第26話 次期|姫巫女《メディウム》 後

 「次期、姫巫女メディウムとして私はこの娘……セシリア・ペテロを指名します。ついては、エルキュール陛下にはこの娘の後見人になって頂きたいのです」

 「そういうことならば、喜んで……と、言いたいところなのですがね……」


 エルキュールは姫巫女メディウムに疑問をぶつける。


 「ミレニア猊下、私はあなたを非常に優秀な……政治家・・・として評価している。だからこそ、私にはあなたの選択肢はあまりにも不可解だ。本人の目の前で言うのも良くないが……」


 エルキュールはチラっと、姫巫女メディウムの横に控えているセシリアやレムリア総主教のクロノスを見てから、姫巫女メディウムに視線を戻す。


 「いくら優秀とはいえ、十二歳。その十二歳の小娘の後見人を私に託す。……全てのメシア教会をレムリア帝国の世俗権の下に置いても良い、とあなたから直接許可を頂いたと判断してもよろしいのか? 私はあなたの行動には違和感しか感じない」


 エルキュールは紅茶を一口飲んでから、言葉を続ける。


 「確かにセシリアはあなたの直系の玄孫だ、しかしだからと言って姫巫女メディウム位を継がなくてはならないという、道理はない。セシリア以外にも、候補は大勢いるはず。それこそ、年長で政治的な駆け引きに長けた者が、ペテロ家にはいるはずだ。確かにセシリアは優秀だ。それは少し話しただけでも、十分分かる。しかし、あまりにも幼いのではないですか? ……私の目にはあなたが玄孫可愛さに、強引に姫巫女メディウム位を継がせようとしているようにしか見えないし、世間もそのように見るでしょう」


 エルキュールの問いはまだ終わらない。


 「そもそも、私が後見人をする必要性が分からない。いや、無論私としては都合が良いわけだから、喜んで受けさせてもらうが……そこの総主教のクロノス殿では、不足ですか? 確かに歴代の姫巫女メディウムはレムリア皇帝の軍事的、政治的な庇護を得てきたのは事実。しかし直接の後見人になった例はそうそう見られない。普通はレムリア総主教が後ろ盾になるのが普通」


 エルキュールは姫巫女メディウムを真っ直ぐ見つめる。


 「改めて、問いましょう。ミレニア猊下。セシリアを新たな姫巫女メディウムに立て、そしてその後見を私に頼む理由を教えて頂きたい」


 姫巫女メディウムは紅茶を一口飲んでから、笑みを浮かべた。


 「ええ、分かりました。陛下の質問に、一つ一つお答えさせて頂きましょう」


 姫巫女メディウムはまず指を一本、突き出した。


 「まず一つ訂正を。私は今すぐ死ぬつもりはありません。あと、三、四年は生きるつもりです。ですから、十二歳の小娘に姫巫女メディウム位を渡すというのは語弊がある。正確に言えば、十五、十六の小娘です」


 「……それでも、若いように感じますが?」


 「おや、陛下がそれをおっしゃられますか? 十二歳で御即位された、エルキュール陛下が」


 「俺は天才だからな」


 エルキュールは堂々と言い放った。

 エルキュールの言葉に、姫巫女メディウムは苦笑いを浮かべる。


 「先帝陛下……ハドリアヌス陛下と、私の思いは一緒です。ハドリアヌス陛下があなたの可能性を信じたのと同様に、私もセシリアの可能性を信じています」

 「……なるほど、よく分かりました」


 エルキュールはセシリアと少ししか言葉を交わしていない。

 だからセシリアがどれくらい優秀なのか? ということは分からない。

 姫巫女メディウムの言葉を信じるしかないのだ。


 エルキュールはチラッと、セシリアに視線を移す。

 優秀だ、と褒められたセシリアは顔を真っ赤にして恥ずかしがっていたが……しかし嬉しそうであった。

 あまり褒められ馴れていないように見える。


 おそらく、普段はこっぴどく姫巫女メディウムに叱られてばかりいるのだろう。


 (そこまで優秀だろうか?)


 エルキュールは内心で首を傾げた。


 「加えて、若いセシリアを指名する理由として……『若いからこそ』というものがあります。……詳しくは話せませんが……姫巫女メディウムの継承魔法の効果の一つに、『老化を遅らせる』というものがあります。若い時期……それこそ、二十代前半までにこの継承魔法を得られれば長耳族エルフと同等以上に生きられる。しかし、失われた若さは戻らない。……若い方に位を譲る方が、長く姫巫女メディウム位を安定させられる。長期的に見れば、得というわけです」


 「初期の経験不足など、些細な問題……ですか?」


 「ええ、経験は長生きすればするだけ、後から得られます。しかし肉体の劣化は取り戻せません」


 人間は年を負うほど、頭脳が劣化する。

 これは自明である。


 二十代前半の最盛期の脳味噌に比べれば、四十代五十代の脳味噌は……

 やはり記憶力、判断力、持続力などが衰えていると言わざるを得ない。


 しかし仕事という面では、二十代前半よりは四十代五十代の方が(エルキュールのようなぶっ飛んだ例外を除いて)優秀だ。


 何故か、と言えば『経験』があるからだ。


 長く生きてきた人間の方が、様々な状況に対する対処法を知っている。

 経験は非常に大切だ。


 

 さて……

 ここで一つ、例を出そう。


 五十代の経験豊富な人間と、十代後半の経験不足な人間。

 どちらが優秀か?


 答えは前者である。


 後者が飛び抜けて優秀か、もしくは前者がとんでもない無能というわけでもない限り……

 普通は前者の方が優秀だと判断する。


 では……

 五十代の経験豊富な人間と、肉体的には十代後半だが五十代と同等の経験を有している人間ならば?


 何の疑いもなく、後者の方が優秀だ。


 


 まあつまり……

 これが姫巫女メディウムが、セシリアを次期姫巫女メディウムに指名しようとしている理由だ。


 確かに四十代五十代の経験豊富な人間を姫巫女メディウムにした方が無難な選択ではある。

 しかしすでに年を取ってしまっているため、姫巫女メディウムの継承魔法で多少老化が遅くなったとしても、焼け石に水。

 すぐに死んでしまうだろう。


 だが経験不足であったとしても、若くて優秀なセシリアならば?

 確かに最初は不安だが、数十年もすれば『若くて優秀な脳味噌』と『豊富な経験』を持った姫巫女メディウムが誕生する。


 長期的に見ると、若いセシリアを指名した方が良い。


  

 「さて……では、なぜセシリアか? という問いですが、決して私の玄孫可愛さではありません。若くて優秀で、私と同じ・・考えを持つペテロ家の女子が、セシリアしかいなかったからです」

 「……というのは?」

 「つまり親レムリア派と反レムリア派、という話です。旧西レムリア帝国内の教会では、反レムリア派が主流になりつつあるのです。少し前までは、私もどちらかと言えばそちらの政策を採ってましたが……」


 姫巫女メディウムは紅茶を飲み、喉を潤す。


 「あなたが提案なされた、アレクティア公会議以後に考え方が変わりました。あなたは話が通じる人だし、それにあなたの治世下でレムリア帝国は復興するでしょう。反レムリアはこれからの時勢に反している。それに……私が生きている間は良いでしょう。しかし私の死後に、あなたに対抗出来る反レムリア派の指導者はいないのです。下手にあなたを刺激して、レムリア教会が世俗権力に支配されるよりは……セシリアのように優秀で、加えてあなたにある程度歩調を合わせられる指導者の方が、長期的に見てレムリア教会は独立を保てる」


 エルキュールは姫巫女メディウムに、レムリア教会を世俗権力に支配させても良いと考えているのか?

 と尋ねた。


 しかし姫巫女メディウムは……

 レムリア教会を世俗権力に支配されないように、エルキュールというレムリア皇帝に下手に逆らい、怒りを買うようなことがないように、セシリアを指導者に選ぶのだ。

 と回答した。


 日本人に分かりやすく説明するのであれば……


 アメリカという、怒らせれば何やるか分からない国に対して「真正面から喧嘩売る」のと、「ある程度妥協して従う」のでは、どちらの方が独立と安全を保てるか?


 という話だ。

 

 勝てる自信があるならば、前者を選択すれば良いが……

 勝てる自信がないのであれば、後者を選択する方が賢い。


 「では、私に後見人を頼んだのは……」

 「ええ、そうです。クロノスには申し訳ないですが、私亡き後にどれくらいクロノスがレムリア教会で

権力を行使できるか、分からないのです。それほど、反レムリア派の勢力は大きい。ですから、苦肉の策としてあなたに頼みます」


 姫巫女メディウムはそう言うと、側に控えていたクロノスが前に進み出て、エルキュールに頭を下げた。


 「全ては私の力が及ばない所為です。……皇帝陛下、どうかご助力をお願いします。メシア教会の存続には、レムリア帝国の政治的・軍事的な後ろ盾がこれからも必要不可欠。どうか……」


 これにはエルキュールは少し驚いた。

 クロノス、と言えばルーカノス―ノヴァ・レムリア総主教―と言い争いをしているイメージしかない。


 てっきり、反レムリア派だと思っていたのだ。


 「意外だ。私はあなたに嫌われているとばかり、思っていた」

 「……私が嫌いなのは、そこにいる玉無しだけです。皇帝陛下に思うところはありません」

 

 クロノスはエルキュールの側に控えていた、ルーカノスを睨みつける。

 ルーカノスも負けじと睨み返した。


 「まあ、そういうことであるならば私も協力しましょう。別に私はメシア教会を支配下に収めて、皇帝兼教皇になって、世俗聖界を共に支配しよう……などとはこれっぽちも考えていませんしね。世俗、聖界はある程度棲み分けられるはず。私としては、世俗の優位さえ確定出来れば……メシア教会そのものに介入するつもりはありません。しかし……」


 エルキュールはセシリアに視線を向けた。


 「セシリア。私はまだ、君の意思を聞いていない。ミレニア猊下はセシリアは親レムリア派だとおっしゃったが……実際、どうなのかね? 君の意見を聞かない限り、そう簡単に『うん』とは頷けないのだが」


 と、エルキュールが尋ねると……


 「ええ、陛下。大婆様……姫巫女メディウム猊下がおっしゃった通り、私は皇帝陛下と歩調を合わすべきである、と考えています。メシア教会には強力な守護者が必要です。皇帝陛下が守ってくださるならば、これほど心強い守護者はいないでしょう。……ですが」


 セシリアは強い意思の籠った目で、エルキュールを見つめた。


 「私は皇帝陛下に負けるつもりはありませんし、間違っていると思ったことは言います。それに……陛下は『世俗の優位』と先程おっしゃいましたね? 姫巫女メディウムとレムリア皇帝は対等であるべき、と私は考えています。私は親レムリア派です。皇帝陛下と歩調を合わせるべきだと、思っています。ですが、陛下に従うつもりはありませんし、陛下の家臣になるつもりはありません。ましてや、飼い犬に成り下がるようなことは絶対にない」


 セシリアはエルキュールの目をしっかりと見つめる。


 「レムリア皇帝はメシア教会の守護者です。それ以上でも、それ以下でもない。メシア教会を指導するのは姫巫女メディウムです。聖界は聖界。世俗は世俗。相互不可侵であるべきです。ましてや……五本山の聖職叙任権・・・・・・・・・聖職売買シモニアなど、もっての他です」


 空気が静まり返った。

 少なくとも、これから庇護を求める相手への態度ではない。


 ノヴァ・レムリア総主教、オロンティア総主教、アレクティア総主教、ヒエソリア総主教。


 五本山のうち、四つの聖職叙任権をレムリア皇帝が握っているのは数百年続く慣例なのだ。

 それを真っ向から非難するなど……

 エルキュールの怒りを買ってもも、おかしくなかった。


 

 クロノスは顔を強張らせ、「やっちゃったよ……」と内心で頭を抱えた。


 姫巫女メディウムは優しく微笑みながら、「あとで鞭で背中を叩いてやる」と体罰の実行を決意した。


 ルーカノスはピクピク頬を動かしながら、「何だ? このくそ生意気なクソガキは」と内心のイライラを隠せずにいた。


 トドリスは心配そうな顔で、「陛下、お願いだから怒って断らないでくださいよ?」とエルキュールに自制を求めるように、視線を送る。


 そしてエルキュールは……


 「っくっくっく……はははははは!!!」


 愉快そうに大笑いを始めた。

 静まり返った密室の中で、エルキュールの笑い声が響く。


 一頻り笑った後、エルキュールはセシリアに手を伸ばした。


 セシリアは一瞬身構えたが……

 それは杞憂に終わった。


 エルキュールの手はセシリアの髪を、優しく撫でただけだった。

 

 頭を撫でながら、エルキュールは笑みを浮かべて言った。


 「全く……俺にそこまで啖呵を切るのは、君くらいだ。怖いもの知らずなお嬢さんだ。まあ、いいさ。今はまだ、姫巫女メディウムでもない。今回は許してあげよう」


 まあ、レムリア皇帝が聖職叙任権を持つというのは確かに道理に反しているしな……

 エルキュールは内心で呟く。


 「負けないように頑張れよ? チビ姫巫女メディウム様」

 「……言われなくとも、陛下には負けません」


 セシリアはエルキュールの手を掴み、頬を膨らませて言い返した。

 

  





 バチン!!

 バチン!!

 バチン!!


 「ひぐぅ……ご、ごめんなさい……」

 「ごめんなさいで済むことですか!! 人に物を頼むときに、その相手を非難するなんて、あなたくらいです!!」


 バチン!!


 姫巫女メディウムの鞭がセシリアのお尻を打つ。

 その度にセシリアの体がビクリと震え、口から泣き声が漏れる。


 「はあ……全く。まあ、良いでしょう。陛下も気にされませんでしたしね」

 「ご、ごめんなさい……で、でも私は悪いことは何一つ言ってません!!」


 セシリアはお尻を擦りながら、涙目で姫巫女メディウムに抗議した。

 姫巫女メディウムは溜息を付く。


 「……私が何で怒っているか、本当に分かっていますか?」

 「……い、いくら本当に思ったことでも時と場合によっては言って良い時と悪い時があると、……その、た、確かに後ろ盾になって欲しいと頼む場で、聖職叙任権について非難するのは……不適切だったと反省していますけど……」


 セシリアにちゃんと叱った内容が伝わっていることを確認した姫巫女メディウムは、笑みを浮かべた。


 「なら宜しい。……別に私はあなたの考えが間違っているとは言いません。私も、レムリア皇帝が聖職叙任権を握っている現状は間違っていると考えています。世俗権力が聖界に口を出すのはそもそも間違っている。ですが、物事には順序というものがあります。まずはあの男を利用し、あなたの立場を確固たるものにする。そして経験を積み、その上で正々堂々挑みなさい」


 「はい……でも、陛下はどうして怒らなかったのでしょうか?」


 セシリアは姫巫女メディウムに疑問をぶつけた。

 セシリアはあの時、殴られることまで覚悟したのだ。

 しかしエルキュールは笑いながら、セシリアの頭を撫でただけだった。


 「……陛下が怒ると分かってて、あの発言をしたのですか?」

 「ま、まさか!! えっと……今、思い返してですよ!!」


 姫巫女メディウムが右手に持っていた鞭を動かすのを見て、セシリアは慌てて言い繕った。 

 姫巫女メディウムは小さく溜息をついてから、答える。


 「あなたが子供だからですよ。彼はあなたをバカにしている、どうせ、大したことはできないと。……いえ、彼がバカにしているのは、あなただけではなく、私も……というか、メシア教会という組織そのものでしょうね。西方に於いては、私たち姫巫女メディウムとメシア教会は大きな力を持っています。しかしレムリア皇帝の支配する東方では、全ての教会はレムリア皇帝の支配下に置かれている」


 アレクティア公会議が起こる前。

 エルキュールはアレクティア総主教を逮捕し、裁判にかけて、舌を引き抜いて島流しにしてしまった。


 そしてエルキュールを破門したオロンティア総主教を、逆に帝国追放刑に処して、これを屈服させた。


 東方に於いて、聖職者はレムリア皇帝には一切逆らえないのだ。

 

 「あなたがいくら間違っていると主張しても、彼が聖職叙任権を持っていることは揺るがない。もし、私やあなたが彼を破門したとしても、彼は何一つ怖くないでしょう。彼は軍事力で私たちを捕まえ、それを強引に撤回させれば良い。西方の王たちとは違い、彼は……レムリア皇帝は強固な官僚組織と、強大な常備軍を有していますから」


 西方の王たちが破門されると……

 王に仕える諸侯たちは、王を見限ってしまうだろうし、場合によっては自ら王に成り替わろうと動くだろう。

 王は貴族の忠誠心や軍事力に依存しているところがある。


 しかしレムリア皇帝の場合は違う。

 例えエルキュールが破門されようとも、エルキュールに仕える官僚と常備軍はエルキュールを裏切ることはない。


 破門通告など、エルキュールにとっては紙切れに過ぎないのだ。


 「良いですか、セシリア。彼は危険です。味方なら彼ほど頼れる者はいませんが、しかし敵なら彼ほど恐ろしい者はいない。気を付けなさい」

 「……そんなに危険、ですか? 私はそこまで悪い人には思えません。話せば分かる人だと思います」


 セシリアは首を傾げる。

 姫巫女メディウムがそこまで警戒する理由が、セシリアには分からなかった。


 「長年の勘、というやつですよ。あのような、タイプは危険です」

 「あのような……タイプ?」


 セシリアが聞き返すと、姫巫女メディウムは頷いた。

 

 「百年、二百年生きてると、たまに見かけるんですよ。彼みたいに恐怖心とか、共感性とか、人として大切なモノを母親の胎の中に忘れて生まれる子供が。あれは一種の病気、障害みたいなモノです。見た目は普通の人間に見えますが、大切なモノを欠いて生まれるという点では、手足を欠損して生まれた人間と同じなんです。しかし……まあ、どういうわけか分かりませんけどね、あの手の人間は想像も絶する狂気的な罪を犯す一方で、大英雄や大商人になったり、するんですよね。そして、何故か人に好かれる。だからこそ、怖いんですけどね」





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