第10話 聖書か、剣か

 「ヒルデリック二世と愉快な仲間たちの失敗は、俺のアレクティア勅令だけを見て、俺が融和的な君主だと勘違いしたことだな。自分と同じ政治思想だと、勘違いして……信じ込んでしまった。都合の良い部分しか人間は見れないという典型的な例だな。アレクティア勅令だけでなく、アレクティア公会議にも目を向ければ……俺がどういう人間か分かっただろうに」


 「いくら騙された方が悪いとはいえ、陛下もよく考えますね……これで十年はチェルダ王国は我が国に攻めてこられないんじゃないですか?」


 カロリナはエルキュールの策にドン引きする。

 相変わらずやることがえげつない男である。


 「あの、皇帝陛下」

 「どうした? ニア」

 「……やっぱり、不自然じゃないですか? いくら何でもあっさり信じすぎでは……どうやって信じさせたのですか? 普通、正式な言質くらいは取ろうと思いません?」


 ニアはエルキュールに尋ねる。 

 ニアの疑問は尤もだ。


 クーデターなどという、自分たちと国の命運を左右する重大事件を仕出かすのだから、念には念を押すのが当たり前である。


 いくら何でも注意不足過ぎる。


 「そりゃあ簡単だ。アントーニオを通じて軍資金を送ったからな」

 「アントーニオ……商工業貿易大臣の方ですよね?」

 「そうそう。よーく考えてみな。アントーニオは人族ヒューマンで、外国人で……元商人だ。そしてヒルデリック二世の側近の一人は人族ヒューマンで、商人だ」

 「ま、まさか……」


 そう、そのまさかである。

 何と、ホアメルとアントーニオは顔見知りなのだ。


 「人は共通点がある人間が相手だと安心してしまうらしい。アントーニオのやつがホアメルに対して、人族ヒューマンは差別されて大変ですよね~って話したらあっさり信用してくれたみたいだぞ」


 エルキュールがそう語ると、カロリナとニアは顔を引き攣らせた。


 「陛下も陛下で酷いですが……アントーニオ大臣も大概ですね……」

 「にこやかで良い人そうな顔しているのに……」


 すると、エルキュールはにこやか・・・・な顔で答える。


 「まあ、にこにこ普段から笑ってる奴は信じるなってことだな。冷静に考えてみろ。あの年であれだけ財産持ってるんだぞ? シャイロックが可愛く成るほどの極悪非道を繰り返しているに違いない」


 それとなくディスられるシャイロック。

 人相が悪くて高利貸しなだけで、極悪非道扱いされるとは彼も可哀想だ。


 もっとも、二人ともエルキュールにだけは言われたくないだろうが。


 「ところで陛下。この後、どうするご予定ですか?」

 「どう、とは?」

 「ローサ海賊団です。確か……チェルダ王からの書状を送っても集団改宗に応じなかったのでしょう?」


 ローサ海賊団は騎士団を名乗るだけあり、根性が凄まじかった。

 結果、彼らは未だに篭り続けている。


 「そろそろ食糧も切れる頃合いでは?」

 「どうかな? 馬を早い段階で殺して食べてればもうちょっと持つんじゃないか? 節約次第ではもうちょっと耐えられるだろう。それに……雑草だとか、鼠やトカゲだとか、最悪土壁の中の藁とか食えないこともないからな」


 鼠やトカゲはともかくとして、雑草や藁は人間が食べるには難易度が高そうである。

 人間はセルロースを分解できない。


 「あとはそうだな……じん……いや、やめておこう」

 「待ってください、陛下。今何と言おうとしましたか?」

 「全員、助かると良いな!」

 「待ってください!!!」



 





 「あの、陛下。これはどのような意図があるのでしょうか?」

 「ただ囲み続けるのにも費用が掛かる。とはいえ、連中を屈服させなければこの島は安定しない。そこで……分断工作をしようと思ってな」


 エルキュールとカロリナ、ニア、オスカル、エドモンドの前には……

 ローサ島の住民たちが集められていた。


 しかしただ闇雲に集められたわけではない。

 集められたのは……現在、立て籠り中の騎士や住民の家族、親戚、恋人、友人たちであった。


 もし、彼らを助けたいのであれば名乗り出ろ。

 と、エルキュールが命じたのである。


 エルキュールはほぼ全員が集まったのを確認してから、演説台の上に乗って彼らに語り掛けた。


 「集まってくれて、ありがとう、諸君。いやはや、海賊共とはいえこれほど大切に思ってくれる者たちがいるとは、彼らは実に幸せ者だな」


 エルキュールは挑発的な笑みを浮かべて、彼らを見下ろして言った。

 多くの者達は怒りを飲み込み、拳を強く握りしめる。

 

 「しかし可哀想だ。このままでは……彼らは死んでしまうだろう。それも考え得る中で非常に苦しい死に方だ。人に食われた者・・・・・・・人を食った者・・・・・・は果たして天国に行けるのだろうか? 神学者に聞いてみなければ分らぬな。まあ、彼らは異端者だからどちらにせよ地獄行きなのは確定か。おっと、そう言えば君たちも異端者だったな。良かったじゃないか、地獄でまた会える」


 ははははは! 

 と、エルキュールは笑いながら語った。


 怒りと憎しみを込めた目で、住民たちはエルキュールを睨みつけた。

 彼らの思いは一つだろう。

 「お前が地獄に落ちろ!」と……


 しかしここで……

 エルキュールは穏やかな笑みを浮かべた。


 「しかし私は彼らや諸君らが地獄に落ちることを望んでいない。いや、本当だよ。できれば全ての者が救われてほしい。……そこで君たちにチャンスを上げよう。君たちにとって大切な者たちを救うための、最後の手段だ。……まあ、私の言うことを聞きたくないというのであればここから立ち去っても構わないぞ。私はそれを咎めない。もっとも……今後、生き辛くなるのは確実だろうがね」


 エルキュールはそう言って……

 住民たちを見回した。


 立ち去る者は一人もいない。


 エルキュールは満足気に頷いた。

 

 「君たちが賢明で助かった。私と君たちの意思は同じだ。彼らを助けてあげたい。では、条件を言おうではないか。異端宗派から正統派メシア教への集団改宗。それが私が降伏を認める条件だ。しかしこれでは改宗する気があるにも関わらず、愚か者のせいで改宗することができず、死んでしまう者たちもいるだろう。これはあまりにも可哀想だ。そこで……」


 エルキュールはニヤリと笑みを浮かべる。


 「まず君たちが異端宗派から正統派へ改宗したまえ。そして……改宗した者だけ、特別に城壁の向こう側の愛する者へ改宗を勧める・・・・・・手紙を出すことを許そう。そして城壁の向こう側の愛する者たちのうち、改宗に応じた者については……降伏を許してやろう。もっとも、ローサ海賊団が城壁を開いて君たちの愛する者を外に出すことを許してくれなければ、成立しないが……それに関しては私はどうすることもできない。海賊共が君たちを、君たちの愛する者をどれだけ愛しているかに掛かっているだろう」


 エルキュールの言葉に対して……

 住民たちの反応は様々であった。


 ある者は助けることができると喜び……

 ある者は悔し気に、しかしそれでも喜びの色を見せ……

 ある者は怒りつつも、仕方がないと飲み込み……

 ある者は迷いの色を見せ……

 ある者はこんな条件を飲めるはずがないと憤慨した。


 そんな住民たちの反応を見て……

 カロリナたちはエルキュールがやろうとしていることを悟った。


 分割統治だ。


 エルキュールの出した条件は……

 ローサ島の住民が二つに分裂することを意味していた。


 一方はエルキュールの条件を飲み、レムリア帝国の支配を受け入れ、正統派に改宗し……

 重税を掛けられることなく、家族や友人を助け出すことができ、今後も幸せに生きることが出来る者。


 もう一方はエルキュールの条件を飲むこと無く、レムリア帝国の支配を受け入れず、西方派メシア教のままでいて、重税を掛けられ、家族や友人を助けることができずに見殺しにし、罪悪感に苛まれながら、今後苦しみながら生きることができる者。


 

 前者は二度とエルキュールに逆らうことがなく、そしてエルキュールを刺激する後者を疎ましく思うだろう。

 後者はエルキュールに逆らい続けることになるが……一方で愛する者を見殺しにしたのは自分という意識を奥底に持ち続けることでエルキュールに対して純粋な恨みを持てず、そしてレムリアに与した前者を憎む。


 ローサ島の住民が分裂すれば、連携してレムリアに逆らうことはできない。


 そしてまた……

 城壁の向こう側に於いても、助けられない者と助かる者、そして手を差し伸べられたがそれを拒否した者の三者に分かれることになる。


 カロリナ(我が夫ながら相変わらず……)

 ニア(さすが陛下……素敵です!)

 オスカル(俺たちも気が付かないうちに分割されてたりするんだろうか?)

 エドモンド(武力を使わず、口だけで敵の戦力を減らす……さすがと言わざるを得ませんね)


 「さて……諸君、どうする?」


 エルキュールはニヤリと笑みを浮かべて言った。










 「お、おのれレムリアめ!! 卑劣な真似を!!」

 

 ローサ騎士団団長、ジャンは怒りに震えた。

 レムリア皇帝は食糧が尽きかけたこのタイミングで……正統派メシア教徒に改宗した家族、親友、恋人の助命嘆願があった者にのみ、集団改宗ではなく……個人改宗でも許す。


 と提案してきた。


 その目的はローサ騎士団及びローサ島住民の分断であることは間違いない。


 「……人数は何名だ?」

 「非戦闘員……民は二千人、騎士団員へは五百人ほどです」


 ジャンは悩みに悩んだ末……


 「……自由意志に任せろ」

 「よろしいのですか?」

 「……もう負け戦だ。ならば……死者が少ないに越したことは無い。信仰を守りたい者だけが残るように指示しろ。……神に背いてまで生きたいという者を止めはしない」


 ジャンは……

 唇を噛みしめながら言った。


 彼は分かっていた。

 これがレムリア皇帝の目的であることを。


 レムリア皇帝はローサ騎士団は無論、レムリア帝国近海を荒らす海賊や……

 海賊に協力する人間。

 そして国内の異端者たちに、己に逆らうとどうなるか……見せつけたいのだ。


 だが……恨まれたくはない。

 彼が欲しているのは恐怖であって、憎悪ではない。


 憎悪は新たな火種を残す可能性がある。


 故に……このような回りくどいやり方をしているのだ。


 

 「ああ……神よ、我らをお救い給え……」


 ジャンは手を組んで神に祈った。

 だが……

 

 神はただただ、沈黙を保ち続けた。







 そして……

 それから五か月が経過した。


 ある者は愛する者の助命嘆願により改宗を受け入れて生きて城壁の外へ出て……

 ある者は飢えと疫病で死に絶えた。



 当初、騎士団員四千人と周辺住民六千人の合計一万人が立て籠もっていた要塞は……

 九か月間の攻囲の間に三千人にまで減少した。

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