じていたからである。


 しかしその希望は数時間前に打ち砕かれた。


 その瞳にあった強い光は既に失われ、今は弱弱しく……消え去ろうとしていた。

 それでもセシリアは耐えていた。


 今のセシリアを支えているのは強い信仰心と、ミレニアの後を継いだ姫巫女メディウムとしての責任感からだった。


 グレゴリウスにメシア教会を支配させてはならない。

 今、ここで死ぬわけにはいかない。


 セシリアはただその一心で耐えていた。


 さて、どれほどの時間が流れただろうか。

 

 急に上から小さな物音が聞こえ始めた。

 物音に交じって、何か人の悲鳴のようなものも聞こえる。


 「……」


 セシリアはぼんやりとその音を聞いていた。

 別に特に意味はない。


 ただ痛みから意識を逸らすのに丁度良かったからである。

 

 この地下室には恐怖を助長するような拷問具や赤黒い染みしかない。

 たまに聞こえてくる足音や物音は、ちょっとした気晴らしになるのだ。


 しばらくすると、物音が止む。

 同時にコツコツと誰かが階段を下る音が聞こえてくる。


 それは少しづつ大きくなっていく。


 (……もう二十日目になったのかな?)


 最後の親指の爪を剥がされ……

 それから本格的な拷問に入るという。


 セシリアも姫巫女メディウムの地位を継ぐ者として、教会の闇に関してはちゃんと習っている。

 異端審問でどのような拷問具が使用されるのかもよく分かっていた。


 そして拷問具の中には……女性の尊厳を踏みにじるようなモノも存在することも知っている。


 セシリアは歯を食いしばった。

 例え何をされようとも……


 絶対に自白はしない。


 

 そして……

 足音が止まる。


 同時にドアノブを捻る音が地下室に響く。

 セシリアは現れた人物に対し、大声で言い放った。


 「私は絶対に屈しません!!!」

 「……案外、元気そう?」


 その現れた人物は……少し照れ臭そうに笑みを浮かべた。

 セシリアもまた、その意外な人物の出現に目を丸くした。


 「え……ニ、ニア……ですか?」

 「……久しぶり」


 斯くして二人は三年振りに再会した。

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