第四章 『覇者』としての道を歩み続ける若き皇帝
第1話 ハヤスタン王国の内政 前
『私は……私のことを英雄と慕い、称える者だけの英雄でありたいと思っています』
―エルキュール・ユリアノス―
レムリア帝国は国土が東西南北に広がっているため、地域によって気候は様々であり、その気候に合わせた農業が行われている。
が、一応主流となる農業方法が存在する。
それが所謂日本で言うところの、地中海式農業である。(当然、この世界に地中海は存在しないので、全く違う名称になるが)
レムリア帝国の沿岸部は、夏に乾燥して冬に雨が降る。
よって耕地を二つに分け、片方の農地では冬に冬小麦を栽培し、もう片方は休耕地として羊を放牧するというのが一般的である。
それに加えて、丘陵地で乾燥に強いオリーブや葡萄、コルクガシなどの商品作物を栽培して儲けるのがレムリア帝国の主流である。
特に葡萄は葡萄酒としての需要が高いため、非常に儲かる。
葡萄などの栽培に成功した農場経営者はかなり裕福な暮らしをしている。
一方で葡萄などの栽培ができず、小麦を育てることしかできない農場経営者は土地税を支払うことが出来ず、小作人に転落することになる。
と、まあ経営が下手くそな人間が事業に失敗して転落するのは世の常であり、逆に成功して成り上がる人間もいるわけなので、エルキュールは特に気にしていないし、問題にもなっていない。
では、なぜこのような前振りをしたのかと言えば……
「オリーブの価格は近い将来急激に低下する恐れがある。……というのが俺の危惧していることだが、俺が何を言いたいか分かるか? アントーニオ」
「はい、陛下。……大豆油や綿実油の生産拡大の事ですね?」
アントーニオの答えにエルキュールは満足気に頷いた。
こちらの意を汲み取ってくれる優秀な部下がいると、仕事が楽で良い。
「その通りだ。まあ、それでもオリーブは高級油として一定の地位を確保し続けるだろうが……しかし価格は間違いなく落ちる。そうなればオリーブ農家が壊滅する恐れがある」
人は急激な変化に対応できない。
特に一度成功した人間ほど、己の成功体験にしがみ付く傾向がある。
自分自身や両親、御先祖様がオリーブ栽培で成り上がった……
というモノたちは、オリーブの価格が低下してもすぐにはその変化に対応できないだろう。
そうなれば彼らが没落するのは目に見えている。
それは農地の荒廃、社会不安の増大、そして税収の低下に直結する重大案件であった。
オリーブはレムリア帝国の重要産業なのである。
「そういうわけで、その問題解決のカギがこれだ」
エルキュールはパチンと指を鳴らした。
すると召使たちがアントーニオとエルキュールの前まで、ある作物とその種を持ってきた。
「……これは?」
「ファールスから仕入れたモノだ。いやはや、密輸するのに苦労したよ」
ファールス王のやつ、果物一つでケチケチしやがって……
とエルキュールは舌打ちをしてから、食べやすいサイズに切り分けられた作物を手に取り、口に運ぶ。
「げほ、すっぱい……やっぱり、こいつはそのまま食べるモノじゃないな。……お前も食べろ」
「は、はあ……」
エルキュールの顔を見れば、その食べ物が明らかに不味いということは分かる。
が、主君に食えと命令された以上……気が進まなくても食べないという選択肢はない。
アントーニオはその黄色い食べ物を口に運んだ。
「うっ……な、何なんですか? これは」
「レモンだ。……まあ、普通は料理に掛けるもので、直接食べるものじゃない」
レモンは定期的にエルキュールの食卓にも上がっている。
が、それは新鮮な果物をファールス王国から直接輸入することが出来るエルキュールの財力の賜物と、料理長の見聞の広さに依るものであり……
少なくともレムリア帝国では栽培されておらず、一般家庭の食卓に上がることはまずない。
「しかし……この酸味は酢とはかなり違いますね。料理のレパートリーも増えそうですし……需要もありそうですね」
「そうだろう? ……さて、今度は橙色の方だ」
エルキュールは橙色の食べ物を手に取り、口に運んだ。
今度は美味しそうな表情を浮かべる。
「少し酸っぱいが……レモンの後のせいかな? 甘く感じる。どうだ? アントーニオ」
「これは……独特の甘味ですね。美味しい……これは何という果物ですか?」
「オレンジだ。ジュースにして飲むと美味いぞ……さて、この二つの果物、俺が何のためにお前に食べさせたか、分かるよな?」
文脈で察しろよ?
とエルキュールが言うと……
「つまり、オリーブの代わりに栽培しろ……ということですね?」
「そういうことだ。レモンもオレンジも、共に乾燥に強い。オリーブの代わりになるだろう。そういうわけで追加予算を出すから、レモンとオレンジの栽培奨励を進めてくれ」
柑橘類は皮が分厚いため、比較的腐りにくい。
海路を使った輸送で、近隣国への輸出も可能だ。
「それと……俺は思うわけだ。そもそも供給量が増えて価格が下がる、というのであれば需要を増大させれば逆に上がるんじゃないか?と」
「……ということはつまり?」
「国営の石鹸工場を作ろうと思っている」
石鹸は原材料に油を使用する。
それで油を大量に消費すれば、その分価格は上昇するだろう。
人間は一度手に入れた贅沢を捨てられない生き物だ。
一度石鹸を使用するようになれば、そのまま継続的に石鹸を購入するようになる。
ソルベー法によるソーダの生産の目処は全く立っていないが……
生産量が少ない内は、海藻灰で十分需要は満たされるだろう。
「石鹸の効率的な作り方なら、ヒュパティアたちに研究させてある。彼女たちと協議して、計画を練っておいてくれ。ああ……採算については最初は考えなくていいぞ? 大事なのは使用を広げることだ。どうせ、民間で作るようになったら払い下げるしな」
利潤は税金で回収すればいいのだ。
国家の役割とは、民間では採算が取れなくてやれない事業を率先的にやるものであるとエルキュールは認識していた。
「分かりました。……最終的には石鹸
「ああ、それで構わん。細部はお前に任せるよ」
一つの
三つか四つ程度の
「あともう一つは……うーん、やっぱりいいや」
「……」
エルキュールは何かを言いかけて、口を噤んだ。
そういう言い方をされると気になるのが人情だが……無理に追及すると無礼に当たるので、アントーニオはとても気になりつつも、何とか口を閉じた。
「さて、俺からの指令は以上だ。あとは……絹と羊の品種改良の件はどうなっている?」
「それは……」
その日のエルキュールとアントーニオの会談は夜遅くまで続いた。
「うーん、いつ食べても体に悪くなるような味ですね。私は好きですけど」
「……私、これ大好き」
その夜、エルキュールとカロリナ、ルナリエは葡萄酒を飲みながら『ある料理』を食べていた。
その料理とは……
「深夜に食べると旨いな。まあ、太りそうだけど」
油で鶏肉や魚などを揚げた料理、『揚げ物』である。
三人が食べているのは、鶏とタラの揚げ物だ。
実のところ、『揚げる』という調理方法そのものは大昔から存在する。
が、しかしその歴史の長さに比べてあまり庶民には浸透していない。
というのも、大量の油を使用する非常に贅沢な料理だからである。
結果、富裕層の食べ物となっていた。
しかし……
「油の生産量が上がれば、庶民にも広がるだろうな。調理方法は簡単だしな」
揚げ物という料理は、基本的に熱した油に適当な具材を投入するだけで完成する。
不味く作る方が難しい料理である。
江戸時代、天ぷらがファーストフード扱いだったのは有名な話である。
まあ、油の後処理は面倒だが……
灯油などに再利用すれば問題ない。
唯一問題があるとすれば……
「火事が頻発しないと良いですけどね」
「それが問題だな。ノヴァ・レムリアは火事が多いからな」
大都市は自然と火事が起こりやすくなる。
エルキュールの最大の懸念が、首都で大火が発生することだった。
かつて旧都レムリアではレムリアの大火と呼ばれる大規模な火災が発生し……
放火犯としてメシア教徒が大量に処刑されるという事件が起こった。
ノヴァ・レムリアは火災を意識し、建物の間隔が空けられているが……
エルキュールから見ると、まだまだ不十分だ。
「まあ、新市街・公園・凱旋門建設と同時に、首都の道路拡張もやる予定だから、そこまで心配しなくても良いが」
問題は工事の前に火災が発生する可能性だが……
そんなことを気にしていても、仕方がないだろう。
「ねえ、陛下」
「何だ? ルナ」
「ハヤスタンも何か産業が欲しい」
「欲しいって言われても、出せるもんのじゃないぞ」
「欲しい」
「いや、だから……」
「ください」
「そんな上目遣いで見られてもな……」
ルナリエはエルキュールに抱き付いておねだりする。
エルキュールは困ったように頭を掻いた。
「……葡萄酒や小麦じゃダメなのか? 関税も両国には無いし、港が整備されればノヴァ・レムリアに直接輸入出来るだろ」
「そもそも両方ともレムリアで作られてるじゃん」
産業が同じなので……
人口や土地の広さで優るレムリアには絶対に勝てないのだ。
無論、ノヴァ・レムリアは大量消費地なので儲かるには儲かるのだが。
「あなたは今はハヤスタン王。なら、ハヤスタン王国の国益も考える義務があるのでは?」
「その前に俺はレムリア皇帝だが……じゃあ、何か適当にハヤスタンの特産品を言え」
「……葡萄、小麦」
「それはさっきも言ったな」
当然レムリアでも栽培されている。
というより、一般的過ぎて『特産』というのかすら謎である。
田舎の良いところは?と言われて、静かで水と空気が綺麗ですと言われても、全然アピールにならないのと同じだ。
「ハヤスタン鳩」
「ああ、あれは美味いな。……生憎、鳩については詳しくないが」
エルキュールの前世知識の中では、鳩と言えば伝書鳩があるが……
食用鳩の効率的な育て方などは無い。
そもそもハヤスタン鳩は野生の動物である。
「ハヤスタン蜂蜜は?」
「何だそりゃ」
初耳である。
エルキュールがルナリエに詳しく問い詰めると……
「ハヤスタン蜜蜂という蜂がいる。美容効果があると、有名」
「……美味しいのか?」
「食べれば分かる」
エルキュールは少し考えてから……
答えた。
「……今度、ハヤスタンに行くときに用意させておけ」
「分かった」
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