第2話 ハヤスタン王国の内政 後

 それから一週間後、エルキュールとルナリエはハヤスタン王国を訪れた。

 ノヴァ・レムリアから船で移動するだけなので、行き来は容易い。


 「うん、これはなかなか美味いな。普段食べてる蜂蜜よりも味が濃厚だ。だが後味がさっぱりしてるから、くどく無い。今度から仕入れさせよう」


 エルキュールは港町で用意された、ハヤスタン蜜蜂の蜂蜜をパンに塗りながら感想を言う。

 ハヤスタン蜜蜂の蜂蜜が今後、ノヴァ・レムリア宮殿の食卓に上ることが確定した。


 「ハヤスタン蜜蜂は攻撃的だから、養蜂は不可能。でも、レムリア蜜蜂―レムリア帝国で一般的に養蜂に生育される蜜蜂―とファールス蜜蜂―ファールス王国で一般的に養蜂で生育される蜜蜂―を掛け合わせることで、養蜂に成功した。それが今、陛下が食べてる蜂蜜」


 「なるほどね。ところで気になることが一つ。どうしてあまり市場に出回っていない? これだけはっきりと普通の蜂蜜と味が違えば、もっと名が知られててもおかしくないと思うが?」

 「交配で養蜂は比較的に容易になったけど、やっぱり難しいことには変わらない。ストレスに弱いから……」

 「なるほどね」


 この世界の養蜂技術はまだ未熟で……

 蜂蜜を得るには、蜂の巣を一度破壊しなくてはならなかった。


 しかしそんなことをすれば、同じ蜜蜂から蜂蜜を回収することはできなくなる。


 これはハヤスタン蜜蜂もレムリア蜜蜂もファールス蜜蜂も同様であった。


 「じゃあ、巣箱を導入すれば解決するな」

 「巣箱? 巣箱はあるけど……」

 「旧来の巣箱じゃなくて、新しく作った巣箱だ。もっとも、レムリア蜜蜂用に作ったからハヤスタン蜜蜂に適応するかどうか分からんがな」


 エルキュールはそう言って、召使にその巣箱を持ってこさせた。

 そしてルナリエに構造を説明する。


 「旧来の巣箱は蜜蜂に巣を作らせるための、ただの閉鎖空間。文字通り、そのまま箱だった。だがこいつは違う」


 エルキュールは箱の蓋を開けて、中から木の板を取り出した。


 「こいつが巣枠だ。八枚くらい入っている。こうやって中から簡単に取り出せるから、蜂の健康状態を容易に確認できる」


 エルキュールは巣枠をルナリエに手渡した。


 「この六角形の凸凹は?」

 「そいつは巣礎だ。蜜蝋で作ってある。蜜蜂に蜂蜜を作らせるための仕掛けみたいなものだ。で、こいつを遠心分離器に掛ければ、巣枠から蜂蜜だけを取り出せる。巣枠を戻せば、もう一度蜂蜜を採取できる。……というわけだな。まあ、詳しくはレムリアの養蜂家に聞いた方が良い。俺は専門ではないからな」


 発想そのものはエルキュールが与えたものだが、実際に制作したのはヒュパティア率いる学者とレムリアの養蜂家たちである。

 加えて、これはあくまでレムリア蜜蜂用の巣箱であり……ハヤスタン蜜蜂に適応するかどうかは分からない。

 

 蜂によって、適する形は異なるだろう。


 「よく思いつくね」

 「まあ、な……ルナ、特産品はこれで良いか?」

 「あとハヤスタン葡萄とハヤスタン小麦が……」

 「頭にハヤスタンっていれれば、特産品だと思わせることができるだろう作戦はやめろ。ハヤスタンの葡萄と小麦がレムリアと同種なのは分かっている」

 「ちぇっ」


 ルナリエは不服そうな顔で舌打ちした。

 

 さて、ここでハヤスタン王国の産業について説明しよう。


 まずハヤスタン王国の主要産業だが……

 一にも二にも農業である。(というか、この世界で農業が主要産業ではない国など、遊牧国家以外存在しないのだが)


 主に育てられているのは、葡萄などの果樹、小麦や大麦。

 そしてルナリエがエルキュールに強請って手に入れた、綿花である。


 これらは国内に消費される以外は、レムリアかファールスに輸出されている。

 少し前まではファールスに輸出されていたが……

 今は同盟関係の変化と、海路によってノヴァ・レムリアと経済が直結した影響もあり、殆どがノヴァ・レムリアに運ばれるようになっている。


 ノヴァ・レムリアは大量消費地なので、持って行けば持って行くほど売れる。

 もっとも、ライバルは多く、競合状態にあるので大儲けできるというわけでもないが。


 次に畜産。

 羊やヤギの放牧がおこなわれている。

 これは殆どが国内で消費されているようだ。


 鉱山資源は産出量こそ少ないが、金、銀、銅、鉄など種類は豊富だ。

 

 工業はあまり発展しているとは言えず、特に鉄製品はレムリアやファールスからの輸入に頼っている。

 これはファールス王国の属国時代に、一定以上の武器の所有と、武器の製造が禁止されていたからである。

 

 商業はレムリア、ファールス、北方諸国、遊牧国家などとの中継貿易を行っているため比較的発展している。

 もっとも、これは国際情勢に大きく左右されるため主要産業には成り得ないのだが。


 「確か陛下は二週間はハヤスタンに滞在する予定なんだよね?」

 「ああ。最後の仕上げは直接現地に行く必要があるからな」


 『エルシュタットの虐殺』で大量の貴族が処理され、ハヤスタン王国の風通しは非常に良くなっている。

 没収した土地を農民に与え、代わりに兵役を課す屯田兵制も実施され……ハヤスタン王国の防衛力も上がり、同時にエルキュールへの支持も高まりつつある。


 唯一懸念されていたのが、粛清された貴族の家臣たちによる反乱だが……

 貴族たちが保有していた最低限の私兵に関しては、一定の退職金を支払うか、それとも土地を支給して屯田兵とし、文官は官僚として王国政府が雇い入れたため、今のところ大きな反乱には繋がっていない。


 彼ら貴族は国王に忠誠を誓っているとは言えなかったが、彼ら自身も家臣から大した忠誠は得ていなかったようである。

 因果応報とはこのことか。


 まあ、人間は衣食住や財産を保障してくれる人間に従う生き物なのだから当たり前といえば当たり前だが。

  

 ノヴァ・レムリアからエルシュタットまでは海路を利用すればそこまで時間は掛からないため、今まではノヴァ・レムリアから改革指令を飛ばしていたエルキュールだが……

 やはり最後は自分の目でしっかりと確認したいようだった。


 「それに……外国からずっと指令を飛ばし続けてくる支配者は、やはり嫌だろうしな。定期的にハヤスタンには行く予定だ」

 「陛下がハヤスタンを守ってくれているうちは大好きだから、頑張って」





 その後、エルキュールとルナリエは数日の時間を掛けて馬車でエルシュタットに向かった。

 エルシュタットで二人を待っていたのはエルシュタット市民の大歓声である。


 「「女王陛下、万歳!!」」

 「「皇帝陛下、万歳!!」」

 「「ハヤスタン王国とレムリア帝国に栄光あれ!!」」


 これにはエルキュールとルナリエも苦笑いを浮かべた。


 「属国とは思えんくらいの歓待だな。ハヤスタン人はずいぶんとお気楽なようだが?」

 「まあ、同じメシア教徒だし」


 ハヤスタン王国は今までファールス王国に支配されてきた。

 そのため支配されることに関しては何の抵抗もない。

 彼らにとっては、支配されていない時期の方が異常なのだ。


 ファールス王国の長年の搾取に不満を抱き、変わらない現状に飽きていたハヤスタン人の多くはエルキュールの支配を好意的に受け止めていた。

 今のところエルキュールは重税を課さず、特定の宗教を強制することもせず、治水灌漑、道路整備などの公共事業を行い、平民からすれば目障りな貴族を粛清して富を再分配してくれた名君である。


 ……まあ、公共事業の費用はエルキュールがハヤスタン王国に貸し付けた借款なので、最終的に彼らは税金で返還することになるのだが、そのことに気が付いているものは少数であった。


 「この分だと、定期的に施しをするだけでハヤスタン人は懐柔できそうだな」

 「私はされない」

 「お前がされなくても、お前以外のハヤスタン人が懐柔されたら意味ないぞ」

 「……おっしゃる通り」


 ルナリエは溜息をついた。

 自国民のプライドの無さには、ルナリエも呆れを隠せないようである。



 そんなこんなでエルシュタット城に入城すると、二人のために料理が用意される。

 いや、二人のため……というのは誤りだ。

 

 より正確に言えば、エルキュールとルナリエ、そして元ハヤスタン王であるフラーテス三世と、親レムリア派の貴族のため……である。


 エルキュールとルナリエ、元国王、そして貴族たちの団結を内外にアピールするための食事会であり、また政治的な話合いをする場でもあった。


 「こうして陛下とお食事するのは、これで二度目……ということになりますね。皇帝陛下」

 「そうですね……フラーテス公」※ハヤスタン王国に『公爵』などの爵位制度は存在しませんが、便宜上尊称として『公』を使用させて頂きます。

 

 エルキュールとフラーテス三世は親し気に話をする。

 ハヤスタン貴族たちはその様子を見て、退位後もフラーテス元国王がエルキュールに好印象を抱いており、エルキュールも相応に礼を尽くしていることを察する。


 もっとも、二人とも貴族たちにそう思わせるために演じているのだが。


 「ところで……太りましたか?」

 「はは、お気付きになりましたか? いやはや、お恥ずかしい」


 とはいえ、この様子を見る限り国王の位には何の未練も残っていないのは明らかであった。


 「ルナリエ陛下、皇帝陛下とは上手くいっていますか? 早く孫の顔を見せて頂きたい」

 「……お父様、気が早い」


 フラーテス三世はエルキュールの隣に座って食事をとっていたルナリエに話しかける。

 今ではルナリエの方が国王だが……親子の関係に大きな変化はなさそうだ。


 「そうそう、実は両陛下に飲んで頂きたいモノがありましてな」


 フラーテス三世は召使を呼び留め、『例のブツ』を持ってくるように指示した。

 すぐに召使が何かが入った壺を持ってきた。


 「これは蜂蜜酒ミードです。確か皇帝陛下は我が国の特産品である、ハヤスタン蜜蜂の蜂蜜はすでにお食べになられましたな? それを酒に加工したものです」


 フラーテス三世が説明している間に、召使たちはエルキュールとルナリエのグラスに蜂蜜酒ミードを注ぐ。


 「あのハヤスタン蜜蜂の……それは味に期待できそうだ」


 エルキュールは勧められるままに、酒を口に運ぶ。

 あまり酒精は強くなく、すんなりと喉を通っていく。


 「うん……甘ったるい味を想像していたが、甘さは控え目で飲みやすい。酒があまり得意じゃない者も飲めそうだ。なあ、ルナ」

 「……これ、私昔から好き」


 エルキュールが一杯飲み終わるころには、ルナリエはすでに二杯目を飲んでいた。

 飲みなれた酒だからか、それとも酒精が強くないからか、グビグビとルナリエは蜂蜜酒を胃に収めていく。


 「皇帝陛下、実はですね……我が国では蜂蜜酒は新婚の夫婦に非常に好まれるのです。何故か分かりますか?」


 フラーテス三世の問いに、エルキュールは暫く考えてから……


 「蜜蜂が多産だから、ですか?」

 「さすが陛下! よくお分りになられましたな!! そういうわけで、孫は宜しくお願いします」


 楽しそうに笑うフラーテス三世、苦笑いを浮かべるエルキュール。

 退位してから、実に楽しそうだ。


 ふと、エルキュールは自分の体に何かが寄りかかるのを感じた。

 左手側に視線を向けると、ルナリエがエルキュールに体を寄せていた。


 「へいか~」

 「弱いのに飲むからだな」


 エルキュールは溜息をついた。

 エルキュールはルナリエから酒を取り上げる。


 「ああ、まだ飲んでるのに……」

  

 酒を取り上げられたルナリエは、仕返しとばかりにエルキュールに全体重を預けた。

 もっとも、体幹をしっかりと鍛えているエルキュールはこの程度ではビクともしないのだが。


 「これは……孫が楽しみですな」

 「まあ……期待していてください」


 



 その後も料理は次々と運ばれてくる。

 エルキュールは手掴みで万遍なく料理を摘み、酔わない程度に酒を飲み、フラーテス三世や貴族たちと雑談を続ける。


 ルナリエはうつらうつらと、エルキュールに体を預けたまま、微睡んでいる。


 そんな中……

 ある料理がエルキュールの目を引いた。


 それはクラッカーの上にチーズとトマトを乗せて、ハーブでトッピングしただけの簡単な料理だった。 

 無論、こんなことでエルキュールは驚かない。

 エルキュールが驚いたのは……そのチーズの上に、何らかの黒いモノが乗っていたからである。


 エルキュールはその料理に手を伸ばし、一口で頬張る。

 そして一言。


 「……これ、キャビアだな」


 とんでもない特産品がハヤスタン王国にはあった。








 キャビア。

 それは世界三大珍味として名高い、チョウザメの魚卵である。


 その濃厚で官能的な味わいは多くの人を魅了する。

 言わずとしれた高級食材である。


 しかしエルキュールは今日まで、キャビアを食べたことが無かった。(前世の男は食べたことがあったので、味は知っていたが)

 ノヴァ・レムリアは世界交易の中心地であり、集まらない食材は無いと言っても良い。

 

 しかしエルキュールはキャビアを食べたことが無いどころか……

 キャビアがこの世界に存在することすら知らなかった。


 今日、この時までは。


 「考えてみると、珈琲があったんだからキャビアくらいあるのは当然だな。……しかし、ルナ。どうして教えてくれなかったんだ?」


 翌日、エルキュールは朝食の席でルナリエに問い詰めた。

 あの食事会の後、ルナリエは完全に泥酔してしまい……「キャビアって、何? 美味しいの?」状態で聞くことが出来なかったのだ。


 「私は割と頻繁に食べてたけど……特産品になるとは聞いたことが無かった。ノヴァ・レムリアでは有名なの?」

 「……いや、そもそも流通すらしていない。なるほど、希少性が高すぎる所為か」


 あまりに希少性が高いせいで、そもそも海外にその存在が知られなかった。

 一方でハヤスタンの王族、貴族は漁民から定期的に献上されるため……頻繁に口にすることが出来た。


 そのためルナリエにとってはキャビアはそこまで珍しいものではなく、エルキュールのような外国人にとっては、あまりに珍しいためそもそも存在すら知らない……

 という、何とも奇妙な状況を生んだのだ。


 「キャビアって、もしかして凄い?」

 「俺が知る限りでは、ハヤスタン王国でしか採れないな。存在そのものが知られれば、需要は一気に高まるはずだ」


 問題は乱獲の心配だ。

 密漁を厳しく禁じた上で、政府によって漁獲量を管理する必要があるだろう。


 「まあ、とにかく良かったじゃないか。どの国にも負けない、特産品だぞ?」

 「……もしかして、このパンも凄い特産品になったりしない?」

 「それは普通のパンだな」

 

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