第29話 舞台演劇 第三幕 絶望

 さて、翌日の昼頃。


 エルキュールとグレゴリウスは会談を始めた。

 本来は朝の予定だったのだが、グレゴリウスが二日酔いになり……


 結果、昼まで延期となったのである。


 さて、さすがのエルキュールも少しやり過ぎたと反省して今までの無礼を改め、礼儀正しい態度で……




 対応するような玉なわけがなく、ド失礼でフレンドリーな態度はそのままであった。





 グレゴリウスはズキズキと痛む頭を押さえながら……

 この酷くウザい皇帝を相手にしていた。


 

 彼がエルキュールに対し、怒らなかったのには理由がある。

 それは……



 「まあ、良いよ」

 「俺とグレゴリウス君の仲だからね!」

 「それくらいまでなら許してあげよう!!」




 信じられないくらい寛容だったからである。


 グレゴリウスは今回の会談で、自分の地位を最低でも元々存在した姫巫女メディウムと同等に引き上げることを目的としていた。


 あのセシリアという小娘に任せていれば、レムリア皇帝にメシア教会が支配されてしまう。

 だが俺に任せてくれれば、メシア教会をあのレムリア皇帝にガツンと言ってやれるくらいの組織にまで成長させてやる。

 どうか、清き一票を!!


 というノリで枢機卿や各地の聖職者を説得し、クーデターを起こし、教皇となったのである。


 口から一度出てしまった言葉は戻せない。

 レムリア皇帝と渡り合える存在を目指したからには、姫巫女メディウムと同じ程度の地位は最低条件である。


 この交渉は難儀すると思われていた。

 だが……



 「そういうわけで姫巫女メディウムが持っていた全ての権利、義務、利権は教皇にそのまま引き継がれるものとする……で宜しいでしょうか?」


 「ふむ……私と同格の存在、メシア教世界のリーダーは姫巫女メディウムただ一人。しかし姫巫女メディウム位が空位となったからにはそれを埋めなくてはならない。教皇が姫巫女メディウム位を継承する存在であると、認めよう」


 エルキュールはあっさりと頷いた。

 そして……サインも交わされる。


 グレゴリウスは拍子抜けしてしまった。

 エルキュールという男は自尊心が強く滅多に譲らない男であり、そしてこの男のブレーンの一人であり外交交渉を一手に引き受けているトドリス・トドリアヌスは非常に厄介だと評価されていたからだ。


 しかし蓋を開けてみたらどうか?

 エルキュールはただただウザいことを除けば、本当にこちらの話を理解しているのか疑問に思うほど、あっさりと頷く。

 そしてトドリスも後ろでニコニコと笑顔を浮かべているだけだ。


 噂とは信用にならない。

 グレゴリウスはエルキュールを、戦争はできるが交渉能力は皆無であると判断した。


 冷静に考えてみれば二十歳を少し過ぎた程度の若者である。

 自分も含め、恐れ過ぎた……とグレゴリウスは反省した。


 

 「さて……実は私の方からも頼みがあるのだよ。グレゴリウス君、聞いてくれるかね?」

 「お話しを聞いてからでなくてはご判断できませんが……何でしょうか?」


 グレゴリウスは笑顔を浮かべた。

 相手が二つ返事で承諾してくれたとはいえ、譲歩して貰ったことには変わりはない。

 大概のことならば受け入れる気でいた。


 「まずはクロノス・クローリウスを解放して貰えないかね? 本当のところはセシリアを……と言いたいのだが、それは難しいだろう。せめてクロノス・クローリウスの身柄くらいは持ち帰らないと、私の面子が丸潰れでね」


 なるほど……

 グレゴリウスは少し考えた。


 エルキュールという男が生前のミレニア・ペテロからセシリアとクロノス・クローリウスの後ろ盾を依頼されていたことは、グレゴリウスも聞いている。

 確かにこのまま二人とも処刑されるような事態は彼としては良く無いのだろう。


 「セシリアさえ、消えれば問題ないのだろう? セシリアが死ねばクロノス・クローリウスの影響力など無いに等しい。……うちのルーカノス・ルカリオスとクロノス・クローリウスは大の親友でね。彼が死ねばやはり悲しむと思うのだよ」


 エルキュールの言葉を聞き、彼の側に控えていたルーカノスは顔を引き攣らせた。

 ルーカノスはクロノスのことが大嫌いだからである。

 だがここで君主の言葉を否定するわけにもいかず、気合いで表情が歪むのを堪え……


 同様にグレゴリウスに頭を下げて頼んだ。


 (うーむ……確かに現在のクロノス・クローリウスに影響力はない。だがあの男の政治手腕は厄介だ。巻き返される恐れがある。さてどうするか……)


 だがここで、ふとグレゴリウスの脳裏にセシリアの顔が浮かんだ。


 今のところセシリアは屈服した様子は見せず、爪を剥がした後でも減らず口を叩いてくる。

 顔や腹を殴っても、こちらを睨むのをやめない。

 

 (あの小娘が未だに反抗的なのは……おそらくレムリア皇帝が助けてくれると思っているからだ。白馬の王子様が助けに来てくれると思い込んでいる……くくく、可愛いじゃないか。もしその頼みの王子様に切り捨てられたと知ったらどんな顔をするか……)


 面白そうだ。

 グレゴリウスは思わず野卑な笑みを浮かべた。


 「良いでしょう……クロノス・クローリウスを解放します。その代わり、セシリア・ペテロは諦めて頂きたい」

 「ああ、分かった。グレゴリウス君、君が話の分かる人間で嬉しいよ」


 エルキュールは笑みを浮かべた。

 そして……


 「もう一つ。魔女の嫌疑が掛けられているセシリアだが……実は彼女に本を何冊か貸していてね。その中には非常に貴重なものもある。それを回収したいから、彼女の私物が保管されている場所に連れて行ってくれ」


 「……本のタイトルを教えて頂ければ、後からお送りしますが?」


 「私は汚い手で本に触られるのが嫌いなのだよ」


 エルキュールはそう言い放った。

 これにはさすがのグレゴリウスもイラッとして……


 「……私の手よりも魔女の手の方が汚いのでは?」


 するとエルキュールは……

 腹を抱えて笑いだした。

 笑い声が部屋中に響き渡る。


 「いや、すまない……グレゴリウス君の冗談があまりにも面白かったから」

 「……良いでしょう。案内します」


 グレゴリウスはイライラしながらも……

 ここで怒れば今までの交渉が無駄になると思い、堪える。

 せっかく、機嫌良く何もかも認めてくれたのだ。


 ここで機嫌を損ねて、全て引っ繰り返されたら困る。

 用件を済ませた以上、早くお帰り願いたいのがグレゴリウスの本音だった。


 この失礼な男とこれ以上会話をしたくない。


 「これらが魔女の部屋から押収した、魔女の私物です」

 「なるほど、なるほど……」


 グレゴリウスはセシリアの私物を保管している倉庫までエルキュールを案内した。

 セシリアの私物は本と最低限の服、そして小さな家具しかなかった。


 エルキュールは詰まれた本の山から五冊ほど、本を取りだした。

 そして周囲を見回し……

 ティーセットを見つけて、それも抱える。


 「以上だ。ありがとう、グレゴリウス君。君は話の分かる人間で助かったよ」

 「いえ……私もエルキュール陛下が話しの分かる方で安心していますよ」



 斯くしてその日の会談は終わり……

 翌日の朝、エルキュールは本国に帰ることになった。










 「はぁ、はぁ、はぁ……」


 セシリアは荒々しく息を吐く。

 その目には涙が浮かんでいた。


 残る爪は左足の親指だけだ。

 昨日剥がされなかった分、二枚剥がされたのだ。


 「吊るし上げろ」


 グレゴリウスの命令で拘束椅子から立たされ、天井から下がっていた鎖で吊るし上げられる。

 ギリギリ爪先立ちで立てる程度の高さに調整され……

 兵士が手を放すと、手枷と爪先にセシリアの全体重が圧し掛かる形になった。


 「あ、っぐ……」


 思わずセシリアは痛みに呻いた。

 左足の親指を除いた足の爪が剥がされている状態で爪先立ちをすれば、痛むのは当然だ。


 セシリアは手に力を入れて、足に掛かる体重を軽減しようとする。

 だが筋力にも限界がある。

 それに連日吊るされ続けたこともあり、手枷の下には青黒い痣ができていた。


 その痣に手枷が食い込み……

 その痛みから逃れるために、手の力を抜いて体重を爪先に移す。


 永遠にそれを繰り返し続けているセシリアを見て……

 グレゴリウスは満足気な笑みを浮かべた。


 「っく、ふ、はぁ……か、神は……見ておられますから」


 苦痛に顔を歪ませながら、セシリアはグレゴリウスを睨みつけた。

 睡眠不足で目の下には隈が浮かんでいたが、まだ強い光を宿していた。


 そんなセシリアの頬をグレゴリウスは掴んだ。


 「自白すれば楽になれるぞ。もう辛いだろう?」

 「この程度は……苦痛のうちに入りません」


 セシリアは気丈に言い返した。

 だがそれが痩せ我慢であることは明白だった。


 「そうそう……そう言えば……先日、レムリア皇帝がここに訪れてな」


 グレゴリウスの言葉に……

 セシリアの瞳が揺れた。


 (やはりそうか……くくく……)


 「私の地位を認めてくださるようだ。私はレムリア皇帝公認となったのだ」

 「ま、まさか……そ、そんなはず……」


 同様でセシリアの瞳が揺れ動いた。

 先程まで強い光を宿していた銀色の瞳が曇り始める。


 「その代わり、クロノス・クローリウスは解放した。レムリア皇帝の顔を立ててやる形になったわけだ」

 「そ、それは……良かったです」


 そういうセシリアの声には安堵と不安の色が混じっていた。

 安堵はクロノスの処刑が回避されたことであり、不安は……


 (……私は?)


 セシリアは喉から胸に……

 何か、冷たいモノが降りてくるのを感じた。


 「全ての要件を済ませたレムリア皇帝は明日の朝、ここを発つ。彼とは上手くやっていけそうだよ。……この意味が分かるかね?」


 「あ……っく、そ、そんな……はずは……」


 「事実だよ。君は見捨てられたのだ。では今日はここまでにしよう。明日で丁度二十日目、最後の指だ。その後すぐに……本格的な尋問に取り掛かる。覚悟したまえ」


 ただ静かに涙を流すセシリアを残し……

 グレゴリウスは去った。


 後にはただ、すすり泣く音だけが響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る