第23話 エルキュールノミクス 三の矢 財政健全化

 レムリア帝国の貴族の多くは借金をしている。

 これはそんなに珍しい話でもない。


 というのも貴族には面子を保つために、相応の家に住み、相応の服を着て、相応の催しをし、相応の施しを市民にする社会的義務が生じるからである。


 また地主貴族には自分の土地の生産性を上げるために灌漑設備を整備したりする必要も生じる。

 

 ある程度まとまった金が必要になった時、商人や他の貴族から金を借りるのだ。


 借金をすることは悪いことのように思われるが、問題なのは返せない借金であり、返せる範囲であれば基本的に問題は無い。

 レムリア貴族は俸禄、土地などから一定の収入を得ているため継続的に利子を支払うことができる。

 

 商人からすれば積極的に貸したい客層だ。


 さて問題なのは返せない借金である。

 純血長耳族ハイ・エルフの四十六家は借金地獄に陥っている。


 仮に彼らの財政を健全化させたいのであれば、まずはその借金地獄から救済してやらねばならない。


 「まずは徳政令を出さなくてはなりませんね。借金を何とかしてやらねば、始まらないでしょう」

 

 ガルフィスはエルキュールに自分の意見を述べた。

 ガレアノス家も多くはないとはいえ、借金があるので……「できればうちの借金も無くして欲しい」という意図が透けて見えている。


 「徳政令ね……うーむ……」


 徳政令。

 つまり借金の帳消しである。


 ただこれをやると、以後商人たちが貸し惜しみをするようになるため、逆に貴族が窮乏する可能性があった。

 だが今まで積み上がってきた借金を自力で支払えというのも無理な話だ。


 ここまで積み上がってきたのは一族の責任ではあるが……

 今代の当主の責任でもないので、自己責任論で押し切るのも可哀想である。


 「少々面倒だが、個別に案件を吟味して……ある程度は帳消し、ある程度はユリアノス家が肩代わりする形で軽減させてやるか……」

 

 借金には過払い金というものが存在する。

 つまりあまりに返済が長期期間に及んだため、支払った・支払う利子が膨大になりすぎるケースだ。

 これに関しては借金帳消しの処置を行っても、さほど大きな影響は出ない。


 貸した側からしても、もう十分に儲けたのだから。


 それでも個人の力で返済が不可能な金額であったならば、ユリアノス家が肩代わりするしかない。

 

 面倒なのは分家も含め、数百件以上の案件を処理しなければならない点である。

 

 「うちの家は対象になりますかね?」

 「お前の家にどれくらいの過払い金があるかまで、俺が把握しているわけないだろ」


 さすがのエルキュールもガレアノス家の借金事情までは詳細に把握していない。

 まあそこそこの金額である、というのだけは覚えてはいるが。


 「後は……俸禄を金貨払いにする、とかな」


 貴族の収入は大きくわけて三種類ある。


 一つは官職に就くことによって得られる、金銭収入。

 もう一つは土地経営、投資などによって得られる収入。

 最後に家ごとに与えられる、俸禄……小麦の収入である。


 大昔は貨幣経済は浸透していなかったため、小麦の支払いだった。

 それが今まで伝統として残ってきたのである。


 だが小麦だけだと、物価の変動に合わせて収支が上がったり下がったりするわけで……

 これが一部貴族の没落要因となっていた。


 「俸禄についてなのですが、定額ではなく……子供の数で変えるというのはどうでしょうか?」

 「そいつは名案だ、クリストス」


 ポン、とエルキュールは手を叩いた。

 

 貴族が貴族として生きるには相応の教養が必要であり、その教養を身に着けさせるには相応の金がいる。

 それに女の子ならばドレス、男も礼服を用意しなければならない。


 毎年同じ服を着ていたら笑われるので、当然定期的に買い替える必要もある。


 それを考えると子供の数がゼロの家と、三人以上いる家の俸禄が同じというのもおかしな話である。

 そもそも聖七十七家一番の責務は子供を産み、長耳族エルフ人口を支え、支配階層を再生産することだ。

 子沢山ということは、それだけ責務を満たしているということになる。


 「そうなるとうちは減りますね……」


 ガルフィスは溜息混じりに呟いた。

 一人娘のカロリナがエルキュールに嫁いだので、現在ガレアノス家に子供はいない。


 「お前は早く男の子をメアリさんに孕ませろ。最低二人までは最低限の義務、三人からは貢献だ」


 まあガルフィスもメアリも長耳族エルフとしてはまだ若い方なので、心配するほどではないのだが。


 「ですが実際のところ、俸禄と官職収入だけでは足りていないのが実情ですよね? 何らかの収入源を用意してやらないと、また借金が嵩みますよ」

 「そう、一番の問題はそこなのだよ、ルーカノス。ところでお前の家って、そっち方向で成功してたよな? 何やってるっけ?」

 

 エルキュールはルーカノスに尋ねる。

 ルーカノスのルカリオス家は財政的にかなりの余裕がある。


 エルキュールがニアをルーカノスに預けたのも、そういう背景が存在する。


 「うちは土地収入ですね。主に葡萄酒の生産、あとは地代です。一応貴族相手の貸金業はやってますが、利息は取ってないですし、そもそも返ってこないので」


 レムリア帝国では貴族=地主である。

 故に土地収入が貴族の主な収入源となる。


 だが一口に土地収入と言っても二種類ある。

 地代収入と農園収入である。


 地代収入は小作人に土地を貸し与え、小作人に土地の耕作を丸投げし、そこから得られる農産物を得る方法。

 主に小麦や大麦などが育てられる。


 農園収入は貴族が直接農園を経営し、農地を奴隷や小作人を直接指揮することで耕作し、そこから得られる農産物を得る方法。

 主に葡萄やオリーブなどが育てられる。


 そして……ルカリオス家のような金持ち貴族と借金塗れの貴族の命運を分けたのは、後者の農園収入である。


 小麦や大麦は天候の影響を受けやすいうえに、誰もが作っているためそもそも価格が高いとは言えない。

 天候次第で収入が激減することが多いのだ。


 故に地代収入だけに頼る貴族は土地を手放す羽目になった。


 逆にルカリオス家のように農園収入を主柱にしていた貴族家は天候不順にも強く、また貨幣経済の発展に乗り遅れることもなく、逆に資産を増やすことに成功したというわけだ。


 「ちなみにガルフィスとクリストスは?」

 

 エルキュールが尋ねると……


 「うちはオリーブを栽培しています」


 と、ガルフィス。


 「私の家は地代収入と、塩田及び漁業利権です」


 と、クリストス。


 「案外、いろいろやってるものだな」


 エルキュールは感心したように頷いた。


 「しかし没落貴族共は猫の額ほどの土地も持ってないだろうからな……」


 今更農業をやってみろ、と言ったところでやる土地がない。

 だが貴族には商業はできないだろう。

 

 社会倫理的に卑しい商業をやるなんて、貴族に耐えられるわけがないのだ。

 まあ、商業をやるにしても元手となる金がないので、どちらにせよできないのだが。


 「俺が土地や金を貸してやっても良いが、それで成功するとは思えないからな……」


 起業して確実に成功するなら、誰もがみんな起業している。

 失敗する可能性があるから及び腰になるのだ。


 土地経営も同様である。


 さて、こうなると堂々巡りになる。

 四人でうんうん唸りながら考えていると……ここでエルキュールが思いつく。


 「閃いた」


 ポン、とエルキュールは手を叩いた。


 「綿花・大豆・米・砂糖・珈琲・レモン・オレンジ畑を没落貴族に卸してやれば良いんだ。俺としたことが……すっかり失念していた」


 エルキュールの言葉に……

 なるほど、とガルフィス、クリストス、ルーカノスは相槌を打った。


 特定の農産物を国に広めたい……とはいえ、それを農民に配って「育てろ」と言っても農民は育てない。

 育て方が分からないし、育てても売れるか分からないからである。


 そして事実、最初は売れないだろう。


 誰もその美味しさ、有用性が分からないからである。


 よって、エルキュールはまず国有地で奴隷や小作人にこれらの作物を栽培させ、専売していた。

 利益を度外視して作物を栽培できるのは、国家だけだからである。


 そして少しずつその味、名前を庶民に広げ……

 現在、ようやく国全体に栽培を広めようという段階に入っていた。


 こうなると国が保有している農場は要らない、いやむしろ邪魔だ。

 民営と国営が市場で戦えば資本力の差で勝つのは間違いなく国営であり、そうなると民営が育たず、国に広がらないからである。


 つまりどこかに農場を売り払う必要がある。


 エルキュールはそれらの農場を没落貴族たちに分配しようと、思いついたのである。


 「新しい作物だからライバルが居ない。それに栽培そのものは軌道に乗ってるから、下手なことをしなければ失敗することもない。後はノウハウを学んで、勝手に貴族たちが農園を広げていくだろう」


 当然タダとは言えない。

 だが土地の代金は分割払いして貰えれば良い。


 何故こんな簡単なことが思いつかなかったのか。

 やはり人間、見落としてしまうことはあるものだとエルキュールは深く反省した。


 「では……そう言うことにしよう。君たち三人は貴族たちの指導を頼むよ。できれば金も貸してやってくれ。利息も取って良いから」

 「「「はい!!」」」


 三人は姿勢を正して、返事をした。

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