第22話 エルキュールノミクス 二の矢 リフレーション

 

 現在のレムリア帝国の貨幣制度は数百年に及ぶ内乱を鎮圧した大帝によって、定められたものだ。

 このノヴァ・レムリアを建設した偉大なる大帝がレムリア金貨を発行した時、レムリア金貨の金含有率は九十五・八%であった。

 

 これは当時としては世界最高純度と言っても過言ではなかった。

 衰退したとはいえ、当時はまだ国力を維持していたレムリア帝国の発行した最高純度のレムリア金貨は瞬く間に世界中で使用され……


 基軸通貨となった。


 ところが時代が下るにつれて……

 ある問題が生じた。


 通貨の不足である。


 というのもレムリア帝国の経済が発展し、通貨の需要が増大したのにも関わらず、それに通貨の供給が追い付いていないからである。


 当たり前だが金貨は金で作られている。

 その金は金鉱山から採掘されるわけだが……


 経済発展に合わせて採掘量を増やしてくれるほど、金鉱山の気は利かない。

 むしろ採掘量は目減りする。


 レムリア帝国の金鉱山はまだまだ採掘できるが……

 その採掘量は毎年一定であり、そしていつかは枯渇するのは目に見えている。


 さらに金属貨幣は使用される度に少しづつ摩耗する。

 中には縁を削って、儲けようとする小賢しい者もいる。


 金はどうしても目減りしてしまうのである。


 さらに……

 レムリア帝国の金貨はあまりにも価値が高すぎる。


 その信用性故に海外に流出する傾向があるのだ。


 加えてレムリア帝国は元々輸入超過の国であり、東方からの多くの贅沢品を金で支払っているというのもある。

 

 と、まあ諸々の事情からレムリア帝国では慢性的に金貨が不足しているのである。


 では通貨、貨幣、金貨が不足するとどうなるのか……

 言うまでもない。


 デフレーション、物価の下落、景気の後退が起きる。


 デフレが起これば経済は悪循環を続け、経済規模は少しづつ縮小していってしまう。

 いくらエルキュールが産業を保護して景気を盛り上げようとしても、それに冷や水が掛かってしまうのだ。


 これを解決する方法は一つ。

 通貨の流通量を増やすことであり、つまり金貨の発行枚数を増加させることだ。


 だが金の採掘量を変えることはできない。

 となると……同じ金の量から作れる貨幣の枚数を変える、すなわち金貨に含まれる金の含有量を減らすしかない。


 「本音を言えばあまりやりたくはないのだがな」

 「まあ……お気持ちはお察しします」


 エルキュールの言葉にシャイロックは苦笑いを浮かべた。

 金貨の発行権を持つのはレムリア帝国では皇帝だけである。


 エルキュールの横顔と名前が打刻された金貨はエルキュールの権威そのもの。

 その金貨の品位を落とすことは、エルキュール、レムリア皇帝の権威の低下を招く。


 歴代の皇帝が品位を保ち続けてきたのは超大国の君主としての意地であり、プライドと言えよう。


 そもそも商売そのものが卑しいという価値観があるレムリア帝国に於いて、貨幣の金の含有量を減らすのは詐欺扱いされても仕方がなく、そのような詐欺紛いなことを皇帝自ら指導して行えば、非難は免れないだろう。


 それに貨幣の質を低下させ、流通量を増加させることは貨幣の大幅な価値の低下、急速なインフレを招く可能性が高い。

 急速なインフレはレムリア帝国の下層民は、固定賃金を得ている官僚、兵士……そして俸禄を受け取っているレムリア貴族の財布を直撃する。


 「経済ってのは複雑怪奇だからな。あまり手は出したくないのが本音だ」


 経済学者の数だけ学説が存在する。

 現代日本と比べれば構造が単純だとはいえ、複雑である点は変わらない。


 どう転ぶか分からないのである。

 

 「だがやらんわけにはいかない。そういうわけで……問題はどれくらい引き下げるかだ。俺は様子を見て、まずは八十%程度にしようと思っているのだが、どう思う?」

 「となると、貨幣の増加率は一・二倍ということになりますね。少し弱くありませんか?私としましては、七十%まで下げても良いと思いますが……一・三五倍、さらにそれ以下にまで引き下げないと効果は薄いと思いますが」

 「ううむ……」


 シャイロックの提案を聞き、エルキュールは少し悩んでから……


 「間を取ろう。七十五%、一・二七倍だ。正直、あまり冒険はしたくないし……含有率七割以下の金貨はあまりにも品位を落とし過ぎだ。国威に関わる」


 足りなければ暫時切り下げれば良い。

 エルキュールはそう言ってシャイロックを説得した。


 さすがのエルキュールも貨幣改鋳には及び腰だ。


 「問題は商人や教会が改鋳に協力するか分からないという点ですね……」

 「その通り、そこが問題だ。悪貨は良貨を駆逐するからな」


 日本円と違い、レムリア帝国の貨幣であるレムリア金貨は実物貨幣であり……

 素材そのものが貨幣の価値を担保している。


 金の量を減らすからちょっと貸して、などと言ったところで「はい、そうですか」と応じる者は少ないだろう。

 それに価値の高い旧貨幣が退蔵されてしまう可能性も十分にある。


 「実は秘策があるんだが、聞きたいか?」

 「……お聞かせ願いますか?」

 「後で返すから少しの間だけ、ほんの数か月貸してくれと言って巻き上げて、一気に改鋳してしまうのはどうかな?」

 「……二番煎じも良いところでは?」

 「だよなー」


 大昔、どこぞの都市国家の僭主がこのような手法で借金を返済している。

 コロンブスの卵は最初の一度目だから効果があるのであって、二度目は通じない。


 「こればかりは増歩交換をするしかないか。六%、いや七%ほど上積みすれば応じるか? 教会に対しては姫巫女メディウムに協力を仰いだ上で武力で脅す。商人には組合ギルド特権廃止をチラつかせて脅す以外方法はないな。後、旧金貨の国外流出を防ぐためにレムリア貿易会社に対外貿易を任せて、金貨の輸出に関しては厳しく監視をする……まあ焼け石に水だとは思うがね」


 やらないよりはマシだろう。

 エルキュールは肩を竦めた。


 「ところで陛下、銀貨は変えなくても宜しいのですか?」

 「ああ、そっちは問題無い。むしろ変えない方が良い」


 シャイロックの問いにエルキュールは即答した。

 当然金貨の金の含有量を下げたのにも関わらず額面を変えなければ、金貨と銀貨の交換比率は変わらない。


 すると金貨の価値が低下した分、銀貨の価値が上がる。

 金安銀高の状態になるのだ。


 「忘れたか? ファールスは銀経済だ」

 「ああ、なるほど……」


 エルキュールの答えに対し、シャイロックは納得の色を見せた。

 レムリア帝国は金経済の国であり、ファールス王国は銀経済の国である。


 エルキュールが何を言いたいのか……

 それはレムリア帝国とファールス王国を日本とアメリカ、金と銀を円とドルに置き換えれば分かりやすい。


 つまり円安ドル高政策。

 レムリア帝国からファールス王国への輸出を促進し、逆に輸入を抑制するのが狙いである。


 レムリア帝国はファールス王国を通じて、絹や宝石などの贅沢品を大量に輸入しているがエルキュールはこれを縮小して、逆にレムリア帝国からファールス王国への珈琲・砂糖の輸出を拡大させたいのだ。


 「まあ元々輸入超過だったわけだし、逆転するほどの効果はないだろうがな。さすがのササン八世も容易には気が付かないだろうし、対策も難しい。ともかく、そういうわけだから……お前は準備を、商人たちへの根回しを済ませておいてくれ。俺は教会と貴族への根回しをしておく」


 エルキュールはそう言ってシャイロックを退出させた。

 その後、引き出しからセシリアからの手紙を取り出し……


 返信を書き始めた。







 さてセシリアへの返信を書き終えたエルキュールは、ガルフィス、クリストス、ルーカノスの三人を呼び出した。

 三人ともエルキュールの政権を支えている柱なのは間違いないが……

 職種が異なる。


 三人が同時に呼び出されるのは久しぶりのことだった。


 何の用件だろうか?

 と疑問の表情を浮かべている三人を出迎え、顔を見回しながら言った。


 「今回は軍人、聖職者ではなく……聖七十七家の貴族として呼び出させて貰った。単刀直入に言うと、お荷物純血長耳族ハイ・エルフを何とかしたい」

 「ああ……」

 「なるほど」

 「ついに、ですね」


 三人は納得の色を浮かべた。

 お荷物純血長耳族ハイ・エルフとは……完全に俸禄頼りとなり、帝国財政に寄生し、お荷物となり果てている一部の聖七十七家のことである。


 聖七十七家とは……

 ユリアノス家を含めた七十七の本家と三百前後の分家から構成され、建国以来から脈々と続いてきた由緒正しい純血長耳族ハイ・エルフの家系、一族のことである。


 まさにレムリア帝国の歴史そのものであり、国家の柱である。


 とはいえ、実際のところピンからキリまでである。


 別格であるユリアノス家を除くと、聖七十七家は四種類に分けられる。


 財政が健全であり、借金も殆どなく、未だに多くの土地や政治的な利権を持っている力の強い家。

 具体例はルカリオス家など五家。


 次に財政は健全であるが、借金は多少ある……とはいえ常識的な範囲であり、貴族としては平均的な方に分類される家。

 具体例はガレアノス家、オーディアス家など二十五家。


 次に財政が悪化しており、借金も積み上がっていて……自転車操業で何とか食いつなぎ、貴族としての体面を保っている家。

 具体例はシェヘラザードの母親であるヘレーナを輩出した、ウァレリウス家など二十六家。

 

 最後に財政は完全に破綻していて、商人側も借金の回収には匙を投げており、俸禄が停止すればすぐさま飢え死にするレベル、ある意味開き直っている貴族家、二十家。


 合計七十六の純血長耳族ハイ・エルフ貴族家のうち、四十六が財政の危機に瀕しており、そのうち二十は既に破綻しているという状態だ。


 「帝国の財源は決して豊かとはいえない。それに経済発展に伴って物価が上昇することを考えると、いつまでも俸禄頼りにさせるわけにもいかない。いい加減、ある程度は自立して貰わないと困るわけだ」


 今まで甘やかしてきたのはユリアノス家である。

 その点ではユリアノス家が悪いのだが……だからといっていつまでもぶら下がらせておくわけにもいかない。


 「そういうわけで比較的成功しているルカリオス、ガレアノス、オーディアスの三家には四十六家の財政健全化の具体案を出してほしい、というわけだよ」


 エルキュールは三人にそう言った。

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